「2019年財政検証」を検証する
2019/09/17
【5年ごとに行われる年金の財政検証】
8月27日に、厚生労働省から、年金に関する「2019年財政検証」(正式には「国民年金及び厚生年金に係る財政の現況及び見通し」)の結果が公表されました。財政検証は、5年ごとに行われるもので、最新の人口の将来推計などを踏まえ、現在の年金財政制度を前提にした場合、将来の年金財政はどのような姿になるかを検証するものです。今回も、新しい人口の将来推計が国立社会保障・人口問題研究所から2017年4月に公表されたことを受けて、行われました。
財政検証のチェックポイントは、検証の対象となる財政均衡期間(100年間を想定)において、所得代替率(年金額の現役男子の平均手取り収入額に対する割合)が50%を維持できるかです。もし50%を維持出来ない場合には、法律で「給付及び費用負担の在り方について検討を行い、所要の措置を講ずるもの」とされています。
また、現在、財政均衡期間において財政均衡を維持するとともに、財政期間終了時に一定の積立金を保有すること(1年分の給付額に対応する額)ができるようにするため、マクロ経済スライド(被保険者の減少や平均余命の伸びを考慮して年金の給付額を自動調整する仕組み)が実施されていますが、これの終了年度の見通しを示すことにもなっています。
【2019年財政検証結果のポイント】
こうした役割を求められて実施された2019年財政検証のポイントは以下の通りです。
第1に、年金財政は、経済成長や労働参加の程度に大きく左右されるということです。①経済成長や労働参加が高い水準で進めば、所得代替率は50%以上を維持できますが、②経済成長や労働参加がある程度の水準にとどまれば、2040年代半ばには所得代替率は50%に達し、その後もマクロ経済スライドを続けると所得代替率は40%台半ばにまで低下してしまい、さらに③経済成長や労働参加が進まない場合には、2052年度には国民年金の積立金が枯渇して完全賦課方式に移行することになりますが、その場合の所得代替率は36~38%程度にまで低下することになる、との結果となっています。
第2に、今後の制度的オプションとして、被用者保険の適用拡大を図ることや、保険料拠出期間の延長、受給開始時期の選択肢の拡大などについて検討していることです。試算結果によれば、そうしたオプションは、所得代替率を維持することや年金の水準確保に対しては大きな効果があるとされています。
【財政検証の評価にあたって考慮されるべき論点】
年金財政検証は大作業で、検証の前提や検証結果についても詳細に公表されているので、年金という私たちの老後の拠り所となる制度がどれほど信頼できるものであるかをみるために、様々な方向から詳しく分析されるべきです。以下では、その際に検討されるべき論点をいくつか指摘しておきたいと思います。
第1に、所得代替率を計算する際のモデル世帯の考え方についてです。
財政検証において所得代替率を計算する際には、夫婦二人世帯を想定しています。基礎年金と厚生年金の合計を年金額としていますが、その際には、夫だけが働いて厚生年金を受け取るとし、それに夫婦二人分の基礎年金を受け取るということを前提にしています。つまり、稼ぎ手は夫一人だけで、妻は専業主婦という世帯が想定されているわけです。
このような専業主婦世帯を考えるのは税制においても通例となっていますが、現状においては、専業主婦世帯は「典型的な世帯像」とは言えなくなっています。例えば、図表1を見ても分かるように、現在では、共働き世帯の数は、専業主婦世帯の約2倍にも達しています。
もし共働き世帯で所得代替率を計算するとどうなるでしょうか。具体的な数値は、妻の就業形態や賃金水準によって変わってきますが、一般的には、所得代替率は、専業主婦世帯に比べて低下することになると思われます。
また、配偶者の一方が亡くなった時には、その世帯は単身者世帯になるわけですが、そうした世帯をどう考えるかです。図表2でも分かるように、65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、単独世帯数は夫婦のみの世帯数の9割近くにまで増加しています。
しかも、高齢者単独世帯のうち、女性の単独生体が全体の6割を占めていることは、図表3が示している通りです。
もしこの女性が専業主婦であったとすれば、その世帯は基礎年金と夫の遺族厚生年金で生活することになります。これがそれまでの生活を維持するのに十分か否かは、生活に関わる固定費などに依存することになります。
このように見てくると、専業主婦世帯の所得代替率だけを見ていたのでは、現在のあるいは将来の高齢者世帯のごく一部しか見ていないことになります。これで年金のあり方を考えて良いのかという問題があります。
第2に、経済前提の考え方についてです。
