マクロ経済スライドの効力を高められるか
2017/10/25
【年金の持続可能性】
国立社会保障・人口問題研究所が本年4月に日本の新しい将来推計人口を発表しました。これをみると、前回の将来推計人口に比べ、全体として人口は上方修正されました。しかし、高齢化と人口減少が続くことには変わりはなく、老年人口比率では、2015年に44%であったのが、2065年には75%になり、それが2115年まで横ばいで続くとされています。また、2015年に1億2710万人だった人口は、2065年に8808万人(2015年の69%)、2115年には5055万人(2015年の40%)にまで減少すると試算されています(2115年はいずれも長期参考推計)。
こうした人口動態の変化は、日本の経済や社会に大きな影響を与えると予想されますが、特に深刻な影響が予想されるのが、社会保障です。高齢者が増加する一方、現役の勤労世代が減少していくので、持続可能性が失われると考えられます。特に問題なのは、医療と介護の分野です。この分野では給付が増加を続ける中、財政収支は悪化の一途を辿ると考えられています。これに対して、一般のイメージとは異なり、年金の場合には、悪化に一定の歯止めがかかるものと考えられています(図表1)。それが可能なのは、年金制度には自動調整メカニズムが組み込まれているからです。ここで言う自動調整メカニズムには、物価スライド、賃金スライドの他に、マクロ経済システムが含まれます。
図表1 社会保障給付の見通し
(データ出所)厚生労働省「社会保障に係る費用の将来推計の改訂について」(2012年3月)
【マクロ経済スライドとは】
物価スライドと賃金スライドは、年金の実質購買力や、年金の所得代替率を維持するためのメカニズムです。例えば、現役勤労世代の平均賃金上昇率が物価上昇率を上回っているような状況(つまり実質賃金が上昇しているような状況)における基本原則は、新たに年金をもらう新規裁定者の年金給付は平均賃金上昇率にスライドさせて引き上げ、すでに年金をもらっている既裁定者の年金給付は物価上昇率にスライドさせて引き上げるというものです。(ただし、これは基本原則であって、様々な例外があることには注意が必要です。)
これに対して、マクロ経済スライドは、人口動態の変化に従って悪化することになる年金財政の収支を改善するために設けられたものです。具体的には、平均寿命の延び率と、被保険者数の減少率を考慮し、それらを合わせた調整率分だけ、年金給付を切り下げようとするものです。例えば、2017年度の場合、前者の要因が財政収支に対してマイナス0.3%であり、後者の要因が財政収支に対してマイナス0.2%であるので、本来であればマイナス0.5%が調整率となります。
もっとも、マクロ経済スライドが発動されるためには、一定の条件が満たされる必要があります。その条件が満たされないと発動されません。実は2017年度も、そのために発動されませんでした。ここで言う一定の条件には、次の二つが含まれます。
第1は、マクロ経済スライドによって結果的に年金給付が引き下げられることになる場合には引き下げは行わないという条件です。マクロ経済スライドによるマイナスが物価・賃金スライドのプラスを上回るときには、発動はゼロにするまでの部分的なものに留めます。また、物価・賃金スライドによる調整がマイナスになる場合には、マクロ経済スライドの発動は完全に見送られます。後者は、デフレ下ではマクロ経済スライドは発動されないことを意味します。
第2は、年金給付の特例水準が解消するまでは発動しないという条件です。実は、物価スライドと賃金スライドは、2000年度~2002年度の間は適用されませんでした。その期間はデフレだったので、適用すれば年金給付を引き下げることになったからです。当時の政策判断としては、それは好ましくないというものでした(この結果、年金給付の実質購買力は増加し、当時の家計消費支出を下支えをすることになりました)。しかし、この結果、この特例的な年金給付の水準は、本来の水準に比べると2.5%程度高いものとなりました。これを特例水準と言い、これを解消するための調整が2013年10月から2015年4月にかけて行われました。これは実際に年金給付を削減するかたちで進められたので、これに重ねてマクロ経済スライドを発動することは回避しようという趣旨です(それでも、年金給付の削減の結果、年金給付の実質購買力は低下し、この時期の家計消費支出は抑制されることになりました)。
このため、2004年度の年金制度改革の際に導入されたマクロ経済スライドは、10年以上発動されることはなく、初めて発動されたのは2015年4月にまでずれ込みました。(なお、その後も発動条件が満たされていないので、これが唯一の発動事例ともなっています。)
【マクロ経済スライドの意義と限界】
