経済改革の先達ニュージーランドに学ぶ(上)
2013/04/19
【経済改革の先達ニュージーランド】
日銀で採用されるようになったインフレーション・ターゲティングは、今では多くの国でも採用されているオーソドックスな金融政策となっていますが、1990年にニュージーランドが最初にこれを導入した時には、斬新な政策手法として注目を浴びたものでした。
この例が示しているように、ニュージーランド(以下、NZと表記。)は、 84年以降、新しいアイディアに基づいて、広範にわたる大胆な経済改革を急速に推進した国としてつとに有名です。そうした努力の結果、NZは、「経済協力開発機構(OECD)で最も規制の多い国の一つから、OECDで最も規制の少ない国の一つに変化を遂げた」(NZ財務省)との評価も定着しています。日本でも90年代半ばに経済改革論議が高まった時に大きな注目を浴びました。今でも、経済改革の先達としてのNZの経験から学ぶべきことは多いように思います。
そこで、このコラムでは、何回かに分けて、このNZの経済改革の特徴を整理し、その成果と我が国への教訓を考えてみたいと思います。
【労働党政権が担った経済改革】
まず、NZの経済改革の特徴を見ておきましょう。
NZの経済改革の第1の特徴は、労働党政権であるロンギ政権によって始められたということです。
80年代初めまでのNZは、70年代の二度にわたる石油危機がもたらした世界貿易の低迷や、イギリスの欧州経済共同体(EEC)加盟に伴う特恵的な地位の喪失によって、経済の停滞が顕著なものになっていました。こうした事態に対して国民党政権が採用した政策は、保護主義的な政策と短期的な総需要管理政策とを組み合わせたものでした。しかし、そうした政策は、NZ経済に、低成長、高失業、高インフレと、経常収支の赤字幅拡大、対外債務残高の急増といった極めて深刻な事態をもたらしただけに終わりました。
そうした状況の中で政権をとった労働党は、財務大臣になったロジャー・ダグラス氏の主導の下で「ロジャーノミックス」といわれる経済改革を断行したのです。経済改革の断行は、政権交代に伴う政策体系の変革という意味では分かり易いものでした。しかし、レーガンやサッチャーと同様の新保守主義的な政策を、本来の保守党である国民党ではなく、労働党政権がとることになったのは皮肉でした。そのために、経済改革の進め方にもその影響が見られることになります。この点は、次の点に関連してみてみたいと思います。
【広く深い経済改革】
NZの経済改革の第2の特徴は、改革の範囲の広さと深さです。紙幅の制約があるので、概要だけを紹介しましょう。
①国際金融
84年に始まる経済改革は、国際金融面から始まりました。まず政権誕生直後の84年7月に当時バスケットペグ制を採用していたニュージーランド・ドルを20%切り下げます。その後、同年12月にかけて為替管理を事実上撤廃した上で、85年3月に変動為替相場制度に移行します。その後、NZは、長期にわたって為替介入を全く行わないクリーン・フロートを貫くことになります。
②国内金融
国内金融面では、84年7月に預金金利と貸出金利の規制を廃止し、85年2月には銀行に対する資産保有規制を廃止しました。その上で、87年に銀行業への参入を自由化しています。銀行監督の責任は中央銀行であるNZ準備銀行が負っていますが、モラルハザードを排除するとの考え方から、NZは、2008年10月からの一時期を除いて、預金保険制度を導入していません。
③貿易
貿易面での改革にも着手します。輸出面では、84年から87年までの間に補助金や税制上の優遇措置が廃止されました。他方、輸入面では、83年から行われていた輸入数量制限の撤廃が加速され、92年7月にはそれが全廃されます。並行して87年以降は、関税の段階的な引き下げが行われ、96年には平均5%にまで低下します。現在では、全輸入の90%が無関税となっています。
④公共部門
公共部門改革では、政府が行ってきた事業活動についての見直しが行われ、原則として全てが企業化されるとともに、86年の国有企業法の枠組みの下に置かれ、経営者の責任と権限が強化されました。その上で、必ずしも政府所有とする必要がないものについて、民営化が進められました(例えば、郵便貯金銀行、NZ航空、NZ鉄道、NZテレコム等)。その結果、重要なインフラが外資の手に移ることにもなりましたが、これらは容認されていきました。
また政府部門の効率性を改善するために、88年の政府部門法に基づき、政府機関の事務最高責任者(我が国の各省次官に相当)が、一定の成果を達成する義務を大臣に負うことになりました。その代り、各事務最高責任者は、職員の採用、解雇、給与等の決定につき、大幅な権限を付与されることになりました。
⑤財政政策
財政面では、86年10月に10%の付加価値税を導入します。その上で、個人所得税の簡素化と最高税率の引き下げが行われました。歳出の削減も、91年以降、社会保障分野で進められ、年金の支給開始年齢も92年から徐々に60歳から65歳に引き上げられました。また、財政の管理の改善、財政の透明性の確保等を目的に、94年に財政責任法が成立し、それを受けて、政府は発生主義に基づいて財務諸表を作成することが義務付けられました。
⑥金融政策
