一覧へ戻る
齋藤潤の経済バーズアイ (第111回)

日本の対中経常収支:基調に変化はあるのか

 

2021/07/05

【日本の中国に対する経常収支はこのところ黒字に】

 日本企業は、1980年代半ば以降の急速な円高を契機に、アジアに多額の直接投資を行い、工程間分業を前提にしたサプライチェーンを構築してきました。その際、中心になったのは中国です。サプライチェーンが構築される中で、中国は、日本にとって米国と並ぶ最大の貿易相手国となりました。

 ここで、日本の中国に対する経常収支(以下、対中経常収支)を見てみましょう。地域別の国際収支は、しばしば貿易摩擦の原因となってきました。1980年代前半における日米貿易摩擦の際もそうでしたし、トランプ政権下での米中貿易摩擦の場合もそうでした。地域別国際収支をもって二国間の貿易政策の是非を議論することができないことは言うまでもありません。しかし、地域別の国際収支は、二国間の経済取引を集約していることも事実です。ここではそうした観点から、対中経常収支を見てみたいと思います。

 第1図を見ると、日本の対中経常収支は、2008年から2011年にかけての一時期を除いて、長いこと赤字基調にあったことが分かります。

 しかし、2017年以降についてみると、その基調が変化しているように見えます。第2図によれば、2017年以降、対中経常収支が概ね黒字に転じているのです。

 この変化は、対中経常収支の基調の変化を意味しているのでしょうか。それとも一時的な現象なのでしょうか。また、この変化の背景には、何があるのでしょうか。トランプ政権下で米中貿易摩擦が激化し、米中デカップリングや、サプライチェーンの再構築が叫ばれましたが、そうしたこととこの変化は関係しているのでしょうか。今月のコラムでは、この問題を考えてみたいと思います。

【黒字化をもたらした要因】

 第3図は、2014年以降の時期を、2014~2016年の3年間と2017~2019年の3年間に分け、各期の対中経常収支を合計した上で、その内訳を見たものです(ここでは、コロナという特殊な事情の下にある2020年は除外しています)。これを見ると、最近における対中経常収支の黒字化の背景には、三つの要因があることが分かります。

 第1に、第一次所得収支の黒字が増加していることです(経常収支の変化分に対する寄与率は15%)。この間の第一次所得収支の変化を第4図で見てみると、基本的には直接投資収益の受取が増加していることに起因していることが分かります。

 第5図を見ると分かるように、日本の中国に対する直接投資は、中国からの直接投資を大幅に上回っており、両者の差額である純資産も着実に増加しています。したがって、中国の高い経済成長率とも相まって、直接投資収益は引き続き増加を続けるものと考えられます。

 第2に、サービス収支の黒字幅が増加していることです(寄与率19%)。サービス収支は、運輸収支、旅行収支、その他サービス収支から成り立っていますが、その内訳を示している第6図を見ると、最近のサービス収支の黒字幅の増加の背景には、旅行収支の大幅な黒字化が大きく影響していることが分かります。

 いうまでもなく、この間の中国からのインバウンド旅行客の急増が反映されていると考えられます。なお、コロナ下で中国からの観光局が急減しているので、2020年の旅行収支の黒字幅は大幅に縮小していることも確認できます。

 第3に、貿易収支の赤字幅が縮小していることです(寄与率66%)。2014~2016年にあった黒字が、2017~2019年には半分程度になっています。

 貿易収支の赤字幅縮小に何が寄与しているかを見るために、第7図を見てみましょう。これは2014~2016年と2017~2019年の各期における貿易収支の合計とその輸出入別の内訳を示したものです。これを見ると、この間の貿易収支の赤字幅の縮小が基本的には輸出の増加によることが分かります。これに対して、輸入はほぼ横ばいで推移しています。

【貿易赤字縮小の背景】

 ここで見ている輸出と輸入は国際収支ベースなので、当然数量の変化と価格の変化の両方を含んでいます。そこで、金額をこの二つの要素に分けたものを見てみましょう。といっても、国際収支ベースではそのようなデータはとれないので、ここでは貿易統計の貿易指数(したがって輸入はCIFベース)を利用した第8図を見てみたいと思います。

 それによると、価格の変化というよりは数量の変化の影響が大きいことが分かります。もっとも、2015年や2016年のように、金額の変化が数量よりも価格の変化に大きく引っ張られていたときもあることには注意をする必要があります。2015年には人民元に対して円が大きく減価しました。また、2016年には原油価格の下落もあって輸出価格も輸入価格も大きく下落しました。

 数量の変化の背後には中国と日本の成長率の差があると考えられます。この間、中国は、一貫して日本より高い成長を遂げてきました。2014~2019年で見ても、中国の実質GDP成長率は平均7%程度であったのに対して、日本は平均1%程度の成長にとどまっていました。したがって、所得要因からすると、日本の輸出が輸入に比べて伸びていても不思議なことではありません。

