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山田剛のINSIDE INDIA (第118回)

28兆円コロナ対策は実を結ぶのか

失業1.2億人の緊急事態に

 

2020/05/31

 インドにおける新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収束しない。5月31日朝までの24時間で新たに8380人の感染が確認された。これは1日としては過去最高で、累計感染者は18万人を、死者は5100人をそれぞれ突破した。4月に入ると新規感染者数は二次曲線を描いて増加、累計では2週間前のほぼ2倍、日々7000人以上のペースで増え続けている計算だ。モディ首相も「パンデミック(爆発的感染拡大)」という言葉を使うようになった。その一方、国内では自動車メーカーなど製造業が相次いで生産再開に踏み切り、インド国鉄や国内線航空便も部分的に運行を再開している。しかし、罰則つきの都市封鎖(ロックダウン)によって4月だけでに1億2000万人ともいわれる大量の失業者が発生、レイオフや給与カットなどの影響も広がっている。インド政府は5月12日、GDPの10%に相当する総額2兆ルピー(約2兆8000億円)の経済対策を発表したが、その効果は未知数だ。

 5月末に発表された2020年1-3月期のGDP成長率は3.1%へと減速。リーマン・ショック後の2009年1-3月期に記録した0.2%以来、11年ぶりの低水準となった。インド経済をけん引する個人消費が前年同期比でわずか2.7%増にとどまり、設備投資が同マイナスとなったことなどが響いた。セクター別の粗付加価値(GVA)でみると、様々なてこ入れ政策もあって農林水産業が前年比プラス5.9%と健闘したが、製造業は1.4%減と3四半期連続のマイナス。好況時には2ケタの成長を見せていたサービス業も3.6%増と元気がない。2019年度通年の成長率も前年度の6.1%から4.2%へと急減速した。1-3月期はコロナ感染拡大の懸念が強まった時期ではあるが、全土封鎖(ロックダウン)の実施は3月25日からなので、人の移動をストップさせた影響がフルに反映される4-6月期の数字にはすでに悲観的な見方が強まっている。

 インドの有力格付け機関であるICRAでは、現行2020年度の経済成長率について「マイナス5%」という厳しい数字を予想している。インド経済がマイナス成長に落ち込むのは1979年度以来実に41年ぶりとなる。5月末で第4次ロックダウンは終了し、6月8日から宗教施設やレストラン、モールなどの再開が認められるが、感染者の発生が多い「封じ込めゾーン」については6月末までの延長が決まった。インド経済はさらに厳しい状況になりそうだ。

41年ぶりマイナス成長確実に

 「2020年度のインドの経済成長率はマナイスに落ち込む公算が大きい」--。5月22日、0.4%の緊急利下げを発表したインド中銀(RBI)のシャクティカンタ・ダス総裁は、苦渋の表情で見通しを発表した、もはや驚くべきことではなかった。2020年4月の輸出はなんと前年比6割減。「労働力」の輸出といわれ、インドの貿易赤字を埋める貴重な財源である海外出稼ぎ労働者による本国送金だが、世界銀行の予測では今年、前年比23%減の640億ドルに減少する見通しだ。世界経済の落ち込みに加え、900万人のインド人労働が暮らす湾岸アラブ諸国の経済も原油価格下落の影響で不調に陥っているからだ。

 長引くロックダウンは、出稼ぎ労働者など「日払い賃金」に依存している労働者や、零細企業、自営業者に最も深刻なダメージを与えた。4月だけで失業者が1億2000万人に達したと推計され、インド経済モニタリングセンター(CMIE)によると、20~30歳の若手労働者のうち2700万人が、30代では3300万人が職を失った、という。また国立応用経済研究所(NCAER)が4月上旬及び下旬に実施した調査では、所得が「大幅に減った」と回答した割合が日雇い労働者では72%に達し、月給取りの41%、農家の34%を大幅に上回った。自動車やプロパンガス、トイレ、屋内の上水道保有などで分類した下位3分の1に相当する「貧困世帯」のうち、実に半数近くが現金給付などの支援を全く受けられないでいた。臨時の食糧配給や現金給付の両方を受け取ることができた貧困世帯は、都市で12%、農村部で25%と大きな差がついた。就労者の3割が日雇い、半数が自営業、というインドの雇用実態の脆弱性が、コロナ感染拡大という国家的危機に際して改めて顕在化した格好。これは好況の時には見過ごされてきた弱点だ。これまでモディ政権を支えてきた若年層に失業が広がれば政府への不満が高まり、政治的不安定につながりかねない。

