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齋藤潤の経済バーズアイ (第29回)

ピケティを読む

 

2014/08/18

【もっと読まれるべきベストセラー】

 この夏、まとまった時間を利用してトマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本論』の英語版(Capital in the Twenty-First Century, Translated by Arthur Goldhammer, The Belknap Press of Harvard University Press, 2014)を読みました。本書はニューヨークタイムスのコラムで「これまでで最も読まれることのないベストセラー」(7月23日付)と紹介されましたが、事実、気軽に読まれることを拒否するような分量の本です。全体が685頁(本文577頁+巻末注77頁+目次・索引等)に及び、読み通すのに体力と集中力を要します。しかし、実際に読んでみると、大変読みやすく、面白かったというのが印象です。疑いもなく「もっと読まれるべきベストセラー」だと言えるのではないでしょうか。

【大著である理由】

 本書が大著になったのには理由があります。

 第1に、議論の前提となる膨大なデータについて、多くの説明が加えられていることです。この本の存在価値の一つは、丹念に各国のデータを過去にさかのぼって集め、それらを、整合的に加工し、集計したことであり、これだけでもノーベル賞に値すると言う人もいるほどです。

 第2に、分析に用いられる重要な概念について詳しい解説を加えながら、徐々に議論を積み重ねていく手法を取っていることです。例えば本文の前半(第1部と第2部)は、資本(Capital:ピケティにとっては富Wealthと同義語)や、資本所得比率、資本分配率に関するマクロ的な議論に充てられています。所得や資産の不平等性に関する議論に入っていくのは、ようやく後半(第3部)に入ってからです。

 第3に、そのデータの解釈に当たって、経済学者(Malthus, Ricardo, Marx, Kuznets、etc.)の所論を検討していることは言うまでもありませんが、加えて文学者(Austen , Balzac, etc.)の作品も数多く引用していることです。例えば、全体の狂言回しの役割を演じているのが、バルザックの『ゴリオ爺さん』に出てくるヴォートランの言葉であるといった具合です。

 第4に、不平等を是正するための政策手段を検討するにあたって、欧州での社会国家(Social State)や税制の歴史(第13章~第15章)を振り返るだけでなく、最近、欧州が直面している様々な問題についても触れていることです。例えば、政府債務や欧州統合についての彼の見解も詳しく紹介されています(第16章)。

 以上のような部分がなければ、もっと本が薄くなったことは確かです。しかし、その代わり、ピケティの議論の説得力は相当に減ぜられたことでしょう。

【結論の要約】

 簡単に本書の結論を要約しておきましょう。

 まず、本書を通して、これまでの所得分配や資本所有における不平等の推移について多くの議論が行われていますが、最も核心となるのは、(米国を中心として)1980年代以降になってそれらの不平等度が上昇に転じているという指摘です。この背景にあるのは「スーパーマネージャー層」(supermanager: 高報酬を受け取る大企業経営者層)の登場だとされています。加えて、資本所得の寄与も大きく、高所得層であればあるほど(特に所得千分位の第1分位で)その影響は大きなものとなっていることが示されています。スーパーマネージャー層の労働所得も、やがて相続されると資本所得となります。その意味では、資本所得を中心にした不平等の拡大が現代の特徴だと指摘されています。

 他方、これまでの長期的な傾向として、資本(実物資産と金融資産の合計)の収益率が、所得の伸びを上回ってきたということが指摘されています(r>g)。また、資本額が大きいほど、(より有利な投資機会に恵まれるために)資本収益率は高いという傾向もあることが示されています。このため、(財産の相続などを通して)資本を多く所有するようになった個人は、金利生活者(rentier)としてますます資本を蓄積するようになっています。このような状況をピケティは「世襲制資本主義」(patrimonial capitalism)と呼んでいます。

 このような現象は、将来にわたって続くと考えられています。資本収益率は緩やかに低下することはあっても、大きく変化するとは考えられません。他方、所得成長率は、戦争の影響を受けた欧州や日本のキャッチアップによる一時的な成長率のかさ上げが消滅する上に、人口増加率が低下するので、大きく低下することが考えられます。この結果、r>g は依然として存在し続けることから、不平等度はさらに上昇すると考えられているのです。

 それでは、こうした傾向に歯止めをかけるにはどうすればいいのか。そのための手段として最も合理的なものとして提案されているが、資本に対する累進課税です。ただし、そのためには、国際協調やデータの開示など、高いハードルがあることは認めています。

 なお、日本については、データが十分に取れないことから、直接触れられている箇所は多くはありませんが、基本的には欧米先進国と同じグループに属する国として、同じような経過を辿るものと想定されています(むしろ、人口が減少するので、それだけ所得成長率が大きく低下し、この傾向がより顕著に現れる可能性が高いとも考えられています)。

