どのような状況を「デフレ脱却」と言うべきか
2013/12/12
【最近の消費者物価の動向】
最近の物価動向をみると、消費者物価指数が下げ止まり、上昇傾向に転じつつあります。
第1図を見てください。消費者物価指数の「生鮮食品を除く総合」(我が国で言う 「コアCPI」)の前年比は、2013年6月以降プラスの伸びとなっています。基調 を捉えるために、「食料品(酒類を除く)・エネルギーを除く総合」を見ても、9 月に前年比横ばいとなっています。また、「生鮮食品、石油製品及びその他の特殊 要因を除く総合」(内閣府の言う「コアコア」)でも、8月以降前年比横ばいです。 これらを見ると、デフレ的な状況ではなくなりつつあるように見えます。
それでは、現状は、デフレから脱却しつつあると言えるのでしょうか。そもそも、「デフレ脱却」とはどのような状況のことを言い、それはどのように判断されるべきでしょうか。物価動向に変化が見られる中、今月は、こうした問題について考えてみたいと思います。
【デフレ脱却とは】
まずデフレの定義を確認しておくと、デフレとは「継続的に物価が下落しているような状況」のことです。したがって、デフレでない状況とは、少なくとも「物価が横ばいか、上昇している状況」だと言うことができます。しかし、①ラスパイレス式で作成された物価指数には上方バイアスがあること、また、②再びデフレに陥る心配のないような安定した状況を実現することが重要であることを考慮すれば、デフレ脱却とは「物価指数が継続的に上昇しているような状況(つまりインフレ的状況)に転じること」と定義すべきように思います。
もちろん、高率のインフレを望まないとすれば、上昇する率にも上限があるはずです。この場合には、デフレから脱却した状況として目指すべきは、「マイルド・インフレ」ということになるでしょう。
さて、物価指数が「継続的に」上昇しているかどうかの判断は、実際に長期にわたって上昇したことを確認してから事後的に判断することによってもちろん可能です。しかし、これではタイムリーな経済政策運営には役に立ちません。短期間の観察で、継続的に上昇する客観的な条件が整っているかどうかを判断することが必要になります。そうなると、単に消費者物価指数(あるいはその基調)を見ただけで判断することは困難になります。いくつかの経済指標を分析することで補完する必要がでてきます。
そうした経済指標としては、次の3種類のものが重要であるように思います。第1に、外的要因によるインフレではなく、国内要因に基づく「ホーム・メイド・インフレ」(home-made inflation)となっているか否かを表す指標です。第2に、マクロ的な需給バランスが物価上昇圧力をもたらすだけタイトになっているか否かを表す指標です。そして第3に、物価上昇を支えるだけのマネーが供給されているか否かを示す指標です。以下では、これらを順次見ていきたいと思います。
【GDPデフレーター】
ホーム・メイド・インフレの状況になっているか否かは、GDPデフレーターの動向で判断できます。なぜなら、GDPデフレーターの変化は、名目GDPの変化から実質GDPの変化を取り除いたもののことですが、これは取りも直さず、最終生産物の生産数量1単位あたりの付加価値(賃金+利潤)の動きを示しているからです。つまり、GDPデフレーターは、輸入財の物価変動の影響を除いた、国内要因による物価変動だけを取り出した指標なのです。
そこで、実際のGDPデフレーターの動向を第2図で見てみましょう。これによると、確かにそこで、実際のGDPデフレーターの動向を第2図で見てみましょう。これによると、確かにデフレ的状況にあった1990年代半ば以降を除くと、一貫してGDPデフレーターはプラスの伸び(つまり上昇)をしていたことが分かります。デフレ脱却にとってGDPデフレーターの伸びがプラスであることは必要条件のようです。2013年に入って以降の原系列の前年比を見ると、1~3月期のマイナス1.1% の後、4~6月期のマイナス0.5%、7~9月期のマイナス0.3% とマイナス幅が縮小していますが、今後これがプラスの領域で落ち着いていけば、デフレ脱却と言える状況に近づいていくと考えることができそうです。
【単位労働指標】
しかし、GDPデフレーターがプラスになっているというだけでは、国内要因で物価が上昇しているということは言えても、継続的な物価上昇であるとまでは言えないかもしれません。それが継続することを表す指標が必要です。それにあたるのが「単位労働費用」(unit labor cost)の動きです。これは具体的には、名目賃金(名目雇用者報酬)の変動から最終生産物の生産数量の伸びを除いたもので、生産数量1単位当たりの賃金の動きを表しています。これがプラスであることは、賃金コストが上昇していることを表しています。こうした状況の下では、個人消費が増加して総需要が堅調で推移し、継続して物価が上昇する下地が形成されていると考えることができるわけです。
なお、この図を見ると、1980年代半ばに、現在に近い状況が現出していたことが見て取れます。単位労働費用がマイナスになり、GDPデフレーターもゼロに近くなっています。実際、消費者物価指数の総合を見ても、1986年から1988年の3年間1%以下の伸びとなっています。この時期は、円高を背景にした輸入物価の下落、流通経路の構造変化によって「価格破壊」が注目された時期でしたが、それに対応して、この時期にはデフレになりかねないような状況に陥っていた可能性があることが分かります。
