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齋藤潤の経済バーズアイ (第122回)

円安が日本経済に与える影響

 

2022/06/01

【最近見られる顕著な円安傾向】

 円の為替相場は、本年3月上旬から5月上旬にかけて大幅な円安傾向を示し、5月末時点でも円安水準を維持しています。1米ドル当たりの円レートで見ると、2月末に115.5円であったものが、4月末には130.6円になっており、この間の円の価値は11.6%も減少(減価)していることになります。

 このような円安は、日本経済に対してどのような影響を及ぼすのでしょうか。

 一方では、円安は日本経済にとってプラスであるとの見方があります。こうした見方は、主として輸出産業の観点から評価が行われているように思われます。しかし、日本経済への影響ということであれば、輸入産業への影響も見落とせないはずです。

 他方、円安は日本経済に対してマイナスの影響をもたらすとの評価もあります。その場合には、物価への影響、それに伴う家計消費への影響が懸念されているようです。しかし、その議論においては、しばしば、現在併行して見られている一次産品価格などの影響との区別が曖昧なままになっているきらいもあります。

 そこで、今月のコラムでは、円安の影響について、多面的な角度から考えてみたいと思います。

【円安の財貿易への影響】

 出発点となるのは、円安の輸出や輸入への影響です。ここで輸出や輸入と言うのは、財の貿易のことです。

 国際経済学の教科書では、しばしば貿易の対象となる財の価格は輸出元の国の通貨建て価格で固定されていると想定し、為替レートの変化がある場合には、その影響は全て輸出先の国の通貨建て価格に反映されると考えます。為替レートの変化が貿易収支に及ぼす影響に関するマーシャル=ラーナーの条件を導出する際にも、そのような想定が置かれています。

 もしそれが事実であるとすれば、日本の場合、円建ての輸出価格が固定されているので、円安があれば、それは外国通貨建て(例えば米国ドル建て)の輸出価格の低下となって表れてくるはずだということになるはずです。つまり、円安があっても、円建ての輸出価格は安定しており、それに比して外国通貨建ての輸出価格は為替の影響で大きく変動するはずだということになります。しかし、第1図が示しているように、輸出物価指数を見ると、むしろ円ベースの輸出物価の方が契約通貨ベースの輸出物価よりも為替レートの影響を大きく受けているように見えます。

 他方、輸入においては、日本に財を輸出している国の通貨建て価格で日本の輸入価格が固定されているのであれば、為替レートの変化は、全て円建て輸入価格に反映することになるはずです。第2図を見ると、確かに、円ベースの輸入物価は、契約通貨ベースの輸入物価よりも、為替レートの動向を反映しているように見えます。

 こうした輸出物価や輸入物価の動向は、貿易取引に際して利用されている通貨の違いが大きく影響しているようです。先の教科書的な想定が事実であれば、日本の場合、輸出に際して利用されるのは円、輸入に際して利用されるのは外国通貨となるはずですが、第3図でも分かるように、輸入の場合には、想定通り円の比率が低く、外貨(特に米ドル)の比率が高くなっていますが、輸出の場合には、想定に反して円の割合が低く、外貨(ここでも特に米ドル)の比率が高くなっていることが分かります。

 このように、輸出と輸入の取引通貨のいずれにおいても、円の比率が低く、外貨の比率が高い場合には、為替レートの変化は、相対的に円ベースの輸出入物価に大きく影響をすることになります。そうした状況が第1図や第2図で見た円ベースの輸出物価や輸入物価の上昇の背景にはあったわけです。

 このような場合には、輸出産業は、外国通貨建て輸出価格の引き下げがもたらす輸出数量の増加によって利益が増加するのではなく、外国通貨建て価格は一定のままで円建て輸出価格が上昇することによって利益が増加することになります。現在の円安によって輸出産業にはプラスの影響は及んでいますが、その背景には、このような円建て価格の上昇があるものと考えられます。

 他方、輸入物価の上昇は、日本にとっては支払の増加であり、日本の実質所得の減少を意味しています。こうした輸入物価の上昇は、小売価格に転嫁されれば、家計の負担増になります。また、小売価格に転嫁できなければ、輸入産業あるいは流通産業にしわ寄せがいくことになります。これはいずれにしても、日本の輸入数量を減少させる要因になります。

