日銀の『多角的レビュー』で取上げられていない金融政策上の論点
2025/04/01
【はじめに】
日本銀行は、2024年12月に、1990年代後半以降を対象にした『金融政策の多角的レビュー』(以下、『多角的レビュー』)を取りまとめ、発表しました。
この時期の日本経済は、バブル崩壊を発端とした長期にわたるデフレからの脱却という課題に直面し、政府も日銀も対応に追われ続けるような状況にありました。こうした経験を踏まえて、日本銀行がその間の金融政策のあり方を振り返り、成果と課題を整理し、将来に役立てようとすることはとても重要なことであり、長時間にわたる分析と議論を踏まえてその結果と世に問うた点は高く評価すべきだと思います。
しかし同時に、『多角的レビュー』では取上げられなかった論点もいくつかあるように思います。今月は、そうした点について論じたいと思います。
【論点1:政策判断の適切性】
『多角的レビュー』で取上げられていない論点の第1は、1990年代後半以降の状況判断や政策判断のタイミングやその適切性についての評価です。
① 前述のように、今から振り返ると、日本経済は1990年代後半からデフレに陥っていました。そのような認識は『多角的レビュー』の冒頭にある「基本的見解」にも示されています(「わが国では、1990年代後半に物価は持続的に下落するデフレに陥った。」<p.1>)。しかし、日本銀行と政府は、ともに、デフレにあるという状況認識、あるいはデフレ脱却をしなければならないという課題認識に到達するのに時間がかかり、またそれが一貫して維持されたわけでもありませんでした。
政府がそのような認識を示すに至るのは、2001年4月の月例経済報告が最初です(いわゆる「デフレ宣言」)。その後しばらくはそうした認識は維持されますが、2006年秋には一時的に後退することになります。それが復活するのは、リーマンショックを受けてのことで、2009年11月の月例経済報告で再びデフレであるとの状況認識とデフレ脱却という課題認識が示されます(あえて言えば「デフレ再確認宣言」)。そうした認識は2013年11月まで維持されますが、その後は状況認識としてのデフレは消えることになります。他方、課題認識としてのデフレ脱却は残り、それが今日まで続くことになっています(2025年3月現在)。
政府に比べると日銀の場合、金融政策決定会合における金融調節方針に関する決定文で見る限り、デフレに関する記述は早くから見られました。「デフレスパイラル」に対する懸念が1998年9月に表明された後、「デフレ圧力」に対する懸念が1999年2月から2000年7月まで見られます。その後、しばらくデフレという言葉は消えますが、「物価が継続的に下落することを阻止する」必要性が、2001年3月から2006年2月まで表明されることになります。その後、デフレに関する記述は消え、「デフレからの脱却」という課題認識で復活するのが2009年12月で、それは量的・質的金融緩和の導入後も引き継がれます。しかし、その記述も、2014年5月からは消え、その後、散発的に「デフレマインド」に関する言及(例えば2015年12月、2016年3月、6月)や「デフレからの脱却」の必要性に関する言及(2016年9月)はありますが、現状がデフレであるという基本的な認識は示されていません。実際、2016年9月に公表された『「量的・質的金融緩和」導入以降の経済・物価動向と政策効果についての総括的な検証』の【背景説明】(以下、『総括的な検証』)では、「2013年4月に『量的・質的金融緩和』を導入してから3年余りが経過した。この間に、わが国の経済・物価は大きく好転し、『物価が持続的に下落する』という意味でのデフレではなくなった」との判断が示されています。
以上で述べた政府と日銀のデフレに関する認識をグラフにまとめたのが下図です。ここでは、日銀の「金融調節方針に関する決定」と政府の「月例経済報告」を対象に、デフレに関する記述があった比率を示しています。これを見ると、政府と日銀のデフレに関する認識の揺らぎが確認できるかと思います。

② デフレに関する認識が、このように遅れたり、変動したりしたとすれば、それが金融政策の効果に影響することにもなったのではないでしょうか。
例えば、日本銀行は、当時としては画期的な「ゼロ金利政策」(1999年2月~2000年8月)や「量的緩和政策」(2001年3年~2006年3月)といった非伝統的金融政策を導入し、運用してきました。こうした大胆な政策運営は評価されるべきです。しかし、問題は、それらが早々に解除されてきたことです。しかも、いずれも、政府には異論があるなかで行われました(2000年8月のゼロ金利政策の解除に際しては、政府代表の「議決延期請求」を否決した上で行われました)。
日本銀行が、1998年の日銀法改正によって明確な独立性を確保した以上、その自体に問題があるわけではありません。しかし、その後もデフレ状況が続いたことを考えると、その影響を考える必要はないのだろうか、という点が疑問に残ります。
