揺らぐインドの世俗主義と多様性
モディBJP「一強」がもたらす「右傾化」と「ヒンドゥー化」
2022/01/04
インドの「国是」とも言うべき「政教分離」や「多様性」が揺らいでいる。若者や都市中間層の圧倒的な支持を受けて2014年に政権の座に就いたモディ首相率いる与党・インド人民党(BJP)だが、その最大の支持母体であるヒンドゥー教団体・民族奉仕団(RSS)の意向を強く反映、ヒンドゥー色の濃い政策を相次ぎ実施、イスラム教徒に対する差別的な政策を施行している。最大野党となった国民会議派など野党は警戒感を強めているが、国民の8割を占めるヒンドゥー教徒という大票田を前に、今一つ政府批判には勢いがない。
聖地バラナシ―に巨大寺院群
「この寺院群は単なる建築物ではない。我々のヒンドゥー教文化と精神の象徴なのだ」ーー。2021年12月13日、ガンジス川の沐浴で知られるヒンドゥー教の聖地バラナシー(北部ウッタルプラデシュ州)で開かれた「カーシー・ヴィシュワナート寺院回廊」の竣工式でスピーチしたナレンドラ・モディ首相は、この一大プロジェクトの意義を繰り返し強調した。同寺院回廊はガンジス川に面した沐浴場に面した約4万6000平方メートルの敷地に計23棟の寺院群を整備し、ヒンドゥー教巡礼者を迎え入れることが目的。総工費は今回完成した第一期分で約34億ルピー(約50億円)、最終的には80億ルピー(約120億円)に達する。この宗教都市バラナシーはモディ首相の選挙区でもあり(本人は西部グジャラート州出身)、22年春に実施されるウッタルプラデシュ州の議会選を強く意識した政治パフォーマンスであることは明らかだろう。
モディ首相は2020年8月にも、同じウッタルプラデシュ州のアヨディヤで再建が決まったヒンドゥー教寺院の起工式に出席、RSSのモハン・バグワット総裁とともに祝辞を述べた。アヨディヤはヒンドゥー教のラーマ神の生誕地とされ、1992年に政治家に扇動されたヒンドゥー教徒の集団によって破壊されたモスク(イスラム教礼拝所)があったことから、長年宗教対立の象徴となってきたといういわくつきの場所だ。一国の首相がこうした宗教行事に積極関与するということはどう考えても政教分離の原則に反すると思うのだが、10億人を超えるヒンドゥー教徒を抱えるインドにおいてはほとんど問題になっていない。
政権交代から間もない2015年、与党BJPが政権を握るデリー郊外のハリヤナ州や商都ムンバイを擁する西部マハラシュトラ州など各州で相次いで「牛のと殺禁止」や「牛肉の販売禁止」などの法律が施行された。ヒンドゥー教徒にとって、牛は神様の使いとして神聖視されており、これを殺して食べるなどもってのほか、というわけだ。この余波で北部ウッタルプラデシュ州西部のダドリ村では、食用目的で牛肉を所持していたとされるイスラム教徒が隣人らによって暴行を受け死亡するという事件も起きた。
インド最高裁は2017年、こうした各州の「牛肉禁止法」は無効との判断を示したが、その後も西部グジャラート州などで「食用や取引はOKだが、牛のと殺は禁止」「水牛の肉ならば処理しても構わない」といった規定付きで法律自体は存続。2021年2月にはBJP政権州でIT都市バンガロールを州都とする南部カルナタカ州で禁止令が施行された。また同年4月に実施した南部タミルナドゥ州議会選でBJPはこの牛肉禁止令の導入を選挙公約として掲げている。一連の動きはインド政治のヒンドゥー化の象徴として取り上げられることが多い。
法律で改宗を阻止
同様にBJP政権下にあるウッタルプラデシュ州では昨年11月、「2020年違法改宗禁止条例」が施行された。これは主にヒンドゥー教徒の女性と結婚するイスラム教徒の男性を念頭に、結婚に際して妻を改宗させることを阻止するのが目的、と指摘されている。この根底にあるのが「ラブ・ジハード(恋愛による他宗教の排撃)」という一種の陰謀論で、出生率でヒンドゥー教徒を上回るイスラム教徒がどんどん人口を増やし、やがてインドにおいて多数派となってしまう、と危機感をあおっている。イスラム教徒は総人口1億8000万人を数えるインド最大の「マイノリティ」だが、近年は出生数が顕著に低下しており10億人超のヒンドゥー教徒を数で上回る可能性は数十年単位で見ればまずあり得ない。こうした論法に対してはイスラム教徒団体はもちろん、穏健なヒンドゥー教徒からも異論が相次いでいる。
