「人口負荷社会」再論 スマートシュリンクへの道(上)
2025/09/29
私は2010年に『人口負荷社会』(日経プレミアシリーズ)という本を出した。当時の私の人口問題についての考えを集大成したものである。このコラムでは、当時と比較して、私自身の人口問題についての考えがどう変化してきたか、または変化していないかを紹介してきた。その一環として、今回から数回にわたって「人口問題と地域」という論点を取り上げてみたい。
自分でも理由はよく分からないのだが、最近、次の二つのテーマでマスコミの取材を受ける機会が増えた。一つは「スマートシュリンク」という考え方についてであり、もう一つが「東京一極集中」についてである。まず、この二つのテーマは関連しあっているので、少し解説しておこう。
地方創生法について考える
この二つのテーマは、2014年から始まった地方創生政策(以下「地方創生1.0」)と深く関係している。この地方創生を進めるための基本法として、2014年に「まち・ひと・しごと創生法」(以下、地方創生法)が制定されているのだが、その第1条に「まち・ひと・しごと創生」とは何かという定義が示されている。私なりに分かりやすく書き直してみると、それは「我が国における急速な少子高齢化の進展に的確に対応し、人口の減少に歯止めをかけるとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、豊かな生活を安心して営むことができる地域社会の形成(まちの創生)、地域社会を担う人材の確保(ひとの創生)、地域における多様な就業の機会の創出(しごとの創生)を一体的に推進すること」ということになる。
この定義を見れば分かるように、「まち・ひと・しごとの創生」という基本目標を達成する上で、「人口減少に歯止めをかけること」と「東京圏への人口の集中を是正すること」という二つが重要な政策課題として密接に関連付けられていることが分かる。
さて、私はこの地方創生法についていくつかの疑問があった。以下で書くことには、「人口と地域」というテーマからは、ややわき道に逸れる論点も含まれているのだが、本稿を書き始めたら当時のことをどんどん思い出してきたので、この機会に書き残しておこうと思う。
最大の疑問は、そもそも「こういう基本法を制定することにどれだけの意味があるのか」ということだった。この基本法では、地方創生1.0の理念を示したうえで、「国がまち・ひと・しごと創生総合戦略」を作成し、それを受けて地方公共団体が「地方版の総合政略」を作成するという政策体系が示されており、それを実施するために、内閣に「まち・ひと・しごと創生本部」を置くと規定している。
しかし、こういうことはわざわざ法律を作らなくても実行できそうな気がする。政府が新しい戦略に基づいて地方創生を進めたいのであれば、どんどん進めればいいのだし、本部を作りたいのであれば、単に閣議決定すればいいと思われるからだ。現に、地方創生2.0は、閣議決定によって設けられた「新しい地方経済・生活環境創生本部」の下で政策が推進されてきた。以下は私の全くの想像なのだが、こうしてわざわざ基本法を作るのは「政策実現のために汗をかいています」というアリバイ作りの一つとしての役割が大きいのではないか。私は、経済が専門だったので、役人生活の中で法律の制定に携わることはほとんどなかったのだが、法律を作るのは役人にとって大きな仕事である。法律を作るためには、「各方面の意見を聞いて法案を準備する」→「内閣法制局の審査を受ける」→「与党に相談して同意を得る」→「野党も含めて、関係議員に根回しをする」→「国会で審議し、各方面からの質疑に答える」→「国会での議決を見守る」→「必要があればさらに細かい政令、省令、通達などを準備する」というプロセスを完成させる必要がある。確かに大変なエネルギーを使う。それだけにやり遂げた場合は「私は〇〇法の制定に携わりました」ということが役人にとっての大きな実績になる(らしい)。私は、かつて役人時代に某省庁に出向していた時、その省庁の幹部が「各局は1年に1本の法律を作ることを目標にせよ」という檄(げき)を飛ばしていたのを目の当たりにしたことがある。私は「何らかの政策目的があり、その実現のために必要があるから法律を作るのであって、法律を作ること自体が目標になるのは変だな」という気がしたことを覚えている。
