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齋藤潤の経済バーズアイ (第115回)

キャッシュレス化は現金を不要にするか

 

2021/11/08

【コロナが加速させたキャッシュレス決済】

 新型コロナ感染症の感染拡大(以下、コロナ)は、様々な面で私たちの生活に大きな変化をもたらしています。そうした変化の一つが、キャッシュレス決済の拡大ではないでしょうか。

 消費者が財やサービスを購入した時の決済の仕方は、コロナ以前から徐々に変化を見せてきていました。2019年10月からの消費税率引上げ後の消費の減少を相殺するために政府が実施したキャッシュレス決済に対するポイント還元も、そうした変化を促進する役割を果たしました。しかし、コロナは、そうした変化をさらに加速するようになったようです。三密を回避するために、人々は自宅にいることが多くなりましたが、それに伴ってオンラインショッピングやデリバリーサービスを利用し、その支払いをキャッシュレス決済で済ませる頻度が高まっています。また、外出せざるを得ないときでも、現金のやり取りをすることで接触の機会を増やすのではなく、電子マネーやコード決済を利用することが一般化しています。

【電子マネーやコードを利用した決済は増加】

 キャッシュレス決済の増加はデータでも確認できます。第1図で電子マネーについて見ると、それまでの増加傾向が、コロナ下で加速したことが分かります。

 バーコードやQRコードを合わせたコード決済も同様です。第2図が示しているように、2020年における増加は顕著です。

【クレジットカード決済はなぜ増加していないのか】

 しかし、同じキャッシュレス決済でも、クレジットカード決済では状況が違っています。第3図が示しているように、クレジットカード決済は、これまでは増加を示していたのにもかかわらず、2020年の伸び率は1%台に減速しているのです。これはなぜでしょうか。

 その理由の一つとして考えられるのは、電子マネーやコード決済に比べた時、利用の際に手間が掛かったり、人的接触の程度が多かったりすることです。コロナへの感染確率を下げるためにも、クレジットカードの利用より、電子マネーやコードを利用した決済が好まれた可能性があります。

 加えて考えられるのは、これまではクレジットカードを利用することが多かった旅行やイベントへの参加の機会が大きく減少したことです。第4図でも分かるように、インターネットを利用した宿泊料、運賃、パック旅行費を含む旅行関連の支出やチケット購入関連の支出は、2020年に大幅な減少を示しています。

【現金の流通高はなぜ増加しているのか】

 また、キャッシュレス化が進展しているのにもかかわらず、日銀券と貨幣(ここでは鋳貨のこと)を合わせた現金の流通高が増加していることも意外です。第5図を見ると分かるように、現金の流通は、絶対額において増加を示しているだけでなく、家計消費額に対する比率においても上昇を続けています。

 現金の受払超(市中への純供給額)を日本銀行の支店別で見たのが第6図です(ただし、図では支店を地域別に集計)。これを見ると、大都市を含む地域(関東、近畿、東海)では、現金の受払超は比較的小幅になっています。

 こうした大都市では、相対的にキャッシュレス決済が普及度しているために、現金の必要性が低下していると考えられます。実際、第7図で確認できるように、関東、近畿、東海の各地域は、キャッシュレス決済の利用が比較的多い地域となっています。

 しかし、第6図において重要な点は、地域によって差があるにせよ、近畿を除く全地域で現金の受払超がプラスになっていることです。キャッシュレス決済が拡大しているのに、現金の純供給が続いているのです。それはなぜでしょうか。

 これには二つの可能性が考えられます。

 一つの可能性は、電子マネーやコード決済を使用するためにはチャージをする必要がありますが、そのために現金が必要とされているということです。もちろん、キャッシュレス決済の場合、クレジットカードやデビットカードに紐づけすることも可能です。しかし、第2図(特に右の二つの棒グラフ)が示しているように、カードへの紐づけよりはチャージが好まれているようです。

 チャージが好まれる背景には、クレジットカードやデビットカードに関する情報を提供することに対する懸念があるのかもしれません。あるいは、消費者は自分の利用額に対する認識を持っておきたい(カードに紐づけられると、支払をしているという感覚がなくなってしまう)と考えていることの結果かもしれません。

 もう一つの可能性は、先行きが不透明な状況においては、予備的に現金を保有しておきたいという動機が強まるのではないかということです。コロナの要因は大きいと思いますが、それに加えて、日本の場合には、地震、台風、豪雨、停電、ATMのシステムダウンなどのリスクの存在が、現金保有動機を高めている可能性があります。

 また、現金保有を後押ししている要因としては、銀行預金の金利がほぼゼロになっていることも大きいと思われます。現金保有に伴う機会費用が小さくなっているのです。第8図によって現金の銀行預金に対する比率を見ても、2020年も含め上昇を続けています。

【日本では、キャッシュレス決済の拡大が必ずしも現金を不要にするわけではない】

 一般に、キャッシュレス化が進展すると、現金は必要なくなると考えられています。しかし、日本の現状を見ると、キャッシュレス化が進展しても、必ずしも「支払手段」としての現金の役割はなくなるわけではないことが分かります。キャッシュレス決済がどの地域でも進展しているわけではないし、キャッシュレス決済を利用するにしても、現金によるチャージが必要とされているからです。

 加えて、現金の「価値保蔵手段」としての機能も重要だからです。日本のように災害のリスクも高く、人々のリスク回避度も高い(家計の金融資産に占める現金・預金の比率が高いことに表れています)ところでは、価値保蔵手段としての現金の機能が極めて重要になってきます。こうした現金保有動機は、量的・質的金融緩和(QQE)によって機会費用が低く抑えられている現状にあっては、一層顕在化しやすくなっています。

 日本の事例は、キャッシュレス決済が拡大しても、必ずしも現金を不要にするわけではないことを示しています。