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山田剛のINSIDE INDIA (第143回)

インド「信教・報道の自由」は新たなリスクとなるか

 

2023/08/03

 未曽有の国難となったコロナ禍を乗り切り、高成長軌道への復帰へと歩みを進めるインド・モディ政権は、日欧米と中国・ロシアという両陣営の間で絶妙な外交戦術を駆使し、国益の最大化を図っている。9月には議長国を務める主要20カ国・地域(G20)首脳会議という大舞台で、新興国・途上国のリーダーに名乗りを上げる。だが、国内ではイスラム教徒など宗教マイノリティに厳しい政策を導入、インターネット遮断で抗議デモを抑え込み、メディアへの圧力も強めるなど、インド独立以来の国是であった自由や世俗主義、多様性に揺らぎも見えてきた。来春の総選挙で3期目を目指すモディ首相ら指導部の政権運営についてその真意を探ってみたい。

民主主義は「インドのDNA」

 「人々がそんなことを言っているとは驚きだ。インドにはカーストや宗教、ジェンダーに基づくあらゆる差別も存在しないーー」。6月22日、ワシントンでバイデン米大統領との共同記者会見に臨んだモディ首相は、イスラム教徒など宗教マイノリティに対する差別的な政策や報道の自由などにについて問われ、こう反論した。モディ氏はさらに「民主主義こそがインドのDNAだ。人権がなければ民主主義ではない」と強調。この後も十数回にわたって「民主主義」という言葉を繰り返した。英語があまり得意ではないという事情があるためか、めったに外国メディアの前に立たないモディ首相だが、会見が実現したのはホワイトハウス記者会の強い意向が働いたからだろう。動画を見る限りモディ氏はかなり冷静に対応していたが、異例の記者会見はやや緊張感が強まる結果となった。

 この質問をしたのは米ウォールストリート・ジャーナル紙の女性記者でパキスタン系米国人サブリナ・シッディキ氏。モディ首相には驚きだったかもしれないが、2014年の政権発足以来、信教や言論・報道の「自由」が問われた案件は決して少なくない。2015年にはモディ首相率いる与党・インド人民党(BJP)が政権を握る州を中心に「牛肉販売禁止条例」が出され、食用目的として牛肉を所持していたとされるイスラム教徒が村人からリンチを受け殺害されるという事件も起きた。人口11億人に迫るインドの多数派ヒンドゥー教徒にとって牛は神の使いとされる神聖な存在。殺したり食べたりするのはもってのほかというわけだ。

 同様にBJP政権州にある小学校などではヒンドゥー神話を掲載した教科書が配られるなど、インド政治・社会のヒンドゥー化が指摘されてきた。2023年2月にはガンジス川の沐浴で知られるインド北部バラナシー郊外に総工費90億ルピー(約156億円)を投じた壮大なヒンドゥー教寺院群「カシ・ビシュワナート・テンプル」が完成し、モディ首相自ら竣工式に列席している。

巨大ヒンドゥー教団体が後ろ盾

 こうしたヒンドゥー色の濃い政策が次々と実施されるのは、与党BJPのバックにヒンドゥー教の優越を主張する団体「民族奉仕団(RSS)」が控えているからだ。モディ氏らBJPの有力政治家の多くはRSSの活動家として認められ、政界に進出してきた。理論派の政策通からIT(情報技術)のエキスパートまでをそろえたRSSは、選挙になると抜群の組織力で票集めに動き、BJPの勝利に大きく貢献してきた。RSSのモハン・バグワット総裁は「インドに生まれたものは皆ヒンドゥー教徒である」などと、しばしば「宗教」や「ジェンダー」において不穏当な発言を繰り返してきたが、大きな批判が巻き起こる事態には至っていない。

