【Webセミナー】ライブ配信
持続的賃上げは実現するか-春闘にみる動向と課題

*Zoomウェビナー使用。開催日1営業日前に事前登録用のURLをお送りします
*開催後、収録動画を配信いたします

産業界の賃上げの動向が注目されています。物価高が進むなか、長く停滞してきた日本の賃金を継続的に上昇させることが、経済の好循環を取り戻すためにも重要になってきたためです。賃上げに積極姿勢を示す大企業も増えてきましたが、今年の春季労使交渉(春闘)が持続的賃上げ実現への機会になるかどうか。合意形成の仕組みなどの課題を含め、労働経済などに詳しい山田氏に説いて頂きます。

■講師略歴
(やまだ ひさし) 1987年京都大学経済学部卒、2015年同大学院で博士号取得。1987年住友銀行(現三井住友銀行)入行、日本経済研究センター出向などを経て、2011年日本総合研究所調査部長兼チーフエコノミスト、17年理事、19年から現職。労働政策審議会労働政策基本部会委員なども務める。主な著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版)、『同一労働同一賃金の衝撃 「働き方改革」のカギを握る新ルール』(同)など。

世代交代進む中国IT企業-新たな成長株を探る

*収録動画の配信期間:2023年4月24日まで

■講師略歴
(たかぐち こうた) 2008年北京五輪直前の「沸騰中国経済」にあてられ、中国経済にのめりこみ、企業、社会、在日中国人社会を中心に取材、執筆を仕事に。「クローズアップ現代」「日曜討論」などテレビ出演多数。主な著書に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐氏との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和氏との共編)で大平正芳記念賞特別賞を受賞。

日本の防衛力強化と官民技術協力

 12月末に防衛3文書が改定され、1月に日米外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)において、サイバー防衛の日米協調などを確認するなど、日本の防衛力強化に向けた動きが活発になっています。
 防衛装備や技術力の強化、および宇宙空間利用などにおいて、官民協力は今後どのようなものになるのか、また、サイバー防衛における自衛隊と民間との協力等についてもお話いただきます。

【ご略歴】(うえだ こうじ)1993年東京大学文学部卒、旧防衛庁入庁。2012年森本防衛大臣秘書官、16年整備計画局施設計画課長、小野寺防衛大臣秘書官、18年大臣官房参事官、19年防衛政策局日米防衛協力課長、20年防衛政策局防衛政策課長を経て、21年7月から現職

*オフレコで進めます。

お申し込みは「政策懇談会」メンバー(代理可)とさせていただきます。

Rapidusとデジタルで、列島改造を ―最後で最大の機会を活かせ

*収録動画の配信はございません

■講師略歴
(わかばやし ひでき) 1986年東京大学大学院工学研究科修了、野村総合研究所入社。JPモルガン証券、みずほ証券で、半導体電機アナリスト、日経アナリストランキングで1位5回、マネジーングディレクター、ヘッドオブリサーチ、日本株ヘッジファンドを経て、2017年から現職。経済産業省の半導体・デジタル産業戦略検討会議メンバー、JEITA半導体部会政策提言タスクフォース座長。著書に、「デジタル列島進化論」「経営重心」「ヘッジファンドの真実」「日本の電機産業はこうやって蘇る」。6月に、田中角栄の日本列島改造論、以来の、デジタル列島改造論ともいうべき「デジタル列島進化論」を刊行、3章、4章で、経産省の半導体デジタル産業戦略検討会議の紹介もしている。

■要旨
「デジタル日本」は半導体産業復活がカギ―ラピダスで最先端加工と短納期化実現を

①日米摩擦後の世界的な産業構造転換対応の失敗などにより、日本は中国などに世界の生産拠点の座を奪われたが、米中摩擦の激化や円安の進行で再び生産拠点として期待が高まっている。田中角栄元首相の「日本列島改造論」から50年が経ち、今次局面では情報通信網に根ざしたデジタル化による改造と進展による「デジタル日本列島進化論」が必要となっている。その要となるのが半導体産業の育成だ。

②半導体産業の復活には、微細加工を追求する「モア・ムーア」だけでなく、チップレット手法など「モア・ザン・ムーア」に対応することが重要だ。新会社Rapidus(ラピダス)と技術研究組合最先端半導体技術センター(LSTC)を中心に、日本国内でのサプライチェーン完結、最先端加工技術の確立、設計・製造期間の短縮(短TAT化)を目指すべきだ。

③人材面や資金面など課題は多いが、他国へ流出したシニア人材の国内回帰、優秀な人材の米国派遣、5G基金やベンチャーキャピタルなど政府や株式市場との連携、さらには研究開発機関の再編成の実施など産官学一体となって課題を解決し進んでいくべきだ。日本の半導体産業の成功を知る貴重な人材がいなくなってしまう前の最後の機会を逃してはならない。台湾有事リスク等もあり、米からの期待に時間遅れにならないようにしたい。


 

