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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第113回)

1994年の経済白書(上)

 

2023/02/28

買い替えたスキャナー

 長年使ってきたスキャナーの調子が悪くなったので買い替えた。すると、旧機より性能が格段に向上しているではないか。旧機では、まとまった書類を連続して読み込ませていると、時々紙詰まりを起こしていたのだが、新しい機種ではほとんどそれが起きない。読み込みのスピードもずっと速くなった。旧機では、読み込みが終わるたびに保存先のファイルを指定していたのだが、新しい機種では、最初にファイルを指定しておくと、自動的に所定のファイルに保存される。さらに、何だかよく分からないが、新機種にはWi-Fiが内蔵されているらしく、ケーブルでつながなくても文書がパソコンに保存される。

 すっかり気を良くした私は、この機会に身の回りの文書を整理することにした。机の引き出しや本棚に散らばっている文書を片っ端からスキャンして、外付けのメモリーに保存し、スキャンしてしまった文書は捨てることにしたのだ。このメモリーは、パソコンを買い替えた時におまけにもらったもので、容量が1テラバイトもあるから、一生分の文書を保存できそうだ。そもそも文書を捨てられないのは「いつか見たくなる日が来るかもしれない」と思っているからなのだが、メモリーに保存しておけば、いつでも取り出せるから、安心して棄てられるのだ。

 しかし、やり始めるときりがないので、「1増2減」の原則というのを作った。新しく手元に1つ文書が来たら、既存の文書を2つスキャンして廃棄することにしたのだ。大量の書類のストックを減らすには、フローベースで書類が減っていくようにしていけばいいのだ。プライマリーバランスを黒字に保っていれば、債務残高のGDP比率が下がって行くのと同じだ(ちょっと違うが)。

 古い書類をどんどん廃棄して行くと、スペースがぐんぐん空いて行くのでとても嬉しい。最近では本にも手を付け始め、とりあえずは自分の著作で3冊以上手元にあるものは、1冊バラして読み込んでしまうことにした。これが終わったら蔵書類に手を付けることになる。このメモリーは、私にとっての国立公文書館のようなものになりつつある。外で仕事をする時にも、このメモリーを持っていけば、私家版文書館を背中に担いで移動しているようなものだから、大変便利である。

 さらに続けて行くうちに、棚の奥深く眠っていた書類にもスキャンの手が伸びるようになった。その中から、1994年経済白書に関係する書類がごそっと出てきた。94年白書については、この連載の「香西さんと経済白書」(2018年6月)で、香西さんが日経新聞に白書についての好意的なコメントを寄稿してくれたこと、しかしその後、白書の問題点を指摘した厳しい手書きのメモを頂いたことを書いた。この時の手書きメモの現物も出てきた。今回は、こうして出てきた書類を元に話を進めよう。

1994年経済白書と私

 この連載で私は、2017年の10月から14回にわたって「経済白書ができるまで」というシリーズを書いている。書き始めた時は、せいぜい3~4回だろうと思っていたのだが、書いているうちにどんどん思い出がよみがえり、結局14回にもなったのだった。ところがこの14回にわたる経済白書の記述は、全て1993年白書に関するものである。

 私は、1993年1月に内国調査第一課長になり、1993年、94年と2回の白書を書いたのだが、思い出されるのは93年白書のことばかりなのである。これは、内国調査第一課長になって、一生に一度は書いてみたいという経済白書を書けたことで、かなり思い入れが強かったからなのだと思う。94年白書は2回目であり、やや緊張感も薄れていた。第1回目の93年白書が比較的好評だったので、「やれやれ」という感じで気が緩んだ面もあったようだ。しかしせっかくこのたび94年白書の資料が出てきたので、この時の白書について書いてみたい。

 94年経済白書の構成は次のようになっている。第1章「93年度の日本経済」は、これまでの1年間の回顧である。各需要項目の動き、雇用情勢、円レートと経常収支などが取り上げられている。第2章「景気後退の特徴点と長期化の背景」は、もう少し時間的視野を広げて、企業のストック調整、依然として残るバブルの後遺症、物価が上がらないというディスインフレーション問題などが取り上げられている。第3章「景気後退下での日本経済の長期的課題」では、空洞化問題、日本型雇用、規制緩和などの長期的問題が取り上げられている。

 だんだん思い出してきた。94年白書について、私は次のように考えていたのだ。 第1に、この白書は私が書く最後の白書だということがほぼ分かっていたので、「思い残すことのないようにしよう」という意識が強かった。普通は、内国調査第一課長の任期は2年であり、白書を書くのも2回である。こんな機会はもう2度とないのだから、この際、私がこれまで考えてきたことをできるだけたくさん盛り込もうと思ったのだ。94年白書には、「為替レートの変化が日本経済に及ぼす影響(特に、円ベースのJカーブの分析)」「日本における雇用調整のシークエンス(順番)」「経常収支の変動とその経済的意味」「公共投資の乗数の変化」「設備投資のストック調整」「バブル崩壊後のバランスシート調整」「物価が上がらないディスインフレーション問題(今で言うデフレ問題の先駆け)」「円高に伴う空洞化論議とアジア地域との動態的水平分業の進展」「日本型雇用システムの変化の方向」「規制緩和」「産業構造の変化とリーディング産業」等々、私がこれまで関心を持って考えてきたテーマがほとんど全て盛り込まれている。

