春闘の歴史とその経済的評価
2023/10/06
【注目される春闘による賃上げ】
賃金の今後の動向が注目されています。いまだに賃金が十分な増加を見せていないために、持続的な経済成長と物価の安定が見込めないからです。もし賃金が十分な上昇を(一回限りでなく)継続的に実現できるようになり、それが家計消費の継続的な増加をもたらすようになれば、「成長と分配の好循環」が実現したと評価できるようになります。そうなれば、政府は「デフレからの脱却」を宣言することができるような状況になります。また日本銀行も、2%の物価安定目標を持続的・安定的に実現したと判断することができ、量的・質的金融緩和(QQE)も転機を迎えることになると考えられます。
そもそも賃金は、どのように決まっているのでしょうか。日本では、賃金の主要部分をなす基本給については、基本的に毎年の春闘の結果で決まっていると言えます。そうだとすれば、今後、賃金が十分な賃上げを続けられるかどうかは、春闘次第ということになります。
では春闘とは何なのか。春闘の下でこれまでどのように賃上げを実現し、それは経済的にどのように評価できるのか。今回 のコラムでは、春闘の歴史を振り返り、その経済的評価を行ってみたいと思います*1。
【高度成長期における春闘】
春闘(連合は春季生活闘争の略称として使用)の歴史は、高度成長期の入り口にあたる1955年にまで遡ります。それまでの日本の労働組合は、そもそも企業別に組織されていたこともあって、経営側に対して十分な交渉力を持っていませんでした。そこで、弱い交渉力を補うために、労働組合が産業別にまとまったうえで、毎年春という同じ時期に、同時に賃上げ要求をしよう、ということから始まったのが春闘なのです。
当初は、公益事業関係(国鉄、私鉄)の労働組合が最初に賃上げを引き出して春闘相場を形成し、それを民間企業に波及させるという「パターン・セッター」の役割を担っていました。しかし、高度成長の中で、次第にその役割は民間企業に移り、なかでも業績好調な金属関係を中心にした民間大手企業の労働組合が全体を引っ張っていくという形に変わっていきました。
こうした労働組合側の攻勢に対して、この時期の経営側は要求に応えやすい状況にありました。一つには高度成長期にあったことから、企業収益が大幅に伸び、賃上げに応じやすかったことがあります。もう一つは、当時は国内同業他社が主要な競争相手であったために、春闘で同一産業内の全ての企業が賃金を上げる分には、相対的な競争力に大きな影響を及ぼすことがなかったと考えられたからです。
この結果、第1図でも分かるように、この時期の春闘の賃上げ率は10%を超えていました*2。また、賃上げ率の散らばり具合をみた分散係数も、この時期に急速に低下をしています。このことは、同じような賃上げが、広範な企業において見られていたことを示しています。こうした家計の大幅な所得増は、当時、設備投資と並んで高度成長を主導した家計消費の伸びを支えることにもなりました。この時期は、まさに「成長と分配の好循環」が成立していた時期と言っても良いのではないでしょうか。
この時期の賃上げの評価を行うため、賃金の原資である付加価値生産額がどのように分配されたかを試算した第2図を見てみましょう。ここでは、付加価値生産額を、「国民純生産」から「生産・輸入品に課される税マイナス補助金」を控除した「国民所得(要素費用表示)」で捉えています。そして、これをGDPデフレーターで実質化したものを実質国民所得とし、これが実質雇用者報酬(雇用者報酬を民間最終消費支出デフレーターで実質化したものとして定義)と実質企業利潤(実質国民所得から実質賃金を控除した残差として定義)にどのように配分されたかを見ています。その際、年度ごとの分配だけを見ていると、景気循環の影響が強く表れて傾向が見えにくくなるので、初年度以降におけるそれぞれの増加分を、毎年度、順次累積していったものを比較しています。これによって、この期間中に生産された実質国民所得の増加分のうち、どれだけが実質雇用者報酬に配分され、どれだけが実質企業利潤に配分されたかが分かることになります。
