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齋藤潤の経済バーズアイ (第82回)

人工知能(AI)が切り拓く未来の世界

 

2019/01/28

【人工知能のもたらす影響】

 人工知能(Artificial Intelligence、AI)についての議論が盛んになっています。一方では、人工知能は人間よりも短時間に効率よく情報を処理することによって、ゲームの必勝法を見いだし、病気の診断をし、キャンペーンの打ち出し方を教えてくれるので、これは生産性を飛躍的に引き上げてくれるものと期待する向きがあります。しかし、他方で、人工知能はこれまで人間がこなしてきた仕事を奪っていくので、失業率が高まり、格差も拡大していくことになるのではとの懸念を示す見方もあります。人工知能の影響としては、どのように考えればよいのでしょうか。以下では、まずは、経済成長への影響と、雇用への影響とに分けて考えてみたいと思います。

【経済成長から見たシンギュラリティー】

 人工知能というとシンギュラリティー(singularity;技術的特異点)がよく問題になります。これについては、後述するようにいくつかの考え方がありますが、経済学で考える場合には、人工知能などによって経済成長率が加速するような状況を考えます。経済成長論では定常状態というのを考え、経済成長が一定で推移することを基本としますが、人工知能は、それを打ち破るような画期的な技術なのか、という視点です。

 ロボットや人工知能が普及して生産性を引き上げていることは事実です。高齢化すれば経済成長率が鈍化するはずであるとの予想に反してそうならなかったのはロボットや人工知能のおかげだと言えます(Acemoglu and Restrepo, 2017)。しかし、そうした技術は、情報通信革命を内容とする第3次産業革命の延長に過ぎず、その効果は既にピークアウトしており、今後期待される効果も限られているという見方もあります(Gordon, 2016)。

 技術進歩によって財間の相対価格は大きく変化をすることになります。AI集約的財の場合には、相対価格は低下し、需要量は上昇します。他方、非AI集約的財の相対価格は上昇し、需要量は低下します。このため、需要全体の動向は、それぞれのシェアがどうなるかによって依存することになります。それは両財の間の代替の程度によって決まります。もしその程度(代替の弾力性)が小さければ、AI集約的財に対する需要の増加は限定的なものにとどまり、AI集約的財の相対的な比重は縮小し、逆に非AI集約的財の相対的な比重が拡大することになります。こうなると、いわば「遅れている部門が足を引っ張る」結果になり、全体の需要量もあまり増加するということにはなりません(Baumol’s cost disease)。しかし、逆に代替の程度が大きければ、AI集約的財の相対的な比重が拡大することになり、全体の需要量も大幅に増加する可能性があります(Baumol’s cost euphoria)。この点を念頭に、これまではどうあったかを検証してみると、後者が近い将来到来するとはいえないとの結論になっています(Nordhaus, 2017, and Aghion, Jones, and Jones, 2017,)。

 このように、経済学的な分析からは、シンギュラリティーの可能性は当面は認められないということのようです。

【工学的にみたシンギュラリティー】

 もっとも、シンギュラリティーについては、「AIが自分の能力を超えるAIを生み出せるようになること」、あるいは「AIが人間の知性を超えるようになること」という定義の方が一般的かもしれません。ただ、その場合でも、専門家は概して否定的のようです(松尾(2015)、井上(2016))。

 これはある意味では当然のことかもしれません。ディープラーニングが可能になって、人工知能が人間の助けを借りずに、自分で学習する余地はかなり拡大してきました。そういう意味では、生産性は今後とも上昇を続けていくことになると思われます。その点は疑いありません。

 しかし、人工知能が人間を超えることはあり得るでしょうか。人工知能の研究の方向性としては、「全脳エミュレーション」(脳の構造全てを再現)と「全脳アーキテクチャー」(脳の各機能を再現)がありますが(井上、2106)、いずれであろうと、「人間の脳」の再現である限り、AIが人間を超えることはあり得ないのではないかと思います。

