外出・営業の自粛要請を解除するための条件とは
2020/05/01
【大きな経済的影響を伴う外出・営業の自粛要請】
新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、日本の社会と経済は大きな困難に直面しています。特に緊急事態宣言が7都府県に発出され(4月7日)、それがさらに全国に拡大される(4月16日)といった事態の進展の中で、厳しい外出自粛・営業自粛が求められており、これは人々の社会的活動を大きく制限し、経済的な影響も甚大なものになっています。民間エコノミストの予測をみても、2019年10~12月期に続き、2020年1~3月期、4~6月期もマイナスになるものと見込まれています(4月9日、ESPフォーキャスト特別集計)。それに対して、政府は新型コロナウイルス感染症緊急経済対策を取りまとめ(4月7日、4月20日に変更)、それを織り込んだ令和2年度第1次補正予算の執行が開始されました。また、日本銀行も国債の積極的な買入やCP・社債等の買入れ増額(4月27日)を決めています。
ただ、こうした経済への影響、あるいは経済政策の必要性も、現在の外出自粛・営業自粛の要請がいつまで続くかに大きくかかわってきます。そこで、以下では、この外出自粛・営業自粛の要請(以下では「自粛要請」と表現する。)が解除されるための条件について考えてみたいと思います。
【SIRモデル】
ここでは様々なシミュレーションを行うことによって検討をすることします。その際に使用するのは、数理疫学でいう「感染症流行モデル」のうちSIRモデルという一番簡単なモデルです。それは、以下のような連立微分法定式から成り立っていますⅰ。
ここで、S(t)は感受性人口(感染する可能性のある人口)、I(t)は感染人口(感染していて感染させる可能性もある人口)、R(t)は隔離人口(感染から回復して免疫を獲得した人口、あるいは死亡人口)、βは感染率、γは隔離率(γ⁻¹は感染から隔離までの平均期間)のことですⅱ。このモデルでは、感染人口は、感受性人口と感染人口に比例して増加していきます。一方、感染人口の一定割合は必ず隔離されていきます。その結果、(ここでは人口全体は一定である短期を想定しているので)感受性人口は次第に減少する一方、隔離人口が次第に増加していくことになります。
感染症がどのように感染拡大をするのか、あるいはしないのかを左右するのは、基本再生産数(R₀)と言われるものです。これは、流行初期において、一人の感染者が単位時間当たり何人の感染者をあらたに生み出すかを表す数値で、
という関係にあることが示せます。
【政策対応がない場合の感染拡大】
そこで、最初に、何の対応策も打たない時に、感染症がどのように拡大する可能性があるかをシミュレーションしてみましょう。t=0での総人口を100万人(その後も一定)とし、そこに1人の感染者が登場したとします。仮にβ=0.25、γ⁻¹=12であると仮定するとⅲ、t=0からt=300までの間のS(t)、I(t)、R(t)の推移は第1図のようになります。
これを見ると分かるように、感染はt=50 あたりから顕著になり、感染人口はt=93 にピークの31万人を記録した後、次第に減衰していきます。しかし、感染は続いているので、隔離人口は増加を続け、t=300 の直前に94万人を上回るところで終息する(感染人口がゼロになる)という結果になっています。
【ハードな自粛要請をした場合の感染状況】
この上で、現在実施している、人との接触を8割削減するという自粛要請(以下では、「ハードな自粛要請」と表現する。)の効果を見てみましょう。これを見るために、t=75以降、βが8割削減されると仮定してシミュレーションしてみます。
その結果を見ると、第2図のようになります。
これを見ると、ハードな自粛要請が始まると、感染人口は、その直前(8万人弱)をピークに直ちに減少を始めます。隔離人口の増加も緩やかになり、t=300 においても20万人弱にとどまっています。確かに、ハードな自粛要請は効果があることが確認できます。このような効果は、この時点での実効再生産数(Rt)が0.6と、1を下回っているからです。ここで実効再生産数とは、政策対応等の影響を受けながら、感染拡大後の各時点において、一人の感染者が単位時間当たり何人の感染者を新たに生み出すかを示しています。
実は、1を下回るようなRtは、ハードな自粛要請だけによってもたらされるわけではありません。同じような Rtの引下げは、例えば、感染症に対するワクチンが開発されたり(これはβを引下げます)、治療薬が開発をされたり(これは、γを引上げます)してももたらされます。実際、例えば、t=200において治療薬が開発されたので、ハードな自粛要請を解除すると想定しても、同じような図になります(したがって図は省略します)。
【ソフトな自粛要請をした場合の感染状況】
もし、(例えばその大きなマイナスの経済的影響の故に)ハードな自粛要請を嫌って、ソフトな自粛要請にとどめたとしたら、どうなるでしょうか。仮に、t=75以降、βの削減が6割削減にとどまったとしてシミュレーションしてみます。その結果が、第3図です。なお、ここでは、その他の条件を第2図と同じにするため、t=200 にソフトな自粛要請は解除されるが、同時にワクチンないしは治療薬が開発され、Rtが0.6に低下することも仮定しています。
これによると、ソフトな自粛要請では、直ちに感染人口は減少せず、しばらく増加を続けた後に減少に転じることになりますが、その減少ペースも緩やかなため、隔離人口も47万人を上回る水準まで増加してしまうことが分かります。もし、この隔離人口の一定割合が死亡する可能性があることを考えると、ハードな自粛要請に比べ、それだけ死亡者数も増加してしまうことを意味しています(この点は、さらに後述します)。