 生き残った企業でも今後のリストラは不可避だ。求人情報サイトのマイハイヤリングドットコムとサルカリ・ナウクリ・ドットインフォの調査(25都市11業種、1124社対象)によれば、68%がレイオフに着手あるいは検討中で、73%が従業員の減給を検討中という結果が出た。すでにロックダウンで苦境に追い込まれている観光、ホテルなどの業種ではレイオフも始まっている。また、オンライン投資顧問スクリプボックスが5月1日から15日にかけて国内1200社を対象に実施した調査では、ロックダウン期間中に売り上げが25%以上減った、と回答した社が全体の67%に達し、22%が「収益の正常化には1年以上かかる」と回答している。

 このように、ロックダウンによって収入減などの最も深刻影響を受けたのが、日雇い労働者や零細商工業者などいわゆる都市貧困層だ。軽作業と引き換えに現金を給付するMGNREGA(マハトマ・ガンディー国家農村雇用保障事業)や各種給付金などで比較的手厚い支援を受けている農民などに比べて、貧しい都市住民には一連の支援策がなかなか届かない。

相次ぎ工場再開

 その一方でインドは5月上旬から外出規制の段階的緩和に踏み切っており、5日には一部商店が再開。各地で久しぶりに店を開けたリカーショップに長い行列ができ、これを警官隊が追い散らす光景がそこかしこで見られた。生産休止に追い込まれ、4月の販売実績が軒並み「ゼロ台」という未曽有の窮状に追い込まれた自動車業界も、5月に入ると徐々に生産を再開している。7日に全国約6割の販売店が営業を再開したホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア(HMSI)では、販売再開後1週間で2万台が売れたという。同社は25日に年産能力250万台と世界最大級の二輪車工場である南部カルナタカ州ナルサプル工場を再開。デリー郊外ハリヤナ州のマネサール工場など残った3工場も6月第1週から再開する予定だ。

 5月9日には韓国・現代自動車が南部タミルナドゥ州にあるスリペルムブドゥル工場を再開。ルノーやタタ自動車がこれに続いた。乗用車のシェア45%を誇るマルチ・スズキはまず12日、アルトやスイフトなどの主力モデルを生産するマネサール工場を再開、当面1シフト体制となるが18日にはSUVや小型商用車をつくるグルガオン工場も稼働を再開した。25日にはトヨタ・キルロスカ・モーターがバンガロール郊外のビダティ工場の生産再開に踏み切った。

 人の移動を食い止めてきた公共交通の運休も徐々に解除されている。インド国鉄は6月1日から本数を絞って長距離列車の運転を再開、まずは1日200本の列車を7週間ぶりに走らせた。だが、感染予防を徹底させるため寝台車用の寝具や車内販売サービスは提供しない。待望の国内線航空便も5月25日から再開。乗客を座席数の1/3に絞り、手荷物は1個だけ、しかもチケット販売をオンライン予約に限定したうえ、運賃には上限と下限を定めた。北東部・西ベンガル州や南部アンドラプラデシュ州は連邦政府の呼びかけを拒否し、州内の空港再開をひとまず見送った。南部カルナタカ、タミルナドゥ、ケララ州などは到着した乗客に対して独自のコロナ検査を義務付けるなどしたため、現場では混乱も見られた。

実際の歳出は1割程度か

 ロックダウン翌日の3月26日に発表された総額1.7兆ルピーの経済対策の第2弾が待たれていたが、インド政府は5月12日、総額20兆ルピー(約28兆円)に達する経済対策を発表。シタラマン財務相が翌日からさみだれ式に中身を発表した。途上国のコロナ対策としては最大規模で、GDPの10%に達する経済対策との触れ込みだった。13日に発表されたのは、中小・零細企業(MSME)向けに総額3兆ルピーの無担保融資を導入。経営危機に瀕したノンバンク(NBFC)の流動性対策で3000億ルピーを用意した。また、地方の送電会社向けに資本を注入、所得税申告期限の延長や、総額20億ルピー以下のプロジェクトで外国企業の応札を禁止するなど、国内企業優先策も打ち出した。

