パリバショックから10年:アメリカのダイナミズムは失われつつあるのか
2017/08/17
【金融経済危機からの回復が早かったアメリカ経済】
アメリカでサブプライム住宅ローン問題が顕在化してから10年が経ちます。サブプライム住宅ローン問題はそれ以前からもくすぶってはいましたが、2007年8月にフランスの大手金融機関の傘下にあるファンドが顧客からの解約に応じないと表明したこと(パリバショック)をきっかけに金融市場が混乱し、本格的に顕在化することになりました。最初はアメリカを中心とした金融危機でしたが、2008年9月のリーマンブラザースの破綻(リーマンショック)を契機に、世界的な経済危機へと発展していきました。
その後、世界各国は、G20などで政策協調をしながら前例のない政策発動に取り組み、どうにか世界的な危機を乗り越えることができました。なかでも、サブプライム住宅ローン問題の震源地であったアメリカ経済は、2009年6月から世界に先んじて回復を遂げることになりました。2011年第3四半期には、2007年第4四半期に記録した危機以前のピークを上回るに至っています(第1図)。その後も景気は回復を続け、現在はリーマンショック直後に採用された非伝統的な金融政策からの脱却を図りつつあることは周知の通りです。
第1図 アメリカ経済:実質GDP
(データ出所)Federal Reserve Bank of St. Louis, Federal Reserve Economic Data
【アメリカ経済に見られる大きな構造変化】
このように順調に見えるアメリカ経済ではありますが、もう少し詳しく見ると、いくつかの大きな構造変化が並行して起きていることに気づきます。
第1は、潜在成長率が低下していることです。
アメリカの潜在成長率についてはいくつかの機関が推計を行っていますが、例えばアメリカの議会予算局の場合、2000年代前半には2.5%以上あった潜在成長率が、リーマンショック後には1%程度まで低下し、その後回復はしているものの、中期的には2%弱で止まると見込んでいます(第2図)。OECDも2017年と2018年は1.5%という低い伸びになると見ていますし、IMFも、足下の見方はそれより少し高めですが、中期的にはやはり2%には届かないとみています。アメリカ経済については長期停滞論(secular stagnation)が論じられてきていますが、こうした潜在成長率の推計はそのこととも整合的です。
第2図 アメリカ経済:潜在成長率
(データ出所)Federal Reserve Bank of St. Louis, Federal Reserve Economic Data
第2は、賃金が従来に比べ緩慢な上昇しか示していないことです。
持続的な景気回復と、潜在成長率の低下とが相まって、足下のGDPギャップはほぼ解消してきており、失業率も5%を下回るところまで低下してきています。しかし、それにもかかわらず、賃金の上昇率はこれまでに比して緩慢なものにとどまっています(第3図)。別の言い方をすると、フィリップスカーブがフラット化しているような現象が見られています。これは、日本で見られているような状況とも共通するような変化です。
第3図 アメリカ経済:時間当たり賃金
(データ出所)Federal Reserve Bank of St. Louis, Federal Reserve Economic Data
第3は、所得の不平等が拡大していることです。
平均賃金が緩慢にしか上昇しない中、所得の不平等化が進んでいます。高所得階層の平均所得がかなりの上昇を示しているのに対して、中低所得階層の平均所得の伸びは極めて緩やかなものに止まっているのです(第4図)。ピケティが指摘したような現象が、ここでも確認できます。昨年の大統領選挙では「有権者の反乱」が起きましたが、その背景には、こうした社会的な格差の拡大があったと考えられます。
第4図 アメリカ:5分位階級別平均所得
(データ出所)United States Census Bureau
【低下するアメリカ経済のダイナミズム】
アメリカ経済において見られるこのような構造変化の背景には、どのようなことがあるのでしょうか。そこには、アメリカ経済がこれまで強みとしてきた民間部門のダイナミズム(business dynamism)が、次第に弱まっていることがあるように思えます。以下、それをいくつかの側面において見ていきたいと思います。
第1に、開業率と廃業率の低下です。
これまでアメリカの開業率と廃業率は高い水準を示してきていました。それは、企業の新陳代謝に寄与していると考えられ、雇用の創出や生産性の上昇の大きな源泉と考えられてきました。例えば「日本再興戦略2016」でも、日本の目指すべき開業率の水準(KPI)として、アメリカやイギリス並みの水準(10%台)が取り上げられてきました。
しかし、そのアメリカで、開業率と廃業率の低下が見られているのです。例えば開業率(establishment: 事業所ベース)で見ると、1980年代前半には15%程度、2000年代前半にも12%程度あったものが、2000年代後半以降、10%程度に低下をしているのです(第5図)。このような傾向は、雇用の創出や生産性の上昇に大きな影響をもたらしているはずです。
第5図 アメリカ: 開業率と廃業率
(データ出所)United States Census Bureau, Business Dynamics Statistics
開業率と廃業率がこのように低下していることの理由については、研究者の間でもまだコンセンサスはありません。考えられるものとしては、高齢化が進行していることや生産年齢人口の増加率が鈍化していることのほか、企業規模(企業当たり平均事業所数)が上昇傾向にあることなどの要因が挙げられています。
第2に、労働移動率の低下です。
アメリカの労働市場は、労働者の流動性が高いことで知られてきました。雇用の創出や消滅が大規模に見られ、これに対応して労働者の離職率や入職率も高水準にありました。また、労働者の離職や入職は、高水準の地理的移動も伴っていました。