官庁エコノミストについて改めて考えてみる

 1月19日の朝日新聞に、原真人編集委員の「岸田政権の巨額予算 司令塔なき政策の矛盾と欺瞞」という記事が掲載された。この記事については、私もインタビューを受け、その内容が記事中で紹介されている。この記事では、かつて存在した官庁エコノミストが政府から消えてしまったことが、近年、矛盾と欺瞞に満ちた経済政策が行われるようになった一因であるという主張が展開されている。この原氏の論説を題材にして、官庁エコノミストについての私の考えを述べてみたい。

官庁エコノミストの代表選手

 この記事では以下のような記述がある(以下、引用は筆者が適宜編集した部分がある)。「かつてマクロ政策の総合司令塔として政府内や日銀との調整役を担ったのは経済企画庁(現内閣府)だった。官庁エコノミストと呼ばれる学者顔負けの専門家たちが集い、経済白書(現内閣府)に大きな国家構想を描いた。‥都留重人、宮崎勇、大来佐武郎、金森久雄、香西泰、吉冨勝ら戦後を代表する著名エコノミストたちがひしめいていた」としている。

 いずれも懐かしい名前で、私自身も個人的に接したことのある人たちばかりである。最近、社会人を相手に経済の話をしている時に、金森さんや香西さんの名前を出して、「皆さんご存知ですか」と聞いてみたら、ほとんど全員が「知りません」という答えだったので、やや愕然としたことがある。

 記事について細かい点も含めてコメントしておこう。まず、記事中に「経済白書に大きな国家構想を描いた」とあるが、経済白書で国家構想を描くことはない。国家構想を描くとすれば、経済計画であろう。経済白書は、経済の実態を分かりやすく国民に伝えるのが主なミッションだと私は考えている。また、これも後述の議論と関係するが、官庁エコノミストが国家構想を描いていいのかという疑問もある。国家構想は、選挙で選ばれた国会議員、または国会議員から選ばれた閣僚を中心に描かれるべきだろう。

 また、これを読む人にとってはやや意外かもしれないが、ここで登場する代表的官庁エコノミストの中で、香西氏や吉冨氏は白書を書いていない。私から見ても、この二人が内国調査課長にならなかったのはやや不思議だし、この二人の経済白書を是非見たかったという思いがある。

 ここで話はやや脱線するが、経済企画庁の歴史の中でも群を抜いた実力エコノミストであった香西、吉冨両氏が白書を書くポジションにつかなかったのはなぜだったのかを考えてみよう。私は、香西さんとの接点が多かったので、香西さんについての「なぜ白書を書かなかったのか」問題を色々考えたことがある。香西さんは、ちょうど内国調査課長の適齢期になった頃、退職して東京工業大学に移るという、多くの人にとって驚愕の行動をとったのだ。当時私も企画庁で働いていたのだが、次官をはじめとする幹部も含めて、多くの人が口々に「香西さんはなぜ役人を辞めちゃったんだい」とつぶやいていたのを覚えている。それはなぜか。私の結論は、比較優位によるというものだ。

 かなり単純化して説明しよう。経済企画庁における官僚の進路には、エコノミスト路線と行政官路線の二つがある。エコノミスト路線は、経済分析を担う仕事を中心とするキャリアパスである。自分で言うのもどうかとは思うが、私自身が典型底なエコノミスト路線人間だ。私は、「内国調査課の新人」→「経済研究所研究員」→「内国調査課課長補佐」→「日本経済研究センター主任研究員」→「内国調査課長」→「経済研究所長」→「調査局長」(途中の非エコノミストポストは省略)といったコースを進んできた。多分これほど経済分析的な仕事を渡り歩いた人間は、経済企画庁の歴史の中でもあまりいなかったのではないか。

 世間では、企画庁のエコノミスト的な仕事が目立つのだろうが、これは企画庁の仕事の一部であり、実際には経済政策の調整、経済見通しの作成、物価行政、消費者行政、経済計画づくりなど行政的な仕事の方が多い。

 なお、企画庁の中での最高ポストである事務次官になるのは、どちらかと言えば行政的なキャリアパスを歩んできた人に多い。逆に言えば、エコノミスト路線の人間が次官になることは少ない。歴代の経済白書執筆者で、次官にまで上り詰めた人が非常に少ないことからもそれは明らかである。

 さて、香西さんはエコノミスト的な仕事も行政的な仕事も両方抜群の能力を発揮していた。私が新人として経済企画庁に入った時には、香西さんは課長補佐のポジションだったのだが、既にその能力の高さは企画庁になり響いていた。経済学の知識は卓越していたし、行政的な手腕も優れている。そしてさらに宴会でも愉快にお酒を飲む。面倒見もいい。私たちの同期生が企画庁に入る直前に、先輩諸氏が歓迎会を開いてくれた。同期の中には地方から出てきた者もいたのだが、その中の一人T君を香西さんは自宅に連れて行って泊めてくれた。T君の話によると、香西さんは家に着くと、T君が泊まる手配をした後、「Tさん、人にはそれぞれの人生があるのですよ」という謎のような言葉を残して、自室で原稿書きの仕事を始めたのだという。エコノミストとしての仕事が忙しいから後輩の面倒は手を抜くということはしない人だったのだ。

