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山田剛のINSIDE INDIA (第107回)

「選挙」と「経済」から見る印パの対立~衝突拡大は回避も和平はインド次期政権の手に

 

2019/03/18

 インド・パキスタンの南アジア二大国が帰属を争うカシミール地方のインド側・プルワマで2月14日に起きた自爆テロは、同地に駐留する治安部隊44人が死亡するなど大きな被害が出た。翌15日にはパキスタン「領内」(注1)に拠点を持つイスラム過激派ジャイシュ・エ・ムハンマド(JeM、ムハンマドの軍隊)が犯行声明。インド軍は26日、カシミール地方を分断する停戦ライン(LoC)を越境して過激派拠点を報復爆撃。その後もLoCを挟んだ印パ両軍による砲撃の応酬もあり、事態は再び緊迫化の一途をたどった。

 4月にいよいよ投票が始まる総選挙を控え、国内向けに強硬姿勢を示す必要があったインドに対し、国際通貨基金(IMF)との協議が続き経済再建を優先するパキスタンはおおむね冷静かつ妥協的な姿勢を続けるという、かなり対照的な構図となった。しかし、3月14日にはパキスタン領内にあるシーク教の聖地にインド人巡礼者を受け入れるための二国間協議が予定通り行われ、事態は徐々に緊張緩和の方向に進んでいる。双方とも本音では事態の悪化は望んでいないが、マスコミがしばしば強調する「核保有国同士の対立」が国際政治や貿易・投資に悪影響を与えないことを期待したい。

印パの事後対応に大きな差

 テロ事件勃発後、「インドが証拠を示せば、捜査に協力する」と表明したパキスタン側に対し、インド側はまず強硬姿勢に打って出た。16日はパキスタンに付与していた最恵国待遇(MFN)を取り消し、インドが輸入するパキスタン産果実やセメントなどに200%の高関税をかけた。さらに20日には印パ間のLoC越えて走る連絡バスの運行を取りやめた。

パキスタン側は二国間交渉による早期の事態沈静化は困難と判断。いち早く国連のグテーレス事務総長に仲介を要請するなど、国際社会の助力で問題解決を図ることを選んだ。しかしインド軍は2月26日、パキスタン「領内」に侵入しJeMの拠点とされる地点を空爆。翌27日にはパキスタン側がインド空軍機を撃墜し、パイロットを捕虜にするというめまぐるしい展開になった。

 28日夕、パキスタンのイムラン・カーン首相は、搭乗機が撃墜され捕虜となっていたインド空軍パイロットのアビナンダン・バルタマン中佐の身柄を「平和の印として」インド側に返還する、と発表。3月6日にはシャー・マフムード・クレシ外相が「一時帰国中」のソヘイル・マフムード駐印高等弁務官(注2、大使)を帰任させると表明した。そして、パキスタン軍報道官のアシフ・ガフール少将も同日、「インド軍パイロットの身柄引き渡しは平和のジェスチャーであり、これが二国間の緊張緩和につながるかどうかはインドの姿勢次第」と述べ、インド側の態度軟化を待つ、つまりメディアがよく使う表現を借りれば「ボールは相手側にある」というスタンスを重ねて強調した。

「冷静さ」見せたカーン首相

 今回、パキスタンはかなり大人の対応を見せたといっていいだろう。野党時代には国会前などで数カ月にも及ぶ抗議の座り込みを指揮し、エキセントリックな政府批判演説で鳴らしたカーン首相だが、2018年の総選挙で勝利して首相の座をつかんで以降は打って変わって穏健かつ紳士的な対応を見せている。クレシ外相や、知恵袋の盟友アサド・ウマル財務相らの助言もあったのだろうが、なかなかのバランス感覚だ。故ベナジル・ブット元首相の夫ザルダリ前大統領率いるパキスタン人民党(PPP)政権でも外相の経験があるクレシ外相は、インドに約2100万人が暮らすシーク教徒(注3)が崇拝する教祖ナーナクゆかりの聖地・カルタルプルへのインド人巡礼者に便宜を図る考えを改めて示した。このカルタルプルは、印パ国境から4.7キロパキスタン側にあるため、国境からのビザなし訪問を可能にする「回廊」の整備が進んでいた。

