金融政策のクレディビリティー強化に向けて
2015/06/19
日本銀行が量的・質的金融緩和(QQE)を2013年4月に導入してから、2年が経過をしました。この2年間に、様々な変化が見られたことは事実です。為替レートが円安傾向に転換し、企業業績が大幅に改善するとともに、物価の下落傾向が止まり、デフレから脱却することへの展望が拓けてきたことは特筆すべきことです。これらがQQEの成果であることは間違いないところでしょう。
しかし、他方で、QQEの効果に引き続き期待するためには、金融政策の信頼性(クレディビリティー)を維持強化する観点から、日銀としていくつかの課題に対応する必要があるように思われます。具体的には、以下に取り上げる三点です。
【インフレーション・ターゲティングの枠組み】
第1は、物価安定目標の設定の仕方(インフレーション・ターゲティングの枠組み)についてです。物価安定目標に関する日銀のコミットメントは、現在、次の通りとなっています。
「日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率2%の『物価安定の目標』を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する。」(2013年4月4日の金融政策決定会合の決定文より)
これを見ると、日銀は、消費者物価総合(ヘッドラインCPI)について、前年比2%という「数値目標」と、2年程度という「時限目標」の二つにコミットしていることが分かります。
図表1でも分かるように、QQE導入後しばらくは、CPIは着実な上昇傾向を見せてきました。QQE導入から1年を目前にした2014年3月にはヘッドラインCPIは前年比1.6%にまで上昇しています。2%の達成は目前のように思えた時期です。しかし、その直後の4月から、消費税率の引上げを受けて景気が低迷を始めるとともに、CPI上昇率は(消費税率引き上げの直接的な影響を除くと)次第に鈍化をはじめました。CPIへの消費税率の直接的影響が一巡した後の2015年4月のCPI上昇率でみると、前年比はわずか0.6%にまで低下しています。この間、「生鮮食品を除く消費者物価総合」(日銀型コアCPI)」の上昇率も、ピーク時の2014年3月の1.3%から、2015年4月の0.3%にまで鈍化しています。
こうした状況の中で、日銀が2014年10月31日に発表したのが「『量的・質的金融緩和』の拡大」です。日銀の決定文によりますと、「物価面では、このところ、消費税率引上げ後の需要面での弱めの動きや原油価格の大幅な下落が、物価の下押し要因として働いている。」との認識が示されています。
確かに消費税率の引上げが実体経済を下押しし、2014年の4-6月期と7-9月期はマイナス成長を記録することになってたため、物価上昇圧力を弱めたことは間違いありません。この点は、CPIの基調を表すと考えられる「食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く消費者物価総合」(米国型コアCPI)の上昇率がピーク時の2014年2月の0.8%から2015年4月の0.4%にまで鈍化していることでも確認できます。したがって、QQEを補強する何等かのイニシアティブが必要であったことは間違いありません。
しかし、QQEの拡大の理由とされていることを見ると、違和感を覚えるところがあります。QQEの拡大の理由として、「原油価格の大幅な下落」に言及したことです。
原油価格の下落は我が国の交易条件の改善を意味するので、やがて実体経済にはポジティブな影響を及ぼすはずです。したがって、もし金融政策に何らかのインプリケーションがあるとしたら、それは金融引締め要因になるということではないでしょうか。少なくとも、金融緩和を強化する要因ではないように思います。特に、金融政策が今後の変化を見越した「フォワード・ルッキング」なものであるとするならば、なおさらのことです。
にもかかわらず、日銀が「原油価格の下落」をQQEの拡大の理由として挙げざるを得なかったのは、前述のように、日銀が、ヘッドラインCPIについて、「数値目標」と「期限目標」の双方にコミットしてしまったからであると考えられます。
もし「期限目標」にコミットするのであれば、予想しがたい要因(原油価格の変動を含む)に左右されがちなヘッドラインCPIではなく、CPIの基調を表すような指標(例えば米国型コアのような)についての「数値目標」にコミットすべきであったように思います。
他方、もしヘッドラインCPIの「数値目標」にコミットしたいのであれば(理由としては期待への影響などが考えられますが)、予想しがたい変動要因を含むことになるので、特定の「期限目標」にコミットするのではなく、目標を「中長期的に」、あるいは「平均的に」実現する、とすべきであったように思います。実際、インフレーション・ターゲティングを採用している国々は、物価安定目標の実現時期については、そのような表現を採用しています。
現状のようなコミットメントのままにしておくと、経済主体の中で日銀の意図に関する誤解や混乱が生じかねず、日銀の信頼性を損なう可能性があります。例えば、現状に則して言えば、前述のようにヘッドラインCPIの前年比が2%から遠ざかっているにもかかわらず、「経済や物価が想定通り推移している」というような評価をすることには、にわかには理解しにくいものがあります。ヘッドラインCPIとは別のものを見ているのであればそれを明示すること、時期として2年にこだわらないのであれば、その考え方を表明することは、日銀の透明性を高め、信頼性を強化するのに大きな貢献をすることのように思います。
【ポートフォリオ・リバランシング効果】
第2は、QQEのこれまでの効果をどのように評価するかという点についてです。
金融政策の伝播経路(トランスミッション・メカニズム)として、QQE導入当初に強調されていたのは、以下の三つでした。すなわち、①長期金利や資産価格のリスク・プレミアムを引き下げる効果(「金利引き下げ効果」)、②リスク資産での運用や銀行貸出を増加させる効果(「ポートフォリオ・リバランス効果」)、③市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果(「期待転換効果」)、の三つです(2013年4月12日の日銀総裁講演)。