 翌14日には、貧困層や出稼ぎ労働者8000万人に2か月分の穀物を無償援助、債務を負った零細農(40万ルピー以上の借り入れがある農家)に対する返済猶予、農民への直接所得補償(つまり現金給付)の前倒し支給。農家2500万人に対し計2兆ルピーの低利融資、都市貧困層向けの低利ローン提供やローコスト住宅の貸与、生業資金貸付などを発表。その後も農業インフラへの1兆ルピーに及ぶ投資計画や零細食料品店の支援、民間企業に対する石炭採掘の解禁、防衛産業への海外直接投資(FDI)において審査不要となる「自動承認ルート」の上限をこれまでの49%から74%へと引き上げるなど、小刻みに対策が打ち出された。

 5月13日に演説したモディ首相は「自立したインド(アータム・ニルバール・バーラト)」をキャッチフレーズに掲げ、コロナの危機をチャンスに変えていく、と宣言。「パンデミックは自立することの本当の意味を教えてくれた」と語った。要するに輸入や輸出に頼らず、自国生産や国産品の愛用で危機を乗り切っていこう、というメッセージだった。

 今回のコロナ対策。海外からは好意的な評価が多いが、国内の産業界からは異論や失望感が少なくない。総額20兆ルピーのパッケージとはいえ、金額にして40%近くがすでに発表済みの対策と重複し、多くが信用保証や融資枠をカウントしたもので、「実際の歳出は1~2兆ルピー程度」(アルビンド・パナガリア前Nitiアーヨグ=国家変革機関委員会=副委員長)とみられている。かねて自動車へのGST(物品サービス税、いわゆる消費税)税率引き下げを求めていたインド自動車工業会(SIAM)は、今回のコロナ禍に際しても一時的なGST減税などを要望していたが、ラジャン・ワデラ会長は5月下旬、「農業部門のテコ入れは長期的には自動車需要を喚起するが、即効性のある業界支援策が盛り込まれなかったのは残念」と失望感をあらわにした。同会長はさらに「2020年のGDP成長率が1%以下に落ち込めば、自動車産業は22~35%の売上減となる」「需要を喚起して失業に歯止めをかける対策を心待ちにしていたのが裏切られた」と厳しい評価を下している。

 インドを代表する産業に成長した自動車業界だが、1万社を超えると言われる部品メーカーは多くが中小・零細経営。ロックダウンで多くの労働者が職場を離れて帰郷したため、短期間での再配置はきわめて困難。すぐには製品の供給を再開できないため、完成車メーカーとしてもフル生産にはまだ時間がかかりそうだ。

需要喚起策の欠如

 大手格付け機関のCRISILも5月下旬に公表したレポートで経済対策について「方向性は正しいが消費需要を喚起していない。観光、航空、ホテルといった脆弱なセクターへの手当てがない」と批判。モディ政権と折り合いが悪く、任期延長されずに退任したラグラム・ラジャン元RBI総裁(シカゴ大教授)は、地元紙のインタビューで「カタストロフ(破局)」という言葉を使い、現状に強い懸念を表明。「中小企業はすでに借金漬け。新たなローンを提供する効果は疑問。それより貸し渋りが心配」と指摘、「米国型の救済策実施は不可能、まずは債務を軽減すべし」などと問題提起した。

 緊急経済対策の財源は、これまで同様にガソリンや軽油などにかかる燃料税の引き上げて捻出するものとみられており、販売減につながるとして自動車業界を中心に警戒感が出ている。政府は5月にガソリン、軽油の物品税を10~13%引き上げたばかり。これで1.75兆ルピーの税収増が確保されたが、さらに1リットル当たり3~6ルピー引き上げることで5000億ルピー前後の上積みが可能となる。増税でまかないきれない歳出は当然財政赤字につながる。2019年度の財政赤字は当初見通しのGDP比3.8%を上回り4.6%となったが、インド最大の商業銀行である国営ステート・バンク・オブ・インディア(SBI)が5月中旬に発表したレポートによると、2020年度の財政赤字はGDP比7.9%と、当初見通しの2倍強に拡大する、という。財政赤字の膨張は格付けの低下に直結し、インドが「投資不適格」の烙印を押される恐れがあるが、ラジャン氏は「財政赤字拡大によるレーティングの低下を気にするな」として、積極的な財政出動を促している。