1955年度から1974年度までの期間における増加分の累積で見ると、1955年度時点の実質国民所得の約33倍に相当する実質国民所得が生産されたのに対して、実質雇用者報酬は約43倍になった一方、実質企業利潤は約21倍にとどまったことが分かります。つまり、この期間中は、国民所得の伸び以上に実質雇用者報酬が伸びたのです。このように、この時期の春闘は、賃上げを実現するという労働組合側の目的を、高度成長期という好環境を活かしながら、十分に達成したものと評価できます。
【第1次石油危機後の春闘】
しかし、こうした関係も、1973年の第1次石油危機を境に大きく変わります。1974年の賃上げは、当時の物価高騰を背景に、32.9%という極めて高いものとなりましたが、それと同時に、このような高い賃上げが続くと、企業収益が圧迫され、不況とインフレの併存であるスタグフレーション を長引かせることになるかもしれないという懸念を生むことにもなりました。そうしたことから、経営側からは賃上げガイドポストが示され、労働組合側からも経済整合性論、賃金自粛論が出されることになります。この結果、春闘賃上げ率は次第に低下することになりました。1976年度以降は一桁台に、さらに1980年代後半にかけては3%台にまで低下することになるのです。その後、バブル期に一時的に6%近くまで上昇しますが、かつてほどの賃上げはもう見られなくなりました。
このことの経済的意味を、先ほどと同じような試算で確認してみましょう。1974年度から1990年度までの期間について計算をしたのが第3図です。
これを見ると、1974年度から1990年度にかけて生産された実質国民所得の増加分は、1974年度の実質国民所得の約8倍に達しますが、それの実質雇用者報酬への配分は約6倍にとどまる一方、実質企業利潤への配分は約12倍になっていることが分かります。この時期の賃上げは、国民所得の伸びに比べて低いものにとどまったのです。これを評して「春闘の終焉」とする見方もありました。
しかし、このような抑制された賃上げは、むしろこの時期には必要であったのではないかという評価が一般的です。これによって日本は、第1次石油危機の影響から世界的にもいち早く脱することができたし、第2次石油危機の影響も比較的軽微なものにとどめることができたという見方です。確かに、高いインフレ率に悩まされ続ける米国などに比べると、第1次石油危機以降の日本のマクロ経済的なパフォーマンスは良かったと言えます。この点に注目して、経済協力開発機構(OECD)も、企業ベースでの交渉が基本(decentralized)でありながら、交渉ではマクロ経済環境も考慮しながら行われる(coordinated)このような労使間の集団的交渉方式を、「Shunto system」として高く評価しています*3。
【バブル崩壊後の春闘】
しかし、1990年代初頭にバブルが崩壊すると、春闘を巡る状況はさらに悪化します。企業が雇用、設備、債務の三つの過剰を抱えるようになり、リストラが迫られるようになりました。また、発展途上国における経済発展の進展や、中国の改革開放路線への転換の下で対外競争圧力が高まる一方、高齢化や生産年齢人口の減少の下で人件費が上昇してきたことから、恒常的な人件費の削減圧力が強まってきました。これに対応するために、非正規雇用の拡大が進むとともに、賃金体系の見直しが進み、成果主義的な賃金体系の拡大も図られるようになってきたのです。
このように経営を取り巻く環境が厳しさを増す中で、春闘も、雇用維持が優先されるようになり、賃上げも定期昇給の維持が中心となっていきます。この結果、1989年に誕生した日本労働組合総連合会(連合)の下での春闘賃上げ率は、1990年代には5%台から2%台に低下しています。
しかし、この程度の賃上げ率に抑えることができたとしても、雇用維持はこの時期の企業にとっては大きな負担であったようです。これまでと同じような試算をこの時期について行った第4図を見ると、実質雇用者報酬の増加分の伸びは、当時の実質国民所得の増加分の伸びよりは高かったため、実質企業利潤の増加分の伸びは大きく低下をしていたのです。「失われた10年」と言われるような長期低迷が続いた理由の一つがここにあるのかもしれません。
【2000年代以降の春闘】
2000年代に入ると、日本経済は戦後最長の景気拡張局面(2002年1月~2008年2月)を経験することになります。しかし、2002年に日本経済団体連合会(経団連)が発足して賃下げなどを提案するようになると同時に、政府も構造改革を重視するようになってくると、春闘賃上げ率はさらに1%台にまで低下していくことになります。
