取り組み遅れるマクロ・プルーデンス政策
2014/01/29
【これまでに経験したことのない金融緩和】
今日、各国とも非伝統的な金融政策手段を用いて、これまでに経験したことのない金融緩和を実行しています。それは何よりも、中央銀行のバランスシートの未曾有の拡大に現われています。これは、リーマン・ショック後の急激かつ大幅な景気の落ち込み、デフレ懸念の顕在化、雇用改善の遅れといった事態への対応として打ち出されたものであり、世界的な経済の崩壊を防ぐために必要不可欠な政策発動であったことは言うまでもありません。
【バブルの温床としての金融緩和】
しかし、長期にわたって金融緩和が継続されたとき、それがバブルを醸成する可能性があることは、苦い経験を通じて学んだ教訓です。日本の1980年代末のバブル経済がそうであり、2000年代半ばの米国や欧州における住宅バブルもそうでした。その可能性は、金融面での規制緩和や金融技術の革新と併進するとき、一層高まるものとも考えられます。そして、そのバブルが崩壊した時の経済への痛手に著しいものがあることも、同時に経験したことです。
【マクロ・プルーデンス政策の登場】
こうしたことを教訓に、米国や欧州では、個別金融機関の健全性を監督する従来の政策(ミクロ・プルーデンス政策)に加えて、金融システムに潜むリスクをモニターし、経済の安定性を損なうリスクを管理し、いったんそれが顕在化したら、すぐにそれに対応する新たな政策(マクロ・プルーデンス政策)が導入されています。
マクロ・プルーデンス政策の柱となっているのは、①金融システムのリスクに関する情報の収集、②収集した情報の分析・評価、③リスクを管理する制度的枠組及び政策の検討・準備、④リスクの顕在化を管理するための制度の導入及び政策の実行、といった点です。また、これらの任務を円滑に遂行するために重要となる、関係機関の間の情報の共有と、制度の検討や政策の実行における協調に配慮がされています。
【各国のマクロ・プルーデンス政策のための体制構築】
こうした観点から、各国は、それぞれの実状に合った様々な工夫をしながら、マクロ・プルーデンス政策を推進するための包括的な体制を新たに構築してきています。
例えば、米国は、金融安定監督協議会(Financial Stability Oversight Council= FSOC)を創設しました。これは、財務長官を議長とし、FRBや各連邦監督機関及び保険専門家(以上10名は投票権を有する)並びに州監督機関及び金融調査局(OFR)の長官、連邦保険局(FIO)の長官(この5名は投票権を有しない)をメンバーとする会議体で、ここにおいて関係各機関の調整を行えるようになっています。また、新しい組織として財務省内に金融調査局(Office of Financial Research= OFR)も創設し、FSOCのための情報の収集・分析にあたらせるとともに、FRBの権限を拡大し、金融システム上重要な金融持株会社やノンバンク(Systemically Important Financial Institutions=SIFIs)の監督と規制に関する権限を付与しています。
また、英国では、これまでミクロ・プルーデンス政策を一手に担当してきたFSAを解体し、それに代わって金融監督委員会(Financial Policy Committee= FPC)、プルーデンス規制機構(Prudential Regulation Authority= PRA)、金融行為機構(Financial Conduct Authority= FCA)からなる三者体制が構築されました。このうち、マクロ・プルーデンス政策を担当するのはFPCで、これはBOE内に設置された委員会ですが、メンバーは、BOEの総裁・副総裁(3名)及び金融安定局長、FCA長官、財務大臣使命の外部委員(4名)(以上10名は議決権を有する)、財務省代表(議決権を有さず)とされているほか、財務省による勧告権等も認められており、BOEと財務省の間の協力体制が保証されるような組織形態となっています。
さらに、EUは、欧州システミック・リスク理事会(European Systemic Risk Board =ESRB)を創設しています。これはミクロ・プルーデンスを担当する欧州監督機構に加えて、マクロ・プルーデンス政策を担当する組織として設けられたもので、理事会のメンバーは、欧州中央銀行の総裁・副総裁、各国中央銀行総裁、欧州委員会代表、欧州監督機構(EBA)議長、欧州保険年金監督機構(EIOPA)議長、欧州証券市場監督機構(ESMA)議長、専門家からなる学術的諮問委員会の議長・副議長、政策当局者からなる技術的諮問委員会の議長(以上は議決権を有する)のほか、各国監督当局者の代表及び経済財政委員会(Economic and Financial Committee=FPC)の議長(両者は議決権を有さず)となっています。この体制によって、部門間の調整のみならず各国間の調整も必要とするEUの困難性に対応しようとしています。
【遅れている我が国の取り組み】
このような国際的な動向に比して、日本の場合、マクロ・プルーデンス政策に対する取り組みは著しく遅れていると言わざるを得ません。現状では、基本的には日本銀行による取り組みに限定されていると考えられます。
しかし、日本銀行による取り組みだけでは不十分であることは、各国が中央銀行と政府からなる包括的な体制を築いていることからも明らかです。日銀のみに依存する体制では、次のような問題があると考えられます。
第1に、金融システムの情報が一元的に収集できる体制にあるのかという問題です。日銀の直接のモニタリングは考査の対象金融機関に限られるわけですが、我が国には、都市銀行、地方銀行に加え、信託銀行、ゆうちょ銀行、外国銀行があり、さらに信金、信組があるほか、農協・漁協、労金なども存在しています。これらは政府の中でも一元的な監督の下にはないだけに、日銀のみに依存することには大きな限界があると考えられます。
第2に、金融システムのリスクや、それが実体経済に及ぼす可能性については、高い分析能力が求められますが、そうした要請に十分応えられる体制にあるのかという問題です。マクロ経済を分析する人材が日銀にいることは疑いのないことですが、金融機関やそれと各産業との関係、あるいはマクロ経済的な観点からの評価と言うことであれば、内閣府、財務省、経済産業省など政府内にも存在しています。そうした人材を総動員する体制が求められていると考えられます。
第3に、リスクを管理、抑制する制度や政策を企画し、実行するのに万全な体制にあるのかということです。システミック・リスクに対応するためには、日銀の金融政策だけでは不十分で、金融庁や財務省が所管する政策も発動する必要があります。そのためには、制度や政策のあり方やその運営について、関係機関の間で十分な合意形成と調整が行われる必要があると考えられます。
【早急に体制構築を】
我が国は、リーマン・ショックの影響を大きく受けました。しかし、それは実体経済の面においてであって、金融面の面における影響は軽微であったと言えます。そのことはもちろん、幸いなことでした。しかし、そのために、リーマン・ショックを契機に各国がこぞって整備しているマクロ・プルーデンス政策の確立・強化の流れに大きく後れを取ることになったことも事実です。
現在、ようやくデフレからの脱却を展望できる状況に近づいています。もちろん、バブルの危険性は、現実にはまだ見えていません。しかし、そうした時期だからこそ、早急にマクロ・プルーデンスの体制を構築し、将来のリスクに備えることが必要だと思います。デフレが長期化するなかで、それのきっかけとなったバブルの恐ろしさを忘れてしまっているとしたら、それはあまりにも残念なことではないでしょうか。
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