 このように考えてくると、円安が貿易を通じて日本経済に及ぼす影響には、二つの経路があることが分かります。一つは、輸出入数量の変化を通じた影響で、もう一つは、輸出物価と輸入物価の相対的な関係である交易条件の変化を通じた影響です。

 まず、輸出入数量の変化について考えてみましょう。先に見たように、外国通貨建て輸出物価に変化はあまりないので、輸出数量にもあまり大きな影響はないものと思われます。他方、円建て輸入物価は基本的には上昇します。したがって、(石油製品価格の変化を抑制するような補助金政策で上昇が抑制されるため、その影響は小さくなることは考えられるにしても)輸入数量は基本的には減少するものと考えられます。両者を合わせ考えると、輸出数量は一定である一方で、輸入数量は減少することになるので、GDPにはプラスの影響があるものと考えられます。

【円安の交易条件への影響】

 それでは、交易条件の変化はどうでしょうか。円建ての輸出物価が上昇することは交易条件の改善効果をもたらします。他方、円建ての輸入物価が上昇することは交易条件の悪化効果をもたらすことになります。問題は、どちらの方が大きいかということですが、それは、①輸出物価の上昇と輸入物価の上昇の相対的な大きさと、②輸出金額と輸入金額の相対的な大きさ、の二つの要因によって決まってきます。

 前者の①については、第3図で見たように取引通貨としての円の比率が輸出よりも輸入の方が小さいこともあり、契約通貨ベースの指数を円ベースの指数で除して求めた契約通貨当たりの円建て価格の上昇率を見ても、輸入物価の方が輸出物価よりも大きくなっています。2022年の2月平均と4月平均を比べてみると、名目実効為替レートでみた円が7.7%の減価を示していた状況の下で、契約通貨当たり円建て価格は輸入物価では7.2%の上昇となったのに対して、同じく輸出物価では5.8%の上昇にとどまっていたのです。

 また、②の輸出金額と輸入金額の相対的な大きさについては、貿易収支の動向を見ると分かります。最近までは、前者が後者を上回っていたため、貿易収支が黒字となっていました。しかし、最近は、第4図でも分かるように、輸入金額が輸出金額を上回るようになり、貿易収支は赤字になっているのです。

 つまり、①と②のいずれの面においても、円安は交易条件を悪化させることになると考えられるわけです。

 以上を総合すると、財の貿易を通じた影響に関する限り、円安はGDPにはプラスの影響をもたらす一方、交易条件の悪化を通じて日本経済にマイナスの影響も及ぼすものと考えられます。

 ただし、注意すべきは、円安は、財の貿易を通じて影響を及ぼすだけではないということです。サービスの貿易にも、また海外からの所得の受取にも影響を及ぼす可能性があるからです。そこで、以下では、このそれぞれについて見ていきたいと思います。

【円安のサービス貿易への影響】

 サービス貿易では、特に旅行収支への影響が注目されます。

 円安になると、日本人(正確には日本の居住者)の海外旅行は抑制されるのに対して、外国人(正確には日本の非居住者)の日本国内への旅行(いわゆるインバウンドの観光需要)は促進されることになると考えられます。2010年代に入ってから、外国人旅行客の増加と旅行収支の黒字化が見られましたが、その背景には、(政府の外国人観光客の誘致政策の効果に加えて)こうした円安の効果があったと考えられます。

 こうした状況の下では、日本人の海外での支出は減少するので、国民経済計算(SNA)上は日本の輸入が減少することになる一方、外国人の日本国内での支出は増加するので、日本の輸出は増加することになります。いずれも、GDPの増加をもたらす要因です。

 このため、本来であれば、現在の円安も、同じように旅行収支の改善とGDPの増加をもたらすはずです。ただ、残念ながら、第5図が示しているように、足元では、コロナの水際対策として外国人旅行客に対する規制があるために、旅行収支はほぼゼロとなってしまっています。このため、円安だからといって旅行収支の黒字が増加するような状況にはありません。その効果が顕在化してくるのは、外国人旅行客がより自由に入国できるようになってからのことと思われます。

【円安の海外からの所得の純受取への影響】

 それでは、海外からの所得の純受取への影響はどうでしょうか。そのことを考えるために、第6図を見て下さい。これは、経常収支に含まれる第一次所得の受取と支払、及びその収支を見たものです。第一次所得とは、日本が海外から受け取ったり海外に対して支払ったりする利子や配当のことですが、第6図を見ると、この差額がこの間、黒字基調で推移していることが分かります。この背景には、日本の対外純資産が世界最大の規模になっており、それが生み出す果実も大きなものになっていることがあります。

