CPIに見られる基調変化の兆しと春闘賃上げ
2023/08/04
【高い上昇率を示してきた消費者物価指数(CPI)】
消費者物価指数(CPI)が上昇を続けています。CPIの総合の前年同月比を見ると、2021年9月に0.2%のプラスに転じた後、次第に上昇率を高めていき、2023年1月には4.3%を記録するに至りました。その後は少し鈍化しましたが、6月でも3.3%と高止まりしています。生鮮食品を除く総合でも同じようなトレンドを示しており、2021年9月に0.1%とプラスに転じた後、2023年1月には4.2%にまで上昇し、6月時点でも3.3%となっています(第1図)。
【これまでCPI総合が上昇してきた背景にあった輸入物価の上昇】
このようなCPIの上昇基調の背景には、輸入物価の急速な上昇があります。主要国においてコロナによる落込みからの回復が見られた上に、ロシアのウクライナ侵攻の影響が加わり、農産物やエネルギー関係の国際商品市況が高騰しました。さらに、日本の場合には、金融政策の方向性のズレを背景にした円安の影響も拍車をかけました。この結果、輸入物価指数(円ベース)の動向を前年同月比で見ると、上昇のピークであった2022年7月には49.2%もの上昇を示すに至っています。その時点における内訳を見ると、「飲食料品・食料用農水産物」が30.6%、「木材・木製品・林産物」が49.6%、「石油・石炭・天然ガス」が131.5%と高い上昇率を示しています(ちなみに、これでも、これらの類別の上昇率は、それぞれのピーク時における上昇率よりは低いものとなっています)(第2図)。輸入依存度が高い品目がこれだけの上昇を示していたので、これらがCPIに転嫁されることは、回避し難いところがあったと言えます。
【国内経済の基調を反映するコアCPI】
今後のCPIの動向や金融政策のあり方を考えるうえで重要なのは、輸入物価の影響を除いてCPIの基調を取り出したとき、どれだけの上昇が見られているかです。
そういう意味では、輸入物価の影響を完全に取り除いたCPIを作成することは不可能なのですが、それに近いものとしては、CPIのうちの「食料品(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」という指標があります。これは米国で言うコアCPIに相当するので、ここでもこれをコアCPIと呼ぶことにしましょう(なお、米国連銀が注目している物価指標はコアPCE(個人消費支出)物価指数で、概念が少し異なります)。
このコアCPIの前年同月比を見ると、長いことマイナスでしたが、2022年4月に0.1%とわずかにプラスに転じた後、上昇率を次第に高めていきました。それでも、2022年12月時点においては1.6%の上昇に止まっていました(第1図)。
しかし、最近の動向を見ると、CPI総合などが上昇率の鈍化を示しているのに対して、コアCPIは上昇率をさらに高めつつあります。2023年2月に2.1%と2%を超えてからも上昇を続け、5月、6月と2.6%を記録するに至っています。これは輸入物価の影響とは別に、国内要因で物価が高まるような状況になってきていることを表しており、CPIの基調に変化の兆しが見られることを意味しています。このまま2%超を持続するとなると、日本銀行が目標としてきた2%の物価安定目標を持続的・安定的に実現できるような状況も視野に入ってくるように思います。
【背景にあるのは国内のマクロ的需給はタイト化】
コアCPIがこのような動向を示すようになっている背景には、国内の需給が次第にタイト化してきていることがあります。例えば、マクロ的な需給関係を示すGDPギャップを見ると、2020年の第2四半期には、マイナス9.0%もありました。これはコロナの影響で大きな需要不足となったことを示しており、物価に対しても強い下押し圧力が作用していたものと考えられます。
その後の日本経済も必ずしも順調な回復を示したとは言えず、主要国の回復に比べると、大きく遅れをとりました。コロナで落ち込む直前の2020年第1四半期の実質GDP水準を取り戻すのにどれだけかかったかを見ても、米国が4四半期、ユーロ圏は5四半期で回復したのに対して、日本ではようやく7四半期後に取り戻しています。その後の回復ペースも緩やかなものに止まっていました。
しかし、それでも、GFPギャップは着実に縮小してきています。内閣府の試算によれば、2023年第1四半期にはマイナス0.7%となっています。今後の実質GDPが、例えば民間エコノミストの予測を集計したESPフォーキャストで示されているような軌道を描くとすると、2023年の第2、第3四半期にも縮小を続けるものと見込まれます(第3図)。
