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齋藤潤の経済バーズアイ (第17回)

消費税率引き上げを巡る論点

 

2013/08/19

 消費税率の引き上げを法律通り来年4月1日から引き上げるかどうかを決断する時が近づいています。その場合の最大のポイントは消費税率引き上げの景気への影響をどう考えるかです。消費税率が引き上げられれば景気の腰を折るのではないか、もしそうなったらようやく展望が拓けてきたデフレ脱却が遠のいてしまうし、税収も上がらないので税率を引き上げた意味もなくなってしまうのではないか、それくらいならば延期をした方が良いのではないか。これが先延ばし論の議論です。今回は、こうした議論に関連したいくつかの論点について考えてみたいと思います。

【比較の相手はどのような場合か】

 まず、消費税率の引き上げの影響を考えるとした場合、どのような場合と比較してそれを計測するのかという論点があります。もちろん消費税率を引き上げない場合になるわけですが、そのとき、財政支出についてはどう考えるかという問題です。

 もし財政赤字を拡大させないように並行して財政支出を削減する場合を想定するのであれば、その分のマイナスを考えなければなりません。財政支出削減がGDPに与える影響(マイナスの乗数効果)は消費税率引き上げの延期がGDPに与える影響(プラスの乗数効果)を上回る可能性が高いので(注)、この場合は、むしろ先送りすることの方が景気へのマイナスの影響は大きくなることになります。

 もっとも、多くの場合は、財政支出を削減することはせず、財政赤字の拡大を許容することを想定していると考えられます。その場合には、もちろん上記のようなマイナスの影響はありません。しかし、これとは別に、次のような新たな問題が発生することになります。

 第1に、新たに国債が発行されることになるので、ただでさえ多額にのぼる公的債務残高がさらに増大することになることです。しかも、消費税率引き上げの先送りの仕方によっては(特に2016年度以降に先送りすることになると)、かねてから政府がコミットしてきた(閣議決定をしてきた)2015年度における基礎的財政収支を半減させるという財政再建の第1目標の達成も困難になってしまいます。

 第2に、かねてから政府が「最善」と判断してコミットしてきた(法制化してきた)消費税率の引き上げを、間近に迫った時点で「最善ではない」と判断して取り止めることは、経済学でいう「時間的非整合性」の典型例です。これによって、政府の言うことを信じて民間主体が行ってきた資源配分(すでに駆け込みは一部で始まっています)は無駄になりますし、政府の決定のクレディビリティーを損ない、二度とそれが信頼されなくなるリスクが大きくなります。次に「20××年×月に必ず引き上げる」と言ったとして、どれだけ政府は信用されるでしょうか。

 いずれにしても、日本政府の財政再建に対する真剣度が疑われ、国債格付けの引き下げや、日本国債に対するリスクプレミアムの要求(長期金利の上昇)につながる可能性が高くなります。

【消費税率の引き上げの影響とは何か】

 次に、消費税率の引き上げの影響として何を考えるかです。しばしば駆け込み需要に目が奪われがちですが、もちろん影響はそれだけに限られるわけではありません。

 第1に、消費率引き上げによって、同じ所得であっても購買できる消費財の量が減少する(実質可処分所得が減少する)ことになります。もちろんそれは個人消費に影響を及ぼすことになります(少なくとも限界消費性向分)。しかも、消費税率の引き上げは恒久的な措置と考えられ、生涯所得を減少させることになりますので、それだけ個人消費への影響は大きくなるはずです(ライフサイクル恒常所得仮説)。

 ただし、注意すべきことは、この影響は何も消費税率が引き上げられる4月1日に初めて出てくるわけではないことです。用意周到な消費者は、これを計算に入れて消費活動を行うはずなので(フォワード・ルッキングな合理的家計)、この影響はすでに顕在化しているはずです。

 そして、第2に、消費税率の引き上げによる駆け込み需要とその反動があります。実質可処分所得が減少しても抑制されないような消費であっても、購入金額がかさみ(支払う消費税が大きい)かつ購入時期を柔軟に調整できるものは、消費税率の引き上げ前に購入するインセンティブがあります(異時点間の代替)。個人消費や住宅投資の一部で見られる駆け込み需要とその反動は合理的判断の結果であって、ある意味では不可避な現象です。

