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齋藤潤の経済バーズアイ (第78回)

「エビデンス・ベースド(EB)」と「ポリシー・メイキング(PM)」

 

2018/09/19

【EBPMの取組進む】

 EBPMがバズワードとなっています。EBPMとは「エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング(Evidence-Based Policy Making)」の頭文字をとったもので、「証拠に裏付けられた政策形成」のことを表しています。

 これまでの政策形成が、決して事実を無視したものであったとは思いません。しかし、データが不足していたり、分析手法が未開発であったりしたために、経済的な想定や政策的な思想が先行せざるを得ない面もあったことは否定できないように思います。しかし、このような政策形成のあり方は、政府が動員できる資源に限りがあり、試行錯誤が許されないような状況になるにつれ、改善が求められるようになってきました。

 幸い、政府が所持するデータの利用可能性が拡大しています。また、ITの発展を背景に、新たなデータの取得も容易になってきました。他方、RCT(Randomized Controlled Trial)をはじめとした、ミクロデータの分析手法も確立してきました。

 そうしたことに促されて、事態の改善の道が徐々に開かれ、政策分野におけるEBPMの重要性が広く認識されるようになっています。政府も、統計改革推進会議の「最終とりまとめ」(平成29年5月)やEBPM推進委員会の決定(平成30年4月)などを受けて、EBPMの取組を強化しています。

 このようなEBPMの取組みは重要であり、経済政策の有効性を高めるためにも、強力に推進する必要があることは言うまでもありません。しかし、ここで敢えて注意を喚起したいと思うのは、現在、注目されているのは、EBPMの一つの側面だけにすぎず、EBPMのもう一つの側面が忘れられがちになっているということです。

 EBPMと一言で括って言ってしまいますが、これには、「エビデンス・ベースド(EB)」の観点からデータを準備し、それを分析することと、それをもとに「ポリシ―・メイキング(PM)」をすること(政策形成をすること)の二つの側面が含まれています。この両者は別のことです。そして、どちらかと言うと前者に注目が集まりがちですが、実は、最終的な政策の実施ということを考えたとき、後者も前者に負けず劣らず重要なのです。以下では、このことを少し敷衍したいと思います。

【「エビデンス・ベースド」であっても最も望ましい政策形成が行われるとは限らない】

 現状を正しく認識することができたとしましょう。このようなときには、必ず、「最も望ましい政策選択」が行われるでしょうか。必ずしもそうとはいえないのではないか、というのが経済学的な議論の示すところです。

 例えば、ゲーム理論は、自国と外国の「軍拡か軍縮か」を巡る状況を、「囚人のジレンマ」的な状況として表現します。それによると、協調するという道が閉ざされている場合、双方にとって最も望ましい帰結(パレート最適な結果)は「双方とも軍縮」であるにもかかわらず、相手の行動を先読みしてそれに対する最適な行動を取ろうとする結果、実際に到達してしまうのは「双方とも軍拡」という帰結(ナッシュ均衡)であることが示されます。つまり、「合理的な政策選択」が行われても、それが「最も望ましい政策選択」にはならない、と言うわけです。

 また、現状認識が正しくても、リスクが高く、必ずしも望ましいとは言えない選択肢が選ばれてしまうようなことがあり得ることも指摘されています。例えば、摂南大学の牧野邦昭氏は、その著『経済学者たちの日米開戦』(新潮社、2018年)において、日本が米国と開戦に及ぶという無謀な行動に出ることになったのは、よく言われているように、日本の政策当局者が日米の国力の違いなどについての正確な情報を持っていなかったからではないと論じています。むしろ、正確な情報をもっていたにもかかわらず、リスクを考慮した合理的な政策選択をすることができず、敢えて「リスクの高い選択」をせざるを得なかった結果であるということを、行動経済学(プロスペクト理論)や社会心理学(集団極化)の考え方を援用して説明しています。これは、そもそも、「合理的な政策選択」が行われるかどうかも怪しい、ということを示しています。

 このように見てくると、エビデンス・ベースドの分析をすることは重要ですが、それだけで「最も望ましい政策形成」が行われるわけではなく、後者のためには、「最も望ましい政策形成が行われるようにするにはどうすべきか」という「ポリシー・メイキング」の問題を、別の問題として考えることが必要であることが分かってきます。

