知的財産権なきイノベーション
2012/12/13
経済成長を持続するためには、イノベーションが重要であることは言うまでもありません。シュムペーターがその意義を強調したことはつとに有名です。その他にも、例えば産業組織論で有名なボーモールは、イノベーションを連続的に生み出すからこそ、資本主義は「成長マシーン」になったと論じています。では、そのイノベーションを連続的に引き出すためには、何が必要なのでしょうか。
【イノベーション促進策としての知的財産権】
現在の模範解答となっているのは、知的財産権を確立するということです。イノベーションには多額の研究開発投資が必要であるにもかかわらず、それが生み出す新しい知識には競合性がないので、何か工夫をしないと、誰でもそれを対価なしで利用でき、イノベーションを行うインセンティブがなくなってしまいます。
そこで、新しい知識に知的財産権を与えることにより、一定期間独占的にその知識を利用し、費用を回収できるようにするというわけです。確かに、理屈にはかなっており、そのことをもってイギリスで産業革命が起きたことを説明しようとする試みもあります。
しかし、考えてみると、独占的な権利を与えることには問題があるというのがミクロ経済学の教えるところです。それによって社会的な厚生が損なわれているはずです。それは分かっていても、イノベーションのもたらす長期的な利益を重視して、「必要悪」として知的財産権を認めるというのが、模範解答の考え方です。
【知的財産権なきイノベーション】
近年、このような考え方に挑戦するような考え方が出てきています。例えば、知識を独占することを認めることの弊害が大きいということを強調する考え方の登場です(Machele Boldrin and David K. Levin)。例えば、ジェームス・ワットは、1769年に蒸気機関に関する特許を取得した後、その延長に奔走し、ライバルのイノベーションを妨害したとのことです。この立場からは、ワットの特許が切れて初めてこの分野での新しい発明が次々と出てくるようになったことが、特許の問題点を示しているということになります。
もし知的財産権に頼らないとすると、どうすればいいのでしょうか。発明に対する「賞金」でもいいのではないかという考え方もあり得ます。確かに、ノーベル賞のような賞金付きの賞を、発明に対してもっとタイムリーに出せれば、それは誘因になるはずです。もっとも、発明をどう評価するか、その賞金の額はどう決めるのか、その財源はどう調達するのか、といった問題があることも事実ですが。
しかし、実は、その賞金も無用であったという事実が、経済史の中から掘り起こされつつあります。
まず、特許をとらない発明が非常に多くあったという事実です。確かに、コカコーラの例が示すように、特許をとれば製法を公開しなければならないので、企業秘密にとどめることはありそうなことです。しかし、このことを示すデータはなかなかなかったのですが、19世紀の世界博覧会のカタログを調べ、出品されたもののなかで、特許をとったのはごく一部だったということが明らかにされました(Petra Moser)。それによると、1851年にロンドン・水晶宮で開催された世界博覧会では、出品された発明品の89%が特許を取っていなかったそうです。もしこれが一般化できるとすれば、特許がイノベーションを引き起こすということは簡単には言えないことになります。
これ以外の事実も、掘り起こされています。19世紀前半の英国コーンウォール地方では、揚水エンジンについて、開発者が自らの工夫を公開し合い、協力しながら、改良をしていったという事実があったことが分かってきました(Alessandro Nuvolari)。19世紀半ばの英国クリーブランド地方でも、溶鉱炉の改良に際して、同様のことがあったようです。このように、多くの人たちの共同作業としての「集団的発明」(Robert C. Allen)という行為が認められるのです。
実は、このような事例は、昔だけの話ではありません。最近においてもその例をみることができます。Linuxというプログラムは、ソース・コードを公開し、それをもとに多くのプログラマーが知恵を出し合い、発展をとげたものです。彼らは、報酬を受け取ることを前提にしておらず、その成果としてのプログラムも多くの場合、無料で公開されています。これは特許をとることなく行われた例ですが、さらにこの方向性を発展させ、特許をとった上で、そのライセンスにソース・コードの公開等を義務付けるという「コピーライト」ならぬ「コピーレフト」運動もあります(iPS細胞の特許にこれを適用したら、どのような効果があることでしょうか)。
このような、「オープン・ソース・イノベーション」は、これまでの知的財産権の有効性の議論を超えたイノベーションだと言えます。
【イノベーションをもたらす環境:再考】
知的財産権を前提としない、このようなイノベーションをどのように考えればいいのでしょうか。一見経済的な利益とは無縁のように見えるため、どうしてそのようなイノベーションが起こるかが大いなる謎となります。果たして、このようなイノベーションは、利他的な精神から生まれてくるものなのか、一部の「小さな努力の積み重ね型」分野だからこそ可能なものなのか、これ以外の産業一般でも期待できるようなものなのか。
一つの可能性は、知的財産権とは無縁のところで、経済的な利益が生じている可能性です。コーンウォールやクリーブランドの場合、鉱山所有者は複数の鉱山に関する権益を有していたので、地域全体としての生産性の向上を期待していたこと、それによって鉱山の埋蔵量の価値が引き上げられたという効果もあったこと、などが誘因となっていたと推測されています。また、「オープン・ソース・イノベーション」の場合も、プログラマーはそこで名声を得て、それによって有利な雇用機会を得ることができたようですし、大企業の方も、それによって周辺事業で利益を上げることができたということがあったようです。
もし、そうだとすると、知的財産権は一つの形態であって、それ以外の形態も含め、イノベーションによって経済的な利益が得られることこそが大事だということになります。そのような状況は、自由な活動が許され、知恵や工夫を生かす場が保証されて初めて実現されることになるはずです。技術の内容の変化などを踏まえながら、イノベーションを促進するための政策も、より広範に、よりダイナミックに考える必要があるように思います。
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