 また、AIが決定的に人間に劣る面もあります。「人間=知能+生命」であると言えるからです(松尾、2015)。人間には「生命」があり、そのため「死」の制約があります。これが人間による発見・発明の大きな原動力の一つになってきたと考えられますが(例えば、不老不死の追求)、そのインセンティブが人工知能の場合にはないわけです。なお、これは余談ですが、阿刀田高氏は「私たちの営みはすべて死を意識することから中身を濃くしてきた。少なくとも文学はそうだ。AIは死ぬことができない。-ざまあみろ-ここにおいて人はAIより優れている。」と書いています(阿刀田、2018)。これを読んだ時、言い得て妙だと思いました。

【人工知能による生産性の上昇:効率の向上か、技術の進歩か】

 このように考えていくと、人工知能は、人間を超えることはありえず、たかだか人間程度のことしかできないということになります。それでも、もし人間に匹敵するような存在になれば、それは大きなことかもしれません。なぜなら、特に日本においては、人口が減少していくからです。人口が減少するということは、科学者や技術者の数も減少していくということです。科学者や技術者は、イノベーションの担い手であり、新しい技術の供給者です。したがって、このままだと、長期的には日本のイノベーションも減退していくことになります。もし人工知能がそれを幾分なりとも補うことができれば、それは日本の将来にはプラスとなります。

 しかし、問題は、人工知能が、現在ある非効率性を解消することを超えて、新たな技術を生み出す(イノベーションを担う)ことができるようになるのか、ということです。分かり易く言うと、人工知能は、将棋や碁、チェスにおいて人間に勝つだけでなく、将棋や碁、チェスに匹敵する新しいゲームを創出することができるのかということです。どうも、そうとは言い切れないように思います。

【AKモデルとの対応関係】

 なお、これまでの経済成長モデル(例えばソロー=スワン・モデル)では、持続的な経済成長にとっては、イノベーションが不可欠でした。だからこそ、イノベーションの担い手が重要な要素だと考えたわけです。しかし、もし人工知能が人の労働を全て代替してしまうとすると、話は変わってきます。その場合には、付加価値の生産は、全て人工知能とそれによって動かされるロボットや機械によって担われることになります。人間は、その場合、労働者としてではなく、資本の所有者としてその対価を得て生活をすることになります。

 これは経済成長論で言うAKモデルの世界です(Aは技術、Kは資本)。このモデルでは、イノベーションがなくても(Aが一定であっても)、経済は成長を続けることになります。もしかしたら、人工知能は、新たなイノベーションを起こさずとも、AKモデルのようなかたちで経済成長に貢献するのかもしれません。この点は、別の機会に、このコラムでも触れました。ご興味があれば、そちらもご参照ください(「AI主導社会とAKモデル」17年5月

【雇用面への人工知能の影響】

 しかし、そもそも人工知能が労働を全て代替するというようなことは起きうるのでしょうか。その点は、現在、盛んに研究が行われている分野です。

 コンピュータリゼーションによって雇用が代替されるということは、オックスフォードの研究者が米国を対象に行った試算が有名です。それによると、コンピュータリゼーションによって現在の米国の雇用の47%が代替され得るという結果になっています(Frey and Osborne, 2017)。

 もっとも、人工知能が生産に参加してくることになると、労働需要が減少する面だけではなく、労働需要を拡大する面もあることを見落としてはなりません。その点を理論的に整理したのがMITのAcemoglu教授やボストン大学のRestrepo教授の研究です。それによると、人工知能には、労働を置き換えていく効果(displacement effect)があることは確かだが、それによって生産性が上昇して労働需要が高まる効果(productivity effect)などがある他、労働を必要とする新たなタスクを創出する効果(reinstatement effect)もあるとしています(Acemoglu and Restrepo, 2018b)。新たに創出されるタスクとしては、trainer(人工知能にデータを供給し、学習させる人)、explainer(人工知能が導き出した過程はブラックボックスなので、その結論を解説する人)、sustainer(人工知能のパフォーマンスをモニターし、人間が定めた倫理規定に沿っているかどうかをチェックする人)などが例として挙げられています(Acemoglu and Restrepo, 2018a)。このような理論的フレームワークに基づいた実証分析も行われていますが、それによると、近年、雇用を置き換える効果が強まっているようです(Autor and Salomon, 2018)。

