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齋藤潤の経済バーズアイ (第42回)

無資源小国シンガポールの成長戦略

 

2015/09/15

【急速な発展を遂げたシンガポール】

 シンガポールは今年の8月9日で建国50周年を迎えました。面積が720平方キロメートル足らず(東京都区部より一回り大きい程度)の小さな都市国家シンガポールは、この50年の間に、平均すると7.8%に達する高い実質経済成長を遂げ、今や、世界銀行のビジネスのし易さのランキング(Ease of Doing Business Ranking)では第1位(2015年:米国は第7位、日本は第29位)、一人当たりGDPでも世界第9位(2014年:米国は10位、日本は第29位)の高所得国となっています。

 このようなシンガポールの経済発展も、決して平坦なものではなく、試行錯誤の連続であったようです。しかし、将来を見越した大胆な成長戦略の実施によって、今日の発展の礎が築かれることになりました。以下では、こうして取り組まれた成長戦略の中でも特に注目される三つの取組みについて、紹介したいと思います。

【国内投資のための強制貯蓄】

 第1は、大規模な強制貯蓄を実施したことです。

 経済発展には投資が必要ですが、そのためには貯蓄が不可欠です。特に、貯蓄の中では、海外貯蓄は対外債務の増加につながることから、国内貯蓄が望ましいと考えられます。しかし、多くの発展途上国では、貨幣経済自体が普及していない場合も多く、国内貯蓄が乏しいのが一般的です。

 これに対して、シンガポールは、中央積立基金(Central Provident Fund; CPF)による貯蓄増強策で対処しました。まだ英領時代の1955年に発足したCPFは、本来は、退職後の生活を保障するための退職一時金や年金のための積み立てを目的にしたものですが、今日では、住宅購入費や医療費にも充てられるようになっています。

 このように、CPFはシンガポールの社会保障制度の一環を担うものでもありましたが、注目すべきは、その負担率の高さです。図表1に示したように、発足当初は、賃金の5%相当を雇用主と雇用者がそれぞれ負担するものでしたが、 その後、徐々に引上げられ、最も高かった1980年代半ばには、雇用主と雇用者の負担がそれぞれ賃金の25%相当に及び、合計では50%にも達しました。現在は、それぞれ16%と20%にまで引き下げられていますが、それでもかなり高い水準にあることは否定できません。この結果、シンガポールの国内総貯蓄率は高水準を維持しています。2014年でも、GDP比で52.1%を記録しています。

 毎年の貯蓄は、積立残高として積み上がっています。CPFの総資産は2014年末で2781億シンガポールドル(GDP比71.3%)に上っていますが、そのほとんどがシンガポール国債で運用されています。政府は、国債発行によって集められた資金を、経済発展の初期段階においては公共住宅の建設などのインフラ投資に振り向けたと考えられます(現在、シンガポール政府は、財政黒字状態にあるため、国債発行収入はソブリン・ウエルス・ファンドなどにも多く投資されているようです)。

【産業構造転換のための賃金政策】

 第2は、産業構造転換のための賃金政策の活用です。

 シンガポールでは、1972年に設立された国家賃金評議会(National Wage Council; NWC)の下で、産業界、労働団体、政府の三者協議(Tripartite)が行われ、毎年、賃金引き上げに関するガイドラインが発表されます。このガイドラインは、多くの企業によって賃金引上げの目安とされています。

 このガイドラインの目的は、当初は、長期的な経済成長と整合的な賃金引上げを勧告することにありました。労働生産性とのバランスがとれた賃金引上げを促すためです。しかし、1970年代における経済の低迷を契機に、産業構造の高度化の必要性が痛感され、そのために賃金政策を活用する方向に舵が切られました。具体的には、労働集約的な産業を中心とした産業構造から、高付加価値産業を中心とした産業構造に転換させるために、意図的に高率の賃金引き上げが行われたのです。1979年~1981年の3年間は、20%に及ぶ賃金引上げが勧告されました(The Story of NWC, 2013)。

 もっとも、賃金引上げの勢いは、その3年間に止まりませんでした。高賃金政策が終了した1982年以降も高率の賃金引上げが続き、結局、1979年~1985年の間に賃金は2倍以上になり、この時期の賃金上昇率は年平均11%を上回る高いものになったのです。

 このような高賃金政策の影響を経済が吸収するためには時間がかかり、1985年には深刻な不況に陥ることにもなりました。しかし、長期的に見ると、この高賃金政策が、現在シンガポールがその恩恵を享受している高付加価値型産業構造を実現するにあたって、重要な役割を果たしたことには注目すべきだと思います。

【人口を維持するための積極的な移民政策】

 第3は、積極的な移民政策の活用です。

 シンガポールでも、経済発展が進展し、一人当たりのGDP水準が増加してくるにつれて、出生率が低下していきました。現在の合計特殊出生率は、日本よりも低い1.19(2013年)です。そのため、シンガポールの人口は、増加率が次第に鈍化し、やがて減少に転じても不思議ではありません。しかし、実際には、シンガポールの人口は増加を続けています。2014年の人口増加率も1.3%となっています。なぜなら、シンガポールが積極的に移民を受け入れているからです。

 シンガポールは、従来から外国人労働者の受入れには積極的でした、特に2003~2008年には大幅に受け入れを増加し、2008年には永住権の新規取得者が8万人近く、国籍の新規取得者も2万人を超えました。その後、国内での批判が高まり、抑制基調に転じましたが、それでも2014年6月時点では、前年に比べ、シンガポール国民と永住外国人の合計が2.6万人程度、非永住外国人も4.5万人程度増加しています。

 図表2で、同じ2014年6月時点における、移民の全人口(547万人)に占める割合を見てみると、シンガポール国民が61.1%(334万人)であるのに対して、永住外国人が9.6%(53万人)、非永住外国人が29.2%(160万人)となっています。毎年一定数の外国人がシンガポール国籍を取得していることを考慮すると、シンガポールは移民で成り立っている国と言っても過言ではないように思います。

 国内で批判があるのもかかわらず、このように積極的に移民を受け入れている背景には、シンガポール政府の危機感があります。アジアでも最低水準にある出生率のために、このままで行くと人口減少と高齢化が進んでいってしまうからです。シンガポール政府は、現在のような移民政策を続けることによって、2030年時点における人口として、650万~690万人程度を確保できるとしています(Sustainable Population for a Dynamic Singapore, January 2013)。

【日本との相違点と共通点】

 シンガポールと日本とでは、地理的、政治的、経済的な面で大きな違いがあることは言うまでもありません。しかし、双方ともに、無資源小国でありながら、高い所得水準を実現したという点では同じです。また、その結果として、出生率の低下と人口減少に直面し、これまでの経済発展の基盤を足元から掘り崩されようとしているという点でも共通点があります。

 シンガポールが採用してきた政策の考え方や、政策実行の大胆さには、我が国が参考にすべきものもあるのではないでしょうか。