貿易戦争に勝って国力損ねるトランプ流
2018/09/05
「強者と弱者の間では、強きがいかに大をなし得、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱し得るか、その可能性しか問題になり得ないのだ」(注1)
紀元前5世紀、圧倒的な武力でメロス島を包囲した都市国家アテナイの使節は、理性的な交渉を求めた島の代表にこう宣言して降伏を迫った。ツキディデスの『戦史』が描写する有名な「メロス島の対話」の光景だ。
島側は要求を受け入れずに戦いを選び、敗北した。島の男たちは全員処刑され、女は奴隷にされたという。「国際政治で決め手になるのは結局のところ力だ」という冷徹な現実を示す最古の一例としてリアリストの学者らがよく言及する。
メキシコが一方的に譲歩
アテナイの使節さながらの強者の論理で世界の国々と対峙しているのがトランプ米大統領だ。相手が友好国だろうが同盟国だろうがおかまいなしである。
最新の犠牲者になったのはメキシコだ。米国とメキシコは8月末に北米自由貿易協定(NAFTA)の見直しで合意したが、元の姿に比べればメキシコが一方的に譲歩したことは明白だ。
メキシコから米国へ関税ゼロで輸出できる自動車・部品の原産地規則のハードルは高くなり、時給16㌦以上の賃金を払った拠点で生産される部分が40~45%ないと関税(現在日本などに適用されている2.5%)を課されることになった。それだけではない。一定の規模を超えた対米輸出部分には、米政権が安全保障を理由に高関税(最大25%)をかけることを事実上容認する内容の付帯条項でも合意している。これによって、世界の自動車メーカーからのメキシコ向け新規投資は大幅に減る公算が大きくなった。
なぜメキシコはそれを受け入れたのか。答えは、現在メキシコで稼働中の工場からの対米輸出に25%の高関税をかけられるという最悪の事態は回避できたからだ。交渉を担ったグアハルド経済相は「(現在の生産額を上回る一定規模までは)米国市場に関税ゼロか2.5%でアクセスできることが保証された」と成果を強調する。裏返せば、米国の要求を受け入れなければすべてのメキシコ製自動車・部品に高関税を課すぞという米国側の脅しがいかに強烈だったかを示している。
相手国通貨が安くなれば関税上げも?
トランプ政権の脅迫に耐えかねて降伏したのはメキシコで4カ国目だ。韓国は今年3月、鉄鋼の高関税を免除してもらうかわりに、輸出量を過去3年間の平均の70%に抑える自主規制を受け入れた。米韓自由貿易協定(FTA)を見直して、米国の25%のトラック関税を撤廃する時期を2041年まで20年先延ばしすることにも同意した。アルゼンチン、ブラジルも韓国と同様に鉄鋼の輸出自主規制に応じている。
いまトランプ大統領の矛先が向かっているのはカナダとトルコだ。米国とメキシコとの交渉中に蚊帳の外に置かれたカナダは、納得できない協定見直しには応じない姿勢を堅持しているが、大統領は「取引が成立しなければ高関税をかけるまでだ」とツイートで脅しをかけている。
驚くべきなのは、経済危機に直面しているトルコに対し、3月に引き上げたばかりの鉄鋼とアルミニウムの関税率をそれぞれ2倍の50%、20%にすると表明したことだ。根拠は不明確だが、トルコ・リラが急落していること、米国人牧師の拘束問題などで2国間関係が悪いことに言及している。どちらが理由にせよ、為替や2国間関係次第で関税は自由に上げてもいいということなら悪しき前例になる。
「EUも中国並みに悪質」
さしもの米国も、大国の中国や欧州とはがっぷりよつの戦いを強いられている。かけた高関税には同規模の報復関税で対抗され、にらみあいが続く。とはいいながら、トランプ政権は中・欧どちらに対しても最後は力で勝つことができると信じているようだ。
ロス商務長官は5月の講演で「中国はいずれ音を上げる」と強気な見方を示した。中国の米国からの輸入は輸出よりはるかに小さく、いずれ報復関税をかける対象はなくなる。中国は食料の海外依存率が高いので大豆など農産品に高関税をかけられることの痛みも大きいと強調した。
欧州とは7月に貿易戦争の一時休戦で合意したが、その後協議は進展していない。トランプ大統領は8月末の通信社との会見で「欧州連合(EU)は中国とほとんど同じ程度に悪質」としたうえで、「彼らは米国との取引を熱望している」と述べた。