現地紙によると、同法の施行から1年間でイスラム教徒男性やその親族ら340人が立件され、72人が起訴されている。同様の法律は多くの州で施行されているが死文化しているものも多く、実際に検挙されるケースは少なかった。しかし20年12月には北部ヒマチャル・プラデシュ州、21年1月には中部マドヤプラデシュ州で新たに施行されており、人権団体やNGOなどは「国民による改宗の自由を奪うもの」と非難している。
また、2016年2月には、国立大学の名門ジャワハル・ラール・ネール大学の学生委員長だったカンハイヤ・クマール氏が扇動罪でデリー警察本部に逮捕されるという事件が起きた。印国会議事堂襲撃事件の実行犯で北部カシミール地方の分離・独立を掲げたムハンマド・アフザル・グル元死刑囚(13年2月処刑)を「追悼する」集会を大学内で開いたことが主な容疑事実だが、これも「言論の自由」を根拠に多くの学生や学者、文化人から非難が巻き起こった。
こうした「政治のヒンドゥー化」「右傾化」に拍車がかかった節目とされるのが、2019年8月の憲法第370条廃止とそれに伴う北部カシミール地方の「連邦直轄化」。そして同年12月の改正国籍法(CAA)可決・成立だった。
*関連記事「改正国籍法」で急浮上したインドの政治リスク(2020年1月21日)
CAA可決に際しては、学生や知識人らが激しく反発。抗議デモが全国規模で拡大し、警官隊との衝突などで60人以上が死亡。混乱に乗じる形で各地でヘイトや暴力の嵐が吹き荒れ、警察当局もこれを放置していた、という指摘が相次いでいる。
強力なヒンドゥー教団体の後押しを受けたモディBJP政権はどこに向かうのか。次なる動きは宗教ごとに存在していた民法体系を一本化する『統一民法典』の導入と言われている。また、小学校の教科書にヒンドゥー神話が採用され、歴史観に微妙な修正を加えるといった文化面での「ヒンドゥー化」につながる動きも出てきた。
世俗主義の揺らぎに高まる危機感
野党も決して沈黙しているわけではない。国民会議派の有力指導者で党内改革の旗振り役でもあるシャシ・タルール元外務担当国務相(元国連事務次長)は2020年秋、通信社とのインタビューで「インドには寛容の精神があり、多様性は中心概念である。憎悪によって世俗主義の根幹が揺らぐことはないと信じる」としながらも「原則や実践としての世俗主義が危機に瀕している」と警告。21年10月には同じ会議派幹部であるP・チダムバラム元財務相が「モディ政権は世界に向かって多様性を喧伝しておきながら、国内では多数派主義を推し進めている」と批判している。しかし、それでも10億人を超えるヒンドゥー教徒が政治においては最大かつ最重要の票田であることに変わりはない。国民会議派のラフル・ガンディー前総裁はここ数年、各地の州議会選キャンペーンで頻繁に地元のヒンドゥー寺院を訪問し敬虔なヒンドゥー教徒をアピールする一方、「穏健なヒンドゥー主義」を掲げるようになった。政治の舞台でヒンドゥー教徒を敵に回すことはできないのである。
さすがに国外の論調は少々厳しい。カーネギー国際平和財団のレポート「インド世俗主義の運命」(2019年)ではすでに「インドの世俗主義や多様性が危機に瀕している」と指摘。「BJPがヒンドゥー多数派主義を掲げ始めた」と分析、「ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭は、宗教的多様性というインドの価値を損なう」と総括した。このほかにも欧米のシンクタンクやNPOなども「インドの多元主義や個人の権利擁護」について懸念を相次ぎ表明している。
その国の方向性を決めるのは国民と、その国民に選ばれた政治家である。この意思決定プロセスに対しては外国人研究者が軽々に口をはさむべきではないと思うのだが、やはりどう考えてもモディ政権は危険な方向に進んでいる気がする。第2次モディ政権の任期は2024年春まで残り2年余り。22年春には2億人超の人口を抱えるインド最大のウッタルプラデシュ州と、先の新農業法反対デモの急先鋒となった農民が多い北西部パンジャブ州で5年に1度の州議会選が行われる。まずはこの結果をしっかり見届けたい。
*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら
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