米国の経常収支赤字と貿易摩擦
2016/03/24
【過去のことになった貿易摩擦】
今秋のアメリカ大統領選挙に向けて、民主・共和両党の候補者を決める予備選挙が熱を帯びてきています。その中では、保護主義的な見解も見られるようになってきていますが、中には日本を名指しで批判するような候補者も出てきています。
もちろん、多くの人はこのような批判を冷静に受け止めています。しかし、その言動だけを聞いていると、まるで1980年代から1990年代半ばにかけての時期に舞い戻ったような感があります。当時は、アメリカの貿易赤字の元凶が日本であり、失業を輸出しているとさえ言われました。日本車をハンマーでうちこわす映像が未だに頭に残っている方も多いと思います。しかし、その後、日米の経済関係は落ち着いてきており、最近では「貿易摩擦」という言葉も聞かれなくなりました。
【貿易摩擦が影を潜めた理由】
実は、図表1を見てもわかるように、アメリカの経常収支の赤字幅は、1980年代の最悪期とそれほど大きく違っていません(むしろ貿易赤字は当時より大きいくらいです)。にもかかわらず、日米間の貿易摩擦が影を潜めることになったのはなぜでしょうか。
第1に、アメリカの貿易に占める日本の比重が小さくなっていることが挙げられます。
2015年で見ると、アメリカの輸出相手先に占める日本のシェアは4.2%と、国別でみると第4位となっています。アメリカの輸入元に占める日本のシェアも5.9%で、同じく国別で第4位となっています。その結果、アメリカの対日貿易赤字額は、686億ドルと、中国(3657億ドル)、ドイツ(742億ドル)に次ぐ第3位にまで低下しているのです。つまり日本より貿易のシェアや貿易収支の赤字幅が大きい国が出てきたのです。特に最近では、中国が批判の矢面に立っていることが多くなっています。
第2に、日本の直接投資が増加したことがあります。
アメリカの輸入元に占めるシェアが低下した背景には、中国との競争の結果、シェアを奪われたという側面も否定できません。しかし、それだけではなく、日本からの直接投資が増加し、現地法人による現地生産が増加したことも大きく影響していると考えられます。日系自動車メーカーのアメリカでの現地生産台数は、1985年に比べ2014年には約12.9倍にまで増加しています。これによって輸出が置き換えられることになったことはもちろんですが、さらに雇用も拡大することになりました。こうしたことが、現地における日本製品に対する理解を深めるのにも大いに寄与したようです。
第3に、日米の経済力の差が逆転したことが挙げられます。
1980年代から1990年代にかけてのアメリカ経済は、インフレ率の高進と、生産性上昇率の低下に苦しめられ、先行きに自信を失っていた時期でした。それに対して日本経済は、ドル高を背景に輸出が伸びたり、バブル経済に沸いて海外におけるプレゼンスが高まったりしていました。日本は防衛面でアメリカに依存しているのに、アメリカに輸出をして、アメリカで稼いでいる。そうした印象がアメリカのフラストレーションを高め、貿易摩擦に至ったという面は否定できないように思います。
しかし、その関係が1990年代半ば以降、逆転します。アメリカはIT革命を成功させ、生産性上昇率を高めることになります。2000年代末には金融危機に見舞われましたが、それも早期に克服し、現在は失業率がかなりの水準まで低下している状況にあります。他方、日本は、バブル崩壊後の「失われた10年」を経験しただけでなく、バブルの負の遺産を解消した後も、人口高齢化と人口減少の影響にさいなまれています。アメリカ経済にとっては、貿易や経常収支赤字の問題が相対的に小さなものになってきたように思われます。
【経常収支赤字と失業】
以上の議論は、貿易摩擦の問題を政治的な側面から考えようとしています。もしそうではなく、マクロ経済的な側面から考えようというのであれば、そもそも経常収支赤字と失業の問題とは直接結びついていないということを確認しておくことが重要です。失業の増加と経常収支赤字とが併進していることもあれば、失業の低下と経常収支赤字が同居していることもあるのです。別の言い方をすれば、経常収支赤字だからといって失業が増えるわけではないのです。その点は、図表2の失業率の動向を、図表1の経常収支の動向と見比べてみることでも分かるかと思います。
経常収支赤字が失業をもたらすという議論に対しては、経常収支はマクロ的な貯蓄と投資のバランスに対応して決まってくるという理解を持っておくことも重要です。その下で、比較優位の関係で貿易構造が決まってくるはずです。にもかかわらず、もし経常収支赤字が失業をもたらしているように見えるとすれば、それは世界的に比較優位構造が変化しているにもかかわらず、それに対応して産業構造が円滑に転換できてないからです。競争力がなくなって縮小していく産業から、競争力を得て拡大していく産業に労働力がうまく吸収されていかないのです。
経常収支赤字の失業問題というのは、結局は国内の構造問題に帰結するように思えます。
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