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山田剛のINSIDE INDIA (第114回)

「改正国籍法」で急浮上したインドの政治リスク

モディ政権支えた若者らが批判の先頭に

 

2020/01/21

 減速が鮮明となっているインド経済だが、回復はさらにもたつきそうだ。国営銀行を中心に積み上がった不良債権処理のあおりで大手銀行やノンバンクによる貸し渋りが鮮明となり、これが企業の設備投資や個人による自動車、住宅など大型商品購入の足を引っ張っている。さらに『農村の困窮』によって農民らの所得が伸び悩み、個人消費にも影を落とす。

 インド中銀(RBI)は2019年2月から5回にわたって政策金利レポ・レートを引き下げ、景気浮揚を図ってきたが、足元では昨年12月の消費者物価指数が7.35%と5年半ぶりの高水準となるなどインフレ懸念が再燃、追加利下げは困難な状況となっている。次の節目は2月1日に国会で発表される2020年度予算案。すでに現地報道では住宅購入者への優遇措置や農業部門への手厚い支援などが取り沙汰されている。予算案でいかなる景気浮揚策が盛り込まれるか、世界が注目している。

反CAAデモ、全国に拡大

 インド経済にとって新たなリスクが浮上している。19年12月に可決・成立した直後から全国的な抗議デモを引き起こした改正国籍法(CAA)をはじめ、北部ジャンム・カシミール州の連邦直轄化、ウッタルプラデシュ州アヨディヤへのヒンドゥー寺院再建決定、そして農民らの猛反発を背景にした東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉からの離脱など、インド政治はにわかに右傾化、内向き化、そしてヒンドゥー化が鮮明となっている。

 ナレンドラ・モディ首相が全権をほぼ掌握した与党・インド人民党(BJP)は、インド最大のヒンドゥー至上主義団体・民族奉仕団(RSS)を支持基盤としており、選挙戦でも全面的な協力を仰いできた。そもそも、モディ首相を筆頭に政権の閣僚や党幹部にはRSSの活動家出身者が多く、その影響力は明らかだ。

 だが、このような右傾化、ヒンドゥー化する政治情勢に対しては学生ら若者や都市富裕層、文化人など、モディ首相を支持してきた人々からの反発も強まっている。各地の大学などが拠点となったCAAへの抗議デモをみるまでもなく、2014年の総選挙でモディBJPにこぞって投票し、モディ政権誕生の原動力となった彼ら若者がいまや、政権批判の先頭に立っている。この動きは今後、モディ政権からの人心離反につながり、経済改革の推進には欠かせない政権の安定度を大きく揺るがす可能性もある。極めて危険な政治状況であるといわざるを得ない。

ナショナリズム政治の副作用

 2019年2月、インド軍は同国の空軍基地で起きた自爆テロへの「報復」として、隣国パキスタン「領内」にあるイスラム過激派の拠点を空爆した。これがパキスタンへの敵意を募らせた国民から大きな喝采を浴び、4-5月総選挙での圧勝につながったのは周知の事実。選挙戦でもBJPは景気減速を踏まえてあえて経済面での業績を誇示せず、国民統合やナショナリズムに訴える戦術を展開したことが大いに効果を発揮した。

 同年8月には北部ジャンム・カシミール州に多くの優遇措置を与えていた憲法370条を廃止し、同州を連邦直轄地として「併合」した。これについては『ヒンドゥー多数派政権のイスラム教徒抑圧』といった論調も散見されたが、劣悪なガバナンスで汚職にまみれた州政府や政治家から実権を取り上げ中央政府が自ら統治に乗り出した、という点では理解できる。そもそも「憲法370条廃止」は総選挙での公約に盛り込まれており、BJPが勝利した段階で実施は時間の問題だったので驚くにはあたらない。(「山田剛のINSIDE INDIA (第113回)ゆらぐモディノミクス~インド経済、6年半ぶり低成長に」参照) 

 アヨディヤへのヒンドゥー寺院再建を認めた最高裁判決は、政治決断ではなくあくまで司法判断なのだが、これも最高裁がある程度モディ政権に忖度したのではないか、との指摘がくすぶる。