そして金融政策面では、89年の準備銀行法によってNZ準備銀行の独立性が明確にされるとともに、準備銀行の最終目標が物価安定の実現であることが明記されました。それを受けて、準備銀行は、政府との間で締結される政策目標協定で定められる物価安定目標(当初はCPIで0~2%)を達成されることとされました(準備銀行総裁の雇用契約の条件とされました)。その代り、その目標を達成するための金融政策の運営については、準備銀行に完全な裁量権が保証されました。これがインフレーション・ターゲティング政策の始まりです。
⑦労働市場
こうした改革に比べ、労働市場改革は遅れました。NZでの賃金決定は、長らく組合強制加盟制の下で、職能別組合による中央集権的な方式によって行われてきました。これに対して、87年の労働関係法は初めて個別賃金交渉への道が開くことになりましたが、この時点ではまだ限定的なものにとどまっていました。ようやく本格的な変更が見られるようになったのは、91年の雇用契約法の成立によってです。これによって、組合任意加盟制への移行、組合設立の自由化、雇用契約の自由化等が行われることになります(ただし、2000年に雇用関係法が成立し、この枠組みに修正が加えられました)。
【通説に逆行したNZ改革のシークエンシング】
ところで、経済改革はあるとき一挙に行うことは困難なので、必ずある順序で断行されることになります。南米などの経験を参考に、当時考えられていた「あるべき経済改革の順序(シークエンシング:sequencing)」(例えばロナルド・マッキンノン教授の所説)によりますと、まず国内改革をしてから対外改革を行うのが原則で、国内改革の中では財政赤字の解消が最初で、その後に財市場改革、労働市場改革、国内金融改革の順序で進めること、また対外改革の中では貿易政策の改革から国際金融面の改革に進むことが提唱されました。為替相場制度について固定相場制度が基本とされ、経済環境が安定化し、金融政策の有効性が確立して初めて変動相場制度が採用されるべきだとされました。
日本の戦後の自由化の歴史を見ると、確かに概ねこのような順序に従っていたように思えます。
これに対して、NZでは全く逆の順序で経済改革が進められたことは、既にみたとおりです。経済改革は国際金融面から着手され、労働市場改革は大幅に遅れて取り組まれることになったのです。
経済改革を進め、所期の成果を収めるには、クレディビリティーが大事です。そのためには改革が目に見える形で進んでいかなければなりません。また、当時の労働党の事情としては、政権をとって速やかにビジネス界の支持を取り付ける必要があり、そのためには経済改革がビジネス界にもメリットがあるということを迅速に見せる必要があった、という指摘もあります。そうした事情から、変化の速い国際金融面での改革がまず取り上げられたと考えられます。
他方、労働市場改革が遅れてしまったのは、労働党の政権であったからと言えるかもしれません。91年の雇用関係法のような本格的な取り組みは、90年に労働党に代わって国民党が政権につくまで待たなくてはならなかったということが、そのことを象徴しているように思います。
しかし、こうした経済改革のシークエンシングは、マクロ経済への影響という面で見ると、コストを伴うものになったようです。この点については、後に戻ってみたいと思います。
【経済改革に対する国民の支持】
第3の特徴は、そうした急進的な改革を国民が長期間にわたって支持してきたことです。84年に政権を握った労働党は、87年には再選されました。その後、90年には国民党が政権を取り返しますが、改革路線は引き継がれたのです。
その理由としてしばしば挙げられるのは、①国の規模が小さいこと(当時のNZの人口は300万人余り)とか、②一院制で小回りがきいたこと、といった点です。
しかし、国が小さいことは、逆に言うと改革の痛みが及ぶ人の顔が見えやすいということであり、決して改革がしやすい理由とはなりません。また一院制であることも、その後(選挙制度の変更もありましたが)過半数を握る政党がなくなり、連立政権が一般化したこともあって、改革が足踏みすることになったことを考えると、やはり理由とはならないようです。
やはり最も大きな理由は、それだけ国民が改革を望んだということではないかと思います。実際、改革開始当初のNZはこれ以上悪い状況が考えられないくらい落ち込んでいて、「改革に賭けてみる」という状況にあったと言われています。
そうした危機感の背景にあったのは何なのか。NZ以外で経済改革に取り組んだ国々として有名なイギリス、オーストラリア、カナダ等の状況とも併せて考えると、経常収支の大幅な悪化と多額の対外債務の存在だった可能性があります。「国が破産しかかっている」という「誰が見ても明らかな危機」(evident crisis) にあったからと言えるのではないでしょうか。(これに比べると、高齢化・人口減少は「忍び寄る危機」(creeping crisis) なのかもしれません。)
【次回のテーマ】
以上のような特徴を有する経済改革を断行したNZでしたが、実はそのマクロ経済的な効果は決して芳しいものではありませんでした。次回はその点を取り上げてみたいと思います。
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