 BJPはもともとRSSの「政治部門」としてスタートした経緯がある。「ヒンドゥー国家建設」を掲げ、イスラム教徒に厳しいRSSのイデオロギーはモディ首相ら有力政治家も表立っては逆らえない。ただ、2004年までのBJP政権で首相を務めた故アタル・ビハリ・バジパイ氏は、インディラ・ガンディー政権時代の「弾圧」に抵抗した筋金入りの政治家で、そのカリスマ的人気と粘り腰でRSSの要求を抑え込むことができた、と言われている。民衆に語り掛ける話術のうまさや気配りという点では、強面で鳴らすモディ首相よりも数枚上手だったという印象が残っている。

カシミールを「併合」

 2016年には、インド国会議事堂襲撃犯のイスラム過激派メンバー、アフザル・グル元死刑囚の追悼集会を行ったとして、名門ジャワハル・ラール・ネール大学(JNU)の学生委員長カンハイヤ・クマール氏が扇動罪で逮捕された。このときは「過激な左翼学生の逸脱行動」として片づけようとする報道も少なくなかったし、無視を決め込んだメディアもあった。

 そして2019年の総選挙で圧勝したモディ政権が2期目に入った同年8月、政府はイスラム教徒が多く住む北部ジャンムー・カシミール州に対する優遇措置を定めた憲法370条などを廃止し、連邦直轄地へと「併合」した。そして同年12月には、難民にインド国籍を与える対象からイスラム教徒を除外する国籍法改正案が可決・成立。これに反発した野党や学生、人権団体などが各地で抗議デモを実施、警官隊との衝突などで翌年3月までに65人以上が死亡、3000人以上が拘束される事態となった。こうした抗議行動の続発による混乱で、安倍晋三首相(当時)の訪印がキャンセルされたことは記憶に新しい。

 国連安保理決議に従えば、住民投票で帰属を決めるまではカシミール地方全体が「中立地」と解釈される。そのカシミールを一方的に「併合」したことはイスラム諸国の反発を招き、テロ事件をきっかけとした軍事衝突で暗礁に乗り上げていたインド・パキスタン和平プロセスの再開も絶望的となった。

 22年6月にはソマリア難民出身のムスリム女性議員イルハン・オマル氏の動議によって、米下院で「米信教の自由法」に基づいてインドを「要注意国」に認定するよう国務省に勧告することを求めた決議案が提出された。今回のモディ首相訪米直前にも、民主党議員ら75人がバイデン大統領に対しインドの「言論・信教の自由」について問題提起するよう求める書簡を送っている。共同記者会見での質問にはこうした背景があったのだ。

報道の自由でもランクダウン

 さらに、世界のジャーナリストでつくる「国境なき記者団」(RSF)が発表した2023年度の「報道の自由ランキング」でインドは前年の世界150位から161位へと大きく後退した。モディ首相との緊密な関係が指摘された大財閥オーナーのゴータム・アダニ氏率いるアダニ・グループによる有力ニュースTV局「NDTV」の買収などが影響したとみられる。

 また、ネット監視団体「アクセス・ナウ」は23年3月、前年2022年に世界で計187回実施されたインターネット遮断のうち、84回がインド国内で実施されたとするレポートを発表した。実際、改正国籍法に反対するデモに際しては、JNUなど左翼的傾向の強い大学周辺がピンポイントで通信遮断の対象となっていた。

 そして今年1月、英BBCは2002年に宗教対立から1000人以上の死者を出した「グジャラート暴動」におけるモディ州首相(当時)の責任を蒸し返すドキュメンタリーを制作・放映した。インド政府は「植民地主義を反映したプロパガンダ」などと激しく反発、国内で同番組を放送禁止とした。翌月にBBCのデリー、ムンバイ事務所に税務当局の査察が入ったことで事態は急展開。放映から4週間後というタイミングもあって政権による報復措置との見方も出ている。この事件がその後、現地駐在メディアの報道姿勢に影響を与えたのは疑いない。

揺るがぬ国民の支持

 本コラムで繰り返し指摘しているが、はっきりさせておかねばならないのは「国籍法改正」や「カシミール地方の特権はく奪」など「反イスラム的」とされる政策はいずれも2019年総選挙でのBJP選挙マニフェストに明記されている、ということだ。政府・与党としては選挙に勝利した以上、公約を実行するのは当然。これら政策は多くの有権者に支持されていると主張することができる。