 同じ11月、土壇場でのRCEP交渉離脱も、農民から湧き上がった反対の声や州議会選での苦戦などから苦渋の選択となった。内政の混乱がRCEPのような国際連携に影響を及ぼしたことになるわけで、外面を重視するインドにとっては耐え難い屈辱だったはずだ。

「宗教」よりも「若者の不満」が顕在化

 デリーやハイデラバードなどインド各地で起きた反CAAデモでは一部参加者が暴徒化、バスや二輪車に放火するなどして警官隊と激しく衝突。警察側の発砲で1月第1週までに31人が死亡している。死傷者が出るような衝突はデリー郊外・ウッタルプラデシュ州西部のミールトやフィローザバード、イスラム教徒人口が約30%を占める北東部アッサム州の中心都市グワハティ、そして西ベンガル州東部などに集中している。

 抗議デモや集会が行われた周辺では交通規制や商店の営業停止などが相次ぎ、日常生活やビジネスにも影響が出ている。首都を走るデリー・メトロ(都市高速鉄道)では周辺で抗議デモが予想されたのべ18駅が閉鎖され、列車も通過するという異例の事態となった。

 また、法律に基づいた措置とはいえ、治安当局は12月下旬にデリーや西ベンガル州でインターネットや携帯電話の接続を遮断するという対応策に出た。このころになると抗議デモは各地の大学などに拡大。試験をボイコットした学生らはもちろん教員、文化人、そして野党政治家らも加わり比較的平和的な抗議行動が展開された。その一方で、RSSに近い学生団体や労組、文化人らは「CAAの施行支持」を訴える集会などを開催、一部では反対派との衝突もみられた。

 インド政府は1月19日、デリー首都圏に「国家治安条例(NCA)」を発令した。NCAは警察当局に対し国の治安維持に影響を与える恐れのある個人の身柄を拘束できる権限を与える、いわばソフトな戒厳令。まだCAAへの抗議行動が完全には沈静化していない、ということだろう。

 こうした中、1月13日にはデリー郊外の公園にヒンドゥー、イスラム、シークなど各宗教の代表が集まり、ともに祈りを捧げて宗教的調和をアピールしたとの報道には、かなり救われる思いがした。

 このように、CAAに対する抗議行動はもはや「イスラム教徒差別」といった狭い概念にとどまらなくなった。デリー市民に取材してみると、治安当局がネットや携帯を遮断したのはイスラム教徒居住区ではなく、主に国立の名門ジャワハルラール・ネルー大学(JNU)などもっぱら大学の周辺地域だった。当局が学生らの団結と抗議行動の拡大をなによりも恐れていた証左だ。

インド経済モニタリング・センター(CMIE)によると、都市部における大卒者の失業率は2017年4月の10.4%から19年11月の17.0%へと大きく上昇している。大学で学んだインテリが職に就けないという状況は、イスラム原理主義勢力の台頭を招いたエジプトなどの例を見るまでもなく、非常に危険だ。

 反CAAデモには海外からも反響が相次いだ。米コロンビア大や英オックスフォード大などの学生や教授陣らは学生らに対して「連帯」を表明するメッセージを発表した。2016年、JNUの学生ユニオン委員長だったカンハイヤ・クマール氏は、デリー国会議事堂襲撃事件の主犯として死刑となったアフザル・グル元被告の追悼集会を開き、扇動罪で逮捕されたが、この時も同様に世界中の大学から支援の声が届いたが、一連の反CAAデモも今や世界の知識人が注目する一大イベントになった感がある。

 「カシミール併合」に際してはおおむね沈黙を守った国際社会も、CAAに対しては声を上げ始めた。国連事務総長オフィスでは一連のデモの拡大にいち早く懸念を表明。国連人権高等弁務官事務所も「インドのCAAは差別を内包している」と異例の批判。米国務省も「憲法と民主主義に基づいて宗教マイノリティの権利を守るべきだ」とする声明を発表している。世界的に関心が高まっている難民問題に「宗教」を持ち込んだCAAに対しては、今後も国際社会が厳しい視線を注ぎそうだ。

