物価問題のパラダイム転換(上) 内外価格差の議論
2019/07/16
物価問題は平成時代において数奇な運命をたどった。当初は「物価の上昇を抑制するのが物価行政だ」という考えが強かったのだが、やがて「デフレの克服(すなわち物価下落を抑制すること)こそが最優先の政策課題だ」と認識されるようになった。まさにコペルニクス的転回だと言える。私が内国調査課長として経済白書を担当していた93~94年頃は、その大転回の兆しが見え始めていた時に当たる。その頃、私自身の考えもまたゆっくりと転回し始めていた。
内外価格差是正の考え方
バブルが崩壊した後、日本の物価(消費者物価、以下同じ)は上がらなくなった。91~95年のCPI平均上昇率は1.4%、96~2000年は同0.3%であった。物価が下がり始めたのは99年からであり、なんと99年から2005年まで7年連続物価が下落した(2004年は横ばい)。物価上昇率という点から見ても、私が経済白書を担当していた93~94年頃は、デフレの前兆が現われ始めていた時だったのだ。
物価行政という観点からは、それまでの政策の対象は「物価が上がらないようにする」「インフレを抑える」ということであった。第1次石油危機の時には23.2%(74年)、第2次石油危機時にも7.7%(80年)物価が上昇したことがあり、逆に下がることはなかったのだから、「物価政策とは物価上昇の抑制だ」と考えてきたのも無理はない。
この頃、物価行政の目玉の一つは「内外価格差の是正」であった。その発端は85年のプラザ合意後の超円高である。85年には238円だった円の対ドルレートはぐいぐい上昇し、93年には111円となっていた。円の価値が短期間で2倍以上になったわけだ。
対ドル円レートが2倍になれば、ドルで測った一人当たりGDPも2倍になる。これによって日本はあっという間に世界有数の高所得国となった。90年の日本の一人当たりGDPは25,916ドルであり、これはアメリカ(23,914ドル)より高い。しかし、国民から見ると、とても自分たちが世界有数の生活水準を享受しているとは思えない。要するに実感がないというわけだ。
そこで出てきたのが「日本の物価は高い」という議論だ。円の価値が2倍になれば、円で測った諸外国の物価は2分の1になる。当然日本の物価は割高になる。すると、日本の物価を諸外国並みに引き下げれば、実質所得は2倍になるわけだから、世界有数の高所得を実感できるようになる。これが「内外価格差是正」論である。
93年白書の内外価格差分析
私が課長として担当した1年目の白書、93年白書では上記ストーリーそのままの記述が登場する。
まず、同白書の第4章 第3節「生活の豊かさを目指す家計」では、次のように述べている。「質の高い国民生活の実現という課題は、基本的には80年代後半の円高によって強く意識されるようになったものである。‥(円高が浮き彫りにした重要な問題、それは)フローの所得水準では世界のトップクラスにありながら、国民は必ずしも世界のトップクラスの豊かさを実感しているとはいえない、という問題である。例えば、『経済構造調整に関する世論調査』(総理府、88年9月調査)によると、「日本の国民所得は世界の最高水準に達しているが、これに見合うだけの生活の豊かさを実感しているか」という問に対して、実感している者が22.4%、実感していない者が69.2%という結果になっている」
このように所得と生活実感のかい離が生ずる理由として、白書は内外格差の存在を指摘する。すなわち、「日本の物価は上昇率という点では世界で最も安定しているが、絶対レベルでは他の先進諸国より割高である。国際的にみて所得水準が高くても、それが国際的にみて高い物価によって割り引かれてしまっているため、実質的な所得はそれほど高くないのである」と述べている。そして、必要な対応として「規制緩和、競争条件の整備などを推進することが重要である」と結んでいる。
これは当時の標準的な考え方そのものであった。しかし、私はかすかに「どうもすっきりしないな」という感覚を持っていた。その感覚は、次のような当時としてはあまり見ない指摘を付け加えたことに現われている。
その一つは、円高が進行すると内外価格差は必然的に発生するという指摘だ。具体的には「円高は、その分海外の円換算価格を低下させる一方、仮に100%円高差益が物価面に還元されたとしても、円高と同じ割合だけ国内の物価が低下することはありえないから(例えば、円高が生じても賃金コストは低下しないから、サービス価格はほとんど動かない)内外価格差は必然的に拡大する」と指摘している。ほとんどの人は気がつかなかったようだが、これは結構重要な指摘だった。すなわち当時は、「内外価格差が発生するのは、円高による輸入コストの低下が、最終製品の価格に到達する前に、流通段階のどこかで吸収されてしまうからだ」という考えが一般的であった。白書はこの通説を否定したのである。
