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齋藤潤の経済バーズアイ (第32回)

原油価格下落と金融政策

 

2014/11/11

【量的質的金融緩和の拡大】

 10月31日に日本銀行は量的質的緩和政策の拡大を発表しました。それは、物価下押し圧力が存在するなかで、2%という物価安定目標の実現を図るため、①マネタリーベースを年間約80兆円のペースで増加させること(これまでのペースに比べて約10兆~20兆円の追加)、②長期国債の保有残高も年間約80兆円のペースで増加するように買入れること(これまでのペースに比べて約30兆円の追加)、③長期国債の買入れの平均残高期間を7年~10年程度に延長するように、より長めの長期国債を買い入れること(最大3年程度の延長)、④ETF(株価指数連動型投資信託)及びJ―REIT(不動産投資信託)については保有残高が、それぞれ年間約3兆円(これまでの3倍増)、年間約900億円(これまでの3倍増)のペースで増加するよう買い入れること、などを主な内容としたものでした。

 先月のコラムでも述べたように、消費税率引き上げ後の景気の動向が芳しくなかっただけに、それに対する金融政策面からの対応としては大いに評価できます。大方の予想にはなかった決定だったことから、マーケットは大きく反応しましたが、これが今後、実体経済面にも影響を及ぼしていくことが期待されます。

 ところで、10月31日の決定に際しては、前述の「消費税率引き上げ後の需要面での弱めの動き」に加えて、「原油価格の大幅な下落」が物価の下押し要因として挙げられています。図表1で分かるように、確かに原油等の価格は、一時の円安傾向が一服したことも加わって前年比が大幅に縮小し、物価の下押し要因になっています。消費者物価指数の「生鮮食品を除く総合」が、2014年5月の前年比ピークの3.4%上昇から9月の3.0%上昇にまで鈍化した要因としては、原油価格の下落に関連したエネルギー関係の上昇寄与の縮小が大きく影響をしています。

 しかし、そもそも原油価格が下落したからといって金融緩和を拡大すべきか、という点については、いくつか考慮すべきことがあるように思います。

【短期的変動は除いて考える】

 第1に、原油価格は大きな変動を示し易く、現在は下落傾向にあっても、いずれ上昇傾向に転じる可能性が高いことです。そうであるならば、金融政策の決定に当たっては、原油価格のような短期的な価格動向には捉われず、より中期的・持続的な物価動向に焦点を当てるべきだということになります。そもそも日銀が消費者物価指数の「総合」ではなく「生鮮食品を除く総合」に注目しているのもそうした考え方をとっているからと思われます。しかしそうであれば、さらに原油価格の影響にかかる部分も取り除いて考える必要があるのではないでしょうか。

 実際、米国の連邦準備制度理事会(FRB)がその金融政策運営にあたって、「食料及びエネルギーを除く」消費デフレータに注目するのはこうした理由からです。我が国の消費者物価指数にも「食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く」系列があるので(これを「米国型コアCPI」と呼ぶことにしましょう)、それに注目することによって中期的・持続的な物価動向を捉えても良いように思います。

 ちなみに、消費者物価のいくつかの系列を見たのが図表2ですが、これを見ると、米国型コアCPIは消費税率引き上げ後も前年同月比は横ばいで推移していることが分かります。つまり基調に変化はないのです。もっとも、それと同時に、伸び率は低く、消費税率の引き上げの影響を含めても2.3%に止まっていることも分かります。これを見ると、原油価格の動向と関係なく、金融緩和の拡大を考えるべき状況であったと言えます。

【交易条件の変化の影響を考慮する】

 第2に、原油価格の下落は、我が国とっては交易条件の改善を意味していますが、交易条件の改善が見られる場合には、景気刺激効果を伴うので、金融政策はどちらかと言うと、むしろ引き締め気味に運営すべきだということです。ところが、原油価格が物価下押し圧力を及ぼすことを理由に金融政策を緩和してしまうと、それはあるべき対応とはむしろ逆の対応になってしまいます。ハーバード大学のケネディスクールのジェフリー・フランケル教授がインフレーションターゲティングに反対するのも、こうした事態が起きてしまうからです。

 こうした事態は、前述したように、原油価格の影響を受ける部分を除いた「米国型コアCPI」で考えることによって回避することできます。原油価格が下落しても、米国型コアCPIは直ちには影響を受けないので、金融政策を緩和することにはならないし、交易条件改善効果が需要を刺激する効果が予想されるのであれば、それを理由に引締めることもできるからです。

【期待形成への働きかけ】

 以上のような考慮事項に対して、日銀が原油価格の下落に対して積極的に対応することの根拠として挙げているのが、「デフレマインドの転換が遅延するリスク」です。ようやくここまでデフレマインドに転換の兆しが見えてきたので、物価の下落が進展していくと、こうした動きが止まってしまうかもしれないという危惧です。

 物価動向を決定するのは、実体経済におけるマクロ的な需給関係だけでなく、経済主体の期待インフレ率でもあるということは、これまでの経験で得た重要な教訓であり、それを考慮することは極めて重要です。しかしそうであるならば、経済主体の期待形成に中央銀行が働きかけることも重要で、そのなかには、期待インフレ率の形成にあたって考慮すべき要因が何であるかをコミュニケートすることも含まれるはずです。現在のような時には、原油価格のような短期的な変動が大きいものは除いて考えるべきだということを不断に伝える努力が必要となります。これに対して、米国型コアCPIを採用していない現状は、そのこと自身を分かりにくくしているように思えるのです。

【数値的目標と時期的目標】

 最後に指摘しておかなければならないのは、インフレーションターゲティングの目標設定についてです。周知のように、量的質的金融緩和では、「消費者物価の前年比上昇率2%の『物価安定の目標』を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」としています。つまり、2%の目標と達成時期の双方に言及しているわけです。これは強いコミットメントを示すものとして、金融政策のレジーム転換を強く印象付けることになりました。

 しかし、「物価安定の目標」を除外品目のない消費者物価指数の上昇率で示すのであれば、これまでの議論でも言及したように、それは中期的なトレンドとして実現されるべきものです。短期的には、交易条件が変化したり、間接税率が変化したり、制度変更があったり(最近では高校授業料の無料化がその例です)しますが、中期的にならせば実現されるという性格のものとして考えるべきです。したがって、このような場合、特定の達成時期にコミットするのはふさわしくないということになります。

 もし逆に、特定の時期に実現することコミットするのであれば、短期的・特殊的な要因を除いた、中期的・持続的な動向を示す指標について、コミットすべきです。その一例としては、再三述べたように米国型コアCPIのようなものが挙げられます(これ以外に内閣府のコアコアCPIもありますが、これはまだ十分に普及していないので、ここでは除外しておきます)。

 今回の量的質的金融緩和の拡大措置は、こうした意味で困難な目標設定をしてしまったために、それとの整合性を維持するためにも採らざるを得なかった決定であったとみることもできるように思います。

 冒頭に述べたように、量的質的金融緩和の拡大は大いに評価すべきだと思います。しかし、その理由づけを考えると、金融政策のあり方について考えるべき重要な点を提起しているように思うのです。