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山田剛のINSIDE INDIA (第121回)

政権基盤揺るがすインドの反「農業法」デモ

「買い上げ制度」廃止恐れ~変化望まぬ有力農民

 

2020/12/27

9月末に可決・成立した「2020年農産物流通促進法」など3つの新法、いわゆる「新農業法」に反対する抗議デモが一段と先鋭化、モディ政権の基盤を揺るがしかねない情勢となってきた。農産物流通の自由化や農業セクターへの民間資本導入を狙った新農業法は、モディ政権が遅まきながら打ち出した本格的な農業改革の第一弾。伸び悩んでいた農民の所得向上につながると期待されていたのだが、そこに大きな落とし穴があった。

州外、民間への出荷自由化

新たに施行された農業関連法は、(1)農産物流通促進法(2)農民保護・支援・価格保障及び農業サービス法、そして(3)改正基礎物資法の3つ。農産物流通促進法によって、これまでマンディと呼ばれる地域ごとの公設市場に農作物を販売することが半ば義務付けられていた農民は、州外の市場やスーパー、食品会社などの民間企業などに対して自由に作物を販売することが可能となった。マンディに君臨し、農民の情報不足に付け込んで農産物を買いたたく「ミドルマン」と呼ばれる仲介業者をある程度排除することにもつながりそうだ。ナレンドラ・シン・トマー農相は「新農業法は農産物の州間取引を促進し、農民に幅広い選択肢を与える」とメリットを強調している。

これまでも、大手食品メーカー向けにかんきつ類やポテトを供給する契約栽培などの「市場外取引」は盛んに行われており、地元紙の推計ではこれらのボリュームは農産物全体の40%近くに達するとみられている。新農業法によって、こうした優良農家の囲い込みは一段と拡大するだろう。もちろん、食品加工や農村向け金融、小売りなど関連サービスの成長にも期待が高まる。

しかし、拙速な法制化や事前の説明不足などもあり、肝心の農民の多くは最低支持価格(MSP)による「政府の農産物買い入れ制度」が廃止されると思い込み、一斉に反対に回った。これを野党や労組が扇動したため抗議デモはさらに激化、最悪の展開をたどった。右派民族政党シブ・セーナーや中央での最大野党国民会議派(コングレス)などの政党連合が州政権を握る西部マハラシュトラ州では、本来デモを押さえ込む側の州与党政治家らが率先して抗議デモを支援している有り様だ。

12月中旬には著名な学者ら10人が「市場でのセリ取引による価格形成を軽視すべきではない」「民間企業の参入で価格操作や農産物隠匿のリスクが高まる」などと警告、反対運動をさらに勢いづけた。それまでにも幹線道路を閉鎖し、高速道路の料金所を占拠したり、線路に寝転んで列車を止めたりと実力行使に打って出ていた農民らのデモ隊は、11月末になると首都デリーを目指して行進を開始、デリー・ハリヤナ州境など各地で警官隊と衝突した。この行進は1857年に起きた英東インド会社傭兵(セポイ、またはシパーヒー)の反乱と同じ「デリー・チャロー(デリーに進撃せよ)」というスローガンを掲げ、首都へと迫った。11月末の段階で全国で2億人以上が抗議デモやストライキに参加、30万人近くがデリーと周辺州境に張り付いていた。

デモ隊と警官隊の衝突では12月末までに50人以上が死亡、数百人が負傷するという事態に発展した。トラック運転手の組合などもストに参加したため、デリー周辺の物流にも大きな影響が出た。アミット・シャー内相ら政府首脳と農民代表は5回にわたって話し合いの場を設け、「MSP(最低支持価格)による農産物買い入れ制度の維持」や「新農業法の一部改正」などを提案したが、農民側はあくまで法律そのものの廃止を要求。さらには環境にダメージを与える麦わらの焼却を規制した法律の改正や、農村向け電力料金への優遇措置なども提示していて、いささか「調子に乗っている」という印象を受ける。こうした状況に対し最高裁も法施行の延期などを提案しているが、双方が大きく歩み寄る気配は見えず、平和的決着は程遠い状況だ。

新法に広がる警戒感

政府はこれまで、MSPによる農産物買い上げ制度は廃止しない、と再三繰り返してきたが多くの農民は聞く耳を持たないでいる。さらに、多くの農民は「民間企業との取引では、立場の弱い零細農民が大企業に価格主導権を握られてしまう」との警戒感を露わにしている

確かに新農業法には多くのデメリットが指摘されている。特に民間企業などとの相対取引が増えれば、価格形成における透明性の確保に問題が出る。需給によっては、民間企業への卸売り価格がMSPを下回る可能性もある。現に北部ウッタルプラデシュ州では2019年3~6月の約120日間のうち、67日間でラビ(乾季作)の平均市場価格がMSPを下回った。民間による農産物備蓄が解禁されるため、企業による買い占め招く可能性もある。MSP自体も政治家によって恣意的に決められることが多く、翌年に選挙を控えた2018年度予算案では一律50%の引き上げが実施された。そもそもMSPの算定方法にも異論が続出している。