財政検証では、経済前提の設定に当たって、内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」や労働政策研究・研修機構の「労働力需給の推計」の中期的な数値に、厚生労働省が生産関数を用いて行った独自の長期的な推計を接続させています。また、その際に必要となる全要素生産性上昇率については、高めから低めの6つのケース(ケースI~VI)を想定して、それぞれについて試算を示しています。
試算結果が示しているように、経済成長や労働参加がある程度以上の水準で推移すれば(ケースI~III)、年金制度に求められている所得代替率が50%を維持するという条件は満たされます。他方、経済成長や労働参加が低いままだと(ケースVI)、積立金が枯渇し、所得代替率は50%を大幅に下回ることになります。したがって、経済成長や労働参加が進まないケースを「回避する努力が必要」であることは間違いありません。まさにそれこそが日本経済に求められている構造政策(アベノミクスで言えば「第3の矢」)の中身だとさえ言えます。
しかし、「回避する努力が必要」であっても、それが実際に実現できるかどうかは別問題です。そうであるならば、最も悲観的なケースであっても、年金の所得としての十分性と、年金の制度としての持続可能性を満たせるようにすることが必要だと思います。楽観的なケースの実現に向けて構造政策を進めながら、悲観的なケースを念頭において制度改革を進めるという基本姿勢が重要だということです。
第3に、最も楽観的なケース(ケースI)であっても問題はあるということです。
このケースでは、例えば、積立金を維持しながら所得代替率を50%以上に維持できるというわけですが、その積立金の変化を見ると、図表4のようになっています。
これを見ると、確かに積立金は年金給付額の1年分を残していますが、積立金は減少傾向にあり、2115年の数年後には枯渇してもおかしくありません。つまり、このケースでも、決して現在の年金制度が長期的に持続可能であるということを示しているわけではないのです。このことを認識しておくことは重要であると思います。
第4に、最も悲観的なケース(ケースVI)において何が起こるかということです。
このケースでは、完全賦課方式に移行する結果、収入の範囲内に支出を抑えざるを得ないので、年金給付は抑制され、所得代替率が100年後には34~36% にまで低下しています。
財政検証によれば、2115年のモデル世帯の年金給付額は、2019年度価格で19.1万円(基礎年金が10万円、厚生年金が9万円)になるとのことです。これは、2019年に東京都23区に住む65歳~70歳の夫婦二人がもらえる生活保護費の18.3万円(住宅扶助基準額を含む)にほぼ対応しています。生活保護費は「最低生活を保障する水準として設定」されているものなので、このことは、厚生年金が、「最低生活を保障する水準」しか保証できなくなるということを意味しています。この結果は、現在、年金保険料を支払っている人たちの期待を大きく損なうものであると思います。
【年金改革に必要とされる長期的、利他的、理性的視点】
人口が高齢化し、減少傾向にあるとき、日本のような賦課方式の年金方式には大きな負荷がかかります。そうしたなかにあっても年金制度を維持するにはどうすれば良いのかを考える貴重な機会として、年金の財政検証があります。国民は、この中身を良く吟味し、必要な制度改革をすることが重要です。
ただ注意すべきは、ともすると楽観的なケース(ケースI~III)のものに注目しがちだと言うことです。楽観的なケースは、構造政策の遂行とその成果の十分な発言を前提にしています。構造政策は、既得権益に対抗することを意味するので、困難が伴います。そのため、時間がかかったり、不十分なものに終わったりする可能性があります。したがって、そのような楽観的なケースに過度な依存をすることは、多くのリスクを抱えることになります。しかも、以上で示したのは、最も楽観的なケースでさえ、年金の制度としての「持続可能性」と言う観点からすると、大きな問題点を有しているのです。
したがって、堅実な政策スタンスとしては、悲観的なケース(ケースVI)を前提に考えるのが重要であるということになります。しかし、このケースでは、年金制度の問題はより大きくなります。積立金が枯渇し、完全賦課方式に移行するということは、現行制度が破綻した姿を示していますが、それでもなお年金を払い続けるには、マクロ経済スライドを引き続き継続することが必要です。しかし、その結果、年金給付額は削減され、所得代替率は50%を下回ることはもちろん、現在の生活保護給付の基準額に近づくことになります。これは、年金の所得としての「十分性」が損なわれることになります。
年金改革には、長期的視点と、将来世代の利害を自分の利害と捉える利他性と理性が必要とされます。今回の財政検証をどれだけ活かしていけるかは、ひとえに、そうした視点を私たちがどれだけ持てるかにかかっているように思います。
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