③ このように考えると、『多角的レビュー』で評価しているように、もし2013年4月以降実施してきた「大規模な金融緩和」が「全体としてみれば、わが国経済に対してプラスの影響をもたらしたと考えられる」(p.5-6)のであれば、もっと早くこれを実施しても良かったのではないかという判断もあり得ます。マネタリーベースへのインパクトという点でみても、その規模は比較にならないほど大きなものです(残念ながら、『多角的レビュー』では、マネタリーベースのグラフが47ページまででてきません。しかも、「ゼロ金利政策」や「量的緩和政策」の時の規模と「量的・質的金融緩和」の時の規模を比較することはできません)。その意味では、1990年代後半以降の金融政策は「Too little, too late」であったと言われても仕方がないように思えます。
【論点2:適合的期待形成の背景】
第2の論点は、物価上昇率を2%にまで引き上げることができなかった理由として、「わが国の予想物価上昇率は、適合的な期待形成の影響が大きい傾向にあ(る)」こと(p.4)が挙げられていますが、これはなぜかという点です。
実際の企業や家計が将来の物価について完全予見していると言えないことはもちろんのこと、合理的期待形成をしているとも考えられないことは、限られたデータを用い実証分析でも示されているところです(例えば、Lamla and Vinogradov 2019: Candia 2024)。にも関わらず、これに強く期待したのはなぜか、といことです。もしかしたら、日銀としては、日本の期待形成が、かつてはもっとフォワード・ルッキングであったと考えていたのかもしれません。
実際、『多角的レビユー』は、この時期に期待の変化が見られたと述べています。「賃金・物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方が次第に社会に定着することにつながった」として、その例として価格改定コスト(メニューコスト)が高まったことを挙げ、その背景には「緩やかなデフレが継続したこと」があったと指摘しているのです(p.18)。
しかし、もし「緩やかなデフレが継続したこと」を挙げるのであれば、この間の政府や日本銀行の政策対応のあり方にも目を向ける必要があるように思います。政府の場合は、バブル崩壊後の不良債権処理に長期間を要したこと、その間、構造政策ではなく景気対策で対応しようとしたこと、などがバブルの長期化をもたらし、適合的期待形成を強めたかもしれないことを考えるべきなのではないでしょうか。同様に、日銀の場合、先述したように「Too little, too late」であるような金融政策を繰り返してきたことの影響を分析する必要があるように思います。
【論点3:量的・質的金融緩和の効果波及経路】
第3の論点は、直近の量的・質的金融緩和の評価にあたって、必ずしも当初の導入理由に照らして評価されていない点です。
量的・質的金融緩和が導入された際の黒田総裁(当時)の説明では、金融政策の波及経路として、「資金調達コストの低下を通じて、企業などの資金需要を喚起すること」、「投資家や金融機関は、株式や外債等のリスク資産へ運用をシフトさせたり、貸出を増やしていくこと(いわゆる「ポートフォリオ・リバランス効果」)」、「市場や経済主体の期待を抜本的に転換すること」の三つが挙げられています(2013年4月12日における黒田総裁の講演)。
これに対して、『多角的レビュー』では、「こうした大規模な金融緩和が経済・物価に波及するメカニズムとして、日本銀行では、①期待への働きかけを通じた予想物価上昇率の引き上げと②大規模な国債買入れ等を通じた名目金利の押し下げによる実質金利の低下が起点となることを想定していた」(p.37)と整理した上で、それらの「効果を確認したうえで、これらによる実質金利低下の経済・物価への影響を検証する」(p.39)として論点を絞っています。ここには、ポートフォリオ・リバランス効果への言及も、その効果検証も見られません。
そういう観点で改めて『多角的レビュー』を見ると、基本的見解や背景説明にはポートフォリオ・リバランス効果についての言及や、それにかかわる分析はありません。わずかに補論6として「過去25年間の為替動向」(p.102)があるだけで、株価動向についての分析は補論にもありません。
肯定するにしても、否定するにしても、政策導入時において政策効果波及経路として大きく取り上げた以上、その評価が行われてしかるべきだったのではないかと思います。
【論点4:2%目標の根拠】
第4の論点は、「物価安定の目標」である「消費者物価指数の前年比上昇率で2%」の根拠についてどう考えるかという点です。
2013年1月にこの「物価安定の目標」が決められた際の根拠としては、「消費者物価指数の上方バイアス」、金融政策の対応力を維持するための「金利引き下げ余地の確保(いわゆる『のりしろ』)」、主要国の中央銀行でも共有されている「グローバル・スタンダード」の三つが挙げられていました(2014年3月20日における黒田総裁の講演)。