 例えば、こうした香西さんの行動を、僭越ながら私と比較してみよう。各分野の香西さんのパフォーマンスを100として、私と比較すると、経済的分析では40、行政能力は30、面倒見は20、宴会は10という感じだろうか。すると、香西さんは各分野での絶対優位を持っているのだが、私の比較優位は経済分析だということになる。香西さんは経済白書を書かなかったが、私は白書を書いたのはこの比較優位のためである。

 というわけで、香西さんは行政分野における比較優位を発揮して、将来の次官への道を歩むよう期待されたのではないか。それを知った香西さんは、「それは自分の意に反する」と思ったのだが、「経済白書を書けないのであれば辞めます」といって幹部を脅迫するようなことはせず、すっきりと辞めてしまったのではないか(完全に私の想像です)。

官庁エコノミストへの期待

 この記事中のインタビューで、原氏は私に「あなたがいま官庁エコノミストだったらおかしな政権方針を批判できますか?」と質問し、私はこれに対して「いや無理でしょう。私も財政はいつか破綻するのではないかと心配だし日銀の政策もどうかと思う点が多い。でも官僚は表だって時の政権の方針を批判できません」と答えている。これを受けて原氏は、「官僚たちが率直な意見を上げにくい風通しの悪さにこそ、理が取らぬ政策が横行する原因がある」と書いている。これはストーリーとしては分かりやすいし、確かに、私が勤務していた頃よりは、官僚が官邸の意向を気にする度合いがかなり強まっているという感じはする。この辺は微妙で、なかなか私の真意を伝えるのは難しいのだが、以下、若干の見解を述べてみたい。

 まず、先ほど名前が挙がったような官庁エコノミストの代表選手たちは、現役時代に時の内閣の方針を批判していたかというと、多分そんなことはなかっただろうと思う。官僚であれば、組織の論理というものは身についているから、政治的決断が下された問題については、たとえ自分は反対であっても、組織としての決定に異を唱えることはしなかったはずだ。ましてやそれを外部に公表するようなことはあり得ない。もしそれが許されたら、組織は動かなくなってしまう。

 ただ、これら官庁エコノミストの代表選手たちは、官僚を辞めた後は、政府の政策批判をすることはあった。私もそうだった。おそらく多くの人は、役人を辞めた後のこれらの人の活躍を見ており、その印象が強かったので、現役時代にも同じような発言をしていたと思ってしまったのではないか。

 また、私が、「いや、無理でしょう」と答えたのは、「言いたくても言えない」というよりも、「そもそもそんなことはできないものだし、やるべきでもない」という意味での発言である。官僚は、国民に選ばれたわけではないのだから、国の方針に口をはさむことは控えるべきだというのは私の考えだからだ。もちろん、例えば私が局長で、私の所管する分野について、大臣が無理な政策を行おうとしたら、次官に相談した上で、大臣にその政策の問題点を説明して、止めた方がいいと説得することはありうる。もし局長より下の地位、例えば課長補佐であったら、まず課長を説得し、局長を説得して、局長から大臣に伝えてもらうという手順を踏むことになる。それは、実務家の官僚として、気が付いたことを進言するということであり、官僚の責務の一つだ。ただその場合でも、その内容を外部に公表するようなことは絶対にしないはずだ。

官庁エコノミストはいなくなったのか

 原氏は、「次第に官庁エコノミストは重きを置かれなくなり、今や絶滅危惧種だ」と厳しい。私自身もしばしば「小峰さんが最後の官庁エコノミストですね」などと言われることがある。

 これは官庁エコノミストの定義の問題だと私は思う。前記のような官庁エコノミストのビッグネームたちは、現役時代から、本を書いたり、講演したり、マスコミに登場したりして華々しく活躍した。官僚を辞めた後は、制約がなくなるのでさらに華々しく活動した。私も、これらビッグネームほどではないが、現役時代からかなり多くの本を書いたり、原稿を書いたり、外部の講演をこなしたりした。そういう人種が官庁エコノミストだと定義するのであれば、確かに官庁エコノミストは絶滅危惧種だと言えるかもしれない。

 しかし、官庁エコノミストを「経済学の知識を備えて、それを政府内での経済分析、政策立案に活かそうとしている人たち」と定義すれば、官庁エコノミストはたくさんいる。企画庁の後を継いだ内閣府を見ても、私はそういう官庁エコノミストを具体的に知っている。しかし、こうした人たちはほとんど外部への発信がないので、外から内閣府を見ている人たちはその存在を認識できないのだと思う。

 私は、かつてのような外部発信型の官庁エコノミストを復活させることはかなり難しいと思う。これからも、EBPMの実践やビッグデータの分析やマーケットデザインなどの経済学の新手法の応用など、経済学の知識を経済政策に生かす道は多く存在する。外部の人に名前を知られなくても、こうした分野で実践型の官庁エコノミストが活躍する道は開かれているのだと思う。

 しかし、それにしても外部発信型の官庁エコノミストを輩出していた時代の経済企画庁というのはどんな雰囲気だったのだろうか。この点については、最近、私はかなりの量の新資料を発見したので、次回はこれを使って、当時の雰囲気を探ってみることにしよう。



※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」は こちら(旧サイト)をご覧ください。