【雇用面に関する今後の展望】

 確かに、人工知能の効果として、単に労働を代替するだけでなく、新たな労働需要を創出するという面を指摘することは重要です。それによって、少なくとも、これまでは、技術進歩の進展にもかかわらず深刻な失業状態を長期にわたって経験することは有りませんでした。このようなことが将来にわたって期待できるのであれば、それほど心配することもないかもしれません。しかし、そのように楽観的に考える前に、次の三つの問題について検討しておく必要があります。

 第1に、今後とも、新たな労働需要が、労働代替とバランス良く創出されるという保証はあるのか、という問題です。もしかしたらそれは賃金の伸縮性次第ということかもしれません。賃金が伸縮的であれば、雇用を拡大するという場面も出てくるのかも知れません。しかし、賃金の伸縮性に限界があるとすると、バランス良く労働需要が創出されるというメカニズムが存在するか否かは、必ずしも自明なことではありません。これに過大な期待をかけることにはリスクがあるように思います。

 第2に、新たな労働需要が創出されるとして、その新しいタスクを担えるスキルを持った働き手が十分に供給されるか、という問題です。これまでも、労働需要と労働供給の間にスキルのミスマッチがありました。このために、日本でも構造的な失業率の上昇がみられてきたわけです(今は人手不足といいながら2.5%程度の失業率が並存しています)。こうしたミスマッチが、ますます急速化するイノベーションの結果、さらに拡大していく懸念があります。

 第3に、労働需要の創出ペースが緩やかであり、ミスマッチが拡大していくとしても、それが深刻な失業問題をもたらすかどうかは、労働供給のあり方にも関係しています。特に日本の場合には、人口減少に伴って、労働供給も長期的には(特に現在みられるような労働参加率の上昇が限界まできたときには)、減少していくことが見込まれます。そうであるとすれば、人工知能による労働代替は、むしろ人手不足の解消に役立つことになるかもしれません。しかし、そうなる可能性があるということと、必ずそうなるということとは区別して考えることも必要だと思います。

【人工知能が切り開く未来の世界】

 それでは、人工知能が導く先の未来の世界はどのような姿の世界なのでしょうか。ここでは、その輪郭を描くのに重要だと思われる三つの点を指摘しておきましょう。

 第1は、労働から解放される人が多くなってくるということです。ケインズは、1930年に書いた「孫の世代の経済的可能性」という小論で、孫の世代においては、人類は経済問題から解放され、余暇と豊穣の時代を謳歌しているだろう、との予想をしています(Keynes, 1930)。ある意味では、それが実現するということだと思います。特に人工知能の所有者はそういうことになるでしょう。しかし、全員がそうなれるわけではありません。

 第2に、不平等度が拡大することになるということです。一方では、人工知能所有者がいます。しかし、他方では、人工知能に仕事を奪われ、スキルもないので新たな仕事にもつけないような「無用者階級」が増加することになります(中谷、2018)。

第3に、そのような状況になった場合には、政府が介入する必要があるということです。その中心に位置するのは、所得再分配政策の強化ということになるはずです。Korinek and Stiglitz(2017)は、所得再分配政策によって、パレート優位な結果がもたらされることを検討しています。また、ベーシック・インカム政策を主張する論者もいます(井上、2016)。

