一覧へ戻る
齋藤潤の経済バーズアイ (第47回)

「安全通貨」としての円

 

2016/02/22

【先行き不安の高まりと円高】

 年初から世界経済の先行き不安が高まる中で、円高が進行しています。昨年末頃には123円台にあった対ドル円レートは、本年に入ると円高傾向に転じ、2月中旬には112円台を記録しています。それに伴い、株価も大幅な下落を示しています(図表1)。

 そもそもアベノミクスの下で円安が進行していた背景には、それ以前の行き過ぎた円高の修正という側面が強くありました。しかし、円安が続く中で、やがてオーバーシュートしていったように思います。例えばOECDの試算によると、円の購買力平価は2014年で104.73円、2015年で106.04円ですが、実際の円ドルレートは2015年秋以降これを下回るようになっています。その意味では、円高への反転は不可避であったように考えられます。

 しかし、今回、円高が進行しているのは、先行き不安が高まり、リスクオフの流れが強まる中で、円が「安全通貨」として買われているからだと言われています。日本経済は様々な課題に直面しています。高齢化・人口減少が続く中で成長力が鈍化するとともに、デフレの克服が遅れ、財政事情も悪化を続けています。このような状況で、どうして日本の通貨が「安全通貨」として評価されるのでしょうか。

【安全通貨の評価基準】

 ある通貨が「安全通貨」としてふさわしいか否かを判断するにあたっては、いくつかの基準が存在するように思います。

 第1は、交換性基準です。今回のように、資金がリスクを嫌い、特定の通貨を一時的避難所として使うためには、その通貨(例えば円)を買ったり、逆にその通貨を売って他の通貨(例えば米ドル)に換えたりすることが、自由に行えることが必要です。

 その意味で言うと、日本は、IMF8条国として経常取引に関する為替取引を自由化しています。しかも、日本の場合には、資本取引に関する為替取引もかなり自由化されています。OECD加盟国中でも為替管理が最も自由化されている国の一つであると言えます(IMF、Annual Report on Exchange Arrangements and Exchange Restrictions、2014)。

 第2は、流動性基準です。仮に交換性が確保されていても、金融資産の取引規模が小さいと、迅速な資金移動が制約され、緊急避難先としてはふさわしくないことになります。金融資産の取引がある程度の規模で行われていることが必要です。

 実際、東京の外国為替市場の取引高は、イギリスやアメリカに次ぎ、シンガポールと並ぶ規模にあります。また、東京証券取引所の時価総額も、ニューヨーク証券取引所やナスダックに次ぐ大きさとなっています。

 第3は、安全性基準です。外国人投資家が金融機関を介して取引する場合、金融機関の経営の健全性が問われます。万が一の場合、金融機関の経営悪化から思わぬ損失を被ることも考えられます。そのようなリスクが存在する場合には、そのような国の通貨は敬遠されることになるはずです。

 その点、日本の金融機関の自己資本比率は、「規制水準を十分に上回っている」と評価されています(日本銀行「金融システムレポート」2015年10月)。また、日本のメガバンクは、金融規制当局間の協調組織である金融安定理事会(FSB)によって「グローバルなシステム上重要な銀行」(G-SIBs)に指定されており、他の銀行に比べて格段に厳しい規制の下に置かれています(FSB、2015 update list of global systemically important banks, 3 November, 2015)。

【経常収支黒字と円高】

 このように見てくると、確かに円は、交換性、流動性、安全性の三つの基準を満たしています。しかし、これだけの基準であれば、先進国の通貨はいずれもその条件を満たしているとも言えます。したがって、この三つの基準だけからは、円が「安全資産」として他の通貨から区別されることはありません。円が「安全資産」として注目されるからには、別の基準が存在するはずです。

 そこで考えられるのが、第4の収益性基準です。その資産を保有していることによって、損失を被らないことはもちろんのこと、場合によっては収益を上げられることです。

 日本の場合、マイナス金利付き量的・質的金融緩和の下で低金利となっているため、利子所得を期待することはできません。しかし、例えば、一層の緩和を予想している投資家にとっては、日本国債で運用することによって、値上がり益を期待することができることになります。

 さらにここで注目したいのは、我が国が経常収支黒字国であることから、常に円高圧力が加わっていると考えられることです。事実、固定相場制が崩壊して以降、基調として円高傾向にありました(図表2)。このため、円を保有することに伴って、為替差益を期待することができたのです。同じようなことは、同じく「安全通貨」とみなされているスイス・フランにも当てはまります。

【経常収支の赤字化と円】

 以上のように考えてくると、「安全通貨」としての円の評価にも、十分な根拠があることになります。「安全資産」としての評価は、その国が自由かつ健全で強いということと表裏一体の関係にあるのです。

 しかし、日本の円について今後を見通すと、次第に変化していく可能性があります。人口の高齢化を背景に家計貯蓄率が低下してきており、経常収支も中期的には赤字に転じるのではないかと考えられるからです。そうなると、円高圧力は減じることになります。その時には、「安全通貨」としての円の評価にも変化が現れてくる可能性があります。

 輸出企業にとって、「安全通貨」として円が買われることは、円高をもたらすことから、短期的にはマイナスの影響が大きいかもしれません。したがって、「安全通貨」でなくなることは、輸出企業にとっては歓迎すべきことなのかもしれません。しかし、日本全体にとってみると、それは強さの一端にほころびが見え始めることを意味するように思えるのです。