一覧へ戻る
齋藤潤の経済バーズアイ (第10回)

日本のイノベーション・システムの何が問題か

 

2013/01/22

【イノベーション・システムとは】

 イノベーションにとって、企業や大学での研究開発が重要であることは言うまでもありません。しかし、研究開発は資金や人材がなければできないので、それらがどのように供給されるかによっても影響を受けます。また、そうした資金や人材が与えられても、それを効率的に利用するインセンティブがなければ、成果が十分にあがることを期待することはできません。

 このように考えてくると、結局、イノベーションは、それに直接的に関わる主体だけでなく、その他の主体との関係、あるいはそうした様々な主体を取り巻く制度・政策のあり方などからなる、一つの大きなシステムによって決まってくることが分かります。サセックス大学科学技術政策研究所を創設した故クリストファー・フリーマン教授にならって、以下ではこれを「イノベーションの国民的システム」、あるいはより簡単にイノベーション・システムと呼ぶことにします。

【日本のイノベーション・システムに関する1990年代までの評価】

 このイノベーション・システムにおいて、日本は、長いこと他国に比べて優位性を持っていると見られていました。戦後の短期間において、多くの分野でみられた技術面での遅れを急速にとり戻し、いくつかの重要な分野では逆にフロントランナーに躍り出たという事実がその根拠になっています。そうした驚異的なパフォーマンスを可能にした日本のイノベーション・システムの特徴として、フリーマン教授は、1987年の著書(Technology Policy and Economic Performance)の中で、次のようなことを挙げています。

 第1は、通産省に代表される当時の政府が、中長期的な産業構造のビジョンを提示し、それに向けて様々な政策を動員したことです。第2は、企業が、輸入された技術を吸収し、それに生産現場で改善を加えるとともに、そうした知識を企業内で共有し、蓄積していったことです。第3は、質の高い技術者を教育制度が供給し続けるとともに、企業内でも包括的な訓練が施されたことです。そして第4は、研究開発のような長期的視点での資源配分を可能にするような、企業グループ間での管理された競争が行われたことです。

 以上の指摘が示していることは、イノベーション・システムが、政府の産業政策に加え、企業組織や人事制度、あるいは産業組織のあり方と密接に関連しており、当時の日本ではそれらがイノベーションに適合したものとして機能したということです。

【日本のイノベーション・システムの2000年代以降の評価】

 こうした日本のイノベーション・システムの評価は、1980年代までの日本経済の好調なマクロ・パフォーマンスと表裏一体の関係にあったと思われます。それを表すかのように、1990年代以降になって日本経済が長期的な停滞傾向を示すようになると、評価には変化がみられるようになります。ここでは、対照的な二つの見方を紹介しておきましょう。

 一つは、日本のイノベーション・システムは行き詰まりを見せており、その改革が必要だという評価です。例えば、後藤晃教授(現在政策研究大学院大学)は、2000年の著書(『イノベーションと日本経済』)の中で、日本のイノベーション・システムは、自動車製造や製鉄のように経験の蓄積が重要であった分野が中心であった時期には有効に機能した。しかし、「技術開発の技術」が変化し、情報通信やバイオテクノロジーが中心になり、科学的な原理の探求が基礎になったり、コンピューターでの解析やシミュレーションが重要になったりしてくると、それとは適合しなくなってしまうと指摘しています。もはや暗黙知の蓄積を目的にして企業内で研究開発を行うことが適当ではなくなり、例えばR&D型のベンチャーにように、外部に研究開発に特化した効率的な組織を作った方が好ましいことになるとの見方です。

 もう一つは、日本のイノベーション・システムに問題はない、問題はイノベーションの成果を利用しないことにあるという評価です。アダム・ポーゼン氏(現在、ピーターソン国際経済学研究所所長)は、2002年の論文(“Japan”in Steil, Victor, and Nelson (eds.) Technological Innovation & Economic Performance)の中で、1990年代にはいってからの日本のイノベーション・システムへのインプット(研究開発投資額、研究者数等)や、日本のイノベーション・システムからのアウトプット(論文数、特許件数等)を調べて、そのトレンドが大きな変化を見せていないことを示しています。その上で、日本のイノベーションの何が問題かというと、イノベーション・システムが機能しなくなったということではなく、そこで生み出されたイノベーションを、他の産業分野で利用しようとしないことだと指摘しています。特にポーゼン氏が問題視するのは、日本は、非製造業分野における産業保護的な規制や不効率な金融制度が存在するために、イノベーションを利用しようとするインセンティブが削がれていると思われる点です。

【現在のイノベーション・システムの課題】

 これまで紹介してきた著書、論文は、いずれも1990年代までの日本経済をもとに論じていました。2000年代以降の動向を踏まえた場合、どのようなことがいえるのか。ここでは、いくつかのデータに見ながら、その点を考えてみたいと思います。

 第1に、確かに、日本のイノベーション・システムのインプットとアウトプットをみると、マクロ的なトレンドに大きな変化は見られません。例えば、インプットの代表として、研究開発費総額の推移をみると、多少増加ペースが緩やかになったようにも見えますし、リーマン・ショック後の落ち込みには大きいものがありますが、2000年代以降に大きな変化が表れているわけではありません(第1図)。

 また、アウトプットの代表として、米国特許商標庁への特許出願状況をみても、件数は増加傾向を続けており、ここにも大きな変化は見られません(第2図)。

 しかし、第2に、競争相手国との相対関係をみると、そこには大きな変化があることが分かります。第1図では、中国や韓国が2000年代に入って研究開発費を増加させており、特に中国は日本を上回るに至っていることが分かります(なお、GDP比では韓国が日本を抜いています)。第2図でも、中国や韓国は、まだ水準は低いものの、増加ペースが急になっています。

 また、第3に、分野別にみても、大きな内容の違いが浮き彫りになってきます。第3図は、米国特許商標庁への登録特許の分野別の動向を各国比較したものです。特許件数には、ホーム・バイアスがあるので、米国のシェアが大きいのは当然ですが、ここで注目したいのは、分野別のバランスです。これをみると、日本は、ナノテクノロジーや情報通信技術に比べて、バイオテクノロジーが極めて少ないことが分かります。これに対して、米国の場合には、極めてバランスが取れています。これは、日本のイノベーション・システムがバイオに適合していないことを示唆しているように思えます。

【イノベーション・システムの改革の方向性】

 以上が示唆していることは、日本のイノベーション・システムは、最近になってそのマクロ・パフォーマンスが特に悪化しているわけではないが、それだからといって問題がないわけではないということです。

 グローバルな競争関係にある中国や韓国に急速に追い上げられており、インプットを増加させたり、研究開発の効率性を高めたりすることが求められています。また、分野別にみると、先端分野であるバイオでは米国に水をあけられている姿が浮き彫りになります。これは、インプットと、期待されるアウトプットの間にミスマッチがあることを示しており、先端分野での研究開発能力の強化が求められていると考えられます。

 こうした要請に応えるためには、イノベーションのプロセスだけに止まらない、広範な分野の見直しを伴うことが必要になります。経験の蓄積を重視した雇用システムや企業組織、銀行貸出が中心でベンチャーなどへのリスクマネーの供給が乏しい金融システムの見直しなどが迫られています。

 イノベーションを活発化するためには、イノベーション・プロセスを日本経済のその他の部分から切り離し、単にインプットだけを増やせばいいというような発想にとらわれてはならないように思います。イノベーションもその他とシステム的につながっていることを前提に、日本型経済システムを全体として見直す中で、イノベーション・システムの新しいあり方を考えるアプローチをとるべきではないでしょうか。