 カシミールの「併合」についても、「優遇措置は逆差別である」と断じ、汚職にまみれ災害復興を疎かにしてきた地元政党から権力を取り上げるため、とした連邦政府の説明は一応筋が通っている。ネットや携帯電話の遮断も、その運用はともかくとして「2000年IT法」などによって、「治安維持の目的」であれば合法とされている。

 有力誌インディア・トゥデイの定評ある世論調査「ムード・オブ・ザ・ネーション(MOTN)の23年1月版によると、モディ政権最大の「功績」として「憲法370条の廃止」を挙げた回答者が14%、流血を招くなど長年の激論の末に実現した「アヨディヤのラーマ寺院再建」や「カシ・ビシュワナート寺院群の建設」が12%に達しており、「コロナ対策の成果」の20%に次ぐ評価を得ている。ちなみに「最大の失政」では、物価高が25%、失業が17%、コロナ対策が8%、などとなっている。ヒンドゥー寺院建設が評価されるのは、マジョリティであるヒンドゥー教徒には敬虔な信者が多いということを示している。ここにアピールすれば政権は安泰、というわけだ。

 そして「次の首相としてだれがふさわしいか」との問いには53%が現職の「モディ首相」を挙げ、最大野党・国民会議派のリーダーであるラフル・ガンディー元総裁の14%を大きく上回った。モディ政権の総合評価についても経済の好転を背景に「際立っている」「よい」の合計は72%に達し、21年8月調査時点に比べて20ポイント近く上昇している。

 英国の欧州連合(EU)脱退(ブレクジット)と同様、憲法370条の廃止や国籍法改正を「本当に実行したらどうなるのか」について、一般有権者がそこまで深く考えていたとは思えないが、これ以上の論評はインドの民主主義そのものに疑義を呈することとなるので自粛したい。

いよいよ「統一民法典」導入へ

 もう一つ気になるのは同じく2019年の選挙マニフェストに明記されている「統一民法典」の導入だ。インドではこれまで、婚姻や相続などで独自の慣習を持つイスラム教徒には独自の民法を認めていた。だが、多数派ヒンドゥー教徒の間では「イスラム教徒が異なる民法を持つことは法の下の平等に反する」「インドの統一が損なわれる」として共通の民法体系をつくりイスラム教徒にも適用させるべきだとする意見が強まっていた。

 もちろん、イスラム教徒の側から見れば「信教の自由」や「宗教的価値観」が脅かされることになるし、人間の生き方に関わる問題を政治的配慮で決めていいのかという疑問は残るが、多数派であるヒンドゥー教徒の大部分は民法の一本化を支持している。すでに政府は諮問委員会を設置し一般からの意見集約を進めているが、来春の次期総選挙における新たな争点となり、抗議行動に発展する可能性も出てきた。

 本来なら、こうした新興国の人権問題にモノを申すのがアメリカの役割なのだが、冒頭のようにバイデン大統領はモディ氏を国賓として招いて厚遇。最新鋭兵器の売却や重要軍事技術の提供を含む兵器の共同生産などでも合意した。この背景にはやはり降ってわいた「ロシア」そして「中国」という要因が大きく働いている。国際社会から非難の矛先が向くロシアと緊密な関係を維持し、米国のライバルである中国とも対等に渡り合っているインドに対して、バイデン政権は見事なほど気配りを見せている。よく聞く「インドに厳しくすると中ロの陣営に接近してしまう」というのはやや突飛な考え方ではあるが、米欧などにそういう警戒感があるのは事実だ。

 今回の米印首脳会談では、ジェットエンジンの共同生産や海上配備型の武装ドローン(無人機)の輸出で合意。これ以外にも米国はりゅう弾砲や装甲兵員輸送車、空母艦載機などのインド向け売り込みで交渉を続けている。軍事技術の国外供与を厳しくコントロールしてきた米国としては異例の特別扱いと言っていいだろう。