また、この地方創生法には、国、地方公共団体の責務、事業者、国民の努力が規定されている。しかし、こういう規定は必要なのだろうか。国、地方公共団体が地方創生に努めることは「言わずもがな」という気がする。逆に、事業者や国民の努力を法律で規定するのは「やりすぎ」という気がする。例えば、国民の努力義務について第6条で「国民は、まち・ひと・しごと創生についての関心と理解を深めるとともに、国又は地方公共団体が実施するまち・ひと・しごと創生に関する施策に協力するよう努めるものとする」となっている。しかし、そもそも国民は自分たちにそんな努力義務が課されていることを全く知らないのではないか。仮に知ったとしても「法律に規定されているから地方創生に協力しよう」と考える人がどれだけいるだろうか。法律に規定されなくても、地方創生に関心がある人はたくさんいるし、地方創生に自主的に協力している人も多いはずだ。法律で義務付けるよりも、こうした自主的な行動を促すことこそが必要なのではないか。
この基本法を見た時のもう一つの疑問は、「人口減少に歯止めをかけること」と「東京圏への人口の集中を是正すること」という二つの目標そのものについて「それは達成可能なのか」「絵にかいた餅に終わるのではないか」ということだ。これが本論で取り上げたいことなのだが、今回はそのうちの「人口減少に歯止めをかける」という点について考えることにしよう。これが「スマートシュリンク」という考え方につながっていくことになる。
地方創生と少子化対策の関係
地方創生法を見れば明らかなように、2014年に地方創生1.0がスタートとした時から、「地域問題の解決(地方創生)」と「少子化対策」は一体として議論されてきた。これはそもそも地方創生1.0を進める大きなきっかけになったのが「自治体消滅論」だったからだと思われる。
2014年に日本創生会議という民間団体が、2040年までに若年女性が5割以上減る自治体896を「消滅可能性都市」とし、その中で2040年に人口規模が1万人を切る自治体523はさらに消滅可能性が高いとした。これが消滅自治体論である。
なお、2024年4月には、民間団体人口戦略会議が、1729自治体の4割に当たる744自治体に消滅可能性があるという結果を公表している。これは2014年の計算のフォローアップに当たるもので、ここで消滅可能性自治体として名指ししているのは、2050年までの30年間で20~39歳の女性人口が50%以上減少する自治体のことである。
さて、この2014年の消滅自治体論は、具体的な市町村名が明らかになったこともあって多くの人々を驚かせ、その後の地方創生への政策展開に弾みをつけるという大きな役割を果たした。しかし私は、この消滅自治体論に批判的であった。まず、「消滅」という言葉が強すぎて誤解を招きやすい。2014年のレポートが出た時には、具体的に名指しされた自治体では、地方議会議員から市町村長に対して「消滅すると言われているがどうするのだ」という質問が相次いだという。
しかし、そもそも「消滅自治体論」は「自治体が近い将来消滅する(消えてなくなる)」と言っているわけではない。人口規模の小さい自治体で、子供を産む女性の数が大きく減少すれば、人口減少が加速すると言っているだけである。「人口減少が続けば、いずれ消滅するでしょう」と言われればその通りだが、そんなことを言い出したら、日本全体の人口が減少しているのだから、日本全体が消滅自治体だということになる。
人の受け止め方というのは恐ろしいものだ。その後の報道を見ていると、一部のマスコミでは「2040年までに523もの自治体が消滅してしまうという報告が出ました」などと紹介されたりしていた。私は「何といい加減な記事を書くのだろう」とあきれ返ったものだ。こうした報道を目にした人は、「自分たちの住む町が2040年までに消えてしまうかもしれない」と大いに不安になったに違いない。
それよりも私が問題だと思ったのは、地方自治体が少子化対策の最前線に出てしまったことだ。2014年以降、消滅自治体論に後押しされて進められた地方創生戦略は、地方創生と人口減少という二つの課題を同時解決しようとして次のような手順を取った。