 ところで、日本の対外資産の大部分は外貨建てである一方、日本の対外負債の多くは円建てであると考えられます。そのため、円安があると、日本の対外資産から受取る利子・配当は円建てで増加することになります。他方、日本の対外債務に対して支払う利子・配当は、そもそも円建てなので、円安であっても変化しません。第6図では、本年3月に第一次所得の大幅な増加がみられますが、それは、こうした影響を反映しているものと考えられます。

【円安の影響を反映する国民総所得の動向】

 以上、円安の影響について、財貿易、サービス貿易、海外からの所得の受取、交易条件といった側面から考えてきましたが、実は、そうしたことを網羅した指標が存在しています。それが実質国民総所得(GNI)です。

 実質GNIは、「実質GDP」に、「交易利得」(交易条件の変化の影響)と「(実質)海外からの所得の純受取」とを加えたものとして定義されます。

 前述した輸出数量や輸入数量の変化を通じた影響や、サービス貿易(特に旅行収支)の変化を通じた影響は「実質GDP」に反映されます。また、交易条件の変化を通じた影響は、「交易利得」に表れてきます。そして、海外との利子・配当の受取や支払への影響は「(実質)海外からの所得の純受取」に含まれることになります。この結果、もし円安の下で実質GNIが増加すれば、(他の条件が一定であると考えられる限りにおいては)円安は日本経済に差し引きプラスの影響をもたらしていることになりますし、もし実質GNIが減少すれば、(同じく他の条件が一定であると考えられる限りにおいては)円安は日本経済に差し引きマイナスの影響をもたらしていることを表していることになります。

 そこで、GNIに対する「交易利得」と「(実質)海外からの所得の純受取」の寄与度をみたのが第7図です。これを見ると分かる通り、「交易利得」は、2000年代まではプラスの寄与をしてきましたが、2010年代に入るとマイナスで推移することが多くなりました。この背景には、原油価格の変動と共に、アベノミクスの下での円安基調も影響していたものと考えられます。他方、「(実質)海外からの所得の純受取」は、一貫してプラスの寄与を示しており、しかも2010年代以降は、プラスの寄与が大きくなっています。この背景にも、円安による円建てでの所得の受取の増加が影響していたものと考えられます。

 第7図を見ると、直近の2022年第1四半期における「交易利得」のマイナス寄与が大きくなっていることが分かります。これには、最近の一次産品価格の上昇の影響もありますが、ここで問題にしている円安の影響も含まれていると考えられます。

【円安のプラスの効果を家計に及ぼすためには】

 これまで見てきたように、円安は、日本経済に対して、プラスの影響とマイナスの影響の双方をもたらします。差し引きどちらの方が大きいのかは、一次産品価格の高騰などの要因を調整しなければならず、より詳細な分析が必要になってきます。しかし、最後に指摘しておきたいのは、仮に円安がもたらすプラスの影響の方が大きいとしても、現状においては、家計がその恩恵に浴することには必ずしもならないということです。

 円安のプラスの効果は、多くの場合、まず企業収益の増加として現れてきます。それが、家計の所得の増加をもたらすためには、二つの経路が考えられます。一つは、賃金が増加することです。しかし、賃金がなかなか増加しないことは、この間、日本経済の大きな課題として指摘されてきたところです。もしそれがすぐには可能でないとすれば、もう一つ考えられる経路は、企業の株価の上昇や配当の増加を通じた資本所得の増加です。この経路は、家計が株式や投資信託をかなりの比重で所有している場合には、重要なものとなります。アメリカの家計がそのよい例です。しかし、日本の家計の場合は、その金融資産の多くを現金・預金で所有しており、株式や投資信託で保有している割合は極めて小さいものにとどまっています。したがって、日本の家計にはこの経路も閉ざされているのです。

 円安のプラス効果を、家計の所得増に導き、家計支出の増加をもたらすことによって成長と分配の好循環を生み出すことを期待したいのであれば、こうした所得分配のあり方、資産配分のあり方にも検討のメスを入れ、政策課題として取り組む必要があります。それがなされない限り、家計は、円安のプラス効果を実感できないまま取り残されてしまうことになってしまうように思います。