宗教や「印パ」だけでは見えてこないカシミールの実像
2019/08/15
インド政府は8月5日、同国北部ジャンムー・カシミール(J&K)州に対して広範な自治権や優遇措置を付与していた憲法第370条を廃止する大統領令を発令し、即日施行した。さらには同州を2分割してともに連邦直轄地(ユニオン・テリトリー=UT)とする法案を成立させた。1947年の印パ分離独立の際、カシミール藩王国(当時)のマハラジャが土壇場でインドへの帰属を決断してから72年。カシミールは自治権をはく奪され、改めてインドに「併合」されることとなった。
今回の「自治権はく奪」と「連邦直轄化」はJ&K州以外ではおおむね支持されているが、カシミール地方の領有権を(正しくは「住民投票による民族自決」を)主張してきた隣国パキスタンは早速激しく反発。カシミールの印パ双方で新たな抗議デモなどが予想されており、2月のインド側カシミール地方で起きた自爆テロで一気に悪化したインド・パキスタン関係がさらに緊迫化する恐れも指摘されている。だが、情勢を正しく理解するにはその決断の背景やJ&K州固有の事情を踏まえて冷静に評価する必要がある。
国内「独立国」だったカシミール
憲法370条及びその関連規定である同35条Aは、州公務員に対する地元住民の優先枠などを規定、州外の個人や企業がJ&K州の土地を購入できないなどの制限を設けていたほか、連邦議会による法制を州に適用する場合には州政府の承認を必要とするなど、外交や軍事、財務、通信以外で幅広い自治権や優越性を与えていた。ナショナリズムにも配慮し、J&K州と他州の「二重市民権」を認め、州独自の「旗」も制定していた。
その一方でJ&K州には州経済が混乱した際に導入される「金融非常事態宣言」やインド情報公開法(RTI)が適用されないなど、ネガティブな効果のほうが大きいであろう規定も数多く残っていた。イスラム教徒が約70%、カシミール渓谷に限って言えば97%を占める同州において、少数派であるヒンドゥー教徒やシーク教徒に対する進学・就職などの留保制度も定められていなかった。各種優遇措置は、インドへの帰属を選択してくれたカシミールをつなぎとめるための見返り、という見方もあながち間違いではない。
モディ首相やその側近アミット・シャー内相ら政権幹部は、今回の連邦直轄化によって治安回復が実現し経済発展が促進される、との立場で一貫しているが、彼らの主張は決して後付けの理屈ではないように思える。しかも370条廃止は、インド人民党(BJP)が前身であるジャナ・サン時代から40年以上にわたって繰り返してきた主張で、今春の総選挙に際してもマニフェストに明記されていた。BJPが圧勝したことで370条廃止は十分に予想されていたことだ。総選挙後3カ月というタイミングはやや拙速という気もするが、8月15日の独立記念日を控え、国民の愛国心が高まるタイミングを狙ったとすれば合点がいく。
ここに至る伏線はいくつもあった。BJPは18年6月、J&K州の地域政党ジャンムー・カシミール人民民主党(PDP)との連立を解消し州政権を崩壊に追い込んだ。同年8月にはBJP所属の政治家だったサトヤ・パル・マリク元下院議員を州知事としてJ&K州に送り込んだ。インドの「知事(ガバナー)」は「州首相(チーフ・ミニスター、CM)」と違って大きな実権はないが、州政権や議会が混乱した際に介入する権限がある州知事には、政治色の薄い人物を任命するのが通例だったため、この人事はやや議論を呼んだ。マリク知事は11月、PDPによる組閣アピールを却下して州議会解散に踏み切り、結果的にカシミール併合のおぜん立てを整えた。
インド連邦政府は「直轄化」に先立ち、抗議デモなどを抑え込むためメフブーバ・ムフティ前州首相(PDP党首)や、2009年から2015年まで州首相を務めた地域政党ジャンムー・カシミール民族評議会(NC)のオマル・アブドラ副党首らを自宅軟禁下に置きモバイルやインターネット接続を制限、さらに治安部隊1万人を増派するなど用意周到に「併合」準備を進めていた。
真相をぼかす情緒的報道
