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山田剛のINSIDE INDIA (第117回)

インド・モディ政権、コロナと全面対決

「政治」忘れぬしたたかさ、対立招く不安要因も

 

2020/04/09

 世界的に感染が急拡大している新型コロナウイルスは、インドの政治・経済にも決定的な影響を与えつつある。4月10日午後の時点の感染者は6750人、死者は230人に達した(ザ・ヒンドゥー紙集計)。感染の急拡大で半ばパニックに陥っている欧米やアジア各国に比べると事態はそれほど深刻には見えないが、感染者数はインド政府が全土封鎖(ロックダウン)を発令する直前の3月24日に比べて14倍に増加している。13億人超の人々が日本並みの人口密度と脆弱な衛生環境で暮らすインドでひとたびコロナが大流行すれば深刻な影響が出るのは確実。インド政府もこの点を十分に理解しており、3月以降は全世界を対象とした入国ビザの無効化や国鉄・メトロ(地下鉄)、航空便の運行停止など徹底した措置を相次ぎ打ち出している。中でもモディ首相自ら国民に呼びかけたロックダウンは3月25日から21日間にわたって外出を禁じ、警察や消防、食料品店や薬局などを除くほとんどの官公庁や企業・商店の業務をストップさせ、感染拡大につながる人の移動を徹底して押さえ込もうとしている。

周到な「ロックダウン」

 ロックダウンの発表は実施のわずか4時間前。公共交通機関はもちろん、道路の通行も食料品輸送などに限って許可されるという徹底ぶりだ。警察官などの指示に従わずに外出して感染リスクを拡大させる行為はもちろん、流言飛語やフェイクニュースを流した者に対しては禁固1~2年という罰則まで導入した。日本で実施した「非常事態宣言」はあくまで「政府からの強い要請」であり、鉄道や高速道路などは通常通り稼働しているわけだから、インドのロックダウンは民主国家としては異例の強権的施策といえるだろう。政府はまず影響の少ない日曜日を選び、3月22日に一日限りの「ジャナタ・カーフュー(国民戒厳令)」を実施。これを事実上の予行演習とするなど、かなり周到に準備していた。

コロナ対策に神話を引用

 3月24日夜の国民向け演説でモディ首相は、インドの古典叙事詩「ラーマーヤナ」を引用。コロナウイルスをラーヴァン(魔王)にたとえ、主人公ラーマの弟ラクシュマンが魔王からシータ姫を守るために張った「結界」~つまりロックダウン~によって大切な人を守りましょう、という強いメッセージを発信した。

 ラーマーヤナの物語でシータ姫は魔王ラーヴァンによって言葉巧みに誘い出され、ランカー島(現在のスリランカ)へと拉致されてしまう。つまり、外界の誘惑に負けて結界(自宅など)から出てしまうと、コロナに感染する危険がありますよ、ということを誰にでもわかりやすく説明した。しかも、ロックダウンの21日間という日数は、ラーマがラーヴァンを倒して聖地アヨーディヤに凱旋するまでの日数と一致している。偶然かもしれないが心憎い演出。さすがはモディ首相、ヒンドゥー・ナショナリストの面目躍如といえるだろう。

 今回のロックダウンはさらに延長が確実な情勢だ。南部テランガナ州のチャンドラセカーラ・ラオ州首相(県知事に相当)は4月6日、モディ首相に対し、同月14日に満了するロックダウンの延長を進言。与党インド人民党(BJP)による3月の政権奪取劇で中部マドヤプラデシュ州首相に返り咲いたジブラジ・シン・チョウハン氏も連邦政府に同様の要請を行った。モディ首相も4月8日、「状況は非常に厳しい。我々は警戒を続けるべきだ」と述べ、14日以降もロックダウンを継続する考えを示した。中央野党の国民会議派が州政権を担う数少ない州となった北西部パンジャブ州のアマリンダー・シン首相もモディ首相らとのテレビ会議で、「外出禁止令は一斉に終了させず、地域ごとに段階的に解除すべきだ」との意見を表明した。

貧困層を直撃

 感染拡大を断固として封じ込めるという措置の方向性は極めて正しいが、この歴史的なロックダウンは日雇い労働者など都市貧困層を真っ先に直撃した。日銭が入らなくなった零細商工業者は瞬く間に破産の危機に直面。インドのメディアは、交通機関がストップする中、工場の閉鎖で職を失い、デリーやムンバイから故郷の村まで数百キロの道のりをとぼとぼと歩き出す出稼ぎ労働者の姿を伝えている。国際労働機関(ILO)は、ロックダウンによってインドの労働者のうち約4億人が貧困状態に陥る、と予測している。

 2020年3月に実施した日本経済研究センターのアジア・エコノミスト調査でも、「コロナウイルスの感染拡大は、インドや世界のサプライチェーンに打撃を与える。事態がいつ収束するのかという心理的不安要因も無視できない」(CRISILチーフエコノミストのダルマキルティ・ジョシ氏)などと強い警戒感を示した。印国立証券取引所(NSE)チーフエコノミストのティルタンカー・パトナイク氏も「2008年の世界金融危機と違って、コロナはまず実体経済に影響を与える。インド経済が向こう3年間にわたって低成長に陥る恐れもある」と指摘している。このほかにも、中小企業や建設業、日払い賃金に依存する労働者らに大きな影響が出るとの見方が大勢を占めた。

 全土にわたって市民生活に影響を与えた割には弱者にしわ寄せが行ったという点では、2016年11月の「高額紙幣廃止令」が思い出される。ブラックマネーをあぶりだし、キャッシュレス、デジタル経済への大胆なシフトを狙ったとされるこの措置だが、市民は無効になったキャッシュを新紙幣に交換するため銀行に大行列を作り、零細商工業者の失業や農業労働者の困窮など、マイナス効果のほうが大きかったとされている。さすがのモディ首相も、3月29日の国民向けラジオ演説で「市民に不自由をかけて申し訳ない」と謝罪した。もちろん、これらの影響は最初から分かっていたことだ。