【本書の評価】

 本書について、ソローはserious book(4月22日付New Republic)と言い、またクルーグマンはextremely important book(5月8日付New York Review of Books)と高い評価を与えています。本書は、所得や資産の不平等に関する経済学の考え方に大きな影響を与えるものになると考えられています。

 しかし、ピケティの議論は、いまだ不十分で不完全な(imperfect and incomplete)データに基づいているので、その結論も暫定的なものであることは、ピケティ自身も認めているところです(1頁、571頁)。

 実際、ピケティの議論に対しては、すでにいくつかの問題が提起されています。例えば、彼が集めたデータの加工の仕方について、疑義が生じており(5月23日付Financial Times参照)、その点の精査が必要とされています。

 また、将来の展望に関しても、世界経済の成長率は1.5%に鈍化する一方、資本収益率は4%を維持するという彼のメイン・シナリオとは別のシナリオが考えられてもいいように思います。例えば、南米やアフリカがこれから先進国に高い成長率でキャッチアップすることや、あるいはコンドラチェフの波が訪れてイノベーションが高まることがあるとしたら、状況は変わってくる可能性があります。

 さらに、資本に対する累進課税は、ピケティの言うとおり「ユートピア的」(515頁)であり、その実現には相当な困難が予想されます。代替案として、保護主義、資本規制、移民なども検討されていますが(ただし、いずれも根本的ないしは合理的な対応策ではないとして退けられています)、現実的な見地からセカンドベストの案が考えられてもしかるべきであるように思います。

 こうした点については、今後、様々な角度から、検討が加えられるべきだと思いますが、最後に、私の興味を惹いたいくつかの追加的な論点についても触れておきたいと思います。

【収益率と成長率の関係】

 第1に、rとgの関係性についてです。

 過去の分析や将来の展望において、ピケティはあたかも双方が独立に決められるように扱っています。しかし、rとgが独立でないことは言うまでもありません。資本蓄積が進むにつれて、収穫逓減の法則が働き、資本収益率は低下するはずです。さらに、ソロー=スワン・モデルが示すように、消費を最大化するような定常状態においては、黄金律が成立し、r=gとなるはずです(ただし、資本減耗率は無視できるとして)。もしそうなるならば、ピケティの言うように資本所有者への資本蓄積がどんどん進むということにはなりません。

 実はこの点は本書の中でも検討されてはいます。しかし、資本蓄積の資本収益率に対する弾力性が1を上回ると想定されているので、資本分配率は上昇し、資本蓄積も進展すると考えられているのです。また、本書の中には、現在でもrとgの間には大きな乖離があり、よほど資本蓄積が進まなければこの乖離が消滅することは考えにくく、「人類がそれほどまでに資本を蓄積するとは考えられない」(563頁)という指摘もあります。こうした点について、その是非を検討する必要があります。

【資本蓄積を抑制する内生的なメカニズム】

 第2に、資本蓄積に制約を課すような内生的なメカニズムは存在しないのかと言う点です。

 これについては、ピケティ自身は否定的です。例えば、両大戦間における不平等度の低下も、戦争による生産力の破壊や、戦後の課税強化、インフレ、あるいは国債の返済義務停止などといった非経済的な要因が大きく寄与したと言っています。また、不平等度の極端な上昇に対しては政治的な反乱が起こるだろうとも言っていますが、内生的なメカニズムがあるとは言っていません。

 しかし、他方で、「米国における不平等度の上昇が同国の金融不安定化をもたらしたことは疑いない」(297頁)としています。2008年~2009年の金融・経済危機については、高所得層は大量の資本を抱え、その運用先を求めていた一方で、低所得層や中所得層は所得が低迷していたので負債を負う可能性が高まっており、両者の間を規制が緩和された金融機関が仲介したことが発端になった、という理解が示されています。これは、広い意味で、経済メカニズムに不平等度の上昇に対する自己調整メカニズムが存在することを示しているようにも思います。もっとも、これに依存することは、そのたびごとに金融・経済危機を経験しなければならないことになるので、決して賢いことでないことは確かですが。

【現在の経済学のあり方に対する批判】

 第3に、現在の経済学のあり方に対する疑問を提起している点です。

 ピケティは、経済学において不平等の問題が忘れられていた背景には、経済学が「代表的な個人」を前提にしたモデル構築を重んじてきたことがあることを指摘しています(16頁、135頁)。さらに、経済学は過度に数学的なモデルに依存し、実社会における具体的な問題に対する「政治的、規範的、道徳的」な目的意識を忘れてしまっているとも指摘しています。そして、その任務を全うするには、経済学が他の社会科学に対する優越的な地位を主張するのではなく、他の社会科学分野ともっと協力するようにならなければならないとしています(573~575頁)。

 経済学が、仮説の提示とデータによる検証という科学的な手法を堅持しながらも、他分野の成果も取り入れて、現実の問題にもっと発言をするべきだという指摘は、傾聴に値するものではないでしょうか。