まず国は、日本全体の人口の将来展望を示す「長期ビジョン」と、それを踏まえた「総合戦略」を示す。このビジョンと戦略は、2014年中に示された。次に、各地方公共団体は、国のビジョンと戦略を勘案して、「地方版人口ビジョン」と「地方版総合戦略」を策定する。この方針に従って、日本のほとんど全ての自治体が、2015年度中に地方版のビジョンと戦略を作成した。そして2016年度以降は、「地方版総合戦略」に基づき、PDCAサイクル(計画・Plan⇒実行・Do⇒評価・Check⇒改善・Actionというサイクル)を稼働させるということであった。
こうした筋書きに沿って各地方公共団体は、人口減を防ぐための政策を展開していった。子育て世帯への独自の支援策、地元への移住者の呼び寄せなどによる転出超過の抑制策などである。
一見するとこれはうまく行きそうに見える。各自治体が少子化対策を講じて、少子化が抑制されれば、日本全体でも少子化が抑制されるはずだ。ところがその後も少子化の傾向は止まらず、大都市圏への人口集中も続いた。地方創生と人口減少問題の同時解決という作戦はうまく行かなかったのである。私に言わせれば、それは当然である。
まず、地方が人口減対策の前面に立つということは、自治体が自らの人口をコントロールできるということを前提にしているわけだが、それはかなり難しいことだったのだ。例えば、地方部から大都市圏に就職、就学で転出していくのを、その自治体だけの力で抑制することは難しい。自治体が、子育て支援策などを強化することはできるし、その結果当該自治体の出生率が上昇したという例もある。しかしそれは、周辺の他の自治体から子育て世帯が転入してきたことによる場合が多い。その場合、転出していった地域では出生率が下がるから、結局はゼロサムゲームである。また、仮に子供の数が増えたとしても、その地域での就学、就職先の状況が変わらない限りは、就学・就職の際に他地域に流出してしまう。
一国の人口減少にどう対応するかは基本的には国が責任をもって対応すべき問題である。地域は人口をコントロールしようとするよりも、自らの地域の住民のウェルビーイングを高めることに政策資源を集中させるべきである。この国と地域の役割分担を混乱させたことが地方創生1.0の最大の問題点だったと私は考えている。
さらに、地方創生1.0における地方創生と少子化対策の同時達成という政策運営は、その後の地域政策に負の影響を残した。それは、楽観的な人口予測を全国にばらまいてしまったことである。
2014年に示された国の「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」では、「若い世代の結婚・子育ての希望が実現するならば、我が国の出生率は1.8 程度の水準まで向上することが見込まれる」とした上で、「仮に、2030~2040 年頃に出生率が人口置換水準まで回復するならば、2060 年に総人口1億人程度を確保し、その後2090 年頃には人口が定常状態になることが見込まれる。この推計では、2020 年に出生率1.6 程度、2030 年に1.8 程度まで向上し、2040 年に人口置換水準(2.07)が達成されるケースを想定している」としている。
ここで想定されている出生率は、少子化政策に基づいた政策目標というよりも、政府が目標としていた「人口一億人で人口減少をストップさせる」ということが実現するような出生率を想定しただけのものである。その後の推移を見ても、この出生率の想定が相当に楽観的なものだったことは明らかであり、その人口ビジョンはその後の人口減少をかなり過小評価するものとなった。
この国のビジョンに沿って各地方公共団体が「地方版の人口ビジョン」を策定した結果、全自治体の人口ビジョンが国にならって楽観的なものとなってしまった。人口の変化に対応していくためには、まずはできるだけ正しい将来展望を持つ必要があることは言うまでもないのだが、それが楽観的なバイアスを持ったものになってしまったのである。
以上のように、地方創生1.0で地方創生と少子化対策を同時解決しようとしたことは失敗に終わった。ではどうすべきなのか。私は、これからの日本は、国も地方も「人口減少は続く」という認識の下に、国も地方も「人口減少下でも人々のウェルビーイングが高まるような」スマートシュリンクを目指す必要があると考えている。そのスマートシュリンクの考え方については次回でより詳しく紹介することにしよう。
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