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齋藤潤の経済バーズアイ (第125回)

日本で「格差と闘う」ためには

 

2022/09/01

【Combatting Inequalitiesを日本に応用する】

 格差の問題はますます深刻になってきています。経済的な原因にとどまらず、コロナや気候変動の影響も受けて格差は拡大しているとともに、格差の拡大の影響が社会や政治のあり方を大きく変えつつあります。格差の問題は、このような多面的な側面を有することから、これを解決するためには、分野を超えた知恵を総結集する必要があります。

 こうした中、そのような必要性に応えようとするカンファレンスが2019年10月に開催され、その成果がCombating Inequalities (Blanchard and Rodrik 2021) として出版されました。この本を構成するイントロダクションと29の章は、経済学者だけでなく、政治学者や哲学者の寄稿によるものであり、それらが網羅するテーマも、「格差の現状」、「格差を問題にしなければならない理由」、「格差と闘うことを困難にする政治的な障害」、「格差を拡大させる要因」、そして「格差と闘うための政策」と、広範な領域にわたっています。

 そこで交わされている議論はいずれも問題の根幹にかかわる重要なもので、格差と闘うための方法を考えるにあたっては必要不可欠なものばかりです。格差と闘うことを考える政策当局者には、本書の政策提言を咀嚼・吸収し、この問題を解決するための最適で効果的な取組みを立案し、実行に移すことが求められています。

 本コラムでは、改めて本書の内容を要約することはしません。それについては、編者であるOlivier BlanchardとDani RodrikによるIntroductionが全体を見通し良く整理しているので、お読みいただければと思います。ここでは、本書の議論を日本に応用しようとするときに考慮する必要があると思われる事柄に焦点を当てて考えてみたいと思います。

【グローバル化や技術進歩は全ての先進国で同じように進んだか】

 第1に、1980年代以降に格差が拡大した理由についてです。

 本書の前半では、1980年代以降において格差が拡大した要因について考察しています。まず取り上げられているのは、グローバル化と技術進歩の進展です。一般的な認識としては、この二つが大きな要因であったとされ、それに関する実証分析も数多く行われてきました。しかし、本書では、これだけでは先進国(特に米英とその他の先進国)の間での格差拡大の違いについては説明できないとしています。なぜなら、グローバル化も技術進歩も、全ての先進国において同様に進展したと認識されているからです(DustmannによるChapter 12; FreundによるChapter 13)。それゆえに、格差拡大の要因としては、それ以外の、特に労働市場における制度的な仕組みの違い(これについては後述)が重要だということになっています。

 しかし、日本について考えてみる場合には、他の先進国と同じように進展したという認識を改める必要があるように思います。

 日本では、戦後、貿易に対する障壁を撤廃することが大きな政策課題となってきました。そして長年の貿易自由化によって工業製品を中心に大きな進展があったことは事実です。しかし、農産物に対する保護、農産物貿易に関する障壁は他の先進国に比べてもなお残っているのが現状です。また、対内直接投資のGDP比が、OECD加盟国の中でも最低であることも周知のとおりです。これが外国企業に対する規制によるものかどうかは別にしても、国内企業が外国企業の競争的圧力から遮断されていることは事実のように思われます。

 同じように、技術進歩の進展も、日本においては他の先進国ほどには進展していないように見受けられます。世界的に注目されるような学術論文の世界におけるシェアが低下していることや、国際的に価値のある特許件数のシェアが低下していることは、新しい技術を開発する能力が相対的に低下していることを示しています。また、非貿易財産業における生産性の低さは、開発された技術の産業的応用においても遅れをとっているように思われます。

 このように考えてくると、日本における格差拡大が米英に比較して相対的に限定的である要因としては、外国企業からの競争的な圧力や、技術進歩の創造的な破壊力が弱かったことも無視できないように思います。こうした観点からの議論は過去の私のコラムでもしてきましたので、興味のある方は以下を参照して頂ければと思います。「日本における不平等度の拡大:その特徴と背景」(2017.12)及び「平等と成長を巡るトリレンマ」(2018.3)

【労働市場は不完全競争状態にあるか】

 第二に、労働市場における制度的な仕組みについてです。

 本書においては、格差に影響を与える要因として、労働市場における制度的な仕組み、特に最低賃金の機能が低下したことや労働組合の交渉力が弱体化したことに注目しています (Freeman によるChapter 21; Ellwoodによる Chapter 23)。もちろん、労働市場が競争的であれば、最低賃金や労働組合の存在は賃金を引上げることができたとしても雇用を減少させる可能性があります。しかし、もし企業が需要独占の立場にあったり、雇用に関する情報が不完全であったりすれば、賃金が低く、雇用も過小になっているはずなので、最低賃金や労働組合は賃金の引上げと雇用の拡大を同時に達成することを可能にします。

 労働市場が需要独占や不完全情報の状態にあるか否かは、それぞれの国の雇用システムの実情を踏まえて判断する必要があります。日本の場合には、終身雇用制、年功賃金制、企業内訓練からなる、いわゆる「高度成長期型」雇用システム(私は日本に普遍的な雇用システムではなかったことから、「日本型」と言われている雇用システムをこのように呼んでいます)の実状を踏まえるということになります。