米国は、各国が世界貿易機関(WTO)を通じて米国の保護主義的な措置を撤回させる道もふさぎつつある。貿易紛争に対してルールに基づく判定を下すWTOの上級委員の再任を立て続けに阻んでいるからだ。このままでは、各国が対米提訴に踏み切っても審査は進みそうにない。
日本も自動車で譲歩迫られる公算
日本にとっても状況は厳しくなりつつある。8月から米国との間で新たな貿易協議を始めたが、カナダやEUへの冷徹な対処の仕方を見れば、「米国は同盟国との争いという愚を避け、最も重要な対中戦略に焦点を定めるはず」という楽観論には頼れなくなった。
注目すべきなのは、米国とメキシコとの新協定が日本に与える影響だ。結論からいえば、日本が自動車問題で相応の譲歩を迫られる公算を高めたといえる。新協定は米国の自動車産業の価格競争力を低下させてしまう内容であり、日欧などの輸入車に有利に働くからだ。なぜか。
1つ目のポイントは、賃金条件も含めた原産地規制の厳格化だ。新規制に合わせるにはメキシコ拠点での賃金を上げたり、米国での部品調達比率を上げたりしなければならず、米国産自動車の生産コストは上昇する。新規制に無理に合わせず2.5%の関税を払う場合もコストは同様に上がる。2つ目は、メキシコが一定規模を超える自動車・同部品の対米輸出への高関税を事実上認めたことだ。高関税が適用されれば、メキシコ製部品を使った自動車のコストは増し、メキシコ産自動車の価格も上がる。いずれにしても、米国に直接輸出する日欧などの自動車はコスト・価格面で相対的に優位に立つので、米当局は何らかの対抗措置を取ると考える方が自然だろう。
為替条項も今後の焦点に
メキシコとの新協定に「為替の透明性を高める非常に強い為替条項を盛り込んだ」(ムニューシン米財務長官)ことも気になる。内容ははっきりしないが、メキシコのグアハルド経済相は為替操作を狙う国々への「シグナル」になるとしている。米国には為替条項を今後すべての2国間協定に盛り込む意図があるとみていい。
トランプ大統領は中間選挙を前にした支持層向けの演説などでメキシコとの合意を大成果として自賛しており、攻撃的な通商政策の効果に自信を深めている様子だ。これに歯止めをかけようとする国内の動きは弱く、米国の経済力や軍事力をバックにしたゴリ押しはしばらく続きそうだ。
世界にとっては迷惑な話だが、こうしたやり方を続ければ米国自身の国力を損なうことにもなろう。グローバルな生産供給網を壊し、国外に移った付加価値の低い製造業を米国内に取り戻したとしても質の高い雇用や成長は生まれない。消費者の生活コストも増すばかりで、経済の活力はむしばまれる。
それ以上に大きいのは、米国に対する信頼感が失われ、米国から距離を置く動きが広がるリスクだ。米国抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)の進展はある意味でその象徴だが、それだけに限らない。
ドイツ外相の異例の発言
最近目を引いたのは、ドイツのマース外相が独紙への寄稿で「米国の掣肘を受けない国際的な送金システムを創設し、欧州の自立性を強めるべきだ」と呼びかけたことだ。米国がイラン核合意から離脱し、新たな制裁をかけ始めたことで、欧州企業はイランとの取引を停止せざるをえなくなっている。米国が基軸通貨ドルの送金・決済システムに支配力を持ち、制裁違反の企業や金融機関をそこから締め出す力を持っていることが背景にある。
米国の影響を受けない独自の送金・決済システムをつくる動きは、米国から「敵視」されている中国やロシアですでに出ている。だが、同盟国の閣僚が似たような仕組みを提案するのは異例のことだ。国際秩序を軽視し、自国第一主義に走る米国への苛立ちが欧州で一段と強まっていることを映している。
もちろん、いまは単独で米国に対抗できる力を持つ国は存在しない。一対一の個別撃破作戦で相手から成果を搾り取るトランプ大統領の戦術は功を奏しているようにもみえる。だが、それは長い目で見た米国の国益につながるとは思えない。
ツキディデスの『戦史』は、メロス島を蹂躙したアテナイが力を過信し、無謀な戦争で衰退へと向かっていく姿も描きだす。貿易戦争の勝利が決して「米国を再び偉大にする」わけでないことに米国はいつ気づくのだろうか。
(注1)トゥーキュディデース(ツキディデス)『戦史』(中)、久保正彰訳、353~354ページ、岩波文庫
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