 インドはロシアから大量の原油を割引価格で輸入し、国連安保理でのロシア非難決議を棄権するなどロシアとの友好関係を維持していることはもはや常識。また、2020年6月のヒマラヤ山麓の国境地帯での衝突以来、関係悪化が伝えられる中国ともインドはしっかり付き合っている。衝突直後に印中の国防相が会談、その後も軍高官レベルや事務方同士の協議は遅滞なく継続している。一時ほぼストップしていた中国の対印投資案件も徐々に復活しつつある。

 インドはロシアとの原油取引を「国益のため」と言い切り、「クアッドなど日米欧の陣営と、上海協力機構(SCO)を中心とする中ロの陣営との関係を両立させる」と明言している。「ロシア」と「中国」というファクターをフルに利用し、まさに国益を最大化しようとしているのがインド外交だ。もちろんそれ自体、独立国インドの立派な戦略であり、米国も当面はインド重視の姿勢を変えることはなさそうだ。

 モディ政権は国際情勢を味方につけ、かつてない「全方位外交」を展開中だ。9月に議長国として臨むG20首脳会議で成果を上げれば名実ともにグローバル・サウスの盟主として認められる。モディ氏の眼にはすでに「超大国への仲間入り」という絵柄が浮かんでいるのだろう。「ロシア」や「宗教」をめぐる批判はくすぶり続けるだろうが人口の約8割に達する多数派ヒンドゥー教徒の支持を固めている限り政権基盤は盤石といえる。与党BJPを脅かす強力な野党が見当たらないとはいえ、少なくとも来春の総選挙まではこのまま突っ走りそうだ。

*第100回(2018.5.11)までのバックナンバーはこちら

 BBCへの税務査察は、現地の内外メディアに少なからぬ動揺を与えたようです。駐在員事務所に過ぎないメディアの現地支局にとって、処理に膨大な労力を割かれる税務問題はまさに最大の弱点だからです。

 こうした状況下では、各メディアも正面からインド政府を批判しようという気にはならないでしょう。現地発のニュースがインドのネガティブな部分になかなか踏み込まないのはこうした事情があるようですが、残念ながら政府の言い分を無批判に伝える報道も散見されます。少なくとも「グローバル・サウスの盟主」を目指すインドが、こうした途上国に多いイスラム教徒に対する差別的(と受けとめられる)政策を続けることは明らかに矛盾しているのですが、この点を指摘し問いただそうとする報道はほとんどみられません。

 外に見えていることだけで政治や外交を伝えようとすると、インド政治のアヤや裏事情を知らない一般読者や企業関係者をミスリードする心配があります。政権に忖度して都合の悪いことを意図的に省いたレポートも未来永劫残りますので、報道や研究に携わる者としては常に緊張を強いられます。インドの自由や民主主義、多様性が揺らげば、インドと手を携えて中国やロシアといった権威主義大国と渡り合うといった外交ビジョンが成立しなくなります。そして日本企業の多くが再びインドに目を向け始める中、「宗教」や「民主主義」で政権の安定性が損なわれればビジネスにとってもリスクになりかねません。

 ただ、インド・モディ政権はマジョリティのヒンドゥー教徒にさえ支持されれば政権が維持できることを十分に理解しています。政治家の判断としては間違っていないでしょう。政界では来春の総選挙に向けて国民会議派など野党26党による新たな政党連合が発足しましたが、ただちに与党BJPにとって大きな脅威となることはなさそうです。「モディ一強」はしばらく続きそうです。

 それでも、報道されている以上に国外からインドへの風当たりは強まっているように思えます。インドが新興国の代弁者、グローバル・サウスの盟主を本気で目指すのならば、イスラム教徒など宗教マイノリティとの融和を進め、建設的な批判を受け入れる度量も必要でしょう。日米欧にしばしば敵対的な姿勢を見せ、こわもて外交を推し進める中国とは一線を画し、インドには「国際社会で尊敬される国」になってほしいと思います。

(主任研究員 山田剛)

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