一覧へ戻る
刀祢館久雄のエコノポリティクス

トランプ・ドクトリンは「力による取引」か

刀祢館 久雄
  研究主幹

2025/06/25

 米国人はやはり火星から来たのだろうか?イランの核施設を軍事攻撃し、力による解決を目指したトランプ米大統領の戦闘的な姿勢は、20年余り前のある議論を思い起こさせる。

 2003年にイラク戦争に踏み切った米国に対し、フランスやドイツは反対を貫いた。その前に始まった米欧間の論争の中で、米国の保守派の論客、ロバート・ケーガン氏は「ヨーロッパとアメリカが同じ世界観を共有しているという幻想にすがるのは止めるべき時期がきている」と断じた。そして「アメリカ人が戦いの神、火星から、ヨーロッパ人が美と愛の神、金星からきたとされているのは、そのためだ」と論じた(山岡洋一訳『ネオコンの論理 アメリカ新保守主義の世界戦略』)。ローマ神話で火星のマースは戦いの神、金星のヴィーナスは美と愛の神である。

イランへの軍事攻撃と国際規範

 トランプ氏は、「力による平和」を掲げる一方で、軍事力行使には慎重と見られていた。戦争に巻き込まれるリスクを嫌う、という見方もあった。今回の攻撃でイランが核開発を断念し、地域に安定が訪れれば、「力による平和に導いた」と宣伝するだろう。しかし、そう簡単にいくかはわからない。イランがこのまま屈服して米国やイスラエルとの関係改善に乗り出すのかどうか、核開発の行方も含め出方は読み切れない。

 短期的な結果がどうであれ、今回の米国の行動は多くの問題を残すだろう。国連安全保障理事会の承認を得ず、国際社会への説明も尽くしていない一方的な武力行使は、国際的な規範に合致したものとはいえない。ロシアのウクライナ侵略や中国による現状変更の試みを批判しにくくならないか、という問題もある。

 トランプ氏の考え方を想像してみる。成果をあげるために大事なのは、理念や価値観よりも「力」だ。強者は弱者を従わせることができる。だから、力を背景に取引(ディール)で利益を得ることが肝要だ。味方の損害がほんどない即時の圧勝が見込めるのであれば、限定的な軍事力行使もあり得る――。トランプ・ドクトリン(原則)というものがもしあるとすれば、こんなところだろうか。力の論理であり、力を背景にいかに有利なディールにもっていくかがポイントになる。

米国人は火星から?

 火星か金星か、という話に戻すと、トランプ氏はやはり戦いの神である火星の出身なのだろう。ただし、使うのは軍事力に限らない。経済力や政治力、権力、立場の優位性などあらゆる「力」を動員し、戦い(取引)に勝つこと、得点をあげることがゴールになる。人的損害につながりコストもかかる軍事力の使用はできるだけ控え、抑止力や威圧によって有利な取引に導く道具として使いたい。

 ケーガン氏は米国について、17世紀の哲学者ホッブズのいう「万人に対する万人の戦い」の世界、つまり国際法や国際規則があてにならず、軍事力が不可欠な世界で力を行使している、と指摘した。トランプ氏にあてはめれば、軍事力に限らずあらゆるパワーに頼る、ということになるだろう。

 イラク戦争当時と今との違いは、米国が対外関与に抑制的になったことだ。オバマ氏は大統領の時に「米国は世界の警察官ではない」と明言した。今回のイラン攻撃について米国の世論は反対意見が過半と伝えられている。トランプ政権内部では、一国主義的で抑制的な勢力が大きな影響力を持っているようだ。「米国が持つ限られた力は中国との競争に振り向けるべきだ」とする対中強硬派(優先主義者とも呼ばれる)と、この抑制主義勢力のバランスがどうなっていくかは注目に値する。

経済でも「力」を行使

 そんな中でのイラン攻撃は、トランプ氏にとって例外中の例外だっただろう。これ以上の軍事的関与は想定せず、これっきりで事態が鎮静化することを切望しているはずだ。イスラエルの先制攻撃で地ならしができたところに出て行って、最小限のコストで大きな成果を得る「いいとこどり」を目指したものにほかならない。成功すれば気をよくして、軍事的選択肢をこれまで以上に公言する可能性はあろうが、実際の対外軍事行動を大きく増やすことは考えにくい。

 他方、追加関税のような経済分野での力の行使は、ずっと敷居が低いと考えるだろう。経済的手段による戦いなら、「万人に対する万人による戦い」よろしく、相手が同盟国であろうがおかまいなし、となる。

 では、「金星」の欧州はどうか。、ケーガン氏の当時の見立てでは、欧州は力の世界でなく、「法律と規則、国際交渉と国際協力という独自の世界」へと移行しつつあった。18世紀の哲学者カントが『永遠平和のために』で描いた理想の世界を目指しているのだと指摘した。

