日本銀行の「気候変動対応を支援するための資金供給」を考える
2021/08/02
【日本銀行が気候変動対応資金供給を導入】
日本銀行は、本年7月16日開催の金融政策決定会合において、「気候変動対応を支援するための資金供給の骨子素案」を発表しました。これは、金融機関が実施する気候変動対応に資する投融資を対象に貸付利率をゼロ%とするバックファイナンスを与えるもので、これによって行われた貸付は貸出促進付利制度ではカテゴリーⅢ(付利金利ゼロ%)となりますが、補完当座預金制度の下ではマクロ加算残高(付利金利ゼロ%)に2倍の金額で加算されるというものです。この骨子素案は6月18日の会合における決定に答えたもので、年内に開始し、2030年度まで実施することが予定されています。
気候変動の問題は次第に深刻さを増しており、環境的に持続可能な経済社会を構築することは世界的な課題となっています。イングランド銀行やヨーロッパ中央銀行をはじめ、多くの中央銀行もそうした要請を念頭においた金融政策を導入する方向にあり、今回の日銀による新しい資金供給導入もそうした流れの一環として理解することができます。
しかし、日銀が今回導入しようとしている資金供給(以下では「気候変動対応資金供給」と呼ぶ。)については、経済政策としての観点から見た場合、いくつかの課題を抱えているように思われます。以下では、それを三つの点に整理して考えてみたいと思います。
【日銀に課されている政策目標との関係をどう考えるか】
課題の第1は、日銀に課されている経済政策上の責任との関係です。日銀は、1998年に施行された改正日本銀行法の第2条において、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を理念とすることとされています。そして、そのために、第3条において「通貨及び金融の調節における自主性は尊重されなければならない」とされています。つまり、日銀は、「物価の安定」という政策目標を与えられた上で、金融政策の運営上の独立性を保証されているのです。その結果として、日銀は、量的・質的金融緩和(QQE)のような大胆な金融政策を実施することができるわけです。
このような枠組は、Jan TinbergenやRobert Mundellが整理してきた経済政策の割当論からすれば、極めて合理的なものです。政策目標の実現には同じ数だけの政策手段が必要ですが、その条件が満たされている下では、政策目標をそれに比較優位のある(得意とする)政策手段を割り当てれば、仮にお互いが協調をしなくても(独立性をもっていても)、その政策目標を実現することができるという考え方です。金融政策は、例えば財政政策に比べ、物価の安定の実現に比較優位があると考えられるので、その目標の実現を、独立性を有する日銀に任されているわけです。
そうした枠組みで考えた時、問題は、今回の気候変動対応資金供給はどのように位置づけられるのかということです。6月18日の決定では、民間における気候変動への対応を支援していくことは、「長い目でみたマクロ経済の安定に資するものと考えている」とされています。それは日銀に課せられている政策目標である「物価の安定」とどのような関係にあるのでしょうか。
もし「長い目でみたマクロ経済の安定」が「長期の経済成長」を意味しているのであれば、それは「物価の安定」に責任を持つ金融政策の仕事であるのかという問題が生じます。そうではなく、もし「長い目でみたマクロ経済の安定」が(物価の安定につながる)「景気循環の平準化」を意味するのであれば、気候変動に対応するとなぜそれに資することになるのかは必ずしも自明なことではありません。いずれの場合であっても、気候変動対応は、日銀に課せられている経済政策上の任務を超える問題であるように思われます。
もちろん、だからと言って日銀が気候変動問題を考慮しなくて良いということにはなりません。気候変動への対応は、世界的な課題です。あらゆる対応をする必要があります。したがって日銀だけが埒外にあるというわけにはいきません。しかし、日銀が貢献をするためには、日銀の経済政策上の役割を整理し、場合によっては見直す必要があるということです。
例えば、イングランド銀行の場合、イングランド銀行法に基づく本年3月3日の財務大臣からの書簡において、政府からイングランド銀行への付託事項(Remit)の中に「環境的に持続可能で、順応性のあるネットゼロ経済への移行」が追加されています。つまり、イングランド銀行の場合には、明示的に政策目標の追加が行われています。
またヨーロッパ中央銀行の場合は、7月8日の理事会(Governing Council)が、気候変動に関する配慮をこれまで以上に金融政策に織り込むべきことを決定し、そのための包括的な行動計画(Comprehensive Action Plan)を公表しています。政策目標を追加ないし変更しているわけではないので、その点で問題は残りますが、少なくとも、気候変動と金融政策との関係を明示的に示そうとしています。
こうした中央銀行の取組に比べると、日銀の対応は不明確なように思われます。こうした対応を続けることになると、将来、政府の経済政策との齟齬をきたす可能性が生じてきます。今回は、気候変動対応という世界的な課題であり、政府もそれに取組んでいるので、大きな問題にはなっていません。しかし、日銀の決定がこれ以外の問題の場合に及んだ時、政府との考え方に齟齬があるために、マクロ経済に大きな影響を及ぼす可能性があり得ます。そうした事態を回避するためには、日銀は日銀法によって課せられた政策目標の範囲内で独立性を発揮することに専念することとし、もしそれを超えるような政策課題が出てきた場合には、イングランド銀行やヨーロッパ中央銀行の例も参考にしながら、明示的にそれを位置づけることが必要であると思います。
【バックファイナンスという政策手段は有効か】
今回の日銀による気候変動対応資金供給の課題の第2は、その政策手段が有効かということです。日銀の気候変動対応資金供給では、金融機関が行った投融資に対するバックファイナンスを与えることとしていますが、そのような政策手段が本当に気候変動対策に寄与するのかということです。