【迫られる政策選択】

 この問題は、もっと一般的な図式で説明することもできます。これまでも、イノベーションや、それを促進することになるグローバリゼーションなどによって、不平等度が拡大するということは指摘されてきました。これまで議論してきたことは、人工知能もその例外ではないのではないかということになります。

 このような事態に対して、国によって、少なくともこれまでは、異なる政策選択が行われてきたように思われます。日本の場合には、不平等度の拡大を回避し、「平等社会」を維持するために、グローバリゼ―ションに制約を加えてきましたし(特に「内向き」について)、この結果、イノベーションにも後れをとることになりました。しかし、その代わりに、再分配政策は限定的なものとすることができ、政府の規模・機能としても「小さな政府」に止めることができました。

 これに対して、米国は、イノベーション・グローバリゼ―ションを推進しながら、不平等度の拡大を放任し、「平等社会」の犠牲の上に、「小さな政府」を維持しています。他方、北欧は、イノベーション・グローバリゼーションを促進しながら、「平等社会」を守ることとし、その代わりに、大幅な所得再分配を行う「大きな政府」を選択しています。

 以上のように、「イノベーション・グローバリゼーション」、「平等社会」、「小さな政府」の三つの政策目標の間には「インポッシブル・トリニティー」の関係が存在し、三つを同時に成立させることは無理で、そのうちの二つを選択し、残り一つを犠牲にせざるを得ないように思います(この点については、「平等と成長を巡るトリレンマ」18年3月 も参照して下さい)。

 こうした「インポッシブル・トリニティー」を踏まえ、人工知能の可能性とその影響を前にして、日本としてどのような政策選択をしていくのか。これについては、早急に議論を詰めていく必要があるように思います。

(注)本稿は、本年1月24日に開催された日本シンクタンク協議会主催のパネルディスカッション「『AI資本主義』の未来を問う」に参加するにあたって考えたことを整理したものです。参加の機会を与えて頂いた主催者に感謝を申し上げます。


(参考文献)

阿刀田高、日本経済新聞掲載「私の履歴書」、2018年6月30日。

井上智洋『人工知能と経済の未来』、文芸春秋、2016年。

中谷巌『「AI資本主義」は人類を救えるか』、NHK出版、2018年。

松尾豊『人工知能は人間を超えるか』、KADOKAWA、2015年。

Acemoglu, Daron, and Pascual Restrepo, Secular Stagnation? The Effect of Aging on Economic Growth in the Age of Automation, American Economic Review, Vo. 107, No.5, 2017.

Acemoglu, Daron, and Pascual Restrepo, Artificial Intelligence, Automation and Work, paper prepared for Economics of Artificial Intelligence (eds. Ajay Agarwal, Avi Goldfarb and Joshua Gans), 2018a.

Acemoglu, Daron, and Pascual Restrepo, Automation and New Tasks: The Implications of the Task Content of Technology for Labor Demand, paper prepared for Journal of Economic Perspectives, 2018b.

Aghion, Philippe, Benjamin E. Jones, and Charles I. Jones, Artificial Intelligence and Economic Growth, mimeo, 2017.

Autor, David, and Anna Solomons, Is Automation Labor-displacing? Productivity growth, employment, and the labor share, BPEA Conference Drafts, The Brookings Institution, 2018.Gordon, Robert J., The Rise and Fall of American Growth, Princeton University Press, 2016.

Frey, Carl Benedikt, and Michael A. Osborne, The future of employment: How susceptible are jobs to computerization, Technological Forecasting and Social Change, vo. 114, issue C, 2017.

Keynes, John Maynard, “Economic Possibilities for our Grandchildren,” in Essays in Persuasion, 1930.

Korinek, Anton, and Joseph E. Stiglitz, Artificial Intelligence and Its Implications for Income Distribution and Unemployment, NBER Working Paper 24174, National Bureau of Economic Research, 2017.

Nordhaus, William D., Are We Approaching and Economic Singularity? Information Technology and the Future of Economic Growth, mimeo, 2017.