それにしても、日本におけるカシミール報道には「核保有国である印パの対立激化で世界が緊張」という危機感が先行し、現場でもパレスチナ・ガザ地区やロヒンギャ難民のルポのように「強硬な治安当局の弾圧で自由と尊厳を奪われた住民」「ヒンドゥー教中心の政権によるイスラム教徒いじめ」といったかなり情緒的な切り口のものも散見される。印パの緊張は安全保障や外交だけでなく、モディ政権の生命線である外国投資の停滞など経済成長に対するリスクもある。にもかかわらずなぜモディ政権がJ&Kの連邦直轄化に踏み切ったのか、という点をもう少し深く考えてもいいのではないか。
PDPやNCといった地域政党はかねて汚職や公務員・州営企業への縁故採用が目立ち、自然災害への対応でも不手際が相次いだのは否定しようのない事実。これまでの州政権はアブドラ家3代と、ムフティ父娘によってほぼ独占されてきた。これらに加えて連邦政府による経済改革が、憲法370条の規定によってJ&K州には迅速に適用できない状況が続いてきたことが経済の低迷を招いた。州外の個人・企業がJ&K州で不動産を取得できない、というのはナショナリズム的には合理性があるが、それによって州外資本による投資を阻害してきた。肝心の治安維持も、州政府の協力なくしては前に進まない。
街頭で治安部隊に投石する若者らの不満の矛先は、連邦政府だけに向いているわけではない。州政府や地元政治家の不作為や失政も大いに州民の失望を招いている。デモに参加して負傷した若者にインタビューするのも大事だが、ガバナンス能力のわりに権限だけは強い州政府の下で商売がうまくいっていないビジネスマンや起業家、求職中のノンポリ若年層らの声をもっと拾い、経済成長の観点でJ&K州を直視することも必要だろう。パレスチナやロヒンギャと同じようなヒューマニズム報道や「印パ対立」だけを見ていても、実像が伝わりにくい。
民間の有力シンクタンク海外研究基金(ORF)によると、2000年度から2016年度までにJ&K州に投入されてきた連邦政府からの交付金は約1兆1400億ルピー。インドの総人口の1%に満たないJ&K州に対して交付金の10%が投入されてきた。1人当たりでは9万1000ルピーと、2億人超の人口を抱える北部ウッタルプラデシュ州の20倍以上だ。
交付金が適正に配分されているか、という問題もあるが、J&K州に対する連邦政府の厚遇ぶりは際立っていた。にもかかわらずJ&K州の1人当たり名目GDP(SGDP)は2017年度で約9万5000ルピー。北東部アッサム州や北部ウッタルプラデシュ州のおよそ1.5倍規模ではあるが、商都ムンバイを擁する西部マハラシュトラ州のほぼ半分しかない。
もちろん、稀代の策士であるモディ首相とその側近であるシャー内相の狙いはテロ抑止や経済成長だけではない。今回のカシミール「併合」は、2月のプルワマ・テロ以降緊張関係が続いているパキスタンへの強烈なメッセージと受け取っていい。さらに言えば、1962年の「印中限定戦争」によってカシミール地方の一部アクサイ・チンを実効支配している中国にも有効なけん制球となった。BJPの後ろ盾であるヒンドゥー至上主義団体・民族奉仕団(RSS)を納得させる効果もあっただろうし、パキスタン領内への「報復空爆」が国民の喝さいを浴びた成功体験に乗っかり、すぐには解決しない「農村の困窮」や「増えない雇用」といった弱点を隠蔽し、国民の目をそらす狙いも見え隠れする。
国際世論に訴えるパキスタン
BJPによって州首相の座を追われた形となったメフブーバ・ムフティ氏は「インド民主主義の歴史で最も暗黒の日。連邦政府は国民との約束を破った。彼らは州民を怖がらせることでカシミールの領土を奪おうとしている」と非難。オマル・アブドラ氏も「一方的な措置で州民への裏切り。これは破滅的な結果をもたらす。長く厳しい戦いが待っているが我々はそれに備える」と、連邦政府への対立姿勢を鮮明にした。最大野党・国民会議派(コングレス)も370条廃止と連邦直轄化に強く反発。同党重鎮で2005-08年に州首相を務めたグラム・ナビ・アザド上院議員は「(モディ政権は)憲法や民主主義を殺した。これは州の平和維持のために犠牲となった人々への裏切りだ」と訴えた。
そして今後注目されるのはやはりパキスタンの対応だ。同国のクレシ外相はすでにこの問題を国連安保理に持ち込む考えを表明。57か国・地域が加盟するイスラム諸国会議機構(OIC)やOHCHR(国連人権高等弁務官事務所)にも介入を求めるとしている。さらには中国との共闘も模索するなど、外交攻勢でインドに対抗していく構えだ。インド側の発表当日にはトルコのエルドーアン大統領がイムラン・カーン首相に電話をかけてすかさず支持と連帯を表明した。
