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齋藤潤の経済バーズアイ (第113回)

所得の不平等と生産関数:アトキンスンから学ぶ

 

2021/09/01

【不平等分析の先駆者アトキンスン】

 この夏、アンソニー・アトキンスン(Anthony Atkinson)の Inequality: What can be done?(邦訳『21世紀の不平等』)を読みました。アトキンスンはイギリスの経済学者で、ジョセフ・スティグリッツと共に著したPublic Economics という公共経済学の教科書も書いています。しかし、彼が一貫して追求してきたのは不平等の実証的分析で、この分野では数多くの業績があります。不平等の研究ではトマ・ピケティが有名ですが、ピケティに先行してこの分野を開拓してきたのがアトキンスンで、まさにピケティの「師匠格」(邦訳訳者序文)と言っても良い存在です。そうしたアトキンスンが、ピケティの著作にも刺激を受けて、自らの研究の成果を一般向けに書いたのが本書です。

【アトキンスンの議論の特徴】

 この本の内容は広範なものにわたっていますが、私なりにその特徴と思われる点をまとめてみると、以下のようになります。

 第1の特徴は、不平等度の実態を、データに基づいて詳細に明らかにしていることです。時期別、国別の比較を行うことにより、現在の不平等の特徴を浮き彫りにしています。

 アメリカとイギリスにおける動向を市場所得(税・政府移転前)のジニ係数でみると、大恐慌期から第2次世界大戦後まで低下が見られた後、1950年代から1970年代までは安定していました。しかし、1980年代になると上昇が見られるようになるという「不平等への転回」(inequality turn) が見られ、現在に至るまでそれが続いていることが示されています。同じような傾向は、所得上位1%層の所得シェアにおいても認められます。それに対して、ヨーロッパ諸国では、ジニ係数で見ても、所得上位1%層の所得割合を見ても、1950年代から1980年代にかけて低下が持続する状況が見られました。これはアメリカやイギリスとは違う特徴点です。また、世界的に見ると、所得上位1%層の所得割合が高い国ほど、相対的貧困率(ここでは、メジアンの所得の60%以下の所得で生活する人の割合)も高い傾向にあることが示されています。

 他方、可処分所得(税・政府移転後)のジニ係数を国際比較すると、アメリカとイギリスは、中国やインド、あるいは中南米諸国に次ぐ高水準のグループに属していることが示されています。これに対して、ヨーロッパ大陸諸国は中水準のグループに、また北欧諸国は低水準のグループに属しています。日本は、ドイツやフランスより若干高いものの、中程度のグループに属しています。なぜこうした違いが生じるのか。この点については、最後にまた立ち戻ってきたいと思います。

 第2の特徴は、個人の市場所得から世帯の可処分所得が求められるまでには、様々な要因が加えられたり、減じられたりしていきますが、その過程を丹念に追いながら、不平等度の上昇の原因を突き止めようとしていることです。

 特にアメリカとヨーロッパ大陸諸国における戦後の経験の違いを分析した結果、1980年代以降の不平等度の上昇要因として彼が指摘するのは、①福祉国家の後退による政府移転の削減、②国民所得に占める賃金シェアの低下、③政府の介入や労働組合による団体交渉の後退による収入の散らばりの上昇、④個人の富の再分配の終了、といったことにあるとされています。

 これを見ると分かるように、ピケティが資本所得の上昇に焦点を絞るのに対して、アトキンスンの場合には、政府の所得再分配機能や労働組合の役割の低下など広範な要因も視野に入れています。こうした理解が、次に見るような彼の幅広い政策提言につながっていくことになります。