もう一つは、製造業(貿易財)と非製造業(非貿易財)では話が違うのではないかという指摘である。具体的には次のようになっている。「(規制緩和や競争条件の整備などを推進すれば)、貿易の対象となる財・サービスについては、裁定関係が働くことによって、いずれは内外価格差は縮小に向かう。また、貿易の対象とならない非製造業部門については、海外価格との裁定関係が働きにくいだけに、生産性向上を促進していくことが重要である」
この後述べるように、私はこの時から2年後に、内外価格差問題についての自分なりの「正解」にたどり着くことになる。その正解を踏まえて改めて93年白書の記述を振り返ると「いい線を行っていたのだが、もう一つ考えが及ばなかった。惜しい」という感じがする。
95年白書の内外価格差分析
この正解は、私が内国調査課長を退いた後の95年経済白書によって示された。白書は、内外価格差の要因として、為替レートの均衡レートからのかい離(オーバーシュート)と貿易財(製造業)と非貿易財(非製造業)の間の「内々価格差」の存在があるとしている。
まず、貿易財については国際的に一物一価が成立するはずだから、内外価格差は発生しないはずだ(93年白書で指摘した裁定の作用による)。しかし、為替レートが実態からかい離して上昇すると、貿易財についても内外価格差が発生する(日本の物価が高くなる)。ここで、製造業と非製造業の価格差を考える。通常、製造業の方は機械化などにより生産性を上げやすいのに対して、非製造業は労働の塊だから生産性を高めにくい。このため、非製造業の価格の方が製造業より高くなる。これが「内々価格差」である。この内々価格差の程度が、日本と海外で同程度であれば、非製造業についても内外価格差は発生しない。しかし、日本の内々価格差の程度が海外より大きい時には、日本の非製造業の価格が海外より割高となり、内外価格差が発生する。
95年白書では、最近の内外価格差の約4割は為替のオーバーシュートによって、約6割は、日本自身の「内々価格差」によって説明できるという分析結果を示している。私はこの分析を見て、それまでのもやもやした感じが一掃されたように感じた。まさに「目からうろこ」である。私の頭には内外価格差問題の本質がクリアにイメージされるようになった。私は、自分が白書を書いている時にこのクリアなイメージに辿り着けなかったことがとても残念だった。
私がたどり着いた内外価格差問題の正解
私がたどり着いた内外価格差問題の正解を改めて示しておこう。私は、96年2月に朝日新聞の「ぜみなーる」という欄に「誤解多い規制緩和待望論 生産性向上が目的」という文章を寄稿している。これは、95年白書によって得た内外価格差問題についてのクリアなイメージをそのまま文章にしたものである。なお、わき道にそれるが、この文章を新聞に寄稿した時、私は現役の役人(国土庁審議官)だったのだが、当時は現役の役人がこうして外部に文章を発表して自分の考えを述べることは全く自由であった。今では考えられない古き良き時代である。
私が寄稿した文章の概要は次のようなものであった。
① 内外価格差と生活水準は、直接的に対応しているわけではない。東京とニューヨークで比較した内外価格差は、1990年から94年の間に3割程度拡大したが、これによって国民の生活水準が3割低下したわけではないし、逆に、95年後半以降の円安で、内外価格差は縮小しているが、その分生活水準が上昇したわけでもない。
② 内外価格差が縮小して日本の物価が下がれば、その分家計の実質所得が増加すると考える人も多いようだが、物価の低下は名目所得の減少を伴う場合が多いから、物価が下がった分だけ実質所得が増加することを期待することはできない。
③ 非製造業の生産性を高めていくことは重要だが、多くの人は、「非製造業の生産性上昇率の絶対レベル」と「製造業の生産性上昇率と比べた相対レベル」とを混同している。日本の内外価格差が拡大してきたのは、(為替レートのオーバーシュート要因を除けば)「日本の非製造業の生産性上昇率が他の国より低かった」からではなく、「日本の製造業と非製造業の生産性上昇率格差が他の国より大きかった」からである。
④ 製造業に比べて非製造業の生産性上昇率が高まれば、内外価格差は縮小し、国民生活も豊かになる。しかし、国民生活が豊かになるのは、「内外価格差が縮小したから」ではなく、「生産性が上昇したから」である。それは製造業の生産性が上昇しても全く同じことである。
⑤ 内外価格差を是正することによって国民の実質所得を高め、成長なしに国民生活を豊かにするという理屈は、手品のようなもので、論理的にはありえない。我々は、基本的には生産する以上のものを消費することはできない。生活水準が向上するためには、必ず生産水準が高まらなければならず、そのためには生産性が上昇しなければならないのだ。
なお、ここで登場する「内外価格差を是正することによって国民の実質所得を高め、成長なしに国民生活を豊かにするような手品のようなことはあり得ない」という主張は、その直前に政府内で検討されたある政策への痛烈な批判なのである。この点は次回で詳しく説明しよう。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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