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齋藤潤の経済バーズアイ (第102回)

コロナによって不平等度は、拡大するのか、縮小するのか

 

2020/10/01

【コロナと不平等度との関係】

 世界で猛威を振るっている新型コロナ感染症(以下、「コロナ」と呼ぶ。)の影響は、現在のような不平等な社会においては、特に低所得者層において大きな影響を及ぼすものと考えられます。

 低所得者層は、コロナに感染しても、医療サービスへのアクセスが限られていることが多いでしょう。また、コロナの感染拡大を防止するためにとられた人的移動制限措置(代表的な例はロックダウンです。)によって仕事ができなくなることで収入の道が閉ざされ、生活に事欠くような事態に陥ってしまう低所得者層は多いはずです。勉学の道も閉ざされてしまう人々が多いのも、やはり低所得者層だと考えられます。

 しかし、そもそも、コロナによって、このような不平等度はどのような影響を受けるのでしょうか。不平等度は拡大することになるのでしょうか。縮小するようなこともあり得るのでしょうか。今月は、この問題について、長期的な観点から考えてみたいと思います。

【クズネッツの逆U字仮説】

 経済発展と不平等度の関係について、長期的な観点から議論した論者の代表としては、サイモン・クズネッツがいます。クズネッツは、「経済成長と所得格差」(Economic Growth and Income Inequality)(1955)と題した論文において、経済発展に伴い、不平等度はいったん拡大した後、やがて縮小していくという「逆U字カーブ」が観察されると主張しています。

 ここでは、初期の不平等度の拡大をもたらす要因としては、①貯蓄に伴う資産所得の増加と、②経済の工業化・都市化、などが挙げられています。他方、その後の不平等度の低下をもたらす要因として、①高所得層における家族計画の普及、②既存産業の収益率を上回る新規産業の収益率、③個人性の強いサービス所得の維持の困難さ、などが挙げられています。

【ピケティのU字仮説】

 確かに、クズネッツの活躍していた時期を含む1970年代までの期間は、不平等度の低下傾向が観察されていたと言えます。しかし、1980年代に入ると、米国や英国を中心に不平等度の拡大が見られるようになってきます。このことを対象に分析を行い、大きな反響を呼んだのが、トマ・ピケティです。

 ピケティの『21世紀の資本論』(Capital in the Twenty-First Century)は、第2次世界大戦後、経済成長に伴って不平等度には縮小する傾向が見られていたが、1980年代以降になるとその傾向は逆転し、むしろ拡大が見られるようになったことを明らかにしています。

 彼によると、戦後の不平等度の縮小局面は、①戦争のための戦費調達を目的にした課税、②社会主義的思想の拡大、③経済的な収斂傾向、などの要因によってもたらされたのに対して、その後の拡大局面では、①高報酬を受取るスーパーマネージャーの出現、②労働所得の増加率を上回る資本所得の高い増加率(g≺r)、といった要因が影響したと説明しています。

【ミラノビッチのクズネッツ・ウェイブ】

 このように、クズネッツの逆U字仮説に対して、ピケティはより最近の現象を踏まえて、戦後の期間についてU字仮説を提示しました。これによると、不平等度は、今後、世界的に上昇を続けていることになります。

 この二つの、相異なる考え方をどう考えたら良いのでしょうか。

 この問題に一つの回答を与えているのが、ブランコ・ミラノビッチです。ミラノビッチは、彼の『大不平等』(Global Inequality)において、クズネッツの逆U字仮説とピケティのU字仮説を包含した、「クズネッツ・サイクル(循環)」ないしは「クズネッツ・ウェイブ(波)」という考え方を提示しました。

 クズネッツ・ウェイブは、人類の歴史を超長期にわたって概観をすると、不平等度が拡大する局面と縮小する局面が交互に訪れる波動を示すという見方です。ここで、不平等度の縮小をもたらす要因は、大別して良性の要因(Malign forces)と悪性の要因(Benign forces)に分けられています。良性の要因に含まれるのが、①社会主義や労働組合の圧力、②教育の普及、③人口高齢化を背景にした社会的保護の要求、低スキルに恩恵をもたらすような技術進歩、といった要因です。これに対して、悪性の要因に含まれるのが、①戦争、②国内対立、③伝染病、といった要因だとしています。

 他方、不平等度の拡大をもたらす要因としては、①社会主義や労働組合の影響力減退、②高スキルに恩恵をもたらすような技術進歩、③中国の世界市場参入によるグローバル化の進展、などが挙げられています。

