バンブー外交ともうひとつの解放記念日
大国と対峙するベトナムの知恵と苦悩
2025/06/16
トランプ米大統領が「解放記念日」と名付けた4月2日、米国はアジアを中心とする貿易相手国に高関税を課すと発表した。米国民に多大な貿易赤字、ひいては米国内の産業と雇用の喪失という「損害」を与えている国々に、懲罰的な関税を課すことで、米国民は経済的な苦しみから解き放たれる、という意味らしい。その高関税を課された国の中で、最も積極的かつ迅速に米国との交渉に乗り出しているのがベトナムだ。対米貿易黒字が、世界の工場である中国、隣国・メキシコに次いで世界3位のベトナムに対し、米国はトップクラスとなる46%もの関税を設定した。トランプ大統領はベトナムを「(不公正貿易の)ほぼ最大の悪用者だ」とののしったこともある。高関税の適用はいったんは停止されたが、巨大市場を持つスーパーパワー、米国からのあからさまな圧力にベトナムは苦しんでいる。
同じ月の30日、ベトナムはもうひとつの解放記念日を迎えた。1975年4月30日に当時の南ベトナムが北ベトナムに統一されたことを記念した「南部解放記念日」だ。50年前のこの日、米国の支援を受けた南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)が陥落し、20年もの長きにわたって続いたベトナム戦争がついに終結した。ベトナムにとって最大の記念日であり、しかも50周年という節目に当たる日を、ベトナムは国を挙げて祝ったが、その記念式典の場に米国の大使の姿はなかった。トランプ大統領が大使の出席を許さなかったといわれている。トランプ政権がベトナムとの関係改善の歴史を軽視しているとの批判があるものの、ベトナム政府はいまのところ静観の構えを崩していない。
竹のように強く柔軟な外交
バンブー外交――。ベトナムの対外交渉は時にこう表現される。根はしっかりと、身は固く、枝はしなやかといわれるベトナムの国樹「竹」のように、強さと柔軟さを兼ね備えた外交のことをいう。米国による高関税を避けようと、あらゆる手を打つというのも、バンブー外交の一環だろう。対米貿易黒字を減らすための、6000億円規模の液化天然ガス(LNG)の購入や、武器購入として過去最大規模の米戦闘機「F16」導入計画はもちろんだが、トランプ大統領のファミリー企業「トランプ・オーガニゼーション」がベトナムで開発するゴルフ場を中心とした複合施設プロジェクトの認可もそうかもしれない。通常は数年かかるといわれる開発プロジェクトの承認を6カ月という異例の速さで出した。しかも5月21日に開催された起工式にはファム・ミン・チン首相が出席している。同オーガニゼーションはベトナム最大都市であるホーチミン市で超高層ビル「トランプ・タワー」の建設も計画しており、ベトナム政府はこれにも便宜を図るとみられている。

ただ、ベトナムのバンブー外交の今日的な意味としては、米中対立が激化する中でも、「米国か中国か」の二者択一はせず、バランスを取りながら、自国の利益を最大化することと理解されている。ベトナムの米国に対する貿易黒字は2024年に1,235億ドル(約18兆円)と過去最大を更新。しかも、ベトナムの輸出の29%(金額ベース)が米国向けであり、この輸出額はベトナムGDPの約3割に相当するという。一方、中国は輸入元として最大であり、全体の3割超を占めるほか、輸出でも米国に次ぐ2位となっている。
ベトナムが持つ強烈な危機感
「ベトナムは米国と中国という2つの世界の大国と渡り合わなければならない。その2つの国は対立しており、しかもベトナムにとってそれぞれ重要な『包括的戦略パートナー』である。同時に忘れてはならないのは、両国ともかつてベトナムを侵略した国でもあるという事実だ」とあるベトナムのエコノミストは語る。米国とはベトナム戦争があったし、中国は1979年の中越戦争時にベトナムを侵略したことがある。ベトナムはこうした国とも友好な関係を維持し、柔軟な外交を繰り出しながら、冷徹な目で実利を得なければ生きていけないという強烈な危機感を持っている。
ベトナムは中国と昨年12月にベトナム北部での鉄道整備の協力合意書を交わした。今年2月に中国国境にあるラオカイからハノイ、さらに北部最大の港湾があるハイフォンまでつなぐ鉄道の建設をベトナム国会が承認し、12月にも着工する予定だ。国境を接する中国との経済関係は深く、鉄道建設では中国からの援助も受けるだろうが、その一方で中国とは南シナ海での領土紛争を抱えており、警戒心を解いてはいない。もうひとつのパートナーである米国には、46%もの高関税を課せられることがわかると、中国のように批判することはなく、素早い対策で応じた。発表翌日の4月3日にはチン首相が「迅速対応チーム」を設置。4月4日には最高指導者であるトー・ラム共産党書記長がトランプ大統領に直接電話をかけ、米国からの輸入関税をゼロにする考えを伝えた。4月9日には米国と貿易協定の交渉入りに合意している。また、LNGや戦闘機、さらには農作物の購入などで対米貿易黒字削減の努力をアピールしつつ、中国からの「迂回輸出」を防止する厳しい対策を取ることも約束するだろう。とはいえ、実利にかなう中国との関係をベトナムが絶つことはなく、そのことが中国の分断を狙うトランプ大統領の怒りを買うこともあるかもしれない。
「没落記念日」を迎えた米国との戦い
英エコノミスト誌は「没落記念日」と題した記事の中で、トランプ大統領が解放記念日と呼んだ日は、米国が世界の貿易秩序を完全に放棄し、保護主義を受け入れることを告げた日である、としたうえで、「世界は大混乱を避けられないが、だからといって彼の愚かさが勝利する運命にあるわけではない」と述べた。「象と蟻の戦い」といわれたベトナム戦争でも米国を撤退させたベトナムが再び、柔軟に立ち回ることで運命を変え、保護主義に走る米国の圧力に打ち勝つことができるのか。もしできたとすれば、その日がベトナムにとって新しい解放記念日になる。
東南アジアは多様な文化を持ち、いろいろな問題を抱えながらも、大きな潜在成長力を持つ魅力的な地域です。7億人近い人口を抱え、2025年の経済成長率予測は全体平均4.7%と、日本はもちろん中国をも上回ります。米中対立が激化した余波で、中国に代わる「世界の工場」の役割も期待されるようになりました。一方で、少子高齢化が進み、高い経済成長も期待できない日本は、市場も製造拠点も海外に求めざるを得ません。そう考えると、東南アジアはたいへん有望な地域です。しかも、日本が持つ高い技術や資本力は大気汚染や交通渋滞、さらには貧富の格差など東南アジアが直面する問題の解決に役立ちます。日本と東南アジアはお互いの良さを生かす最良のパートナーになり得るのです。本連載では、こうした認識のもと、何かと「熱い」東南アジアの政治、経済、産業、そして社会の実像や深層をタイムリーにかつ分かりやすくお伝えしたいと思っています。
(主任研究員 清水泰雅)
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