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山田剛のINSIDE INDIA (第116回)

(番外編)異形の大国イランとインド

世界で孤立、国内では路線対立も革命体制は盤石

 

2020/02/17

 米トランプ政権がイラン革命防衛隊のカセム・ソレイマニ司令官を殺害、これにイラン側が報復したことで一時は米・イランが戦争状態に突入する懸念が広がったが、今のところ双方は互いをけん制しながらひとまず自制している。だが、対立の火種は依然くすぶっており、イラン情勢はなお先行き不透明だ。

 そのイラン、インドにとっても伝統的な友好国であり、原油輸入元としてもイラク、サウジアラビアに次いで第3位。新型コロナウイルスの陰に隠れてあまり注目されてないが、インドがイラン南部ペルシャ湾のチャバハール港で進めてきた大規模な開発計画について、米政府は対イラン経済制裁の対象から除外する方針を明らかにした。

 インドはイランにおけるガス田開発や港湾建設、発電所・石油化学工場建設などのプロジェクトで10年以上にわたってイランと粘り強く交渉を続けてきた。他国企業と天秤にかけ、なかなか態度をはっきりさせなかったイランだが、米国との対立でいよいよ国際的孤立が深まったこともあり、インドに歩み寄りはじめたところだった。

 米政府がインドによるプロジェクトを「例外扱い」としたのは、中国との対抗上どうしても仲良くしておきたいインドへの配慮だけでなく、ペルシャ湾とアフガニスタンを結ぶ新たな交易路ができることで、米国が推進する「アフガニスタン・パキスタン(アフ・パク)」政策にとってもプラスに働くと判断したからだ。もちろんインドにとっても、緊張関係が続く隣国パキスタンを通過せずに友好国アフガニスタンに到達できるメリットがある。大手を振ってイランに投資できるようになったインド企業は今後、同港周辺で鉄道や天然ガスパイプライン、製鉄所、石油化学工場などの建設に着手する見通しだ。

 このように、インドにとっても重要な地域大国であるイラン。すべての女性が頭からすっぽりと黒衣(ヘジャブ)を被り、酒はご法度、何よりも選挙で選ばれた国会議員や大統領よりも、最高指導者アリ・ハメネイ師を中心とする聖職者の権限の方が強いという「異質な」国家体制。今回は、このイランについて考えてみたい

イランの革命はなぜ起きたのか

 イランはもともと中東随一の親米国家だった。シャー(国王)ムハンマド・レザ・パーレビの下で急速な近代化・世俗化と政教分離を進め、1979年のイラン革命まではミニスカートの女性がダンスホールで踊る光景も当たり前だった。シャーの急進的な近代化は反対派の弾圧や強権政治へと発展、これに反発した故ホメイニ師ら聖職者集団との対立が決定的となった。そして数百万人規模に及ぶ抗議デモの末、1979年2月にシャーの国外亡命によって革命が成就したのだった。

 この後、革命政権内部の権力闘争など、「革命第2幕」とでもいうべき出来事が続くのだが、イラン革命に決定的な影響を与えたのが「イラン・イラク戦争」だった。

 エジプトのサダト大統領に代わり、「アラブの盟主」の座をほぼ手中に収めた隣国イラクのサダム・フセイン大統領(当時)は革命の混乱に乗じ、国境紛争や河川の水利権、反体制派支援などで対立するイランを倒すのは今、と考え80年9月にイランへ侵攻。ここに88年8月まで約8年間に及んだイラン・イラク戦争が勃発した。

 だが愛国心に燃えるイラン国民は外敵に対して結束。「ホメイニ師万歳」を叫び地雷原に突入するなど死を恐れぬ進撃は、近代的兵器を備えたイラク軍兵士を震え上がらせた。「シャーのパイロット」と呼ばれたイラン空軍の将兵らは、当初「王政派」と見なされ拘束や拷問、左遷などの扱いを受けるが、生き残るために革命政権に忠誠を誓い、F-14戦闘機を駆ってイラク軍機相手に奮戦した。このように、イラン・イラク戦争は多大な犠牲を払いつつも、結果的にイラン革命体制を強化する効果を生んだ。