 第2に、当時の私は、多くの人が、短期的・循環的な問題と長期的・構造的な問題を混同しているのではないかという疑いを持っており、この点を整理して議論しておきたいと考えていた。と思いつつ、手元に出てきた94年白書関係の書類を見ていたら、「6年度(1994年度)白書の基本的な考え方」というプリントが出てきた。これは、94年白書の作業が始まる時に、内国調査第1課の課員に、私の白書に臨む基本的な考え方を示した文書だ。総理の施政方針演説のようなものだ。この中で私は、94年白書の主な課題の一つとして「日本経済が中長期的に進むべき方向を示すこと」を挙げ、次のように書いている。

 「現在最も求められていることは、短期的な問題と中長期的な問題とをどのように整理し、関連付けるかであるように思われる。6年度(1994年度)白書においても、①短期的・循環的要因と長期的・構造的要因は、どのように景気後退の長期化に関連しているのか、②景気の後退から抜け出すとともに、中長期的な構造変化を円滑に進めて行くために、財政金融政策、構造政策をどのように組み合わせて行くべきか、③日本の経済構想は今後どのように変化していくのか、といった疑問に答えて行く必要がある。」  やはりこういう問題意識を強く持っていたのだ。

次官のコメント

 さらに出てきた書類に目を通していると、この94年経済白書が発表された時の事務次官T氏の記者会見での発言メモが出てきた。この時、T次官は、記者に「今年の経済白書の感想を聞かせてください」という質問に答えて、次のように言っている。

 「今年の白書はちゃんと問題点が整理されている。一つの事例だと、循環的問題と構造的問題をはっきり分けている。白書は「風邪をひいて医者に行ったら、高血圧が見つかった」というような例えを用いている。書き出しも、鴨長明の方丈記のようで面白い。いろいろな工夫もある。全体の流れから独立した部分については、コラムで処理している。伝統ある経済白書としては初めてである。リーディング産業とは何かについて、今までのような伸びる産業を特定しない、離れた立場からリーディング産業の出現を打ち出している。この点でも新しいという印象を受ける。」

 この次官のコメントを見ていて、さらに色々思い出してきたのだが、ここではその中から「例えや表現が面白い」という部分について解説しよう。  まず、書き出しが方丈記のようだという点である。この時の白書の書き出しは次のようになっている。

 「経済は常に変化し続けており、一瞬として同じ姿をとどめることがない。経済の変化は、期待と現実、需要と供給をかい離させ、さらに長期的には制度・慣行などの経済的枠組みも現実にそぐわなくなってくる。これに対して、企業・家計・政府は適応のための行動をとり、その経済主体の行動の変化が、また次の経済の変化を呼ぶ。こうして現実の経済は、常に不均衡から均衡、問題を抱えた状態から最適状態への適応過程を繰り返しながら変化し続けることになる。」

 まさに、経済というものは、方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」のようなものだと言っているのである。もう少し解説すると、「期待と現実、需要と供給を乖離させ」と言っているのは、第1章で取り上げる短期的・循環的な動きを意味している。「長期的には制度・慣行などの経済的枠組みも現実にそぐわなくなってくる」という部分は、第3章の長期的な課題で取り上げる規制緩和を意味している。そして、企業・家計・政府は適応のための行動をとり、その経済主体の行動の変化が、また次の経済の変化を呼ぶ」というのは、第2章で取り上げているストック調整やバランスシート調整の動きを意味している。

 白書を読んだ人は、当時私と一緒に白書を担当した内国調査課課員も含めて、そこまでは考えず、すらすらと読み飛ばしていただろう。もちろんそれでいいのだ。ここで解説したような文章の細かい意味付けは、私が勝手に考えていたもので、私自身もそれを広く知ってもらおうとは考えていなかったからだ。

虫歯か高血圧か

 もう一つの、風邪と高血圧についての例えはどうか。この部分の原文は次のようになっている。  「景気後退のなかで、長期的・構造的な課題が強く意識されるようになってきたのは、近年になって構造的な課題が突然出現したからではなく、それに先立つバブル期には、内需中心の高成長が実現したことによって、多くの構造的な課題が覆い隠されていたのが、景気の停滞によってそれが明確に浮かび上がってきたためである。例えていえば、風邪を引いて体調が悪くなって医者に行ったら、かねてから悪かった高血圧が見つかったようなものである。」

 私は、経済白書の中で、分かりやすい例えを出すのは結構重要なポイントだと考えていた。そのきっかけは、都留重人氏が書いた第1回の経済白書を読んだことである。この白書には次のような文章がある。「我が国は、国土としても貧しいし、その上、無謀な戦(いくさ)をして、国際的な信用も失った。言わば、貧しい人が、隣近所に喧嘩を吹っ掛けたようなものである。」驚くべき平易な例えである。

 私はこの例にならって、景気と構造問題についてうまい例えはないかと考えた。その結果考え付いたのは「風邪をひいて(景気が悪くなって)熱が出たら、歯が痛み出し、虫歯がある(構造的な課題がある)ことが分かった」というものだった。これは私が実際に体験したことである。本当に、風邪で熱が出ると、虫歯が痛むのだ。そこで白書の原案にこの「風邪と虫歯」の例えを書き込み、「我ながらうまい例えだ」と悦に入っていたら、思わぬ横やりが入った。「虫歯は抜いてしまえば治るのだから、長期的な病気だとは言えない」というのである。このコメントが誰から出たのかは忘れてしまったが、私が「そうですか、では虫歯ではなく高血圧にしましょう」と言って素直に修文したのだから、私より上の地位の人だったことは間違いない。正直なところ「風邪をひいたら高血圧が分かるものなのか」という疑問はあるし、分かりやすさという点では、今でも虫歯の例えのほうが良かったのではないかと思っているのだが(しつこい)、しかたがない。

 (続く)