【ポリシー・メイキングの二つの側面】

 ところで、「ポリシー・メイキング」には、二つの相異なるプロセスが含まれています。

 一つは、「政策の立案」(Agenda Setting)のプロセスであり、もう一つは、「政策の決定」(Policy Adoption)のプロセスです。

 この両者は、独裁的な政治形態の下であれば、独裁者が一体なものとして行うと考えられます。また、民主主義的な政治形態の下でも、米国のような三権分立の下では、ともに議会の仕事として位置づけられます。しかし、同じ民主主義的な政治形態の下であっても、日本のような議会制民主主義の下では、政策の立案は主として政府(行政権)が責任を持ち、政策の決定は国会(立法権)が担当することになっています。

【「政策の立案」プロセスの課題】

 それでは、政策立案者としての政府は、どのようにすれば、最も望ましい政策を立案することができるのでしょうか。

 そのためには、まず、政府の目的関数を国民の厚生(Welfare)の最大化として設定することが絶対的な必要条件となります。例えば、日米開戦か否かの決定の場合、政府の目的関数は「国体の護持」の最大化であったと考えられます。このような場合には、政府がいかに「最も望ましい政策の立案」を行ったとしても、それは「国民にとって」の最も望ましい政策の立案とはなり得ません。したがって、民主主義的な政治体制をとっていることは大前提となります。

 それでは、政府の目的関数を「国民の厚生の最大化」に設定したとして、そこで言う「国民」とは誰を指すのでしょうか。また、それぞれが異なる判断基準(選好)を有する国民の利害を、全体としてどのように考慮することができるのでしょうか。

 第1に、「国民」とは誰を指すのかという問題です。国民が誰であるかは、自明のことと思われるかもしれません。現存する国民であり、より具体的には選挙民全員のことであるというのは、自然な見方です。

 しかし、もし、自然環境の保全、地球温暖化の抑制、社会保障制度の持続などの政策を考えるのであれば、そこで考える「国民」とは、現存世代に止まることはできません。むしろ、こうした長期的な問題を考えるのであれば、まだ生まれていない将来世代までをも視野に入れなければなりません。そうだとすると、どのようにすれば、政策立案者は将来世代の利害を考慮することができるのでしょうか。将来に対するシミュレーションをいろいろと行い、それを踏まえて政策を立案するということで十分なのでしょうか。これに対する答えは簡単ではありません。

 第2に、国民の様々な見方・考え方をどのように政策に反映するのか、という問題です。これに対する答も容易ではありません。国民が有する異なる選好を社会的に集約し、政策選択の基準となるような一つの判断基準(社会厚生関数)を得ることは、実は民主主義の下では論理的には不可能であることが論証されています(厚生経済学におけるアローの「不可能性定理」)。そうであるとすれば、国民の厚生を最大化するために、一体どうすれば良いのでしょうか。

【「政策の決定」プロセスの課題】

 次に、政策決定者としての議会は、国民にとって最も望ましい政策を決定することができるのか、という問題です。

 実は、政策を単純な多数決で決しようとすると、複数の案があった時に、いずれが最終的な決定となるかは、どのような順番で案が審議されるかによって、大きく異なってくる可能性があることが分かっています(コンドルセのパラドックス)。このように、現在の政策決定において当然のように用いられている多数決には大きな問題点が存在しているのです(興味のある方は、慶応義塾大学の坂井豊貴氏の『多数決を疑う』(岩波書店、2015年)を参照してください。)

 また、先ほども述べたように、将来世代にも影響するような案が議会に提案されたときに、現役世代にのみ選ばれている現在の議会構成員は、その利害を優先せざるを得ませんが、そうだとすると、仮に政策の原案が将来世代のことを考慮したものであっても、最終的には、現役世代の利害を最大化するようなものに修正のうえ決定されることになる可能性があります。そのようないわゆる「シルバー・デモクラシー」の問題をどのように克服するのかは、超高齢化を迎えている日本が直面する大きな問題です。

【「ポリシ―・メイキング」にも目を向ける】

 繰り返して言いますが、「エビデンス・ベースド」の考え方は重要です。それは、国民にとって最も望ましい政策形成のための必要条件です。政府としては、このような取組みを、できるだけ迅速に、かつ幅広く行き渡らせることが必要です。

 しかし、「エビデンス・ベースド」が実現できても、国民にとって最も望ましい政策が形成されるとは限りません。政策形成のあり方によっては、国民にとって最も望ましい政策形成が妨げられてしまうからです。その意味で、「エビデンス・ベースド」は、国民にとって最も望ましい政策形成の十分条件ではないのです。

 EBPMの推進にあたっては、「エビデンス・ベースド」の問題だけではなく、いかに政策の形成(立案と決定)を望ましいものにしていくかという「ポリシー・メイキング」の問題も合わせて考えていく必要があるように思います。