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山田剛のINSIDE INDIA (番外編=第129回)

インド選手団、東京パラで躍動~史上最多19個のメダル獲得

 

2021/09/06

 緊急事態宣言下での異例の開催となったパラリンピック東京大会が閉幕した。小さな混乱や事故はあったものの、大会関係者や選手に大規模な感染が広がることもなくまずは成功したと言えそうだ。それにしても車いすや義足、視覚障害の選手が、健常者と同等あるいはそれ以上のパフォーマンスを見せてくれた大会。何よりも人間の可能性と、多様なものを受け入れる共存社会への大きな希望を示したイベントだった。

 過去最多7個のメダルを獲得した東京五輪に続き、パラ大会においてもインド選手団は大いに躍動。金メダル5個(射撃、やり投げ、バドミントン)、銀8個(卓球、陸上など)、銅6個(射撃、陸上、アーチェリー)と、過去最多となる19個ものメダルを獲得する大活躍を見せた。

インド女子選手では2人目のパラ・メダリストとなった女子卓球シングルス(車いす)のバヴィナ・パテル選手(34)は、幼いころにポリオに罹患し下半身の自由を失うが、12歳の時地元グジャラート州アーメダバードで障がいを持つ子供たちが卓球に興じる姿を見て自身も卓球選手を志す。パテル選手が瞬く間に実力をつけて国内外の大会で好成績を挙げるようになると、両親は娘のために郊外の村で経営していた食器店を畳み、より良い競技環境を求めて州の中心都市アーメダバードに移住した。

 コーチのララン・ドシ氏との13年間に及ぶ二人三脚で世界ランキングは8位にまで上昇。元クリケット選手の夫も、献身的にトレーニングを手伝う「内助の功」で支えてきた。コロナ禍で対外試合もままならない時はインド・スポーツ庁(SAI)の補助制度で購入した28万ルピー(約42万円)の卓球ロボットを相手に一人黙々と練習を重ねた。連邦政府からの強化費だけでも70万ルピー(約105万円)に達した。先進国から見れば少額だが、インドを代表するパラスポーツ選手でも少し前には考えられない厚遇といえる。

 東京大会では優勝候補の選手を次々と倒して決勝に進出。中国の強豪・周影選手には0-3で敗れたが、待望の銀メダルを獲得。卓球ではインド初のメダルをもたらした。

 女子10メートル・エアライフル立射(SH1=下肢障がい)でみごと金メダルを獲得したのが西部ラジャスタン州ジャイプル出身のアヴァニ・レカラ選手(19)。10歳の時の事故が原因で全身に麻痺が残ったが、2008年北京五輪の射撃競技で金メダルを獲得したアビナブ・ビンドラ選手の著書を読んで一念発起、射撃選手の道を歩み始めた。いち早く才能を見出した両親もこれを全面支援。2017年のW杯で銅メダルを獲得して有名選手の仲間入りを果たした。19年、21年のW杯でも銀メダルを獲得。東京パラでは優勝候補とされるプレッシャーの中、見事期待に応えた。大会では連覇を狙った中国選手や、世界チャンピオン経験者のウクライナ選手を撃破し頂点に立った。レカラ選手は続いて出場した女子50メートルライフル3姿勢でも3位に入り、金、銅と2個のメダルを獲得した。

 男子やり投げ(F64=義足)で金メダルを獲得したスミット・アンティル選手(23)は6年前のバイク事故で左足のひざ下を切断。これまでに5回も世界新記録を更新してきた強豪で、東京大会でも68メートル55の世界新で優勝を飾った。リオで金メダルを獲得、連覇がかかった男子走り高跳び(T42=義足)のマリヤッパン・タンガヴェル選手(26)は、開会式でインド選手団の旗手を務めた。幼いころに父親が失踪し、母親が野菜売りをしながら一家の生計を支えた。タンガヴェル選手は5歳の時バスにひかれて片足を失うが、陸上競技との出会いが人生を変えた。東京大会では試技中の雨で義足側の靴下が濡れて跳躍の際の微妙なバランスが崩れ悔しい銀メダルに終わったが、試合後のインタビューで「パリ大会では再び金メダル奪回と世界新記録を狙う」と決意を示した。

 男女共通50メートルピストル(SH1)では、マニシュ・ナルワル選手(19)と、シングラジ・アダナ選手(29)が金、銀のワンツーフィニッシュを飾った。アダナ選手は男子10メートルエアピストル(SH1)でも銅メダルとなり、レカラ選手とともに個人での複数メダル獲得を成し遂げた。