 「高度成長期型」雇用システムの下では、新卒採用の際には、人材獲得のために激しい競争が繰り広げられます。しかし、その際の競争は、採用時点での賃金だけではなく、定年までの長期間にわたる賃金やその他の労働条件を巡る競争になります。しかし、そのような状況の下では、新卒にとっての雇用条件に関する情報は十分ではない可能性が高いように思われます。また、いったん就職をすると、終身雇用制が基本で企業間の流動性が著しく低い中では、労働者は企業の提示する条件を呑まざるを得ず、労働の需要独占に直面していると考えられます。このように考えてくると、確かに日本の労働市場は競争的ではないように思われますが、具体的な判断にあたっては、以上のような日本の特殊性を十分踏まえる必要があるように思われます。

 加えて、日本の労働組合は、他の先進国と異なる特徴があることも忘れてはなりません。日本の労働組合は企業別で組織されており、他の先進国で見られるように職種別や産業別の組合ではありません。したがって、例えば、「春闘」のような共通の目標を掲げた集団的賃金引上げ交渉が行われますが、中央で決定されるようなものではなく、あくまでも企業単位で決まります。したがって、それによる格差への影響も、他の先進国とは同じではないことに注意する必要があります。

【雇用システムにはどれほどの柔軟性があるか】

 第3に、外的なショックに対する労働市場の柔軟性についてです。

 1990年代以降における中国の世界市場への参入によってドイツは大きな影響を受けましたが、マイナスの影響を被った米国とは異なり、ドイツの場合にはむしろプラスの影響を享受したと評価されています。それを可能にしたのが、再訓練を通して労働者のスキルを向上させることができたドイツの徒弟制度にあったとされています(Dustmannによる Chapter 12)。それは、学校教育で学ぶ抽象的学問的スキル(school-based abstract and academic skills)と職場で培われる職業的一般的知識(workplace-based occupation-specific general knowledge)を融合させることで、労働者を新たな雇用機会に移動することを可能にし、雇用を維持することに貢献したと考えられています。

 日本の場合には、別の企業への転職を可能にするような労働者への訓練を企業が施すとは考えにくい面があります。なぜなら、企業はこれまで、雇用者を増やす必要がある場合には極力非正規労働者の増加で対応し、困難に直面した時の調整を容易にすることを選んできたからです。そうした非正規労働者に対する訓練は、流動性が高く、企業が訓練のコストを回収することが困難であることから、最低限のものに限定されているのが現状です。また、正規労働者に訓練を施す場合にも、同様の理由で、企業特殊的な技能に関する訓練は行うにしても、他の企業でも汎用的な一般的な技能に関する訓練は行われにくい状況にあります。

 ドイツの事例を参考に政策を考える際にも、こうした日本の特殊性を考慮することが必要であると思います。

【技術進歩の方向性に影響を及ぼすことができるか】

 最後に、日本に優位性があるかもしれない分野について触れておきたいと思います。それは、技術進歩の方向性に影響を及ぼすという面です。

 Acemoglu(Chapter 17)によると、技術進歩はこれまで人間が行ってきた労働を置き換えてしまう効果(displacement effect)があることは確かだが、新しい技術への投資によって雇用が増加する可能性があること(productivity effect)に加え、新しい技術によって創出される新しい雇用(reinstatement effect)もあると考えられます。

 ここで重要なのは、この新しい雇用の創出がどの程度のものになるかは、技術進歩の方向性によるということです。もし政府が技術進歩による雇用への影響を最小限のものにとどめたいと考えるのであれば、そうなるように技術進歩の方向性に影響を及ぼすべきだとしています。

 これはAtkinson (2015) が格差問題に対する処方箋として提案していたものと軌を一にしています。Atkinson(2015)に対する私のコメントについては、次のものを参照して下さい。「所得の不平等と生産関数:アトキンスンから学ぶ」(2021.9)

 技術進歩の方向性に影響を及ぼすことは困難なことのように思われるかもしれません。しかし、日本自身の経験が、それが不可能なことではないことを示しているように思います。かつてFreeman(1987)は、ナショナル・イノベーション・システムの成功例として日本を取り上げ、日本がいかに将来のあるべき姿を予測し、それに向けて技術進歩を方向づけたかを明らかにし、高く評価しました。

 これが事実であるとすれば、日本自身の経験から、技術進歩の方向性に影響を及ぼす術を学ぶことができるはずです。格差との闘いの糸口の一つは、ここにあるのかもしれません。

【参考文献
Atkinson, Anthony B. 2015. Inequality: What Can Be Done? Harvard University Press. 山形浩生・森本正史訳『21世紀の不平等』、東洋経済新報社、2015年。
Blanchard, Olivier, and Dani Rodrik. 2021. Combating Inequality: Rethinking Government’s Role. The MIT Press. 月谷真紀訳、『格差と闘え:政府の役割を再検討する』、慶應義塾大学出版会、2022年。
Freeman, Christopher. 1987. Technology Policy and Economic Performance: Lessons from Japan. Pinter Pub Ltd. 新田光重・大野喜久之輔訳『技術政策と経済パフォーマンス:日本の教訓』、晃洋書房、1989年。