 第3の特徴は、具体的な政策提言や検討課題を数多くしていることです。政策提言は15項目、検討課題は5項目に及んでいます。

 例えば、政策提言としては、①政策当局は技術進歩の方向性について関心を持ち、労働者の雇用可能性を高めるようなものを奨励すること、②公共政策は、ステークホルダー間の力の均衡を保つことを目指し、競争政策や労働組合の役割を強化するとともに、ステークホルダーなどを構成員とする社会経済委員会(Social and Economic Council)を設立すること、③失業率の水準について目標を設定し、それを保証するために最低賃金による公的な雇用を保証すること、④生計費に基づく法定最低賃金を決定するとともに、社会経済委員会における国民対話に基づいて最低賃金を上回る賃金支払いに関する行動規範を定めること、⑤成人に達した時点で全員に一定額の資本的給付(最低相続額)を支払うこと、⑥個人所得税の累進性を高め、最高税率を65%にすること、⑦子供全員に子供手当てを支給すると同時に、それを所得として課税すること、⑧既存の社会保障給付を補完するものとして、社会参加を前提にした一定額の給付(participation income)を行うこと、などが含まれてます。また、検討課題としては、①個人所得に対して世界的に課税できる体制の構築、②企業に対する最低課税制度の導入、などが挙げられています。これを見ると、前述したように、不平等度の拡大の原因として幅広い要因を視野に入れているために、政策提言も広範囲にわたっていることが分かると思います。

 数多くの政策提言は、イギリスを念頭において考えられているものが多いため、そのままを日本に当てはめられるわけではありません。また、その実現可能性や政策効果についても、少し楽観的過ぎるのではないかという印象を与えるものが含まれています。しかし、企業に対する最低課税制度を導入するという検討課題のように、少し前までは非現実的だと一蹴されていたかもしれないような項目も、最近OECDにおいて法人税の最低税率を15%に設定するという国際的な合意ができたことでも分かるように、短期間のうちに現実のものとなり得ます。こうしたことを考えると、実現可能性があまりないのではないかという見方も、読み手の固定概念に過ぎないのかもしれません。

 グローバル化にしても技術進歩にしても、不可避的に受け入れざるを得ないものとして受け止めるのではなく、そうしたことは政策によって選択されたものであり、そのあり方を変えられることができること、またそれが所得に与える影響についても、税制や社会保障政策によって食い止めることができるという彼の考え方は大いに参考にすべきことのように思います。

 第4の特徴は、不平等度の上昇要因やそれに対する政策提言の内容を理論的に裏付けようとしていることです。そのためには、彼は、オーソドックスな経済理論を批判することも厭いません。

 そうした姿勢は、賃金所得のシェア低下や賃金の散らばりの上昇を生産関数のあり方にまで遡って理解しようとしているところに顕著に見られますが、この点については後述することにして、ここではそれ以外の例として、最低賃金の引上げに対する彼の理論的説明を取り上げます。

 オーソドックスな理解からすると、最低賃金の引き上げを擁護することは極めて困難です。最低賃金が労働市場における均衡賃金以下に設定されていれば、最低賃金はそもそも意味がありません。他方、均衡賃金より高く設定されていれば、最低賃金は失業を生み出すことになるからです。

 しかし、アトキンスンは、2回屈折するような労働供給曲線を導入することによって、低賃金均衡と高賃金均衡の二つの均衡が存在する可能性を論じ、最低賃金は、低賃金均衡から高賃金均衡へのジャンプをもたらすものとして正当化しようとしています。

 実際に2回屈折するような労働供給曲線が存在するか否かは、今後の理論的、実証的研究の進展を待たねばなりません。しかし、このような常識にとらわれない大胆な考え方は魅力的に思えます。

【アトキンスンの生産関数に関する問題提起】

 以上のような特徴を持ったアトキンスンの著書ですが、特に私が興味を持ったのは、前述したように不平等度の上昇を説明するために彼が持ち出す生産関数の考え方についてです。以下では、その点を少し説明してみたいと思います。

 例えば、ロボットによって労働が代替されるから労働分配率が低下するという議論があります。彼は、そうした考え方に対しては注意を喚起します。なぜならそうした議論は、代替の弾力性が1より大きい場合には成り立つが、そうでなければ成り立たないからです。この限りでは、労働分配率が必ず低下することになるとは言えないことになってしまいます。

 しかし、彼はそこでとどまるわけではありません。彼は、ローレンス・サマーズが提案するように(Summers, 2013)、資本がそのものとして生産関数に入ってくるだけでなく、相対価格によっては労働を代替するものとして捉えることができれば、事情は変わってくると言います。具体的には、生産関数がY = F(K₁,AL+BK₂) のような形状をしていれば、ロボットの価格が十分に低下をして労働と置き換わっていくことになれば、代替の弾力性と関係なく労働分配率は低下することになるとしています。

 また、スキル偏向的な技術進歩が不平等度を上昇させるという見方についても、そうした事態は、技術進歩を生産関数が全体的に外側にシフトするようなものとして理解していたのでは説明できないと批判します。

