日本でも「事前的」所得再分配はあり得るか?
2023/07/04
【不平等度の低い北欧諸国】
北欧諸国(デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン)は、不平等度が小さいことで有名です。経済協力開発機構(OECD)諸国の不平等度を可処分所得のジニ係数で見ても、第1図のように、北欧諸国はいずれも低位に位置しています。
【所得再分配がなくても低い北欧諸国の不平等度】
なぜ、北欧諸国はこのように不平等度の小さい社会を実現できたのでしょうか。多くの人が思い浮かべるのは、財政や社会保障制度を背景にした政府による所得の再分配の効果ではないかと思います。しかし、実は、北欧諸国の不平等度は、所得の再分配がなくても小さいのです(ただし、フィンランドを除く)*1。 その点は、ジニ係数を所得再分配前の市場所得を基に算出した第2図でも見て取れます。
つまり、北欧諸国の不平等度が低いのには所得の再分配以外の要因も大きく影響しているのです。
【背景にあるレーン=メイドナー・モデル】
それでは、所得の再分配以外のどのような要因が効いているのでしょうか。そこで考えられるのが、労働組合の高い組織率と労使間の中央集権的な集団的交渉を背景にした賃金政策の考え方です。
北欧諸国における賃金政策で有名なのは、スウェーデンにおいて、レーン=メイドナー・モデルの一環として打ち出されたものです。このモデルは、ストックホルム大学でミュルダール(Karl Gunnar Myrdal)らの経済学者に学び、スウェーデン労働総同盟(LO)のエコノミストとして活躍していたレーン(Lars Gøsta Rehn)とメイドナー(Rudolf Meidner)が1951年のLO大会で発表した論文に端を発していると言われています(藤田2022)*2。
Meidner (1993)によるとレーン=メイドナー・モデル(彼はスウェーデン・モデルと呼んでいるが)の柱となっているのは、①緊縮的総需要管理(restrictive general demand management)、②選択的労働市場政策(selective labor market policy)、③全国民対象の福祉政策(universal welfare)、④連帯的賃金政策(wage policy of solidarity)、の四つです。このうち①と②は、予想外の好景気に見舞われていたスウェーデンで完全雇用と物価安定を両立させるために必要だと考えられたものです。それに対して、③と④は公平性と効率性を両立させるために必要だと考えられていました。
【連帯的賃金政策の考え方】
このうちの「連帯的賃金政策」が前提にしているのは、平均的な賃金水準はマクロ経済の安定的な成長と矛盾しないように設定しながら*3 、個々の賃金水準については職務の内容とそれに必要とされる技能に応じて決められるべきだ(その意味で「同一労働同一賃金」であるべきだ)*4 という考え方です。それに対して、実際の賃金はその企業の収益状況を反映して決まり、収益性の高い企業は高い賃金を払うが、低い企業は低い賃金を払いがちです。その結果、連帯的賃金政策によって、賃金格差は、収益性の差が反映されなくなる分だけ縮小することになります。
以上のことを図にあらわしたのが第3図です。これを見ると、レーン=メイドナー・モデルにおける連帯的賃金政策の目指すところと、その帰結が見えてきます。
図の右半分にあるような収益性の高い企業は、収益性を反映させればもっと高い賃金を払えますが、連帯的賃金政策の下で決定される賃金水準(同一労働同一賃金を前提にした賃金水準)しか支払わなくても済むので、利潤が過大となります。それに対して、図の左半分にあるような収益性の低い企業は、収益性を反映させればもっと低い賃金しか支払えないのに、連帯的賃金政策の下で決定される賃金水準(同一労働同一賃金を前提にした賃金水準)を支払わざるを得ないので、利潤が過小となります。
このうち、過小利潤に陥る収益性の低い企業は、それをインセンティブにして収益性を改善するような企業努力を行うことが期待されます。しかし、その結果、市場から退出することを余儀なくされる企業が出てくる可能性もあります。これは、レーン=メイドナー・モデルでは許容されます。それによって経済全体としては収益性が改善することが期待できるからです。ただし、それによって失業が出るとすれば問題です。失業が出ないようにするために、適切な総需要管理の下で、選択的な労働市場政策(現在で言えば、職業紹介や職業訓練に力点を置く「積極的労働市場政策」)に努力を集中することが大事になります。
他方、過大利潤に恵まれる収益性の高い企業については、それによって設備投資が促進され、事業が拡張されるとすれば、雇用拡大も図れることになります。しかし、そうならない可能性もあります。労働組合との合意を上回る賃金を払うこと(wage drift)で優秀な人材を確保しようとするかもしれませんし、配当を増やして株主に配当しようとするかもしれません。そこで考えられたのが、賃金稼得者基金(wage-earner funds)です。これはメイドナーが1975年に提案したもので、企業に利益の20%を株式の形で基金に寄付させ、基金はこれを背景に企業の取締役会に代表を送り込み、企業への影響力を強めようというものでした。これは大きな論争を巻き起こし、かなり変容した形で1983年に導入されることになりましたが、それも1991年には廃止となりました(Pontusson and Kuruvilla 1992)。
