金融緩和のスピルオーバー効果
2015/04/16
【マンデル=フレミング・モデルと近隣窮乏化】
アベノミクスの第1の矢は、言うまでもなく「大胆な金融政策」です。それを受けて、日本銀行が、2013年の4月より量的・質的金融緩和(QQE)を実施し、2014年10月にはその拡大を行ったことも、改めて確認するまでもないことかと思います。これによって、短期金利が非負制約に直面しても、金融政策が実体経済に景気刺激効果を与えることが期待されています。
ところで、マンデル=フレミング・モデルによると(特に小国モデルでは)、ある国が、資本移動が自由な下で変動為替相場制を採用しているときには、同じ景気刺激政策でも、財政拡張政策には効果はないが、金融緩和政策には効果があることになります。ただし、金融緩和の効果は、「近隣窮乏化効果」によってもたらされます。このことを日本に当てはめると、金融緩和は円安をもたらし、それによって輸出が促進され、輸入が抑制されることでGDPが拡大することを意味します。
もちろん、このことは、日本にとっては、外需主導で景気に好影響が及ぶことになるという意味で好ましいことです。しかし、逆に貿易相手国にとっては、輸出が抑制され、輸入が促進されることになるので、当該国の景気には負のスピルオーバー効果が及ぶことになります。これが「近隣窮乏化」と言われる所以です。
【限定的であった近隣諸国への影響】
ところが、これまでの日本の景気動向を見ますと、必ずしもそのようなことにはなっていないようです。例えば、実質GDPに対する純輸出の寄与度は弱めで推移してきました(2013年暦年はマイナス0.3%ポイント)。特に実質輸出のプラスの寄与度は極めて弱いものに止まりました(2013年暦年はプラス0.2%ポイント)。
また、海外にとっても、日本の金融緩和の負の影響は限定的であったようです。経済協力開発機構(OECD)が昨年11月に公表した『東南アジア・中国・インドに関するエコノミック・アウトルック2015』には、VARモデルを用いて、アベノミクス(三本の矢を合わせたもの)の影響についてのシミュレーションを行った結果が示されています。それによりますと、アベノミクスはASEAN諸国に対して全体としてマイナスの影響を及ぼすものの、その程度は比較的軽微だと評価しています(ただし、国別にみると、タイへの影響はそれ以外の国に比べて相対的に大きいなどの違いはあるようです)。
なぜマンデル=フレミング・モデルが示すような効果は現れなかったのでしょうか。その理由は、大きく二つあると思います。
【企業の輸出価格設定行動】
第1は、企業の輸出価格設定行動が、マンデル=フレミング・モデルと異なっていたことです。マンデル=フレミング・モデルでは、円安の下で企業は、円建ての価格を一定にしておいて、輸出先国通貨建ての価格を引き下げ、それによって輸出数量(実質輸出)を増やすことで収益を上げるという行動が想定されています。
しかし、今回の円安局面下で起きているのは、むしろ、輸出先国通貨建ての価格を一定にしておいて、円建ての価格を引き上げることで収益をあげるという姿です。これは想定とは異なる姿ですが、輸出数量の価格弾性値が低い現状では、企業の収益最大化にかなっていることはすでに別の機会で述べたとおりです(「円安で輸出はもっと伸びるはず?」2014年5月14日掲載)。
企業がこのような行動をとっているときには、円安の下であっても、実質輸出が増加することはありません。だからこそ、日本の実質GDPへの外需寄与度が弱めで推移するとともに、近隣諸国への影響も限定的であったのです。
【金融緩和と積極財政のポリシー・ミックス】
第2は、積極的な財政政策が金融政策の円安をもたらす効果の一部を相殺していたことです。アベノミクスの二本目の矢は「機動的な財政政策」であり、それが2013年に入ってからの財政支出の増加となって現れました。それまでマイナスであった公的固定資本形成の実質GDP寄与度がプラス基調で推移するようになり、基礎的財政収支(プライマリー・バランス)も、2013年度には前年度から悪化することになりました(内閣府試算)が、それがもたらす金利引上げ効果は、金融緩和がもたらす金利引き下げ効果の一部を相殺し、結果として円安をもたらす効果の一部も相殺したのです。
マンデル=フレミング・モデルにおいては、金融緩和が近隣窮乏化政策をもたらすことはすでに述べたとおりですが、必ずしも望ましくない近隣窮乏化効果を相殺しながら、GDPへの影響を大きくするためには、金融緩和と積極財政とを組み合わせる必要があります。アベノミクスは、期せずして(あるいは意図して?)、そのポリシー・ミックスを実現していたと言えます。
【2014年における状況】
ところで、今述べた二つの要因のうち、一つ目については、その後も続いていると言えます。2014年に入って輸出数量が伸びてきており、「ようやく円安の効果が現れてきた」ようにも見えますが、輸出先国通貨建ての価格は依然として安定していることから判断すると、最近の輸出数量の伸びは、そうした「価格効果」の結果ではなく、輸出市場の景気が改善したことによる「所得効果」であると理解すべきではないかと思います。
他方、二つ目の要因については、変化が見られます。特筆すべきは、2014年4月に行われた消費税率引上げです。公的固定資本形成も引き続きプラスを続けていますが、財政は、全体として、拡張的というよりは緊縮的なスタンスに転じているわけです。基礎的財政収支(プライマリー・バランス)も、2014年度には前年度より改善をしています。
こうしたことは、金融緩和に加えて、財政緊縮によっても、金利引き下げ効果、為替切り下げ効果がもたらされることを意味します。実際に、2014年末には、QQEの拡大を契機にして円安が進展しています。
【長期的な展望、中期的な課題】
最後に、今後について展望しておきましょう。
長期的に見ると、財政再建を進める一方で、金融緩和は縮小する方向に向かうはずです。そうすると、2013年とは逆の意味ではありますが、近隣諸国へのスピルオーバー効果を最小化するポリシー・ミックスが採用されることになりそうです。
しかし、中期的には、そこに至る過渡期として、金融緩和を続ける一方で、財政再建を強化しなければならないときが続くと考えられます。これは相乗的に円安をもたらし、近隣窮乏化を促進しかねません。そのような状況下では、マクロ経済政策の運営も、近隣諸国への影響を注視しながら、きめ細かく行うことが必要となってくるように思います。
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