 ただし、これはミクロの駆け込みであって、マクロの駆け込みはこれとは別だという見方もできます。企業がもしミクロの駆け込みにあわせて生産を行うと、消費税率引き上げの前に大幅な増産を行い、引き上げ後に大幅な減産を行う必要が出てきます。しかし、これに伴って企業が負担しなければならなくなるコストは大幅になる可能性があります(例えば臨時的な雇用の拡大と縮小)。むしろ企業にとっては、生産をある程度ならしておいて(生産スムージング)、駆け込み需要に対しては在庫の取り崩しで対応し、その後に在庫を復元するという方が望ましい可能性もあります。その場合には、例えば個人消費の駆け込み需要(プラス)と反動(マイナス)は、在庫の取り崩し(マイナス)と復元(プラス)で相殺され、GDPには大きな影響はない可能性もあるのです。もっとも、過去の消費税の導入時や税率引き上げ時には、GDPの大きな波動が生じているので、このような見方は現実的ではないかもしれません。

【家計部門の力強さはどの程度か】

 消費税率引き上げの経済的な影響が不可避だとすると、最後に問題となるのは、消費税の最終的な負担者である家計がそれに持ちこたえられるか、個人消費や住宅消費の増加は持続するかということになります。

 現在個人消費は比較的堅調です(3四半期連続の増加)。しかし、それは必ずしも現在の雇用者所得に支えられているわけではありません。雇用者報酬の基調はまだ不安定です。したがって、雇用者報酬とは別の要因が影響しているように思われます。

 第1に、高齢者の消費です。雇用者所得には必ずしも左右されない高齢者は、これまでも個人消費の下支えに寄与してきたと考えられます。

 第2に、資産効果です。昨年末以降の株価の上昇で、高額資産保有者を中心に消費意欲が高まった可能性があります。

 第3に、マインドの改善です。先行きに関する楽観的な見通しから、将来の所得増加を先取りする形で個人消費が増加してきているとみることができます。

 しかし、第1の要因は、今後、これまでの物価スライド停止分を取り返すように年金が減額されると、これまでのような下支えを期待することは難しくなるかもしれません。また、第2の要因も、最近株価のボラティリティーが高くなっていること、株式保有が家計の金融資産に占める割合は直接的にも間接的(投資信託を通じて)にも小さなものに止まっていることから、引き続き期待することができるかどうかは不透明です。最後に、第3の要因ですが、これまでのところ、賃金上昇は所定内給与(基本給)ではあまり見られず、雇用拡大も非正規雇用が中心となっているので、楽観的な見通しの持続可能性にはリスクがあると言えます。

 したがって、現在の家計が消費税率の引き上げに耐えられるかは疑問と言わざるを得ません。現時点では、企業部門は好調で、ようやく設備投資も増加の兆しが見えてきたところですが、個人消費が弱まると、そうした設備投資の先行きにも黄信号が出てくる可能性がありますし、海外経済のリスク要因の影響にますます脆弱になると考えられます。

【東日本大震災の教訓】

 以上のように見てくると、消費税率を予定通り引き上げるかどうかの判断は非常に難しいものがあります。消費税率の引き上げの先送りは、財政再建のクレディビリティーを損ない、マーケットに大きな影響をもたらす可能性があります。その限りでは、消費税率を予定通り引き上げるべきだということになります。他方、家計部門の現状をみると、消費税率の引き上げは景気の勢いを削ぐ可能性があります。その点を考慮すると、消費税率の引き上げを先送りすることにも一理あるように思います。こうした中でどう決断するか。

 ここで思い返されるのは、東日本大震災の教訓です。可能性が小さいと思えても、それが実際に顕在化した時の影響が甚大である場合(テールリスクの場合)には、それに対する備えをすることが極めて大事だというのがその教訓ではなかったでしょうか。そのことからすると、我が国で財政危機(これは経済危機や金融危機に至る可能性も秘めています)が起きることを防ぐことは最重要課題だと思います。そのためには政府の財政再建への意思のクレディビリティーを傷つけるようなことは是が非でも回避すべきでしょう。このような観点からは、消費税率の引き上げは予定通り実施すべきだと言えます。

 もちろん景気に対する配慮も必要です。その意味では、家計の所得環境を強化する成長戦略を実行に移すことは極めて重要です。企業が高賃金雇用を創出し続けていくような経済システムを構築することは、景気を自律的な回復とデフレの克服に導くには絶対的に必要な条件ですが、消費税率を引き上げるとすれば、その緊急性はなおさら高いと考えます。

(注)内閣府の短期日本経済マクロ計量モデル(2011年版)によれば、消費税率を1% (約2.5兆円)引き上げると実質GDPは1年目で-0.15%、名目公的固定資本形成を名目GDPの1%相当額(約5兆円)増加させると実質GDPは1年目で+1.01%の影響があります。