【連帯的賃金政策のレガシー】
以上のような内容をもったレーン=メイドナー・モデルは、1950年代から1970年代初めにかけてその黄金期を迎えます。しかし、1970年代初めの石油危機を契機に総需要管理政策が拡張的なものに移行し、1980年代に入ると積極的労働政策の縮小が見られたのに加え、1980年代半ば以降、それまで見られてきた賃金格差の縮小傾向が逆転してきました。1980年代以降、スウェーデンはレーン=メイドナー・モデルから大きく離れていったと考えられています(Erixon 2010)。
しかし、賃金格差で見る限り、レーン=メイドナー・モデルの影響はスウェーデンに色濃く残っています。また、しばしばレーン=メイドナー・モデルが北欧モデルの構成要素だとされているように(Andersen et al. 2007)、他の北欧諸国にも影響を与えたように思います。実際、第4図でも示されているように、スウェーデンをはじめとする北欧諸国の賃金格差は、OECD諸国の中でも極めて小さいものに止まっています。これが第2図で確認した北欧諸国の市場所得ベースのジニ係数の低さの背景にあったと考えられます。
【「事後的所得再分配」とは異なる「事前的所得再分配」】
以上で見てきたレーン=メイドナー・モデルにおける連帯的賃金政策は、私には、財政や社会保障を通じた「事後的」な所得再分配(あるいは「外部的」な所得再分配)とは異なる「事前的」な所得再分配(あるいは「内部的」な所得再分配)であるように見えます。賃金の実際の支給に先立って高賃金労働者から低賃金労働者への暗黙の移転を行い、本来受け取ったであろう賃金とは異なる賃金を受け取っているのです。このような事前的な所得再分配によって、事後的な所得再分配の必要を減じる結果となっています。事後的な所得再分配には、労働インセンティブを減じるなど効率性の観点から難点がありますが、それを部分的に回避することになっているのが連帯賃金政策なのです。
日本でも不平等度の拡大が問題になっています。今後の政策選択によっては、不平等度の拡大はますます大きな問題になってくるものと思われます。もちろん、労働組合の組織率や労使間の集団的交渉のあり方など、日本と北欧諸国の間には大きな違いがあります。その点は否定できません。しかし、今後の不平等度の拡大に対する対応策について、有効な手段がまだ見えてきていない中にあっては、このような考え方も参考にしながら考えて行く必要があるように思います。
(脚注)
*1 市場所得で見ると、フィンランドは他の北欧諸国と異なり、不平等度が極めて大きいものとなっています。なぜフィンランドが例外なのかについては、いずれ本コラムでも触れたいと思います。
*2 ミュルダールはストックホルム大学の教授で1974年にノーベル経済学賞を受賞していますが、1945-1947年の間、スウェーデン社会民主党政権下で商務大臣を務めています。なお、同時期に活躍していた有名な経済学者としては、ストックホルム商科大学教授であり、ヘクシャー=オリーン・モデルで有名なオリーンがいます。オリーンも1977年にノーベル経済学賞を受賞していますが、彼も1944-1945年の間に商務大臣を務めた他、1944-1967年の間、スウェーデン自由党の党首を務めています。経済学者が積極的に政策に関わることがスウェーデンの伝統のように見えます。
*3 ここでは、使用者側と労働組合側がマクロ経済の現状とそこにおける適切な賃金水準のあり方について認識を共有していることが重要な前提条件となります。
*4 そのためには職務の内容(ジョッブ・ディスクリプション)が明文化されていることと、職務の評価(ジョブ・エヴァリュエイション)が定まっていることが必要です。
【参考文献】
Andersen Torben M., Bengt Holmström, Seppo Honkapohja, Sixten Korkman, Hans Tson Söderström, and Juhana VartiainenTorben. The Nordic Model: Embracing globalization and sharing risks. The Research Institute of the Finnisha Economy, 2007.
Erixon, Lennart. “The Rehn-Meidner MOdel in Sweden: Its Rise, Challenges and Survivial.” Journal of Economic Issues, 2010: 677-715.
Meidner, Rudolf. “Why did the Swedish Model fail?” The Socialist Register, 1993: 211-228.
Pontusson, Jonas, and Sarosh Kuruvilla. “Swedish Wage-Earner Funds: An Experiment in Economic Democracy.” Industrial and Labor Relations Review, 1992: 779-791.
藤田菜々子『社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ』(名古屋大学出版会、2022年)
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