インフレかスタグフレーションか
2021/08/16
バイデン米政権下の拡大的財政政策による景気過熱とインフレ懸念は、インド型(デルタ型)の広がりによる新型コロナウイルス感染再拡大もあり一息ついたようだ。長期金利も安定を取り戻した。
米ピーターソン国際経済研究所のオリビエ・ブランシャールシニアフェローは、5月に開かれた日銀国際コンファランスで、14世紀の黒死病(ペスト)以降、長期実質金利が超長期にわたって低下傾向を示したことに言及し、財政拡大の重要性を説いた。株価の高値更新と景況感改善が続いていても、債券市場は高成長とインフレ高進が一過性と見ており、コロナ後の停滞持続シグナルを発している。
デルタ型の感染拡大はアジアや欧州のみならず、全人口の半数程度がワクチン接種を完了した米国にも波及している。夏の終わりには米国の1日当たり新規感染者は30万人に達するとの予測もある。
ワクチン接種が進んだ英国は行動制限措置を解除し、「コロナとの共生」を目指すが、その他の欧州諸国は再度、行動制限措置強化を迫られよう。デルタ型ではワクチンの効果持続期間が半年程度とのデータもある。3度目の接種が広がることになろう。
中国は景気減速感のある中で、ビッグテック企業の規制強化に動く。世界の資本市場から自らを分断すれば、ダイナミックな成長に必要な「金の卵」を失うことになる。
市場に、物価上昇が一時的であるとのコンセンサスがあるにしても、その期間や上昇幅では見方が分かれる。原油価格は1バレル70ドル台で推移しているが、協調減産体制維持やガソリンの需要増で、年末にかけ80~100ドル程度まで上昇するとの見方もある。
東京などが4回目の緊急事態宣言下にある日本は、2020年度に巨額の補正予算を組んだが、30兆円が次年度に繰り越され、景気過熱とはかけ離れた状況にある。景気の現状は、景気後退下の物価上昇(スタグフレーション)に陥った08年夏ごろまでの時期に似ている。この時、原油価格は140ドルとなり、円安持続もあって物価上昇率は2%に達した。しかし、交易条件悪化により所得が海外に流出したため、収益が圧縮されて景気後退に陥り、インフレ目標達成を喜ぶ声はなかった。
日本の1人当たり労働生産性は19年、韓国、トルコにも追い抜かれた。日本が長期停滞に陥った1990年代半ば以降、実質賃金は海外への所得流出を主因として横ばいで推移し、低い労働生産性の伸びをも下回っている。
円の名目実効為替レートは、2007~08年並みの通貨安水準にあり、実質実効レートでは1970年代半ばの水準となっている。日銀は、21年度の物価上昇見通しを0.1%から0.6%に引き上げた。所得の海外流出は足元で国内総生産(GDP)比2~3%に達している。
他国の犠牲のうえに自国の経済状態を改善することを「近隣窮乏化政策」という。海外への所得流出が円安のもたらす輸出拡大効果を上回れば、日本は金融拡大政策の下で、意図せずして近隣窮乏化ならぬ「自国窮乏化政策」を実行することになる。
(2021/08/6 日本経済新聞朝刊掲載)
バックナンバー
- 2023/10/23
-
「デリスキング」に必要な国際秩序
- 2023/08/04
-
妥当性を持つ物価目標の水準
- 2023/05/12
-
金融正常化への険しい道筋
- 2023/02/24
-
金融政策の枠組みを問う
- 2022/11/30
-
中国を直撃する米政権の半導体戦略