【ハードな自粛要請を早期に解除した場合の感染状況】
また、ハードな自粛要請の経済的影響を嫌って、ハードな自粛要請をワクチンや治療薬が開発される前に解除してしまう可能性もあります。その時はどうなるでしょうか。ここでは、第2図の仮定とは異なり、t=150 にハードな自粛要請を解除する時に、ワクチンも治療薬も開発されていないために、Rtがまた3に戻ってしまうと仮定しています。その結果を示しているのが、第4図です。
これを見ると分かる通り、ハードな自粛要請の結果、感染人口が減少傾向を辿っていたとしても、解除後には、感染拡大の第二波が訪れることになります。あたかも感染が始まった初期の時期に逆戻りしているかのようです。その結果、隔離人口も最終的には91万を超えてくることになります。折角ハードな外出自粛を実施しても、ワクチンや治療薬の開発が実現するまえに解除をしてしまうと、その努力も帳消しになってしまうことを示しています。
【ハードな自粛要請を解除後にワクチン・治療薬が開発された場合】
もちろん、その後にワクチンや治療薬が開発されれば、再び感染人口を抑えることはできます。第5図は、第4図の仮定に加えて、t=200 にワクチンや治療薬が開発され、Rtが0.6に低下したとして、シミュレーションをした結果を示しています。
これによると、もちろんワクチンや治療薬の開発によって感染人口は急減することになりますが、隔離人口は71万人を超えることになります。隔離人口は、第4図よりは低く抑えられるものの、かなりの水準に到達してしまうことが確認できます。
【シミュレーションが示していること】
以上のようなシミュレーションから分かることは何でしょうか。それは、次の2点にまとめられるかと思います。
第1に、感染拡大を食い止めるには、Rtが1を下回るようなハードな自粛要請が必要であること、また自粛要請の解除は、Rtが1を下回り続けるような状況にならない限り行うべきではないことです。それは、人々の大幅な行動変容によってもたらされることもあり得ますが、より現実的・持続的にはワクチン・治療薬の開発によってもたらされることが期待されます。そう考えると、ハードな自粛要請はかなりの長期間にわたって維持されることが必要になるものと考えられます。
第2に、ハードな自粛要請を、少なくともワクチンや治療薬の開発まで続けられれば、隔離人口を低く抑えられることです。もし、隔離人口の一定割合が死亡すると考えると、それは死亡者数を抑えることを意味します。例えば、感染人口の1%が死亡すると仮定した場合の累積死亡者数は、第6図のようになります。
これを見ると、政策対応がない場合に比べ、①ハードな自粛要請をワクチン・治療薬が開発されるまで続けた場合に死亡者は最も少なくなり、②ソフトな自粛要請だとワクチン・治療薬が開発さるまで続けたとしても死亡者数はそれより多くなり、③ハードな自粛要請をとったとしても、それをワクチン・開発前に解除してしまうと、最終的には死亡者数はかなり増加してしまう、ということが分かります。ハードな自粛要請の解除が早すぎると、その犠牲は大きいものになってしまうのです。
もちろん、ハードな自粛要請に伴う経済的なコストには大きいものがあります。仮に自粛要請が及ぼす経済的な影響の大きさをβの削減率(外出自粛や営業自粛の実現率)で測るとすると、その累積効果は第7図のようになります。
確かに、ハードな自粛要請を継続するのに比べて、ハードな自粛要請を早めに解除したり、ソフトな自粛要請にとどめたりすることの方が経済的なマイナスの影響を抑制することはできそうです。だからこそ、感染拡大に対する政策対応とその経済的な影響がしばしばトレードオフにあると指摘されるわけです。しかし、見かけ上トレードオフがあるように見えたとしても、政策的にはトレードオフであることはあり得ません。人命への影響を最小限のものにするということは、政策において最優先されるべきことだからです。もし経済的な影響に配慮をするのであれば、それは、人命を最優先するという大前提に立った上で、その経済的な影響を最少化するためにはどうすれば良いかを考える、ということであるべきではないでしょうか。
以上のように考えてくると、現在のようなハードな自粛要請は、大幅な行動変容が見られ、それが定着するのでない限り、ワクチンや治療薬が開発されるまでは継続する必要があると思います。
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ⅰ 詳細については、西浦博・稲葉寿「感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題」(統計数理、第54巻第2号、2006年)、稲葉寿「微分方程式と感染症数理疫学」(数理科学、No,538、2008年)等を参照。
ⅱ このモデルでは、感染人口を、感染してから感染性を有するに至るまでの人口E(t)とそれ以外に分けてはいません。それを考慮するためには、SEIRモデルが必要になります。
ⅲ βとγに関するこれらの値は、あくまでもシミュレーションをする上での仮定であり、必ずしも新型コロナウイルス感染症における実際の値を反映しているわけではありません。ただし、R₀=3という設定は、感染拡大をくい止めるために、人との接触を「最低7割、極力8割削減する」との目標とは整合的になっています。
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