 両国内務省、外務省などの高官は3月14日、予定通りにワガで会合を開き、次回会合を4月2日に開催することを決めた。もちろん、両国の「衝突」以降では初となる政府間協議だったが、かつて16年11月にイスラマバードで予定していた南アジア地域協力連合(SAARC)の首脳会議が直前にインド側カシミールで起きたテロのために中止に追い込まれたことを考えれば、今回は印パ双方が冷静に事態収拾を優先させたことがわかる。「徹底的に戦う」などと連呼したモディ首相の内向きなアジ演説だけに目を奪われていては実相は見えてこない。

 印パ両国が予定通りに政府間協議を行い、政治的緊張を宗教・文化交流に持ち込まないという考えをアピールしたことは、少なくとも内外投資家の不安を和らげる効果はあっただろう。

「選挙」そして「カシミール」情勢が背景

 なぜインドはこんなに強硬なのか――――。もちろん第一義には、4月に投票がスタートする次期総選挙を前に「強いモディ」「パキスタンに妥協しないBJP(インド人民党)政権」をアピールするために他ならない。

 「盤石」とみられ一時は楽勝ムードまで出ていたBJPだったが、2018年の州議会選や補選で連敗。結果的にマイナス効果ばかりが目立った「高額紙幣廃止」やフランス製ラファール戦闘機調達をめぐる疑惑、高成長の恩恵が行き渡っていない農村の困窮などが相次ぎ問題化、選挙直前になってにわかに逆風が強まっていた。これを巻き返すべく2月に発表した19年度暫定予算案では農家への現金給付やサラリーマン減税など大規模な人気取りに踏み出したばかり。ここで、パキスタンに弱腰は見せられない、というところだろう。

 BJPの背後にはパキスタンやイスラム過激派を敵視するヒンドゥー至上主義団体「民族奉仕団」(RSS)が控える。モディ首相がこのBJP最大の支持母体に配慮を示したであろうことは容易に想像できる。国内世論を意識するモディ政権は少なくとも総選挙が終わるまではパキスタンに振り上げたこぶしを下ろさないだろう。

 モディ首相らの思惑通り、「報復空爆」は大きな政治的効果をもたらした。インド各地では群衆が攻撃を歓迎。色付きの発煙筒を焚き、「パキスタン人」に見立てた人形を燃やすなどして気勢を上げ、反パキスタン・スローガンを連呼した。ふだんは気のいいインド人も、こういう事態になると一気に愛国的となるものだ。国民会議派など野党21党が「印パ紛争を政治の道具に使うな」との共同アピールを発表したことは、今回の報復空爆と一連の対パ強硬姿勢が有権者の心に響いている何よりの証拠だろう。だがこうした中、イスラム教徒の学生らが静かに犠牲者の冥福を祈っていた映像にはずいぶん救われる思いがした。

 しかし、モディ政権の強気姿勢を考える上で忘れてはならないのが現今のカシミール情勢だ。2010年以降、民衆の抗議デモとこれを「鎮圧」する政府治安部隊などの衝突が激化。昨年にはついに州政権が崩壊し州議会も解散するなど、インド側ジャンム・カシミール地方では政治的空白状態が続いている。

 しかも、連邦政府の厳しいテロ取り締まり(一部住民はそれを「弾圧」と呼ぶ)や、自然災害に際しての不手際などで住民の不満はかつてなく高まっている。インド側カシミール地方では、若者が自らイスラム過激派に身を投じたり、一般住民がテロリストをかくまう、といった事例も相次いでいる。治安部隊とにらみ合い、投石するデモ隊の映像はまるでパレスチナ・ガザ地区のようだ。

 この状況でインド政府がパキスタンに譲歩することはカシミール情勢のさらなる悪化につながりかねない。印パ対立の背景にはこうしたインド側の内政事情もあるのだ。

双方とも避けたい「緊張激化」

 16年9月に今回とまったく同様のテロ事件が起き、インド側が報復攻撃した際には比較的パキスタンに厳しかった国際世論は今回、かなり冷静かつ中立的だ。友好国である中国やサウジアラビアなどがすかさずパキスタンにシンパシーを示してインド側の自制を求めていたのは当然だが、欧州各国も「悪いのはテロリスト」「両国とも自制すべし」という態度をかなり明確にしている。トランプ米大統領に至っては訪問先のべトナムで「(現地から)いいニュースが届いている」と述べ、何らかの仲介に動いていることを示唆した。主要国の仲介にも期待が持てる展開だ。