 保健省が制作した啓発動画。「トラ トー ソチョー(考えてみよう) コロナ ロコ(コロナを食い止めよう)」というタイトルのラップソングだ。インドでは日常の光景となっている路上での唾吐きは感染症拡大の原因となるのでやめましょう!というメッセージをシンプルに伝えていて、映像は非常にクオリティが高い。語呂合わせも見事だ。さすが映画大国インド。

インド在住のビジネスウーマンにして多才なアーチスト、うらべあづきさんが、ヒンディー語の歌詞を和訳してくれました。とても雰囲気が出ています。

「ちょっと考えようぜ、コロナを止めよう」

ちょっと考えようぜ、コロナを止めよう、

簡単さ、表でツバを吐くなってコト。

そこらへツバを吐くだろ、

アンタは息も吐くだろ、

コロナが乗っかり広がってゆく、

ご一緒にコロナはいかがですか?

不幸も一緒にお持ち帰りってやつだ、

コロナはオレらにご到着さ。

声を上げろ、NOだと、

これはクソ悪いクセだ。

オマエはどこにも吐くんじゃねぇ。

路地裏に、壁に、やらかすヤツへNOを突きつけろ、

こんな悪臭放つ悪習とはオサラバしとけ。

足りないアタマでちょいと考えようぜ、

オマエの口から飛んだシャワーがどんだけの人を病気にできる?

知人も他人もお構いなし、

オレの小言伝えろよ、

オマエの家族に大声で言えよ、

そんでオマエの大事な人を守れ。

考えろ、考えろ、考えろ、

そして生き残れ、コロナから。

兄弟たちの歌を聞き、そしてコロナを止めようぜ。

ちょっと考えようぜ、コロナを止めよう、

簡単さ、表でツバを吐くなってコト。

ちょっと考えようぜ、コロナを止めよう、

簡単さ、表でツバを吐くなってコト。

危機をチャンスに変えるには

 コロナをきっかけに、インドでもいわゆる「新生活様式」への対応が進んでいる。人同士の接触を減らすオンラインやデジタル、キャッシュレスの普及は今まで以上に加速するだろう。自動車各社は相次ぎバーチャル・ショールームによるクルマのオンライン販売に乗り出している。ネット通販の盛況は言うまでもないが、「ステイホーム」でテレビの視聴時間が大幅に増えていることも新たなビジネスチャンスに結びつくかもしれない。スマートシティに実装される顔認証や支払い・利用交通機関の履歴などのデータ活用は、感染症の拡大防止に威力を発揮しそうだ。医療系スタートアップも改めて注目されるだろう。何よりも、インドではありがちな「密集」の防止、手洗いやトイレ利用奨励による公衆衛生の改善は、中・長期的に国民の健康増進や医療費の抑制といったプラスの効果を生む。しかし、今回の危機をチャンスに変えるためには、まず現在進行形のコロナ感染拡大を一刻も早く食い止めることが肝要だ。「やればできる」インド。なんとかここを乗り切って欲しい。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 インド経済は今年度、41年ぶりのマイナス成長に落ち込むことがほぼ確実な情勢です。鳴り物入りで発表された総額20兆ルピーの経済対策も、その即効性には疑問符がつき、国民や産業界は消費需要を喚起する追加的な措置を期待しています。これだけ過酷なロックダウンですが、労働者による小規模な暴動はあったものの、多くの国民が粛々と従っています。集団感染を引き起こしてしまったイスラム教徒への排撃も、当初心配したほどではありませんでした。コロナ禍が早期に収束すれば年度後半からの景気回復が期待されますが、まずは感染拡大にブレーキをかけなければなりません。(主任研究員 山田剛)

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