日本にインフレは到来するのか?
2023/04/05
【消費者物価は上昇を続けてきたものの2月には低下】
消費者物価指数の総合(生鮮食品を除く)の前年同月比は、2021年9月以降、プラスで推移し、その伸び率も徐々に高まってきました(第1図)。本年1月には同4.2%になりましたが、この伸び率は、1981年6月以来の高さです。デフレに慣れてきた日本ではありますが、さすがにインフレになるのではないかとの懸念が高まっています。
しかし、同じ前年同月比が、この2月には3.1%に低下をしました。3月の東京都区部の中旬速報値も2月の同3.4%から、3月には3.3%へとさらに低下をしています。したがって、全国でも3月にはさらに低下することが予想されます。
日本でもインフレ(持続的な物価上昇)になると考えるべきでしょうか。それとも、現在の物価上昇率の高まりは一時的な現象であると考えるべきでしょうか。今月は、この問題を考えてみたいと思います。
【消費者物価の内訳をみると】
この問題を考えるときに注目されるのは、消費者物価指数の前年同月比がプラスであっても、指数そのもので見ると、本年2月には低下をしているということです(第1図)。この指数の低下が持続的なものか否かが、この問題を考える上での鍵を握っています。
そこで、消費者物価指数の総合(生鮮食品を除く)の内訳をみたのが、第2図です。ここでは、①食料(生鮮食品を除く)、②エネルギー、③消費者物価指数総合(食料<酒類を除く>とエネルギーを除く)に分けてみています。これによると、エネルギーは2月に前月比10.7%の低下となったものの、食料(生鮮食品を除く)は2月に引き続き同0.7%の上昇、総合(食料<酒類を除く>)とエネルギーを除く)も同0.3%の上昇となっています。
【エネルギーの輸入物価は下落傾向】
まずエネルギーについて考えてみましょう。足元でのエネルギー価格の低下の要因としては、二つのことが考えられます。
一つは、原油や天然ガスの輸入物価が低下していることです。第3図が示しているように、円ベースの「石油・石炭・天然ガス」は、2022年10月以降、低下傾向にあります。これは、契約通貨ベースの輸入物価が2022年10月以降、低下を示すようになったことに加えて、2022年11月以降の為替の円安修正によってもたらされています。
もし、最近の世界景気の動向を受けて、これまでの一次産品の契約通貨ベースでの価格の上昇傾向に歯止めがかかるとともに、円の価値も安定化するとすれば、今後ともエネルギー価格の面から物価に上昇圧力が加わるとは考えにくくなります。
エネルギー価格の低下要因としてもう一つ考えられるのは、ガソリン等の石油製品価格の抑制のために実施されている「燃料油価格激変緩和補助金」や、電気料金・都市ガス料金の抑制のために導入された「電気・ガス価格激変緩和対策事業」の効果です。前者は、2022年1月に導入され、本年9月まで継続実施される予定です。また、後者は、2023年1月使用分(2月検針分)から導入され、本年9月使用分(10月検針分)までが対象となる予定です。
こうした価格・料金抑制策が終了すると、その分、価格・料金は引上げられることになります。加えて、現在、10の電力会社のうち、7社が経済産業省に料金の引上げ申請を行っており、当初予定では4月ないし6月に引上げられる予定となっていました(現在、政府内で査定・調整中)。したがって、いずれその影響が出てくることも予想されます。ただし、実際の価格・料金がどうなるかは、今後のエネルギー価格や為替レートの動向によって異なってくることに注意が必要です。
【食料関連の輸入物価も下落傾向】
次に食料価格の上昇です。食料も輸入に大きく依存しています。食料そのものの輸入価格の上昇によって食料価格が大きく影響を受けることもさることながら、飼料用穀物等の輸入価格を通して畜産物価格が大きく影響を受けることもあります。その意味で、「飲食料品・食料用農水産物」の輸入物価の動向が注目されますが、これは契約通貨ベースで2022年8月以降、低下傾向にあるのに加えて、為替の円安修正の影響もあり、円べースでの輸入物価は同11月以降、低下傾向にあります(第3図)。