 ここで注目されるのは、「伝染病」への言及です。ミラノビッチは、コロナのような伝染病は、不平等度の縮小をもたらす要因になると考えているのです。ということは、コロナによって不平等度は縮小するのでしょうか。縮小するとしたら、それはなぜなのでしょうか。

【パンデミックと不平等度の関係に関する実証分析】

 実は、コロナに関する問題意識を背景にして行われてきた、過去の伝染病の影響に関する実証分析の結果を見ると、その結論は大きく二つに分かれています。

 一つは、伝染病の結果、不平等度は拡大するというものです。

 例えばFuceri et al. “Will Covid-19 affect inequality? Evidence from past pandemics” (2020) は、2000年以降に出現したSARSなど5回のパンデミックの影響を分析し、それが①ジニ係数の上昇、②高所得者層の所得割合の上昇、③教育水準の低い人の就業率の相対的低下、をもたらしたことを明らかにしています。つまり、不平等度は拡大したことを見出しているのです。そして、コロナの場合には、影響はより大きいかもしれないと結論付けています。

 これに対して、もう一つは、伝染病の結果、不平等度は縮小するというものです。

 例えばJorda et.al. “Longer-run economics consequences of pandemics” (2020) は、14世紀の黒死病以降に出現した15回のパンデミックを取り上げ、それが自然利子率を大きく引き下げる効果をもたらしたことを示しています。では、なぜ自然利子率は大きく引き下げられたのでしょうか。この論文では、自然利子率が大きく引下げられたのは、労働力の減少によって実質賃金が上昇し、資本と労働の相対的な収益率が変化したからだとしています。これはミラノビッチが黒死病の時期について指摘している不平等度の縮小という現象と整合的なものになっています。

【これまでの実証分析からコロナを考える】

 実証分析から導かれたこの二つの相反する結論について、どう考えたらよいのでしょうか。

 この違いは、この二つの論文が分析の対象としたパンデミックの違いに由来するのではないかと考えられます。Jorda et al.(2020)が対象にしたのは、少なくとも10万人の死者がでたパンデミックであるのに対して、Fuceri et al.(2020)が取り上げたパンデミックはそれより死者数がはるかに少ないものばかりです(エボラ出血熱で約2.3万人)。そのため、Jorda et al.(2020)は、人命の喪失のために労働供給曲線が大きくシフトし、賃金が上昇したようなパンデミックを対象としたのに対して、Fuceri et al.(2020)は、感染対策のために経済活動が縮小したこと等から労働需要曲線がシフトし、非熟練労働者を中心に賃金はむしろ低下したようなパンデミックを対象にすることになったのではないか、といことです。

 コロナの場合はどうでしょうか。コロナによる死亡者数は、9月29日に100万人を上回りました。その限りでは、Jorda et.al.(2020)が対象にしている10万以上のパンデミックに含んでもおかしくない規模のパンデミックです。そうであれば、コロナの結果、不平等度は縮小すると考えてもよさそうだということになります。

 ここで注意すべき点が三つあります。

 第1は、死亡者の絶対数で判断するとミスリーディングになる可能性があるということです。

 例えば、黒死病の場合、7500万人が死亡したと推計されていますが、それは当時の世界人口の20%程度にあたります。またスペイン風邪の場合、1億人が死亡したと推計されていますが、これは世界人口比で5%程度になります。

 これに対して、今回の100万人は世界人口比で0.01%に過ぎません。もちろん、今後の展開にもよりますが、全世界の人口に与える影響で見る限り、現在のコロナの規模はまだ限定的だと言えます。

 第2は、労働市場がグローバル化していることです。

 かつては、労働市場の地域的な広がりが限定されていたので、ある地域で労働供給が減少してしまうと、賃金が上昇してしまうという大きな影響がありました。しかし、近年は、移民が増加しているばかりでなく、デジタル技術の発展によって、リモートで労働サービスを提供することが可能になっています。したがって、ある地域で労働供給が減少しても、域外からの労働供給で補完できるようになっています。

 第3は、労働代替的な技術革新が発達していることです。

 労働代替的な技術進歩が発達してきているということは、実質賃金が上昇するのであれば、その技術を導入することで、賃金コストの上昇を回避することができることを意味します。それはまた、労働需要を抑制することにもなります。

 以上のように考えてくると、実質賃金の上昇が顕在化しにくいような状況になっていると考えられます。今後の感染拡大の行方にかかってはいますが、コロナによって不平等度が縮小すると考えるのは、少し楽観的に過ぎると思います。