なぜ米国と厳しく対立しているのか

 当時のイラン国民は、米国を「圧政で国民を支配したシャーの後ろ盾」とみなしていたが、米国との関係が決定的にこじれたのが、革命を支持した学生ら若者によるテヘランの米大使館占拠事件だった。79年11月、米国に亡命したシャーの身柄引き渡しを求めて革命派学生らが大使館に乱入、米外交官や海兵隊員とその家族ら52人を人質に取った。これは国際法違反として非難され、一部では『人質』に対する非人道的な扱いも伝えられた。

 当時の米カーター政権は、人質奪還作戦を発動しイラン南部の砂漠地帯に軍用機を派遣したが、輸送機とヘリの衝突などで作戦は大失敗に終わり、人質の拘束はシャーが79年7月に死去した後の81年1月まで440日以上に及んだ。これは米国にとって大きな屈辱かつトラウマであり、この怒りの矛先がイラン革命政権に向かったといわれている。

 もちろん、イラン革命政権が今も中東に覇権を唱える米国を非難することで求心力を維持している側面もある。さらにはそのアメリカの「庇護」の下、パレスチナでイスラム教徒の土地を不法に占拠している(とみなす)イスラエルも許せない、との立場だ。イランの政権指導者やその支持者らは今なお米国を「大悪魔」、イスラエルを「小悪魔」と呼び、街には「アメリカに死を」といった過激な反米スローガンが目につく

 米国との対立はこれだけにとどまらない。実態は不明だが、イランはさまざまな手法で「イスラム教シーア派による統治」という政治理念の拡散、つまり『革命の輸出』を企図していると言われる。2016年、シーア派高位聖職者の処刑をきっかけにサウジアラビアと断交したことは記憶に新しいが、とりわけシーア派住民が多いサウジやイラク、イスラエルと対立するシーア派武装組織ヒズボラ(神の党)を抱えるレバノンなど中東各国はイランの動向に神経をとがらせている。このように、イランの存在が中東における米国の国益とまったく相いれないことも、長年の対立の背景にある。

なぜ革命体制は盤石なのか

 これだけ異質なイランの政治体制がなぜ革命後41年を経てもほぼ盤石なのか。諸説あるが、個人的には(1)政権を主導するシーア派高位聖職者と、バザール商人に源流を持つビジネス界の強固な関係(2)その聖職者らの「親衛隊」として忠誠を誓い、傘下に不動産・石油などの企業も抱えて経済にも影響力を持つ強力な革命防衛隊の存在(3)革命体制によって保護され、聖職者らを強く支持してきた多くの敬虔な貧困層や農民ーーなどが挙げられる。

若者やイラン国民の不満は高まっているのか

 インターネットや衛星放送で(しばしばイラン当局によって遮断されたりするが)正しい世界情勢を理解している若者や都市インテリ、ビジネスマンや富裕層、中間層らはイランに住む限り現体制に従わねばならない。こうした閉塞的な状況に反発した若者らの抗議行動を、治安部隊や民兵組織などが暴力的に封じ込める事例もしばしば起きている。17年末にはイラン政府の経済政策を批判する抗議デモが拡大。治安部隊との衝突などで20人以上が死亡したとされる。19年11月にも、ガソリン価格の引き上げに反発して全国で大規模なデモが発生。国際人権団体は衝突で300人以上が死亡したと指摘している。

 政府への不満が一気に高まったのは、176人が犠牲となった革命防衛隊による1月8日のウクライナ機誤射事件だ。当初虚偽の説明でミサイル誤射を認めなかった革命防衛隊の対応に怒った学生や市民らは首都テヘランや古都イスファハンなど各地で抗議デモを展開した。

 次の大きな節目は、2月21日に予定しているイラン国会(定数290)選挙だ。イランでは、立候補者に対し政権側の聖職者らでつくる「護憲評議会」が審査を実施、改革派や穏健勢力を相次ぎ排除する傾向がある。今回の選挙で改革派が大量に排除されるようなことがあれば、再び若者や都市住民の不満が一気に高まる可能性もありそうだ。