ただし、食料品の場合、電気料金の燃料費調整制度のように、原料の輸入コストの上昇分を自動的に転嫁できるような仕組みが存在しないので、輸入コストの上昇を小売価格に転嫁するのには時間がかかります。実際、本年4月にも多くの食料品価格が改訂されました。しかし、現在のように食料品や食料用の農水産物の輸入物価が低下するようになっているとすると、このまま国内の食料品価格が上昇を続けるとは考えにくいところがあります。
【本年の春闘は賃金引上げに】
最後に、食料やエネルギー以外の商品・サービスの価格動向です。既に見たように、消費者物価指数の総合(食料<酒類を除く>とエネルギーを除く)は依然として上昇を続けています。前年同月比で見ると、本年2月には2.1%の上昇となっており、これが続くとなると、2%の物価安定目標の達成も視野に入ってくるようにも見えます。
これが今後どうなるかの鍵を握っているのが、今後の賃金の動向です。
本年の春闘は、現在まだ進行中です。しかし、大企業を中心としたこれまでの集計結果を見ると、賃上げ率は4%近くになっている模様です(第4図)。このままで推移するとすると、春藤賃上げ率は1990年代初頭以来の水準になることが予想されます。
しかし、春闘の賃上げ率には、定期昇給分が含まれていることに注意が必要です。春闘賃上げ率が、そのままマクロ的な一人当たり賃金の上昇率になるわけではないのです。第4図を見てもわかるように、毎月勤労統計調査における一般労働者の一人当たり所定内給与の上昇率は春闘賃上げ率よりもかなり低いものに止まっています。あえて一人当たり賃金上昇率に近いものというと、春闘賃上げ率のうちのベースアップ分となります。
現在までの集計結果(連合による第2回回答集計)では、本年の春闘賃上げ率は3.91%となっていますが(ただし、内訳が分かるものについての集計結果)、これから定期昇給分を除いて得たベースアップ分を見ると、2.25%となっています。これは春闘賃上げ率を下回るものにはなっていますが、近年は0.5%前後にとどまっていたことを考えると、一人当たり賃金は近年にない大幅な上昇になるものと見込まれます。
このような賃金上昇は、単位労働費用の上昇を通して、コスト・アップ面から、物価引上げ要因として作用するものと考えられます。 しかし、これが直ちにインフレ(持続的な物価上昇)をもたらすことになるわけではありません。
もし本年の春闘のような賃金上昇が本年限りのものに止まるのであれば、物価も一回限りの水準調整に終わり、インフレになることはありません。
他方で、もし本年の春闘のような賃金上昇が引き続きみられ、賃金が持続的に上昇するのであれば、インフレ(それもホームメード・インフレ)をもたらす可能性はあります。しかし、賃金の実質購買力を維持するためには賃金上昇は必要ですし、労働生産性が上昇して賃金コストの上昇を吸収することができるのであれば、インフレにもなりません。むしろ、物価の下支え要因となり、これまでのようなデフレ(持続的な物価下落)から脱局できるチャンスになります。
インフレになるかどうかは、ひとえに今後の賃金動向と企業の賃金コスト吸収努力にかかっていると言えます。
【求められる細心の政策運営】
このように考えてくると、物価動向という意味では、日本は大きな岐路に立たされているように思えます。
一方では、輸入物価は沈静化しつつあるように見えます。一次産品価格も落ち着いてきており、為替の円安修正も進みました。これが本当に定着するのかどうか。他方では、本年の春闘の結果のように、賃金上昇の動きが見られます。これが来年以降も続くのかどうか、また、この賃金上昇がどれだけ物価に影響することになるのか。いずれの面においても、今後の動向には多くの不確実性があり、予断を許しません。
こうした状況の中では、デフレ的な状況からの脱却を確実なものにしながら、インフレにもしないようにすることが極めて重要です。そのための細心の政策運営が求められています。
バックナンバー
- 2023/11/08
-
「水準」でみた金融政策、「方向性」で見た金融政策
第139回
- 2023/10/06
-
春闘の歴史とその経済的評価
第138回
- 2023/09/01
-
2023年4~6月期QEが示していること
第137回
- 2023/08/04
-
CPIに見られる基調変化の兆しと春闘賃上げ
第136回
- 2023/07/04
-
日本でも「事前的」所得再分配はあり得るか?
第135回