 米トランプ政権が最近、アフガニスタン和平の推進にかなりの重点を置いていることは、ともすれば孤立しがちなパキスタンにとってはいい材料だ。パキスタンには厳しい態度も目立つトランプ大統領だが、アフガニスタンに影響力を行使できるパキスタンの政治的安定が不可欠であることは理解している。相応のプレッシャーもかけつつも、印パの緊張緩和を後押ししていくだろう。

 インド・モディ政権も、パキスタンへの強硬姿勢を貫くことで「国威発揚」や「強いモディ」のアピールにひとまず成功した。多くのアナリストはこれが次期総選挙に際して「与党有利」に働くとみている。それだけに、インフレやルピー安、原油高がまずまず一服した今、インドにとって海外からの投資や貿易に悪影響が出る隣国パキスタンとの緊張は好ましくない。そもそもパキスタン産品に高関税をかけたことで、困っているのはもっぱらインド側の輸入業者だ。

 総選挙の行方はまだ予断を許さないが、モディ政権続投となれば国内向けに対パ強硬路線を掲げつつも、内外投資家には平和的なメッセージを送っていくことになるだろう。もちろん、経済再建の途上でIMFによる支援パッケージを巡る交渉が続くパキスタンとしてもインドとはこれ以上事を構えたくはない。経済が比較的好調だった2年前に比べ外貨準備は実に50%以上も減少しており、対外収支の悪化を招く「戦争状態」は何としてでも避けたい。

ゆるやかに関係修復へ

 すでにいくつかの緊張緩和の兆しは出ている。迅速なインド人捕虜の解放はもちろんだが、パキスタンは3月7日、テロ事件への関与が指摘された団体の構成員ら44人を逮捕。テロ組織に対する締め付けを強化し始めた。なぜもっと早くこれをやらなかったのか、という突っ込みはあるにせよ、だ。3月以降、印パ両軍のホットラインも再開、パキスタンのラホールとインドのアタリを結ぶバス便も復旧した。印パ双方の「応援合戦」で知られ半ば観光地化しているワガ国境の国旗収納式も3月4日から一般市民の観覧が可能となった。5日には、LoCを越える「国境貿易」も再開し、運休が相次いでいたパキスタン各地の空港からの国際線もほぼ平常に戻っている。 事態が緊迫化するさなかでも、スシュマ・スワラジ印外相が地味に「インドは対立激化を望まない」などと発言していたのを忘れてはならないだろう。

 同僚のエディターらからは「ハト派」とみられている筆者だが、印パ両国の指導者は我々が考えているよりはるかに賢明だと思っている。ともに膨大な若年層を養い、決して皆がハッピーではない農村をテコ入れし、さらなる経済発展のために外資を呼び込む努力を続けていかねばならない「経済の時代」に入っている。そうした中で、イデオロギーや宗教、国の威信などのために経済成長を犠牲にして「戦争」に近づくような愚を犯すことは考えにくい。時間はかかるが、再び関係改善に向かって双方うが歩み寄ることを切に祈る。

(注1)国連安保理決議や総会決議は、「カシミール地方の帰属は住民投票で決めるべき」としているため、パキスタン政府は「それまではカシミール地方全体が中立地帯」との立場

(注2)インド、パキスタンともに英連邦(コモンウェルス)の一員なので、相互の大使にはアンバサダーではなく「高等弁務官(ハイ・コミッショナー)」という名称を用いる

(注3)16世紀にグル(教祖)・ナーナクが創始した宗教で、男性のターバンやひげなどが特徴。インドには約2100万人しかいないが、積極的に英国や東南アジアなどに移住したため、インド人といえばシーク教徒を思い浮かべる人が極めて多い

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 いよいよ4月に2019年総選挙の投票が始まります。州議会選挙での連敗や農村の困窮に対する抗議行動など逆風に直面していたBJPモディ政権ですが、対パキスタン報復爆撃で「強い指導者」をアピール、人気回復の兆しも出てきました。どんな政権が誕生しても、経済成長を目指す戦略と農村・貧困層対策を同時に進めるという大命題に大きな変化はなさそうですが、BJPモディ政権が続投し道半ばの改革をさらに推進するのか、ラフル・ガンディー総裁率いる老舗政党・国民会議派が政権を奪回するのか、組閣のその日まで目が離せません。(主任研究員 山田剛)

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