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齋藤潤の経済バーズアイ (第58回)

国債を償還せずに済むか:ヘリマネ論との関連において

 

2017/01/23

【我が国の政府債務の現状】

 我が国の政府債務が巨大な規模に膨れあがっていることは周知の通りです。OECDの試算によると、2016年にはGDPの200%を上回る水準に到達しています。言うまでもなく、OECD諸国の中では最悪の水準です。

 このような政府債務の膨張にいかに歯止めをかけ、さらに削減していくのかは大きな課題です。このため政府も、中期財政戦略を策定し、それに向けての取り組みを進めています。この目標を達成するためには、GDP成長率を高めるなかで、財政支出の削減と財政収入の増加(増税)のいずれか、または双方を実行しなければなりません。しかし、このような施策は、(非ケインズ効果が働かないとすれば)GDPにはマイナスの影響を及ぼすことになります。財政再建と経済成長の両立がいかに難しいかは、政府債務危機以後のユーロ圏の経験が示している通りです。

 こうした状況にあって、近年、簡単な取組みで政府債務を引き下げることができるという見解が出てきました。最近注目されている「ヘリコプターマネー」(ヘリマネ)に関する議論のなかで、そのような見解が示されています。以下では、これがどのような見解で、そのようなことが本当に可能なのかについて検討をしてみたいと思います。

【ヘリコプターマネー論】

 ヘリコプターマネー論は、かつてミルトン・フリードマンが主張したものとして有名で、マネーをヘリコプターから播いて、人々に使ってもらうかのように、マネーの増加で財政政策を賄うことによって景気を刺激しようという主張のことです。

 最近における代表的な主張は、ヘリコプターマネー論を早くから主張してきた、米国連邦準備制度理事会(FRB)の前議長であるベン・バーナンキ氏の議論の中に見られます(Ben Bernanke, “What tools does the Fed have left? Part 3: Helicopter money,” Brookings Institution blog, April 11, 2016)。

 彼によると、財政政策の効果が政府債務の増加を伴う形で行われると、家計は政府債務の償還とそのための増税を予想し、貯蓄を増加させるため、その分だけ財政の景気刺激効果は減殺されてしまいます。そこで、彼は、このような家計の「リカーディアン」的な対応を抑制するために、中央銀行は国債を購入し、それの無期限の借り換えに応じることにより、償還を永久に先送りするように提案しています。

 このような政策によって、国債償還を予想しての貯蓄の増加、消費の削減を抑制できるとともに、政府も国債償還の必要から免ぜられることになります。その効果は、国債保有から取得することになる利子も、そのまま政府に還流させることによって、さらに大きくなると考えられています。

 バーナンキ氏の議論をさらに突き詰めたのが、アデア・ターナー氏です(Adair Turner, “The Case for Monetary Finance ? An Essentially Political Issue,” IMF, November 5, 2015;同『債務、さもなくば悪魔』、日経BP社、2016年)

 彼は、中央銀行が国債の大量買入れを行ったうえで、その国債を無利子永久国債に切り替えれば、国債の償還の必要がなくなるので、その分だけリカーディアン的な家計の消費が刺激されるだけでなく、実質的に国債残高を引き下げることができるといいます。そして、我が国が行おうとしている財政再建は非現実的で、うまく行くはずもなく、それよりは彼の主張するような手法をとるべきだと言います。

【現在の我が国の財政金融政策】

 実は、中央銀行の国債購入とそれによってファイナンスされた財政政策という意味では、既に我が国でヘリコプターマネー政策は事実上実施されていると言うこともできます。量的・質的金融緩和(QQE)の下で行われている財政政策がまさにこれに相当すると考えられるからです。

 確かに、日本銀行は国債を永久に借り換えに応じるという約束をしているわけではありません。しかし、そもそも永久借り換えへのコミットメントが必要になるのは、家計がリカーディアン的な反応をすることを避けるためでした。しかし、我が国では、そもそも「中立命題」が成立しているという仮説は棄却されており、リカーディアン的な家計行動が一般的に観察されるような状況にはありません。しかも、高齢化に伴ってそのような家計行動はますます見られなくなっているという研究結果もあります。したがって、我が国では、そもそも中央銀行による永久借り換えへのコミットメントは必ずしも必要とされてはいないのです。