その後、2010年代に入り、アベノミクスが登場すると、一転して賃上げを求めるような環境に変化してきます。政府がデフレ脱却のための鍵を握るものとして賃上げを重視し、政府が財界に賃上げを求めるとともに、それを促すための減税(所得拡大促進税制)を導入するなど、積極的に動き出しました。また、国際通貨基金(IMF)も日本に対して賃上げを促すような「所得政策」の採用を提言するようになります。
このように、アベノミクスの下では「官製春闘」といわれるような状況にあったうえに、この時期は、戦後2番目の長期にわたった景気拡張局面(2012年11月~2018年10月)とも重なりました。したがって、春闘において高い賃上げ率を期待しても良いような環境でした。しかし、この時期においても、春闘賃上げ率は2%台の低い水準にとどまりました。結果的に見ると、第5図が示しているように、この時期の実質雇用者所得の増加分の伸びは、実質国民所得の増加分の伸びを下回るものにとどまりました。
【賃上げ率が低迷するようになったのはなぜなのか】
バブル崩壊以降、賃上げ率が低迷するようになった背景には何があるのでしょうか。前述したように、短期的には、バブル崩壊を受けて顕在化した過剰人員の解消のために本格的なリストラが求められたという厳しい状況がありました。しかし、より構造的な要因としては、春闘が前提としてきた条件が大きく変化したことが大きかったように思います。高齢化が進み、人件費が増加傾向を辿った一方で、新興国や発展途上国との競争が激化し、コスト削減圧力が強まったのです。
こうしたことは、経営側にとっては、企業の賃金支払い能力を著しく低下させることになりました。このため、賃金体系としては、定期昇給やベースアップの前提となっていたような年功型賃金体系を改め、生産性を引上げるインセンティブを有し、業績に連動する賃金体系となる成果主義的な賃金体系への転換が求められることになりました。
他方、労働組合側にとっては、これまで労働組合の対象外にあって非正規雇用が拡大したことから、労働組合の組織率が低下し、交渉力が著しく低下することになりました。労働組合の組織率は、第6図を見ても分かるように、1949年の55.8%をピークに低下傾向にあります。1990年代半ばまでは労働組合員数は増加ないし安定していましたが、雇用者数が増加していたため、組織率が低下していました。しかし、1990年代半ば以降は、労組組合員数自体が減少したこともあって、組織率が低下をしています。労働組合の組織率は、2022年に既往最低の16.5%を記録しています。
【どうすれば賃上げ率を高めることができるのか】
それでは、今後、賃上げ率を高め、少なくとも国民所得の伸び並みの雇用者報酬の伸びを確保するためにはどうすれば良いのでしょうか。このためには、労働組合の組織率を高めるために労働組合の改革を進めるとともに、人材を巡る競争を促進し、生産に対する雇用者の貢献が十分に評価されるようにするために、労働市場の改革を進める必要があるように思います。これらの点については、機会を改めて論じたいと思います。
(脚注)
*1 春闘の歴史については、連合総合生活開発研究所(2015)『「日本的雇用システム」の生成と展開―「日本的雇用システム」と労使関係の歴史的検証に関する研究報告書―』、連合総合生活開発研究所;萩野登(2023)「春闘を中心とした賃金交渉の経緯―転換点にあたって労使はどう動いたのかー」、JILPT緊急レポート、労働政策研究・研修機構、等を参照。
*2 春闘賃上げ率には、定期昇給分とベースアップ分の両方が含まれていることに注意。個々の労働者にとっては定期昇給分を含む春闘賃上げ率が重要であるが、マクロ的な賃金総額(雇用者報酬)を考えるうえでは、賃金表の上方改訂分に相当するベースアップ分が重要になる。
*3 OECD(2017), OECD Employment Outlook 2017, OECD PublishingのChapter 4を参照。
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