【GDPギャップと期待インフレ率】
次に、マクロ的な需給バランスは、潜在GDPと実際のGDPの差である「GDPギャップ」(output gap)で表すことができます。このGDPギャップの推移を第3図で見ると、1990年代初めまではプラスであったのが、1990年代前半以降になるとマイナス基調に転じたことが分かります。マイナスになった時期がデフレに陥った時期とほぼ一致していることから、GDPギャップが物価動向と密接な関係にあることが分かります(GDPギャップがマイナスになってから、それが物価を下落させるのには時間的なラグが伴いますので、GDPギャップがマイナスになる時期がGDPデフレーターのマイナスになる時期に先行するのは整合的な動きと言うことができます)。デフレ脱却にとっては、GDPギャップが事前にプラスになっていることが必要条件だと考えられます。
なお、この図を見ると、1996年から1997年にかけてと、2006年から2008年にかけて、GDPギャップは一時的にプラスになっていることが分かります。前者は消費税率の3%から5%への引き上げの時期と重なっています。また、後者は、日本銀行が2001年から実施していた量的緩和政策を解除した時期(2006年3月)の直後にあたっています。それぞれの是非については様々な議論があり得ますが、GDPギャップのプラスはいずれの場合にも短期間で終わっており、GDPデフレーターのマイナス基調には変わりがなかったことが示されていることから、いずれの政策も、結果的にはデフレ的状況下で実施されてしまったということが分かります。
もっとも、後者の時期については、リーマン・ショックのような外的ショックがあったからこそデフレになったので、それがなかったならデフレには舞い戻っていなかったはずだという意見があるかもしれません。しかし、それこそが問題で、リーマン・ショックでデフレに舞い戻ってしまったということは、いまだデフレから脱却できていなかったことを表しているように思います。なぜなら、リーマン・ショックがあっても、デフレに陥ったのは日本だけで、日本以外の国は、デフレ懸念は生じたものの、デフレには陥らなかったからです。ショックに対するそのような抵抗力を持った状態こそが、デフレ脱却後に目指す状態ではないかと思われます。
【予想物価上昇率】
今みたように、マクロ的な需給ギャップの動向は重要です。しかし、「期待を織り込んだフィリップス曲線」を考えても分かるように、それが物価動向に影響を及ぼすときには、決して単独でではなく、「期待」(expectations) と絡み合って影響します。つまり予想物価上昇率(いわゆる「期待インフレ率」)の動向も重要となってきます。仮にマクロ的な需給ギャップがプラスになっても、デフレ期待に変化がないと、実際の物価上昇にはつながらない可能性があるのです。言い換えると、継続的な物価上昇をもたらすには、マクロ的な需給ギャップがプラスになるだけではなく、それにも影響されながら予想物価上昇率がプラスになる必要があるのです。
予想物価上昇率を表す適当な統計はなかなかありませんが、消費動向調査における物価の見通しに関する質問に対する回答(一般世帯)について、第4図でみてみると、将来物価が上昇すると回答した世帯の割合は、2012年末以来高まりを見せていることが分かります。これは、この間に予想物価上昇率が上昇している可能性を窺わせる動きです。
【マネーストック】
これまで実体経済面から必要条件を考えてきましたが、最後に金融面についてみておきましょう。デフレ脱却は、実体経済面だけでなく、金融面で支えられる(accommodateされる)ことも必要です。特に、実質GDPに比して十分なマネーストックが存在し、物価上昇を可能にすることが必要です。
この点を見るために、マネーストックの動きを、実質GDPに対する比率の変化として見ているのが第5図です。これを見ると、デフレに陥るまでは比較的高い伸びを示していたのが、デフレの時期になるとゼロないしマイナスになっていることが分かります。デフレ脱却のためには、それを可能にするマネーストックが存在しなければならないし、そうなるためには、金融政策が適切に運営されなければならないことが示唆されています。足元では伸びが緩やかに高まっています。この傾向が持続することがデフレ脱却には必要だと言えます。
【まだしばらくかかるデフレ脱却】
以上のことを踏まえると、デフレ脱却と言えるためには、消費者物価指数(あるいはその基調)がプラスになっていることを前提としながら、それに加えて、以下のような条件が満たされている必要があると言えそうです。
①GDPデフレーターの伸びがプラスになっているとともに、単位労働費用の伸びもプラスになっていること。
②GDPギャップがプラスになっているとともに、予想物価上昇率もプラスになっていること。
③マネーストック(実質GDP比)の伸びがプラスになっていること。
これらの基準に照らしてみると、現状では、消費者物価指数でこそプラスの兆しが見えてきていますが、それ以外の経済指標は、良い方向には向かっているものの、デフレ脱却と言えるまでにはまだしばらく時間がかかりそうです。デフレ脱却に向けた努力を緩められる段階にはまだ到達していないということを、改めて認識しておくことが重要だと思われます。
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