【実質的な国債の不良債権化】

 さて、本題に戻り、こうしたヘリコプターマネー論が前提にするような国債の扱いができるのかを考えてみましょう。

 まず、バーナンキ氏が主張するように、国債を無限に借り換えるということは可能なのでしょうか。どのようにそれに「不可逆的に」コミットするのかというのも問題ですが、それ以上に問題なのは、そもそも中央銀行のバランスシート上でそのようなことができるのかということです。国債を無限に借り換えるということは、その国債を永久に市中には売却しないということです。そのような収益性のない資産を中央銀行の資産として計上しておくことが可能でしょうか。むしろ、このような扱いは、不良債権としての扱いに等しく、償却すべきものになるのではないでしょうか。

 この点は、無利子の永久国債にも当てはまります。永久債は、英国などが発行する償還期間の定めのない国債です。しかし、通常はその分、高いクーポンがついており、そのために市中で売買されることが可能になります。しかし、ターナー氏が想定しているのは、無利子の永久債です。これには明らかに収益性はありません。このような資産をバランスシート上に計上しておくことが果たしてできるのでしょうか。

 このように考えてくると、ヘリコプターマネー論者の考えている国債の処理方法は、実質的に国債を不良債権化するものであるように思えます。そして、不良債権は償却すべきものです。

 このことに関連して、次の二点を指摘しておきましょう。

【どうやってバランスシートの規模を縮小していくのか】

 第1は、仮に国債についてヘリコプターマネー論者のような処理をすることにしたとして、もしインフレ圧力が高まってきて、非伝統的な金融政策からテーパリングをする必要が出てきたとき、どのようにバランスシートを縮小させるのかという問題です。日本銀行のバランスシートの規模は2016年12月末時点で476.5兆円に達しています。QQEの直前の2013年3月末での規模は164.8兆円ですから、300兆円を超える膨張をしてきています。これに対して、現在の国債保有額は410.5兆円、長期国債だけを見ても360.7兆円もあります。これらに手を付けずにバランスシートの規模をどのように縮小できるのでしょうか。

【債務超過は問題にならないのか】

 第2に、仮に国債が事実上の不良債権扱いとなると、その償却の必要性から、中央銀行のバランスシートは棄損することになります。その結果、最悪の場合には、中央銀行は債務超過になってしまいます。これをどのように立て直すことができるかが問題です。

 債務超過を解消するためには、中央銀行は資本調達をする必要があることになります。もちろん政府がそれに応じられれば問題はあまりありません。しかし、我が国を含め、財政余力がない国も多数あります。したがって、資本は民間から調達しなければならないことになりますが、これがどこまで可能かが問題になります。

 我が国の場合、出資額は日本銀行法に定められており、その変更には法改正が必要です。また、出資者としての権利も法律によって制約されており、配当にも上限があります。このことから、日本銀行の出資証券がどれだけ魅力のある投資対象であるかには疑問があります。また、仮に民間株主から多くの出資を募るということになると、その結果、政府の出資比率が過半を割る可能性があります(法律では55%が下限と定められていますが)。そうなったときに、中央銀行に課せられた役割と両立させることができるのかが問題になります。

 このような懸念に対してウイレム・バイター氏は、それは大きな問題ではない、問題は、将来のマネーの増加を含む異時点間の予算制約式を満たしているか否かで、それが満たされている限り、一時点における債務超過は問題ないとしています(Willem Buiter, “The Simple Analytics of Helicopter Money: Why It Works – Always,” Economics E-Journal, August 21, 2014)。

 このような考え方は、中央銀行が政府の一部門に過ぎないとみなすことができるのであれば、妥当なのかもしれません。また、経済学において政府と中央銀行とを合わせて考える「統合政府」の考え方は、そのような想定を前提にしています。

 しかし、インフレに対する闘いを通じて、中央銀行にとっては独立性が重要だと認識されてきています。またそれは、裏付けのない不換紙幣である銀行券の信用を維持するためにも重要であると考えられてきています。統合政府の考え方と、このような中央銀行の独立性との関係をどう考えるかが問題です。

【フリーランチはあり得ない】

 このように考えてくると、ヘリコプターマネー論が前提にしているような国債の扱いはできないように思われます。言い方を変えれば、累増した国債について、扱いひとつで償還を免れることができるという魔法のようなことは、やはりあり得ないのではないかということだと思います。

 「フリーランチはあり得ない」というのが一般的な経済原則ですが、この場合にも、その原則が当てはまるように思えるのです。