この考え方は、「真の物価」が安定していたとしても(前年比0%であっても)、消費者物価指数上は「上方バイアス」で小幅のプラスとして現れてくるので、消費者物価指数で目標を設定するのであれば、若干のプラスの目標を設定せざるを得ないということが出発点になっています。その上で、金融政策上はさらに「のりしろ」を上乗せしなければならないといわけです。その場合には、「真の物価」も前年比ゼロでなく、若干のプラスの上昇を示すことになります。
消費者物価指数については、その上方バイアスが縮小してきているという評価もあります(小林他 2024)。そうであれば、物価安定の目標を2%に据え置くということは、「のりしろ」が拡大することを意味します。そうしたことを補完する意味もあるのか、『多角的レビュー』では、「わが国で長く続いたデフレ・低インフレ環境下では、多くの品目の価格が動かなくなり、所定内給与も据え置かれる傾向が強まった。理論的・実証的な研究は十分には蓄積されていないが、こうした状況が資源配分を歪めたり、企業の前向きな投資を抑制することにつながっていた可能性もある。これらを踏まえると、賃金上昇を伴う形で、物価が緩やかに上昇する状況を実現することが重要である。」(p.64)としています。これは、「のりしろ」以上に、積極的に「真の物価」が上昇しているような状況が望ましいと言っているようにも読めます。今後とも、2%の「物価安定の目標」を維持するのであれば、こうした論点は早急に詰められていく必要があると思います。
なお、「物価安定の目標」2%の根拠として、これが「グローバル・スタンダード」だということが提示されていましたが、これについては少し留保が必要であるように思います。もし、いずれの国においても、同じ物価指標で2%を目標としているのであれば(為替レートの安定などの観点からも)そのように言うことも許されると思いますが、実際には、米国の連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)を見ても、日本銀行とは異なる物価指標を目標設定に用いています。
FRBの場合、その目標設定は個人消費(Personal Consumption Expenditure: PCE)デフレーターを用いています。これはGDPの個人消費支出を実質化する際に用いるデフレーターに対応しており、日本の消費者物価指数(ラスパイレス指数)と異なり、フィッシャー型の連鎖指数となっているので、上昇バイアスは限定的であると考えられます。
また、ECBの場合には、消費者物価指数を目標設定に用いていますが、それはHICP(Harmonized Index of Consumer Prices)と呼ばれるもので、ユーロ圏内の物価を比較可能にするためにその作成方法を調和させたものです。その特徴の一つは、日本の消費者物価指数には含まれている「持家の帰属家賃」を含んでいないことです。「持家の帰属家賃」のウェートは大きいため、それが入っているか否かで、その推移は大きく変わってきます。
さらに、BOEの場合には、日本と同じ消費者物価指数を目標設定に用いていますが、ラスパイレス方式ではあっても連鎖基準方式で作成されており、しかも「持家の帰属家賃」を含んでいません。
このように、同じ2%でも、目標設定に用いられている物価指標が違っている以上、これが「グローバル・スタンダード」であるといっても、それがどれほどの意味を持っているのかは定かではありません。
【論点5:2%目標とデフレ脱却】
最後に、第5の論点として、現状を「物価安定の目標」と「デフレ脱却」との関係でどのように考えるかという点です。
日本銀行が2024年3月に「金融政策の枠組みの見直し」を行い、量的・質的金融緩和を解除した際には、その根拠として「(2%の)『物価安定の目標』が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断した」ことが挙げられています(2024年3月19日、金融政策決定会合)。直近の金融政策決定会合でも「『展望レポート』の見通し期間後半には『物価安定の目標』と概ね整合的な水準で推移すると考えられる。」との認識が示されています(2025年3月19日、金融政策決定会合)。つまり、まだ2%は実現していないが、それが実現することが見通せる段階に入っているという認識のようです。
これに対応して、最近の金融政策決定会合の決定文においては「デフレ」に関する記述は見られません。『多角的レビュー』を見ると、量的・質的金融緩和導入後の2010年代に関する記述で、「長らく続いた慢性的な需要不足は解消に向かい、予想物価上昇率も幾分高まるもとで、わが国は物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなった。もっとも、・・・2010年代の物価上昇率は、2%を下回る状況が続いた。」(p.2)とあるので、デフレは2010年代に収束したという認識のようです。実際、前述のように、2016年9月の『総括的な検証(背景説明)』において、「デフレではなくなった」との判断が示されていました。