こうした期待の下に打ち出されたQQEの実際の効果はどうであったのか。それを検証しようとしたのが、最近公表された「『量的・質的金融緩和』:2年間の効果の検証」(2015年5月)というペーパーです。そこでは、QQEによって、名目期金利が低下する一方、予想物価上昇率が上昇し、結果として実質金利が押し下げられたことなど、主として上記の①の「金利引き下げ効果」と②の「期待転換効果」に着目した検証が行われ、想定した通りにメカニズムが作動しているとしています。しかし、そこでは、②の「ポートフォリオ・リバランス効果」については検証が行われていません。「ポートフォリオ・リバランス効果」を含め、QQEの導入において期待された効果が実際発揮されたかどうかを検証することは、金融政策の信頼性を強化する上で、極めて重要なように思えます。
「ポートフォリオ・リバランス効果」は、日銀が金融調整の主たる相手となっている金融機関を介して作用すると期待されています。そこで、日本の民間金融機関は保有する資産の内訳をみようとしたのが、図表2です。これを見ると、QQEの結果として拡大した日銀当座預金残高は、民間金融機関の現金預け金の急速な増加として現われています。しかし、それに対応するような形で、貸出金や有価証券が増加している様子は見受けられません。貸出金は確かに増加してはいますが、それをQQEの導入以前からの緩やかな増加傾向の延長線上でしかないように見えます。他方、有価証券は、むしろ減少しています。
そこで、次に、民間金融機関の保有する有価証券の内訳を、図表3で見てみましょう。QQEの一環として日銀が多額の国債購入を行っているため、国債は急速に減少しています。他方、外国証券は、緩やかな増加を示してはいるものの、これもQQE導入以前から見られた緩やかな増加傾向の延長線上でしかなく、国債の減少を補うには極めて不十分な増加にとどまっていることが分かります。
海外の中央銀行が非伝統的な金融政策を採用する際にも、トランスミッション・メカニズムの一環としてとして、ポートフォリオ・リバランス効果が期待されています。そして、米国の連邦準備制度や英国のイングランド銀行によって実施されていた(あるいは実施されている)量的緩和政策については、実証分析を通じて、その効果が発揮されていることについては合意が形成されつつあります。これに対して、我が国では、2001年に導入された量的緩和政策においても、期待されてはいながら、ポートフォリオ・リバランス効果は確認されませんでした。
この違いは何に由来するのか。金融政策の運営上の問題なのか。それとも効果発動の起点となるべき金融機関のリスク管理の仕方の違いなのか。前述の物価上昇圧力の弱さの原因を究明する上でも、また今後の金融政策に対するクレディビリティーを強化するとの観点からも、この点を解明することは極めて重要であると考えられます。
【出口戦略の基本的な考え方】
第3に、出口戦略の基本的な考え方についてです。
物価安定目標である2%を達成するにはまだ遠い道のりがありそうなので、現時点で、出口戦略の具体的なあり方を詰める必要があるとは思いません。しかし、出口戦略の基本的な考え方については、早い段階から、市場関係者や経済主体と間で共通の認識を持っておくことは重要だと思います。それによって必要のない混乱や誤解を回避することができるからです。
2001年3月に日銀が量的緩和政策を導入した際、日銀は、「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ以上となるまで」その政策を継続することを公約しました(2001年3月19日金融政策決定会合の決定文)。
この文章で、「安定的」とは何を意味するかについては、議論があり得ます。実際、量的緩和政策の解除に際しては、それを巡って混乱があったことはまだ記憶に新しいところです。しかし、量的緩和政策からの出口の考え方としては、具体的な考え方が示されていたのです。当時、このコミットメントは「時間軸」と表現されていましたが、今日では、これを「フォワード・ガイダンス」と言うことについては、周知のとおりです。
これと比較して、今回のQQEでは、「2%の『物価安定目標』の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続する」とだけ言っています。例えば、消費者物価指数がどうなれば出口に向かうといったことは明確にされていません。
この表現はどのように解釈できるでしょうか。例えば、消費者物価上昇率が安定的に2%を維持するようになったことを「確認」してから、出口に向かうことを意味しているのでしょうか。それとも、将来において安定的に消費者物価上昇率が2%を維持するという「見込み」がたったところで、したがって実際には2%にはなっていなくても、出口に向かうことを意味しているのでしょうか。
金融政策の効果が実体経済に実際に及んでくるまでには通常2年程度の期間を要すると言われています。したがって、もし前者のような解釈だと、これまでの金融緩和の影響で、将来の消費者物価上昇率が2%を大きく上回って推移すること(言い換えれば、オーバーシュートすること)になる可能性があることになります。他方、後者のような解釈だと、実際に消費者物価上昇率が2%に到達していないにもかかわらず出口に向かうことになり、多くの経済主体にはサプライズになる可能性がある。
こうした不透明性が残されていることを考えると、出口戦略が具体的に問題になる以前において、出口戦略の基本的な考え方を共有する努力をしておくことは、金融政策のクレディビリティーを強化するのに大きく貢献するものと考えられます。
バックナンバー
- 2023/11/08
-
「水準」でみた金融政策、「方向性」で見た金融政策
第139回
- 2023/10/06
-
春闘の歴史とその経済的評価
第138回
- 2023/09/01
-
2023年4~6月期QEが示していること
第137回
- 2023/08/04
-
CPIに見られる基調変化の兆しと春闘賃上げ
第136回
- 2023/07/04
-
日本でも「事前的」所得再分配はあり得るか?
第135回