しかし、これらの指標は、いずれについても低下が見られます。例えば、労働者の離職(separation)の割合と入職(hiring)の割合を見ると、リーマンショック後の落ち込みから回復はしているものの、まだ以前の水準にまで回復するには至っていません。(第6図)
第6図 アメリカ:離職率と入職率
(データ出所)Federal Reserve Bank of St. Louis, Federal Reserve Economic Data
この背景には、先に見たように開業率や廃業率が低下していることから、雇用の創出や消滅が従来のように見られなくなってきていることが考えられます。また、夫婦共稼ぎが増加した結果、一人だけの都合で仕事を変える(特に住所が変わるような形で仕事が変わる)ことは難しくなっていることや、高齢化に伴って労働移動に消極的になってきていることも考えられます。
しかし、いずれにしても、労働の流動化が低下していることは、労働市場を通じた新陳代謝(labor market churning)が見られなくなってきていることを意味し、マクロ経済にも大きな影響があると考えらます。労働者側にとって労働移動とは、より高い賃金を求める結果として起こる現象であると理解することができるので、その労働移動が減少するということは、マクロ的に見た賃金上昇が鈍化することを意味することになります。また、企業側から見ると、労働移動を通じて人的資本の効率的な配分が行われてきたはずなので、労働移動の減少は効率性の低下をもたらし、生産性上昇率の鈍化につながることになります。
第3に、労働参加率が低下していることです。
アメリカの労働参加率は、2000年頃までは上昇を続けてきました。それは、男性の労働参加率が緩やかな低下を続けるなかで、女性の労働参加率がそれを上回る上昇を続けてきたからです。
しかし、2000年以降、男性の労働参加率の低下ペースが速まったことに加え、女性の労働参加率が低下し始めたことから、それまでの労働参加率のトレンドも逆転し、低下傾向に転じています(第7図)。アメリカの15歳以上人口は、引き続き増加を続けていますが、このように労働参加率が低下することは、労働供給面から潜在成長率への制約条件になる可能性を示しています。
第7図 アメリカ: 労働参加率
(データ出所)Federal Reserve Bank of St. Louis, Federal Reserve Economic Data
労働参加率が低下している理由としては、まず高齢化が考えられます。高齢者の労働参加率は若年者に比べて低いので、高齢者のシェアが増加すると、全体としての労働参加率(年齢階級別の労働参加率の平均)は低下せざるを得なくなるからです。また、男性の労働参加率が、特に中心となるべき25~54歳層(prime-age)で低下していることに注目すると、前述のように雇用の創出が減少している中で、労働意欲を喪失して非労働力化している者(discouraged workers)が増加していることが考えられます。(なお、これ以外の点も含め、アメリカの労働市場の抱える問題については、U.S. Economic Report of the President, 2015が参考になります。)
【日本経済にも及んでくる影響】
このように、もしアメリカの民間部門のダイナミズムが低下をしているとすれば、我が国経済もそれとは無関係ではあり得ないと思われます。
第1に、アメリカの潜在成長率の低下が続くことになれば、世界の中心的な市場の一つであるアメリカの輸出市場としての伸びが鈍化することになります。それは、我が国の輸出を(アメリカ向けの輸出を通じて)直接的に鈍化させることになるばかりでなく、(アメリカへの輸出に依存しているアジア諸国等向けの輸出を通じて)間接的にも鈍化させることになります。
第2に、賃金上昇の低迷が続き、アメリカ国内における所得の不平等化が一層進むと、それが原因となってアメリカでさらに保護主義的な動きが強まる可能性が高まります。
国際通貨基金(IMF)は、2001年から2014年にかけての労働分配率の低下について分析をしています(IMF, Article IV Consultation Staff Report on the United States、2017)。それによると、不平等度の拡大の過半が技術革新の影響(routinization)によるものであると考えられるが、それに次いで寄与が大きいのが外国からの輸入競争 (import competition)や外国製中間財への依存(foreign input intensity)であると分析しています。
自由貿易のメリットには大きなものが有りますが、そのメリットは、比較優位を失った産業分野から比較優位を有する産業分野に資源が速やかに移動することによって最大化することができます。そしてそのためには、労働者の産業間移動を円滑にするべく、教育訓練や職業紹介などを重視する「積極的労働市場政策」に取り組む必要があります(このような政策のアメリカにおける重要性については、例えばMireya Solis, Dilemmas of a Trading Nation, 2017, を参照してください。)しかし、そのような取り組みが政権の政治哲学などの理由によって遅れてしまうと、しわ寄せは中低所得層の労働者に集中し、不満の矛先はアメリカの貿易相手国に向かうことは容易に想像できます。
もしこのような危惧が現実化すれば、世界経済の先行きがさらに不透明化し、それは貿易面のみならず、為替面や資本移動面などを通じて、日本経済にも大きな影響をもたらすことになります。
アメリカのダイナミズムの低下は、決して対岸の火事ではないと考えておく必要があるように思います。
バックナンバー
- 2023/03/02
-
労働市場におけるモノプソニー:日本の場合
- 2023/02/01
-
北欧諸国は日本と何が違うのか?
- 2023/01/04
-
家計消費の回復はなぜ遅れているのか
- 2022/12/01
-
為替介入と金融政策
第128回
- 2022/11/01
-
福祉国家の経済学
第127回