今後、デフレから脱却して、経済も正常化してくれば、マクロ経済スライドも継続的に発動されるようになります。そして、それは、年金が「100年安心」を確保するまで発動され続けるとされています。ここで、「100年安心」とは、100の間、年金給付の所得代替率は50%を上回り、しかも100年後にまだ1年分の年金給付費払いに相当する積立金を残しているような状態のことを言います。
この点を、将来推計人口の改訂などを踏まえ定期的に検証しようとするのが、年金の「財政検証」です。2014年に行われた前回の財政検証を例にとると、将来の経済状況に関する想定によって設けられたA~Hのシナリオに基づいて試算が行われ、比較的楽観的な想定をしたシナリオ(A~E)の下では、「100年安心」が確認されました。そこでは、マクロ経済スライドも、概ね40年後にはその使命を終えることになっています。(財政検証の内容とそれに対するコメントについては、英文コラム「The Japanese Pension System: Its Long-Term Prospects」(2014.8.4)を参照してください。)
もっとも、「100年安心」が確認されたといっても、100年後の年金給付の所得代替率は50%をわずかに上回る程度です。仮に比較的悲観的な想定をしたシナリオ(F~H)が現実化したとすると、所得代替率は50%を下回ってしまいます。このことは、マクロ経済スライドが、決してそれだけで年金の持続可能性を可能とするようなオールマイティーな力をもっていないことを示しています。
【マクロ経済スライドの限界を克服するためには】
こうした点を踏まえると、マクロ経済スライドの限界をどう克服するかを考えることも必要です。克服の方向としては、少なくとも次の二つが考えられます。
第1に、マクロ経済スライドの発動に条件をつけず、デフレの時もふくめて毎年度、対称的に発動できるようにすることです。もしこのようにすると所得代替率が改善することは、前回の財政検証でも確認されています。
実は、2018年4月から制度変更が行われます。それによって、仮にマクロ経済スライドが部分的にしか発動できない場合が発生したときは、その差分を翌年度以降に持ち越して適用するという制度に変更されます。これも確かに一歩前進ではありますが、このように発動が一部だけでも先送りされると、それだけ年金の財政収支が悪化することになります。やはり対称的な発動が望ましいことには変わりありません。
第2に、マクロ経済スライドの考え方を根本的に見直し、年金給付の水準を調整するメカニズムから、年金の支給開始年齢を調整するメカニズムに変更することです。財政収支が悪化した場合に、年金給付を削減するのではなく、年金給付の給付開始を遅らせることで調整しようというわけです。
確かに、このようにすれば、年金給付を削減することで所得代替率が大幅に低下してしまうことを回避することができます。このような方向は、国際通貨基金(IMF)が関心を持っている方向でもあります(Arbati, Feher, Ree, Saito, and Soto, “Automatic Adjustment Mechanisms in Asian Pension System?”, IMF Working Paper WP/16/242, December 2016を参照)。
【定年制がもたらす制約】
しかし、マクロ経済スライドを年金支給開始年齢の調整メカニズムに変更するということには、日本の場合、問題もあります。支給開始年齢が先送りされた場合(例えば、65歳から68歳に)、定年との間のギャップをどう埋めるのかという問題です。
欧米の多くの国のように、定年を年齢差別と捉え、定年が廃止されていれば、何歳まで働くかは個人の選択の問題となるので、支給開始年齢が先送りされた分だけ、より長く働けば良いということになります。しかし、日本のように定年制が定着している場合には、このような柔軟な対応は不可能です。
例えば、年金の支給開始年齢が65歳からになったのに合わせ、高年齢者雇用促進法では、企業に対して、高齢者の雇用を確保することを求めています。具体的には高齢者雇用を確保するための手段として3つの選択肢を提示し、そのうちのどれかを選択し、実施することを義務付けています。その三つとは、①再雇用、②定年の延長、③定年の廃止、の三つのことです。
その結果、企業がどれを選んだかを見たのが、図表2です。これを見ても分かるように、80%以上の企業は再雇用を選択しています。そして、残りの企業のほとんども65歳への定年延長にとどまっており、66歳以上まで定年を延長した企業や定年を廃止した企業は、中小企業を中心にわずかしかありません。
図表2 高齢者の雇用状況
(データ出所)厚生労働省「高年齢者の雇用状況」(2016年10月)
このように、マクロ経済スライドを支給開始年齢の自動調整メカニズムに変更しようとすると、我が国の雇用システム上の問題に直面することになることが予想されます。この方向でマクロ経済スライドの限界を克服するためには、雇用システム全体の改革を並行して進める必要があるように思います。
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