 今大会のインド勢はメダルの大半を陸上競技と射撃で稼ぎ出したが、アーチェリーで唯一のメダル(銅)を獲得したのが男子個人リカーブ(ST=上肢・下肢障がい)のハルビンデル・シン選手(30)。3位決定戦ではセットポイント5-5で迎えたシュートオフで10点を射止めて韓国選手に勝利、五輪・パラを通じて同競技で初のメダリスト誕生となった。1歳半の時デング熱の後遺症で片足が不自由になったが、テレビ観戦した2012年ロンドン五輪のアーチェリー競技に魅了され、翌日から地元のアーチェリー場に入門するという行動力を見せた。2018年のパラ世界大会で優勝し一躍注目選手となり、東京大会には優勝候補の一角として臨んだ。現在はパンジャブ大学で経済学者として研究に従事している。母校は彼のために練習場を提供するなど全面的にバックアップしてきた。

 今大会から採用されたバドミントンでは計4個のメダルを獲得する活躍を見せた。男子シングルス(SL3=下肢障がい)ではプラモード・バガット選手(33)が金、マノジ・サルカール選手(31)が銅と、同一種目で2人が表彰台に上がる快挙。バガット選手は4歳の時にポリオにかかり、サルカール選手は1歳の時の医療事故でそれぞれ脚に障がいが残ったが、ともに高校生までは健常者に交じってプレーしていた。バガット選手は世界選手権4勝の強豪、サルカール選手も2016年アジアチャンピオンシップ優勝と、実績は十分。パラ本番で実力を発揮した格好だ。

 バドミントンでは大会最終日の9月5日にも、男子シングルス(SH6=低身長)のクリシュナ・ナガル選手(22)が金メダル、同SL4(下肢障がい)のスハス・ラリナケレ・ヤティラージ選手(38)が銀メダルを獲得して2個のメダルを追加、有終の美を飾った。

 インドは1968年のテルアビブ大会からパラリンピックに参加。1972年のハイデルベルク大会では水泳で初のメダル(金)を獲得している。2004年アテネ大会では金1銀2、北京ではメダル0だったが前回リオ大会ではすべて陸上で金2銀1銅1と4個のメダルを持ち帰った。

 リオでは5競技に19人の選手団を派遣したが、東京大会には陸上や射撃、卓球、アーチェリー、パワーリフティング、テコンドーなど過去最多の9競技・54人を送り込んだ。

 インド青年問題・スポーツ省やSAIでは、五輪選手と同様の手厚い支援策を提供。2016年には任意団体だった印パラリンピック協会(PCI)を公認団体に認定。選手育成に対する補助制度の拡充や報奨金制度の導入、メダリストに対する公務員採用オファーなども大幅に見直していた。21年8月にはインド選手団の応援ソングまで制作。パラ大会をPRするためのウェビナーを開催し、選手のメンタルヘルス支援にも細心の注意を払うなどかつてないサポート体制で臨んだ。

 大会期間中、ボリウッド映画のスターや人気クリケット選手などのセレブとともに、モディ首相ら有力政治家が連日SNSでメダリストたちの活躍をたたえた。政治的思惑と言ってしまえばそれまでだが、これらによって多くのインド国民がパラリンピックに関心を持つようになったのは確かだ。

 リオ大会女子砲丸投げの銀メダリストでもあるディーパ・マリクPCI会長は「選手はコロナ禍で練習もままならない中で大健闘した。政府の支援のおかげでインドのパラスポーツはようやく表舞台に立つことができるようになった」と語っている。その一方で、インド国内にまだ5か所しかないパラスポーツ・アカデミーについて「最低でも40~50か所は欲しい。そうすればパラ・アスリートを夢見る子供や若者が適正なクラスで競技に取り組むことができるようになる」と訴えた。

 インド・青年問題・スポーツ省やPCIでは大会前からパラ選手団に対し、金メダルに750万ルピー(約1100万円)、銀500万ルピー、銅300万ルピーの報奨金を支給すると発表している。これは五輪メダリストとほぼ同等の金額。このほか、ハリヤナ州、ラジャスタン州などメダリストの出身州の政府からはメダルの色に応じて最高6000万ルピーの報奨金が授与されることになっている。

 また、SUV・トラクター大手マヒンドラ・アンド・マヒンドラ(M&M)のアナンド・マヒンドラ会長は、やり投げで金メダルを獲得したアンティル選手に対し、同社の高級SUV「XUV700」の身障者向け特別仕様車を寄贈すると発表した。メダリストへのご褒美は先進国よりもかなり手厚い。

 これまで途上国では何かと差別されることが多かった障がい者が、スポーツによって大きな成功をつかめる舞台がパラスポーツなのである。名誉や金銭のために走り、飛ぶということがスポーツを志す動機であってもいいと思う。だが、アスリートが自身のハンデを乗り越え、可能性に挑戦することが最大のテーマであることに変わりはない。

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