外国の中央銀行の政策手段に注目すると、イングランド銀行の場合、ディスクロージャーが中心となっており、その内容を年次の気候関連金融ディスクロージャー報告書(Climate-Related Financial Disclosure)で公表しています。金融政策に関連しては、社債購入プログラム(Corporate Bond Purchasing Program: CBPS)の一環として保有している社債の発行企業に対して気候変動への取組を求め、いずれはそれに目標を設定することなどが検討されています。ヨーロッパ中央銀行も、気候変動の影響を分析するためのモデルの開発や気候変動に伴うストレス・テストの実施の他、資産買入や担保引受の条件としてディスクロージャーを求めることや企業部門資産買入(Corporate Sector Asset Purchases)に関する枠組みを気候変動の観点から見直すことなどが検討されています。こうした取組に比べると、日銀の取組はより踏み込んだものであると言えます。民間金融機関による気候変動対応の投融資を支援することを通じて、企業が行う気候変動対策を資金面から実際に後押ししようとしているからです。
しかし、日銀の取組がどれだけ気候変動対応に寄与するかは不明です。大企業を中心として銀行離れが進んでいる中で、低金利の資金調達が可能になるとどれだけ企業の気候変動対策を促進することになるかは不透明だからです。
また、いずれ「物価の安定」を実現するための金融政策運営と齟齬をきたすことにならないのかという問題も考えておく必要があります。デフレからの脱却が実現し、金融緩和の解除が課題になってきたときに、気候変動対応資金供給はどうするのか。金融政策のスタンスが変更になっても、そのまま継続していて良いのかということが問題になってきます。
【資金供給の対象をどう考えるか】
気候変動対応資金供給の第3の課題は、資金供給の対象を何にするかということです。日銀の気候変動対応資金供給においてどのような投融資がその対象になるかについての判断は、基本的には金融機関に委ねられています。それは日銀が、市場における価格形成に影響を及ぼさないという「市場中立性に配慮」(6月18日の金融政策決定会合決定)しているからだとされています。
しかし、金融機関が選別した結果であったとしても、特定の投融資を支援しているからには、資源配分に介入していることになります。したがって、資金供給をするのであれば、どのような投融資を支援するかについての明確な指針を持って臨むべきであるように思います。例えば、他の中央銀行が行っているように、気候変動対策に関するディスクロージャーを求め、それに基づいて資金供給の対象を選別することが考えられます。
さらに言うと、日銀の資金供給の対象を選別するにあたっては、気候変動を超えたもっと広い影響を考慮することも必要かもしれません。気候変動に対応しようとする事業は、それが有効であればあるほど、産業構造に大きな影響を及ぼし、働き手が必要とするスキルも変化させることになります。これは必然的に所得分配に影響をもたらします。もし所得分配の不平等の問題が気候変動の問題と同じように重要な問題であるならば、所得分配への影響を考慮して選別を行うことも考えてよいのではないでしょうか。
というのも、Anthony Atkinsonはその著書Inequality: What can be done?(Harvard University Press, 2015: 邦訳『21世紀の不平等』)において「公共政策は、技術変化の性格と、それを通じた市場所得の方向性に影響を与えるのに、大きな役割を果たすことができる。」したがって、「政府がイノベーションを支援するような政策決定を行うときには、融資を通してであろうと、ライセンス供与、規制、調査、教育を通してであろうと、所得分配上の影響を明示的に考慮しなければならない。」としているからです。こうした観点は、中央銀行の場合にも必要なのではないかということです。
ちなみに、気候変動と所得分配の関係については問題意識が高まっており、所得の不平等度が拡大すると気候変動も悪化するのではないかということが議論されています。例えば、Lucas Chance とThomas Piketty は、その論文Carbon and inequality: from Kyoto to Paris (Paris School of Economics, 2015) において、二酸化炭素の排出量は概して高所得国の高所得層において多く、低所得国の低所得層において少ないが、最近は異なる国の間よりも、それぞれの国の中での差が大きくなっているという研究結果を発表しています。こうしたことは、所得の不平等度を縮小するような政策は、気候変動問題の改善にも寄与する可能性を示唆していますが、それとは逆に、どのような気候変動対応であれば所得の不平等度の縮小と整合的になるかを研究する必要もあるのではないかと思われます。
【気候変動対策は重要・必要だからこそ課題のクリアが必要】
以上、日銀の気候変動対応資金供給の導入に関連して浮かび上がってくる課題について整理してみました。繰り返しになりますが、こうした課題を指摘しているからと言って、中央銀行における気候変動問題への取組について、それが対策の重要性、必要性を否定しているわけではありません。むしろ、逆に、それが重要であり、必要であるからこそ、その取組が十分な成果をもたらすよう、クリアしておくべき必要を明らかにしたつもりです。
なお、最後に触れた、気候変動対策と所得分配の関係については、日銀だけでなく、政府の取組においても考慮されるべき論点であることも指摘しておきたいと思います。
バックナンバー
- 2023/11/08
-
「水準」でみた金融政策、「方向性」で見た金融政策
第139回
- 2023/10/06
-
春闘の歴史とその経済的評価
第138回
- 2023/09/01
-
2023年4~6月期QEが示していること
第137回
- 2023/08/04
-
CPIに見られる基調変化の兆しと春闘賃上げ
第136回
- 2023/07/04
-
日本でも「事前的」所得再分配はあり得るか?
第135回