30年ぶり低成長に転落も

 2019年10-12月期に4.7%という低成長を記録したとはいえ、海外からの直接投資は好調で懸案の不良債権処理もゆっくりとはいえ着実に進捗していた。自動車販売にもようやく底入れの兆しが出ていた中でのコロナ禍は、工業生産や輸出、販売はもちろん企業の設備投資や個人消費にも大きな影響が出るのは確実だ。

 格付け大手CAREレーティングスによると、ロックダウンによる経済損失は1日当たり3500~4000億ルピー(約5200億円~6000億円)。ロックダウン期間中の18営業日で6.3兆~7.2兆ルピーの規模に達する見通しだ。また同フィッチ・レーティングスは4月3日、こうした状況を踏まえて2020年度のインドの経済成長率見通しをそれまでの5.1%から2.0%へと大幅に引き下げた。この通りとなればインド経済は実に30年ぶりの低成長に落ち込むことになる。コロナ感染拡大の収束が遅れ、ロックダウンをさらに延長すれば、インド経済は一気にマイナス成長へと転落する可能性さえも否定できない。

相次ぐ景気刺激策

 もちろんインド政府も無策ではない。ステート・バンク・オブ・インディア(SBI)など国営銀行は3月下旬以降相次いで緊急融資枠の導入を発表。シタラマン財務相は同月23日、個人所得税の免税枠引き上げや各種利払いの猶予などを発表、翌24日には売上高50億ルピー以上の企業に対して利益の2%をCSR活動に支出するよう義務付けていた会社法の規定を見直し、この資金をコロナウイルス対策に使用してもよいとする通達を出した。そして26日には、総額1兆7000億ルピー(約2兆5000億円)に達する景気刺激策を発表。約8億人を対象としたコメ・小麦などの無償配布や女性への給付金支給などを決めた。経済対策はすでに第2弾、第3弾が準備されているという。そして27日には、インフレ懸念のため2会合連続で利下げを見送っていたインド中銀(RBI)が0.75%の緊急利下げを決定、政策金利レポ・レートは4.40%と、ほぼ10年ぶりの低水準となった。

 インド経済が不況に直面する中で起きた今回のコロナ禍。不謹慎な言い方かもしれないがモディ政権にとっては求心力回復につながる要素もある。多少の経済対策ではどうすることもできない災厄が降りかかったことで、政府としては「不景気はコロナのせい」「経済よりも当面は国民の命が大事」と腹をくくることができるからだ。

電撃的な政権奪取劇

 こうした中、コロナ騒動の間隙を突く格好で、与党・インド人民党(BJP)は3月、中部マドヤプラデシュ州で議会与党の国民会議派(コングレス)の有力政治家や州議会議員らを引き抜き、電撃的な州政権奪取を成功させた。寝返りを防ぐため造反議員らを隣接州のリゾートホテルに缶詰にして連絡を遮断するという周到さは、モディBJPのしたたかさを改めて見せつけた政変劇だった。

イスラム集会で集団感染か

 インドは果たしてコロナ感染拡大を阻止できるのか。今後の見通しには新たな不安要因も浮上している。4月上旬、商都ムンバイにあるアジア最大級のスラム「ダラビ」地区で、地元医師や市職員を含む3人のコロナウイルス感染が確認され、うち56歳の男性1人が死亡した。8日にはスラム内で新たに5人の感染が確認され、感染者は計13人へと拡大した。

 ダラビは面積2.1平方キロメートルの地域に100万人近くが暮らすまさに究極の「3密」状態。ここで感染爆発が起きれば、手の施しようがなくなる恐れがある。ムンバイ市当局は9日までにダラビ地区を事実上封鎖、周辺の路上で営業している青果販売業者らを一斉に立ち退かせた。

 北西部パンジャブ州では著名なシーク教指導者が3月中旬にイタリア経由で帰国後、新型肺炎で死亡。同師は直前に州内の村22カ所を訪問し集会を開くなどしていたことが判明し、地元保健当局は村人ら約4万人を対象に急遽コロナ検査を実施するなど対応に追われた。3月中旬には、デリー中心部のイスラム教徒居住区であるニザムッディンで数千人が参加した宗教集会が開かれ、このうち数百人についてコロナ集団感染が疑われている。仮に「イスラム教徒が感染拡大の原因」となった場合、ヒンドゥー教徒の強硬派がイスラム排斥に動き、宗教対立が再燃する恐れもある。

 これらは、大都市に人口過密なスラムが点在し、宗教と市民生活が極めて密接な関係にあるインドならではの社会的リスクを改めて浮き彫りにした格好だ。

 中国における感染拡大は一足早く「収束」しつつあるとされ、次の焦点は中国に次ぐ人口を抱えるインドの感染拡大防止策、となる。モディ政権が全力を挙げてコロナ対策に取り組んでいるのは間違いないが。その戦いの決着はまだ見えてこない。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 コロナウイルスの世界的な感染拡大は、あらゆる国の経済成長見通しや企業の経営戦略、そして市民の消費動向を根底から変えてしまいました。今はとにかく感染爆発を食い止めることが緊急課題で、新たな経済政策の策定やビジネスの構築はひとまず後回しとなります。脆弱な衛生環境で13億人超が暮らすインドでは、巨大スラムや宗教行事での感染が相次ぎ確認されるなど、リスクが顕在化しています。一連のコロナ禍の影響を最小限で食い止め、再び高成長軌道へと復帰できるのかーー。インドの戦いは続きます。(主任研究員 山田剛)

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