こうしたマクロ的な需給のタイト化は、労働需給の面でも確認できます。コロナの感染拡大に伴い、労働需給は緩み、失業率は上昇し、有効求人倍率は低下をしました。しかし、完全失業率は2020年10月の3.1%をピークに低下を開始し、有効求人倍率も、2020年8月、9月の1.03倍を底に上昇を始めました(第4図)。今年に入ってからは逆行する動きも見られ、決して一本調子ではありませんが、労働需給の面においても基本的にはタイト化の方向に向かっていると考えられます。
【今年度の春闘の評価】
こうした物価動向や労働需給動向を背景に、今年の春闘では、近年見られなかったような高い賃上げが実現されました。日本労働組合総連合会(連合)が発表した最終集計結果によると、賃上げ率(定昇込み)は3.58%となり、比較可能な2013年以降では最も高い賃上げ率となっています(第5図)。
この春闘賃上げ率の数字は、しばしばCPI総合の特定月の上昇率(例えば、2023年1月の4.3%)と比較され、実質賃上げ率はマイナスであると言われることがあります。しかし、春闘の賃上げ率は基本給の引上げに相当し、次回の春闘までその効果は持続するはずなので、春闘賃上げ率と比較されるべきは賃上げ期間と同期間におけるCPI上昇率のはずです。例えば、賃上げの適用期間が2023年度とすれば、春闘賃上げ率の3.58%と比較されるべきは、2023年度におけるCPI上昇率ということになります。例えば、ESPフォーキャスト調査 (2023年7月)に示されている民間エコノミストの予測の平均で言えば2.6%です。これを用いた場合だと、実質賃金はプラスということになります。
ただし、これは定昇を含めた賃金の引上げが期待できる労働者個人について言えることではありますが、マクロ的な影響を考えた時には、考え方を修正することが必要です。マクロ的な影響を考えるのであれば、賃金表上でのスライドを意味する定昇分は除いて、賃金表の上方シフトを表すベースアップ分だけを見るべきだということになります。今回で言えば、2.12%です。このベースアップ分が、連合の発表で賃上げがあったとされた企業だけではなく、日本の全雇用者の2023年度における一人当たり基本給の引上げ率にも適用できると仮定すると、この2.1%がマクロ的な意味での一人当たり名目賃金増加率になります。これだと、上記のCPI上昇率2.6%と比較すると、一人当たり実質賃金増加率はマイナスという結果になります。
さらに、この一人当たり賃金増加率に雇用者数の伸びを加えたものが、2023年度の名目雇用者報酬の伸びに相当することになります。例えば、2023年度の雇用者数の伸びが最新時点(2023年6月)での伸びである1.0%だとすると、名目雇用者報酬の伸びは3.1%程度となります。これは2018年度の3.2%以来の高い伸びではありますが、ESPフォーキャスト調査で予想されている2023年度の名目GDP成長率の3.8%と比べると低いのものに止まっています。これは、2023年度の労働分配率は低下する可能性が高いことを意味します。
このように考えてくると、今回の春闘賃上げ率は、個々の労働者にとっては良かったものの、マクロ的に見ると、もう少し期待したかったように思える結果であったと言えます。
【持続的な賃上げへのコミットメントが必要】
現在見られるCPIの基調変化の兆しが、兆しだけで終わるのか、それとも実際の基調の変化に至り、金融政策のあり方にも影響を及ぼすのかは、今後のマクロ的な需給状況の行方にかかっています。そして、OECDやIMFの予測でも示されているように、欧米での利上げの結果、世界景気が鈍化することが予想され、外需に依存することができなくなっているなかにあっては、内需の動向が重要になってくると言えます。
その場合、やはり鍵を握っているのはGDPの過半を担う家計消費の将来動向です。そして、その家計消費が伸びるためには、来年度以降における物価上昇を上回る賃金の継続的な引上げが期待できることが重要です。そうでないと、本年度の賃金上昇といえども、物価上昇ですぐに目減りしてしまう一時的な所得増ということになり、家計消費の伸びには結びつかなくなる可能性が高いからです。
その意味では、なるべく早い段階で、労使が来年度以降の賃上げに対するコミットメントを示すことが重要ではないかと思います。
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