このことは、二つのことを示しています。一つは、日銀にとって、デフレ脱却と2%の「物価安定の目標」は別物だということです。デフレ脱却は物価が下落し続けているか否かで決まる(つまり物価上昇率が0%以下なないかどうか)のであって、これは2%の「物価安定の目標」のワンステップ前の問題ということのようです。ただし、この物価が下落しているか否かという判断が、上昇バイアスを含む消費者物価指数で考えているのか、あるいは「真の物価」ベースで考えているのかは定かでありません。
もう一つは、デフレ脱却の認識が政府とは違っているということです。政府の月例経済報告を見ると、「経済財政運営に当たっては、デフレ脱却を確かなものとするため、『経済あっての財政』との考え方に立ち、『賃上げと投資が牽引する成長型経済』を実現していく。」とあります(2025年3月)。政府にとっては、デフレからの脱却はまだ完成していないのです。その点、政府はデフレ脱却を「物価が持続的医下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」と定義し、その判断に際しては、①消費者物価上昇率、②GDPデフレーター、③GDPギャップ、④ユニット・レーバー・コスト(単位労働費用)に注目するとしています(2006年3月、内閣府の参議院予算委員会提出資料)。政府の定義からすると、「デフレ脱却」のハードルはかなり高いものと考えられます。ただし、2024年3月の量的・質的金融緩和の解除に際して、政府代表委員(内閣府、財務省)はいずれも反対はしていません(前述のようにゼロ金利政策と量的緩和政策の解除に際しては異論を唱えました)。
もちろん両者に必ずしも矛盾があるとは限りません。金融政策の場合、その効果が発現するのにタイム・ラグが伴います。したがって、金融政策は先を読んで、先行的に動きます。だからこそ、「物価安定の目標」である2%を持続的・安定的に実現していくことが「見通せる状況」になったので、量的・質的金融緩和を解除したとも言えます。そして、実際に2%が実現した時こそ、政府の考えるデフレ脱却の4条件が満たされる時なのかもしれません。そうであれば、「2%の実現=デフレ脱却」ということになるので、政策変更の時点は違うかもしれませんが、経済の認識には齟齬はないことになります。しかし、それはあくまでも一つの解釈であって、明示的にそう説明されているわけではありません。
両者の関係をどう考えるかは重要です。政府と日本銀行との間で食い違いがあると、経済政策上の齟齬をきたす可能性もあるからです。こうした状況は近い将来到来するかもしれません。「物価安定の目標」と「デフレ脱却」との関係を早急に整理することが求められています。
【むすび】
デフレ下の日本における金融政策運営は壮大な実験の積み重ねだったように思います。やれることはやり切って、それでも何かをしなければならない状況にあって、効果が実証されていないような政策を導入し、走りながら考えていくということの連続であったように思います。それだけに、この間の金融政策運営を振り返って、その教訓をできる限り引き出すことは、日本だけでなく、世界の中央銀行にとって大いに参考になるものと考えられます。
今回の『多角的レビュー』はその意味で重要な試みであったように思います。しかし、これまで見てきたように、取上げられなかった論点も多いように思います。それは、『多角的レビュー』が、「これまでの金融政策の効果の分析=実証的分析」に重きを置く一方、「これまでの金融政策のあり方自身を問うような分析=規範的分析」は対象外に置いたことの結果のように思います。日本銀行に限らず、金融政策に関心のある研究者や実務家が、そうした点を補っていくことが求められているように思います。
(注)なお、筆者は同様のテーマで英文コラム(2025年3月18日)を書いていますが、本コラムでは、そのうちの第1の論点を中心に大幅な改訂を行っていることにご注意下さい。
参考文献
Candia, Bernardo, Olivier Coibion, and Yuriy Gorodnichenko. 2024. “The Inflation Expectations of U.S.Firms: Evidence from A New Survey.” Journal of Monetary Economics. 145.
Lamla, Michael J., and Dmitri V. Vinogradov. 2019. “Central Bank Announcements: Big News for
Little People?” Journal of Monetary Economics. 108; 21-38.
小林悟・篠原武史・白塚重典・須藤直・竹内維斗文、2024、「消費者物価指数の計測誤差の改善状況と
今後の課題―主要国における物価目標の根拠としての視点から―」、日本銀行金融研究所
ディスカッション・ペーパー・シリーズ、No.2024-J-10。
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