欧州もリアリズム的な対応

 欧州は第2次世界大戦後、戦争を防ぎ平和を築くため地域統合に取り組んだ。欧州連合(EU)をつくってマルチラテラリズム(多国間主義)に基づく交渉や国際協力を推進してきた。規範と理念を重んじ、グローバルなルール形成を得意としている。

 しかし、その欧州も、決して理念だけの「楽園」に住んできたわけではないし、内部も一枚岩ではない。2003年のイラク戦争でも、英国やスペイン、ポーランドなどは米国を支持して独仏と立場を異にした。

 欧州はさらに最近の情勢を受けて変わりつつある。その背景は第1に、2017年に発足した1期目のトランプ政権が、「アメリカ・ファースト」を主張して保護主義的政策を繰り出したり、防衛支出の大幅増額を欧州に迫ったりしたのを受けて、欧州側の対米意識が変化したことだ。第2に、ロシアのウクライナ侵略が欧州の安全保障意識を高めた。第3に、既存の秩序を揺さぶる中国の台頭に対する警戒感だ。また、米中との経済競争に後れをとりつつあるという危機意識も高まっている。EUは、よりリアリズム色の濃い政策対応や、安全保障を重視する姿勢を強めるようになった。

価値観を共有するパートナー

 それにしても、今回のイラン攻撃に対する欧州の反応にはいささか驚かされた。米国の前にイスラエルがイランを攻撃した際に、ドイツのメルツ首相は「我々のために汚れ仕事をしてくれている」と言い放った。フランスのマクロン大統領は、米軍による攻撃について「合法性の枠組み」が存在しないとの認識を示した、という報道(ロイター通信)はあったものの、総じて欧州首脳は米国とイスラエルの批判を抑制しているように見える。

 イランの核開発にはストップをかけたい、そのために今回の軍事行動は役に立つ、というのが本音なのかもしれないが、一方で、欧州が尊重してきた規範とルールに基づく国際秩序との折り合いは、どうつけるのだろうか。この点、日本政府の立場が曖昧なのも気になる。

 前回のこのコラム(「日米、コメと自動車の30年」、2025年6月18日)で、米国は世界経済と国際秩序のインフラのような存在、と書いた。積年の構造問題を抱える米国が、よろめいて倒れれば世界経済の混乱は避けられないので、日本は支えなければならない、と論じた。支えるというのは、いつでも米国に従い、行動を支持するという意味ではない。トランプ氏の独断的で一方的な行動は、国際秩序のインフラとしての米国の価値を毀損しかねず、日本にとっても看過できない問題だ。欧州とは、価値観を共有するパートナーとして組めるところを組んで、あるべき国際秩序を守る努力をすべきではないだろうか。

日本は新たな「ドクトリン」を示したい

 「トランプ・ドクトリン」という話をしたが、外交・安全保障の戦略や政策に関連するドクトリンとして、古くは米国のモンロー・ドクトリン(宣言)やトルーマン・ドクトリンが知られる。日本では吉田茂元首相の名を冠した「吉田ドクトリン」が有名だ。第2次大戦後の日本のあり方として、米国との同盟関係を軸とした安全保障体制、そして防衛力は抑制し、経済成長を重視するという「軽武装・経済重視」の路線だったと以前このコラムで紹介した(「リアリズム外交とドクトリン」、2022年6月22日)。

 日本は長く続いた軽武装路線から、時代に応じた新たな防衛体制の構築が求められている。再び、経済と安全保障のあり方が課題だが、忘れてならないのは、自由と民主主義、法の支配、人権尊重、開かれた経済といった、重要な規範と価値観をどう日本の政策に織り込み、国際秩序の支え手になっていくかという、もうひとつの要素だ。経済と安全保障、価値観。この3つを統合した新たな日本の「ドクトリン」を世界に示すことができないだろうか。

 

 ところで、やはり前回のコラムで、トランプ関税に対し日本は世界貿易機関(WTO)に提訴していないし、報復の警告もしていない、と書いた。これに対し知人の専門家から、日本はWTOに対抗措置に関する通報を行っているとのご指摘をいただいた。確かに日本は5月に、米国の追加関税の一部に対して、対抗措置を講じる権利を留保する、とWTOに通知していた。日本政府には、米国に対し報復を警告して圧力をかける意思はなく、その一方で、対抗措置のWTOへの通知には期限があるので一応、権利を留保しておいた、という性格のものらしい。米国を刺激したくないのだろうが、権利を留保するという立場はもっと内外に説明してもよいのではないか。これも、日本は米国を支えるべきという筆者の主張の趣旨とは、全く矛盾しない話である。日本の発信力にも大いに期待したい。

ご意見、お問い合わせはこちらまで