 しかし、2016年までは日本が中国に対して経常収支の赤字基調にあったことからすると、2017年からの変化には、所得要因以外の、構造要因が存在していることが考えられます。構造要因としては、サプライチェーンの変化が考えられます。中国を中心として構築されてきたサプライチェーンは、それまで日本から輸出していた財貨の生産を、海外に設立した生産拠点に移管し、そこで日本から部品等の供給を受けながら最終製品の組立・生産を行い、それを日本や第三国に輸出するという、工程間分業を可能とすることになりました。このため、サプライチェーンの構築は、日本の貿易に対しては、①輸出代替効果、②輸出創造効果、③逆輸入効果、の三つの効果を持ったと考えられます。①と②は日本からの輸出に対して影響し、③は日本への輸入に対して影響を及ぼします。

 これまでの対中経常収支の赤字基調は、こうしたことを反映していたと考えられます。そうであれば、2017年以降に見られる黒字化は、そうしたサプライチェーンの変化を表すものなのでしょうか。

【輸出入における品目別の変化】

 その点を探るために、この間の輸出の増加がどのような輸出品で見られるかを見てみましょう。第9図は2014~2016年から2017~2019年にかけての輸出額合計の変化を見たものですが、これを見ると、この間の輸出の増加に一番大きな寄与をしているのが「一般機械」であることが分かります。中身を見ると、特に「半導体製造装置」の寄与が輸出増加分全体の25%にも及んでいることが分かります。次いで大きいのが「化学製品」で、「プラスチック」などが増加をしています。そして三番目が、「輸送用機器」で、輸出増加分全体に対する「乗用車」の寄与が10%程度となっています。

 一般機械や化学製品では、日本からの同製品の輸出全体に占める中国向けのシェアも拡大しています(一般機械では18.1%⇒22.4%、化学製品では26.4%⇒28.6%、)。こうしたことは、これまでのサプライチェーンを前提に、中国に対して中間財を供給するという姿が続いていることを示しているように思えます。これを見る限り、サプライチェーンのあり方に大きな変化があるようには見えません。

 他方、輸送用機器の輸出が増加していることは、日本企業が中国市場自体を目指して最終製品を供給するようになっていることを示しています。輸送用機器の対中国輸出の世界全体への輸出に占めるシェアも、若干ではありますが高まっています(輸送用機器では7.3%⇒8.0%)。

 それでは、中国から日本への輸入はどうでしょうか。この間に輸入総額では大きな変化はみられませんでしたが、内訳を見るとどうでしょうか。第10図でそれを見ると、2014~2016年から2017~2019年にかけて、「その他」が大きく減少していることが分かります。「その他」の輸出全体に占める中国向けのシェアも低下しています(47.5%⇒43.1%)。「その他」の中では、特に「雑製品」や「衣類及び同附属品」といった労働集約的な軽工業製品が減少を示しています。これを見ると、近年の中国における人件費の上昇を受けて、労働集約的な軽工業分野については供給元が中国から他国にシフトしている姿がうかがえます。

【対中経常収支へのサプライチェーンの再編成の影響】

 以上のことを踏まえると、この間の対中経常収支の変化については、どのようなことが言えるでしょうか。以上の限られた分析からではありますが、とりあえずは次の二点にまとめられるように思います。

 第1に、この間の対中経常収支の黒字化は、米中間の貿易摩擦の激化によるサプライチェーンの再編成に起因するものではなさそうだということです。このことは、JETROの「2019年度日本企業の海外事業転嫁に関するアンケート調査」において、「保護主義的な動きへの対応策としてサプライチェーン再編を実施している、または実施予定」と回答した企業が全回答企業の7.6%にとどまったこと、あるいは国際協力銀行の「2020年度海外直接投資アンケート調査」において、米中デカップリングについて「特に議論になっていない」と回答した企業が全回答社数の63.5%に上ること(米中の両方に拠点がある企業に限っても51.4%)に見合っていると考えられます。

 第2に、しかし、だからといってこの間の対中経常収支の黒字化が基調の変化を表していないわけではないということです。それは構造要因に基づく基調の変化といって良いのではないかと考えられます。ただし、その理由は、米中間の貿易摩擦の激化によるサプライチェーンの再編成ではなく、中国の経済発展であり、それを背景にした国内市場の拡大、人件費の上昇や購買力の向上であることです。それが輸出面における最終製品の増加、輸入面における軽工業品の減少につながっていると考えられます。また、日本へのインバウンド旅行客の増加や直接投資収益の受取増加にも反映していると言えます。こうした変化は、中国の経済発展が続く限り持続性があると思われます。

 それでは、今後はどうなるのか。今のような状況が定着するだけなのか。それとも、これからサプライチェーンの再編成の影響が表れてくるのか。また、そこに、今回のコロナの影響はどのように絡んでくるのか。コロナはサプライチェーンの再編成に新たな要素を持ち込むことになるのか、それとも単に後押しをするだけなのか。

 こうしたことは、日本企業が今後の米中関係やその他のリスクファクターについてどう考えるかに大きく依存し、まだ状況が流動的な中では、はっきりとしたことは見通せません。しかし、サプライチェーンのあり方は日本の今後の産業構造や経済成長にも大きく影響していくだけに、その動向については注意深く見守っていく必要があると思います。