 そうした理解に対して彼が対置するのは、技術進歩は利潤最大化動機に基づくイノベーションによって進められるため、生産関数の特定部分において局所化(localised)された形で実現されるという見方です(Atkinson and Stiglitz, 1969)。これによって、はじめてなぜ特定のスキルに偏向した形で技術が進歩することになるかが理解できるとされています。

 この「局所化された技術進歩」(localised technical progress)という考え方は、当時、同じような問題意識を基に台頭してきた「誘発されたイノベーション」(induced innovation)という考え方とともに、1970年代以降は、影を潜めることになります。ようやく再発見されることになるのは、ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)が、彼の主張する「方向付けられた技術変化」(directed technological change)の先駆者として紹介してからになります(Acemoglu, 2015)。

【日本の現状を理解するために】

 こうした生産関数の新しい理解は、日本の現実を理解するのに多くの示唆を与えてくれるように思います。最後にこの点を指摘して結びにしたいと思います。

 最初の方でも紹介したように、日本はアメリカやイギリスに比べても、不平等度はそれほど上昇しているわけではありません。北欧ほど低くはありませんが、少なくともヨーロッパ大陸諸国と同程度にあたる中程度にとどまっています。日本においてもこれまでグローバル化やイノベーションが進展してきたという事実を考えると、このことは不思議な感じがします。なぜアメリカやイギリスのように不平等度の上昇につながらなかったのでしょうか。これを理解するにあたって有用なのが、前述した、アトキンスンやアセモグルの議論です。

 例えば、アセモグルは、グローバル化によって国際貿易が増加すると先進国では一般的にスキル偏向的な技術進歩が刺激されるとしています。しばしば、グローバル化と技術進歩は、不平等度を拡大させる二つの別個の要因として扱われますが、彼によれば両者は独立ではないということになります(Acemoglu, 2003)。

 さらに、アセモグルは、そうした理解を基にすると、なぜヨーロッパ諸国の不平等度の拡大は限定的かも説明できるとしています。既存の技術やスキル労働者の供給量に違いが存在することによって、同じグローバル化の進展があっても、アメリカではスキル偏向的な技術進歩が促進されるのに対して、ヨーロッパでは労働(非スキル)偏向的な技術進歩が促進される可能性があるからです。

 こうした考え方は、日本の現状を説明するためにも応用できそうですが、日本については、ヨーロッパとは少し違う要因を考慮する必要があるように思います。なぜなら日本におけるグローバル化の進展には大きな偏りがあるからです。2017年9月の本コラム「グローバル化と不平等度の拡大」でも論じたように、日本におけるグローバル化は、「外向きのグローバル化」に比して「内向きのグローバル化」の進展が遅れているという特徴があります。具体的に言うと、日本のグローバル化は、輸出や海外直接投資、移民の送り出しといった「外向きのグローバル化」では大いに進展が見られたが、輸入(農産物)や対内直接投資、移民の受け入れといった「内向きのグローバル化」の面では極めて限定的であったという認識です。もしそうであれば、こうした違いは、日本におけるイノベーションに対して特有のインセンティブを与えた可能性があります。こうしたことも考慮しながら、日本における技術進歩の特徴、そして不平等度に与えた影響を分析することが必要となります。これは今後に残された課題です。

 これからグローバル化やイノベーションの促進を通じて経済成長を持続させようとするとき、不平等度の拡大をいかに回避するかは大きな挑戦となります。そのためには、グローバル化やイノベーションと不平等度の関係を深く理解し、それに対する対応策を準備する必要があります。今回紹介したアトキンスンの著作やそれに関連する議論は、その際に大いに参考になるのではないかと思います。


【参考文献】
Acemoglu, Daron, “Patterns of Skill Premia”, Review of Economic Studies, 2003.
———————, “Localised and Biased Technologies: Atkinson and Stiglitz’s New View, Induced Innovations, and Directed Technological Change”, Economic Journal, 2015.

Atkinson, Anthony B., Inequality: What can be done? Harvard University Press, 2015.
———————– and Joseph B. Stiglitz, “A New View of Technological Change”, Economic Journal, 1969.

Summers, Lawrence H., “Economic Possibilities for Our Children”, NBER Reporter, 2013.