今回の新農業法には、農民に対して適切な栽培技術や市場情報を提供して生産性向上を促すことなく、ある日いきなり「自由化します、好きなように農産物を売ってください」と言っている側面もある。これでは零細農は途方に暮れるほかはない。かといって今回の抗議デモは性急な改革で生活が脅かされる「貧しい零細農民の反乱」か、といえば決してそうではない。新農業法に反対する抗議デモの映像を見ると、デモに参加している農民の多くが、頭にターバンを巻いたシーク教徒であることに気づくだろう。抗議行動の中心地のひとつである西部パンジャブ州は、彼らシーク教徒が住民の6割近くを占め、その多くが農業に従事している。

パンジャブ州は英植民地時代からインド最大の穀倉地帯として知られ、かんがい普及率は全インド平均が50%弱なのに対して99%に達する。平均経営耕地面積も、平均の3倍を超える3.6ヘクタール。2020年にインド食糧公社(FCI)が買い入れた小麦のうち約33%、コメの20%がパンジャブ州産だ。2011年センサスによると、農家一戸当たりが受け取った補助金額は年間約12.2万ルピーと各州で最も多かった。こうした豊かな農業先進州ほど、既得権益を脅かす改革を恐れていることが手に取るようにわかる。政府は、「公設市場や買い入れ制度は廃止しない」と再三明言しているが、農民の疑心暗鬼はなかなか解消しない。公設市場の取り扱いシェアが減少すれば税金や手数料収入が減ってしまう各州政府も、本音では非常に不安だろう。

つまりモディ政権の農業改革は、農家を育成するという視点を欠いたまま流通改革を推進しようとしただけでなく、長年積み上げられた中核農家や農産物を扱う商人、そして公設市場に税収を依存していた州政府の既得権益に手を突っ込んでしまったのだ。二重の「失策」と言えるだろう。何よりもお互いの間に「信頼関係」がないことが歴然だ。

政策の大幅後退も

こういう事態になると、選挙の大票田ある農民の怒りを何とか和らげようと、政府が新法の骨抜きに動く懸念も出てきた。政府はマンディを通さない自由取引への課税や、公設市場を通さない業者を登録制にする案を検討中、と言われるが、もしそうなら大いなる逆戻りだ。農産物取引について、農民が各地方裁判所に対して異議申し立てをする権利を付与する妥協案も取りざたされているが、これなども濫訴となって収拾がつかなくなる恐れがある。

隠れた農業大国であるインドの耕作可能地の総面積は1.6億ヘクタールと世界最大。バナナやオクラ、綿花の生産量は世界第1位、サトウキビやコメは世界第2位だ。しかしインド国民の6割が直接・間接に従事している農業では、小麦の生産性は欧州の約3分の1、コメは米国や中国の半分程度。もっぱら補助金を食いつぶす厄介な存在でもある。農家向け電力料金は各州政府の意向でいまだに極めて低く抑えられている。近年は減少傾向にあるものの、2020年度連邦予算案では肥料への補助金に歳出総額の2.3%、約7130億ルピーが計上された。

大きな潜在力があり、なおかつこれだけ手厚く保護されてきたインドの農業が今なお自立できていないのは政府の無策によるところが大きい。MSPは米麦などの穀物や豆、油糧種子、サトウキビ、コットンなど23種類の作物に適用されているが、しばしば政治的思惑から価格の引き上げが行われ、国家財政を圧迫している。政府買い入れ価格が国際価格を上回るというゆがんだ状況も恒常化している。そして、農民の作付けが買い入れの対象である穀物などに集中して備蓄過剰に陥りやすいだけでなく、買い入れ対象でない野菜・果実など園芸作物の普及や経営の多様化を阻害している。

インド農業省によると、農家の約85%が耕地面積2ヘクタール以下の小規模経営。分割相続でどんどん農地が小さくなるという背景もあるが、平均保有耕地面積は1975年の約2.3ヘクタールから、2015年度には1.1ヘクタールへと半減している。肥料や農薬のコストは上昇しているのに農産物価格がなかなか上昇しない、というのが農民らが昨年、各地で抗議行動を行った最大の背景だった。現地メディアが最近実施した調査では「農民の42%が農業をやめたいと考えている」という厳しい結果が明らかになった。 首都に迫るデモ隊に対し、政府は催涙弾や放水などかなり手荒な手段で排除を試みており、これが農民らの態度を硬化させている。新農業法に対する一連の抗議行動が政権基盤を揺るがす事態に発展する可能性もどうやら否定できない。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

感染拡大のペースは鈍っているものの、インドの新型コロナウイルス感染者はついに累計で1000万人を超えました。そんな中、モディ政権は「国家百年の大計」ともいうべき労働法改正に着手、長年の懸案だった農業改革でも大きな一歩を踏み出しました。しかし、肝心の農民の反応はご覧の通り。どこで情勢を見誤ったのでしょうか。中国とのケンカもなかなか収拾がつかず、米バイデン新政権への準備もあまりできていないような気がします。2021年のインドは内政・外交ともに難しくなりそうです。(主任研究員 山田剛)

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