 第1次モディ政権を振り返れば、2015年に中央与党BJPが政権を握る州が相次ぎ施行した「牛肉禁止令」が記憶に新しい。ヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な生き物で、食用のために殺すなどはもってのほか、というわけでRSSの意向が強く働いたとされる。また、同様に州内の教科書にヒンドゥー神話が掲載されるなど、教育の「ヒンドゥー化」も問題となった。この「牛肉禁止令」、さすがにその後最高裁が「無効」と判断したことで収束に向かったが、世俗国家インドにおける宗教色の濃い政治介入として世界から注目を集めた。

 モディ政権発足後にはBJP政治家やRSS幹部の不規則発言も目立つ。同党のサクシ・マハラジ下院議員は2015年、イスラム教徒の人口増加率が高いことを踏まえ「信仰を守るためヒンドゥー教徒の女性は最低でも4人の子供を産むべきだ」と発言し、知識人らの批判を浴びた。公称400万人の会員を擁し、傘下に学生団体や労組、文化団体などを抱えるRSSのモハン・バグワット総裁も「インドに生まれた者は皆ヒンドゥー教徒である」などと放言。インド人が守ってきた多様性の否定につながる発言としてリベラル派の怒りを買ったことも思い出される。

世界が成り行きを注視

 反CAAデモも2020年に入るとさすがに過激な抗議行動は鳴りを潜めたが。インド国内ではツイッターやショートビデオ送信サービスTikTokなどでCAAに抗議するメッセージや動画が相次ぎアップされ、これが数千万人に拡散している。こうしたアプリの普及でいわゆるノンポリの若者や学生らが相次いで政治問題で声を上げるようになってきたのも最近のインドの特徴だ。この傾向はもはや後戻りすることはないだろう。

 1月11日には、地域政党・草の根会議派(TNC)党首でもあるママタ・バナジー西ベンガル州首相(県知事に相当)がモディ首相と会談しCAAの廃止を要求。南部ケララ州政府は14日、同法が「法の下の平等」を定めた憲法14条、「生命保護や個人の自由」を明記した同21条、そして「良心や表現の自由」を保障した25条に違反している、として最高裁に提訴するなど、CAA問題は地方政界をも巻き込み始めた。

 抗議行動の先頭に立つ若者や都市住民は、元はといえば2014年総選挙でモディ氏やBJP勝利の原動力なった人々だ。だが、第1期モディ政権の5年間、就職状況や所得があまり改善されないことにも辛抱してBJPモディ政権への支持を続けてきた若者たちにとっては、モディ政権が経済改革を放り出してまでCAAをごり押しした」と映ったようだ。イスラム教徒への「差別」はもとより、国是ともいえる「世俗主義」や「多様性」「多文化の共生」がないがしろにされたことに対して、インドの若者らは迅速かつ敏感に反応したといえるだろう。

 人口約13億人のうち実に10億人に迫るヒンドゥー教徒の中には、RSS主流派のような原理主義的かつ排他的な人々も少なくないが、多くのインド人は穏健で異文化や他宗教に寛容だ。そして、宗教対立や差別、排他主義を何よりも嫌うのもこうした一般的なインド人だ。2004年の総選挙で大方の予想に反して当時のBJPバジパイ政権が敗北し下野した原因の一つには、2002年のグジャラート暴動など一連の宗教対立の収拾や国民融和で政府の対応が全く後手に回ったことが指摘されている。BJP幹部はもう忘れてしまったのだろうか。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 2019年末から年明けにかけて、改正国籍法(CAA)に抗議するデモや集会がインド各地に拡大しました。これら抗議行動の背景には、14年の総選挙で経済発展や雇用・所得の拡大に期待し「改革者」モディ氏を新たなリーダーへと押し上げた若者や都市インテリ層に広がる失望感が指摘されています。「一刻も早く経済改革を軌道に乗せなければならない時なのに、なぜ国民統合に逆行するような政策を推し進めるのか?」ということでしょう。モディ政権から人心が離反し、政権基盤が不安定になれば、当然のことながら経済改革のスピードも鈍化します。ユーラシア・グループによる2020年の世界十大リスクでも、政治のヒンドゥー化などを踏まえた「モディ首相の下で変わるインド」が第5位にランクされました。インドは経済だけでなく政治の行方も注視しなければなりません。(主任研究員 山田剛)

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