しかし国際社会の世論は今一つ盛り上がっていない。パレスチナ問題などと違って、欧米に強力なロビイストがいないこと、資源が絡む中東に比べて大国の利益衝突が起きにくいことなどが挙げられる。パキスタンが頼みとしていたアラブ首長国連邦(UAE)のアフマド・アル・バンナ駐インド大使は7日、「(カシミール直轄化は)インドの内政問題」と発言し、モディ政権の決定をおおむね支持した。米国務省のモーガン・オルタガス報道官も早々にカシミールの人権問題に懸念を表明し、「平和と治安維持のため、影響を受ける人々と話し合う必要性がある」と指摘したが、その一方で「インドは内政上の問題と認識している」と述べ、中立的ながらインドの立場にも理解を示した。
イスラム諸国、とりわけ湾岸アラブなど中東各国にとってはパキスタンよりもインドのほうが大事な「お客さん」。国際世論を喚起してインドに対抗しようとしているパキスタンの戦略はいまのところあまり効果を挙げていない。
モディ政権が負う重い責任
カシミール問題の発端は1947年8月、インド・パキスタンの分離独立にさかのぼる。カシミール地方を統治していたヒンドゥー教徒のマハラジャ(藩王)ハリ・シンがインドへの帰属を決断し、一連の紛争にインド軍の介入を許したことがきっかけだった。これが第1次印パ戦争へとつながり、停戦後に国連は安保理決議47,51,80,91,122号や、1948年8月および49年1月の総会決議で「カシミール地方の帰属については住民投票にゆだねるべき」という結論を出した。パキスタン側で発行する地図や国連のPKO(平和維持活動)展開図などが、カシミール地方全体を「中立地」としているのはこの安保理決議を根拠としている。
しかし、イスラム教徒が多数を占めるカシミールで住民投票を行えば、「独立」あるいは「パキスタンへの併合」という結果になるのは火を見るより明らか。インド政府は今日に至るまで住民投票を受け入れる気配を見せていない。こうした、「中立地」であるはずのカシミール地方を、インドが連邦直轄地として突然「併合」したことに、パキスタン側が猛反発しないはずはない。
ただ、インドの駐パキスタン大使を「追放」し、通常兵力による「戦争」まで示唆しているパキスタンではあるが、経済は再建途上。国力にインドとの全面戦争を続ける余裕はない。
州都スリナガルなどカシミール渓谷では2010年ごろから各種抗議デモが再び激化、最近では、ホームグロウン、つまりパキスタンなどからの越境テロリストではなくカシミール地方の若者が自らテロ組織に身を投じ、それを地域住民がかくまうなどの事態となっており、治安悪化に拍車がかかっている。治安部隊も鎮圧に散弾銃などの実弾を使用するなど、憎悪の連鎖へと発展している。国連など国際機関も人権侵害の恐れありとして強い懸念を表明していたところだった。
米国や中東・アラブ諸国による仲介も今のところ期待薄。印パ関係は一層悪化しそうだ。「連邦直轄化」が直ちにインドの国際的孤立を招くとは思えないが、イスラム諸国におけるインドへの風当たりは確実に強まるだろう。気の早い人たちは、BJPモディ政権のアジェンダの一つである「アヨディヤのヒンドゥー寺院再建運動」や「統一民法典導入」といったヒンドゥー色の強い動きがさらに加速する可能性を指摘しているが、こちらは局地的な影響が出やすい割には政治的効果が小さいため、かなり慎重にやらざるを得ない。
これだけ国内や国際社会を騒がせてまでカシミールの連邦直轄に踏み切ったモディ政権としては、内外世論を納得させるためにもカシミールの治安回復や経済発展において一刻も早く結果を出さなければならない。州外から投資を呼び込んで雇用を創出するのはもちろん、産業振興や観光客誘致に不可欠なインフラ整備も急務だ。老朽化し疲弊した都市そのものを再生する必要もあるだろう。彼らの手腕には世界が厳しい目を向けている。これが失敗すれば分離独立運動が再燃しかねないし、テロリストに「大義」を与えてしまう。
*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら
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