今後の米・イラン関係はどうなるのか~全面衝突は回避されたのか

 あらゆるメディアは時として戦争や対立を歓迎する方向に動くので、各種報道は慎重に見極めねばならないが、少なくとも対外的にはイラン国内の「反米」姿勢は変わらない。2020年1月中旬、最高指導者ハメネイ氏は約8年ぶりに金曜礼拝の導師として登場。米国によるソレイマニ司令官殺害を非難するとともに、革命防衛隊による1月8日のイラク駐留米軍基地への報復攻撃の成果を誇示した。穏健派と目されるハッサン・ロウハニ大統領も2月11日の演説で米国を厳しく批判し、諸外国からの圧力には妥協しない姿勢を強調した。

 2月13日には、革命防衛隊トップのホセイン・サラミ司令官がソレイマニ司令官の追悼式典で「米国とイスラエルが少しでも間違いを犯せば攻撃する」とぶち上げた。対外折衝を担うジャバド・ザリフ外相はさすがにソフトなアプローチを見せており、1月下旬に自国メディアのインタビューで核拡散防止条約(NPT)離脱について「欧州が核合意の義務を果たせばイランも義務を履行する」と発言、歩み寄りを見せた。しかし、米国との対話の可能性に言及したとたん、国内の強硬派から激しい批判を浴び、辞任要求まで突き付けられるに至った。イランでは体制内でもこうした穏健派と強硬派のせめぎあいが続いている。

 米国は18年にイランをめぐる核協議から一方的に離脱し、同年11月に対イラン追加制裁を発動した。これによって、イランの原油輸出量は制裁強化前の日量240万バレルから19年9月には同26万バレルへと激減、経済に大きなダメージを与えた。2020年1月下旬にも米財務省はイラン国営石油会社(NIOC)による原油輸出を支援したとして、香港の石油化学企業など4社を制裁対象に指定したばかりだ。

 ザリフ外相は1月下旬発行の独誌シュピーゲルに対し、(対米報復攻撃で)「米国側に死者を出す意図はなかった」と述べている。アメリカとの全面対決は望まない姿勢を強調したものとみられる。これはほぼ本当のことだろう。かねてイラン革命防衛隊のミサイル攻撃能力には定評があり、イラン側は多数の死者が出かねない兵舎への攻撃を回避し意図的に標的から外した、との見方が強まっている。

 米国民である兵士が戦闘行為で死亡すれば、文字通り一線を越えたことになり米国としても大規模な報復攻撃に踏み切る可能性が一気に高まる。イランはここで米国との全面戦争を何とか回避し、交渉で妥協を引き出す意図があったと考えられる。国連による経済制裁下で厳しい国際世論を見誤り、結果的に米軍の侵攻を招き政権が崩壊したイラクとは決定的に違う点だ。

 だからと言って、在外米軍基地が「敵対国」イランによって攻撃されたという事実は米国にとって極めて重大。米国そしてトランプ大統領の臨界点に一歩近づいたのは間違いない。また、合意の上限を超えた無制限のウラン濃縮を宣言するなど「暴走」するイランに対し、かつては理解を見せていた米独仏などからの風当たりが強まっているのも事実。イランの孤立化は依然解消されていない。おそらくこの緊張状態はトランプ大統領にとって心地よいものだろう。「強いトランプ」「イランに妥協しない指導者」を演じるには絶好の舞台装置が出来上がった。11月の大統領選挙投票日まで、イランをめぐる緊張が緩和に向かう可能性は極めて低いといえそうだ。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 今回は、インドにとっても重要な友好国であるイランについて現状を分析してみました。その異質性ばかりが強調される、中東でも際立った「謎の国」ですが、イランは年間100万台近い乗用車を生産する工業国でもあり、教育水準も民度も総じて高い文明国です。アメリカを敵に回してしまったがゆえに直接投資や貿易が限定され、経済発展が大きく阻害されている不幸な国でもあります。このイラン情勢を先行きはもちろん、米国の「次の」大統領が誰になるか、に大きく左右されそうです。(主任研究員 山田剛)

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